生ハムメロンが好きだ。 好きで好きでたまらない。 メロンの甘ったるさに脳みそがとろけてしまう。 みかん、かき、りんご、グレープフルーツ、なしもあるのだけれど、メロンがいちばんだ。 食べ応えというか、生ハムと相性はよい。 生ハムのためのメロンだし、メロンのための生ハムだろう。 生ハムメロン専門店に足しげく通う僕は、疑う余地なしに生ハムメロン好きなのです。 安らぎというか、生ハムメロンは僕に癒やしを与えてくれる。 なぜメロンなのかは知らないが、おそらく僕の素性だろう。 未熟か完熟か、むろん青さも新鮮でよいがむしろ僕は完熟し切った芳醇さにやられてしまう。 なぜ熟れたメロンが好きなのか当然ながらわからない。 同じメロンといえども、生ハムメロンはやはり完熟メロンだと無自覚に指名する僕がいる。 病的だと最近は思う。 生ハムメロンが頭から離れない。 仕事中だというのに、僕は常に生ハムメロンを頭の片隅に置いて、客先で商談を笑って進めるのだ。 先方に商談中なのに、生ハムメロンですか、と責められたら正直謝るしかない。 街を歩いていてもどこそこ構わず僕の頭の中には生ハムメロンが浮かんでおり、気を許せばすれ違う人たちに生ハムメロンがだぶって嘔気を覚える。 自宅に着いても気を抜けず、抜けば日用品から生ハムメロンに変わり、気付けば僕は生ハムメロンに囲まれ、吐き気を催して急いでトイレに駆け込み、便器の中に吐瀉するが、吐瀉物までもが生ハムメロンに変わり、からっぽの胃のまま僕はしばらく嘔吐をくり返すのだ。 生ハムメロンが好きだ。 好きだが好きだからこそ僕はこれほど苦しむのだろうか。 幼き日に読んだ芥川龍之介の『芋粥』を思い出す。 けれども氏の掌篇とちがって僕は生ハムメロンを自力で手に入れ、生ハムメロンに浸っていたはずで、まさか生ハムメロンが僕に災難を降りそそぐとは解せない。 あくまで僕は生ハムメロンの主であって従ではないのだ。 金を払って生ハムメロンを愉しんでいるわけで、生ハムメロンに金を払えと強要されたわけではない。
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