生きることは、別れの連続である。

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vtuber梅雨籠リグーシカは引退を決意し、ファンの前に立った。その日、梅雨籠リグーシカは死ぬ。存在がなかったことになる。ファンたちは梅雨籠リグーシカにどんな言葉を投げかけ、彼女はどんな言葉を返すのか。この物語は、その、去って行く人間と去られる人間の物語である。 よくよく振り返って見れば、人生は別れの連続だったような気がする。小学校の卒業式のとき、「またね」と言った友人と私は今も会わないままだ。習い事で会った友達、高校の友達、大学の友達、就職活動で出会った友達。狙ってもいないのに別れ、憎んでもいないのに再会を得ることはない。 それも仕方のないことなのだろうと思う。 人間は生きていく中で、あらたに誰かと出会う。あらたにどこかの組織へと所属し、そこの人間関係が第一になる。そしてまた、その組織から離れれば狙っていない「別れ」が待ち受けている。それらを言葉にすることはできない。 だが、メディアの世界。たとえば小説サイトやSNSにおいては、「今から去ります」という別れの舞台を準備することができる。本作に出てくるvtuberの世界も同じだと思う。 それらの世界で出会った相手とは、顔も知らない、声も聞いたことがない。そういった関係というものはたくさんあると思う。だけどどうしてだろう。涙が出てくるのだ。ただ、少しの文章で出会い、仲を育んだ相手なのに。明日になれば、仕事先や近所にいる相手でもないのに。それでも涙が出てくるのだ。 それはきっと自分が、相手はパソコンやスマホの向こうで生きている人間だ、と知っているからだと思う。自分も向こうも、互いを一人の友人として認め、生活の一部として接していたからだと思う。この儚くも美しい関係を、梅雨籠リグーシカは多分に表してくれている。梅雨籠リグーシカはきっとファンを愛していた。ファンもきっと、梅雨籠リグーシカの存在を生活の一部としていた。だから、離れても人生に影響がないにも関わらず、涙が出てくるのだ。誰しもが別れを惜しむのだ。メディアの世界で会った相手とは連絡手段をもたない。二度と交わることはない。それを知っているから、誰もが別れを惜しむのだろう。 そして普段は何気ない瞬間に訪れる「人生の別れ」。メディアではこれが目に見える形で表われる。見えないものが見える瞬間である。人生は別れなのだと、見せつけられる瞬間なのである。本作はどんな作品よりも濃厚に、登場人物たちの心情が描かれている。私はこの作品に、きらきらと光る、儚くも美しい心を見た気がした。 そして。 梅雨籠リグーシカの「中の人」は。 去った後に、リアル世界でどう行動するのだろう。そこが本作もう一つの見どころである。最後に行われるある行動は、これまでの別れの描写を起爆剤として読者の心の中に飛びこんでくる。読者は最後に「別れ」を実感するだろう。 だけど私たちはけして忘れない。 別れても、その人はこの空の下に存在することを。 やがて、街のどこかですれ違うかもしれない。 それぞれが、それぞれの人生をたしかに歩んでいくだろうことを。 そう思わせてくれた、すばらしい、本当にすばらしい作品でした。

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投稿日:2021年7月18日 21:51

最終更新日:2021年7月18日 21:51