お金で買われてほどかれて~社長と事務員のじれ甘婚約~

読了目安時間:9分

4-4.最高で最悪の休日

 ドウダンツツジやハナミズキ。初夏に咲く花が公園の緑の中、白く際立っている。雪生(ゆきな)は手にしたデジタルカメラで、アングルを変えつつそれらの写真を撮っていた。  今日は久しぶりの休みだ。友人に連絡する前に、原からショッピングに誘われたため、そちらを優先した。原とはよく出かける。マッサージのことを抜きにしても、一番気軽に話せる同僚なのだ。  私服は悩んだが、お気に入りのシフォンブラウスと、ハイウエストの膝丈スカート、紺色のショルダーバッグという組み合わせを選んだ。髪は軽くシュシュで括り、一つに束ねておいた。十一時に待ち合わせをしたが、まだ十分ほど時刻には早い。  写真を撮るのは趣味だ。別にSNSにアップするわけでもないが、風景写真は見るのも撮るのも好きだった。使っているのは古い型のカメラだが、亡くなる直前に父からもらったもので、思い入れもある。 「雪生ちゃん、おはよー」 「あ、原さん。おはようございます」  カメラを鞄に入れたとき、丁度いいタイミングで原が声をかけてきた。原は黒いワイドパンツに、ざっくりとした大ぶりのカーディガンを着ていて、トートバッグを持っている。ショートカットによく映える格好だ。 「写真撮ってたんだ。待たせちゃったかな」 「いえ、私もさっき来たんです。いい写真が撮れました」 「そっか。お腹はまだ空いてない? 朝ご飯抜いてきちゃってさ、うち」 「じゃあ先にお茶でもしましょうか。デザートなら私も食べたいです」 「新しくできたカフェがあるんだよね。そこ行こっか」 「はい。案内、お願いします」  二人、並んで歩き出す。ここの公園は大きく、繁華街とオフィス街の中間にある。飛沫を上げる噴水の側では、親子連れが楽しそうにはしゃいでいた。 「夏ももう間近だねー。この季節ってさ、着るものに悩まない?」 「そうですね、店の中に入れば暑いですし。外は夜になると、まだ冷えますもんね」 「雪生ちゃんのブラウス、いいな。うちもそういうの買おうかなあ、今日」 「皺になるのがちょっと大変なんですけどね」 「げ。めんどくさそう。クリーニング代も馬鹿になんないし、悩むわ」  原の言葉に小さく笑いながら、青になったのを見計らって横断歩道を渡る。ショッピングビルが並ぶ大通りの前で、原が角を曲がった。若干古めのビルが建ち並ぶ裏路地、あまり人気のないところに目当ての店はあるようだ。 「あっ、あそこ。フレンチトーストが美味しいんだって。あとケーキ」  原が指さした先には、小さな看板に赤い文字でカフェの名前が書いてあった。ビルの一階にある店は、平日の昼前だというのに客で賑わっている。女性がほとんどだった。  それでも待つことなく席に座れた。メニューを見て、迷ったがレアチーズケーキと紅茶のセットを頼む。原は名物の、フレンチトーストとコーヒーを注文した。  待つ間、原が水を口にした後、にやりと笑う。 「今日は気合い入れて買い物するつもりなんだ」 「何かあるんですか?」 「ふふふ。デート」 「えっ? 原さん、いつの間にそんな相手を」 「びっくりした? うちもさ、ここまでこぎ着けるのに大変な思いをしたわけよ」 「驚きました。だって原さんは、仕事一筋って言ってたのに」  一体どこで知り合ったのか、相手がどんな人間なのか、素直に気になった。しかも原の口ぶりでは、彼女からアプローチしていたのだろう。仕事が恋人、と昔の飲み会で断言していたとは到底思えない。 「雪生ちゃんもよく知ってる人だよ」 「私が? あ……も、もしかして……浅川(あさかわ)さんですか?」 「当たりー。わかっちゃった?」 「わかったと言うか……消去法です。プリンの差し入れして下さったときも、浅川さんが普通に食べられるものを選んでましたもんね」  他に知り合いの男性といえば、美土里(みどり)さんくらいしかいないし。その言葉を飲みこんで微笑んだ。コップを置いた原が瞳をすがめ、唇をつり上げる。 「雪生ちゃんにだっているんでしょ、彼氏」 「な、なんでそうなるんですか?」 「気付かない? 綺麗になったもん。それに最近、やけに仕事をミスしたりするじゃん。恋愛してるんだろうなあって思って」 「それは……えっと」 「相手、広宮(ひろみや)社長でしょ」  言われて、雪生は思わず水を吹き出しそうになった。その様子に頬杖をつきながら、原は意地悪い笑みを浮かべる。 「やっぱりねー。皆で賭けてたんだけど、勘が当たったわ」 「み、皆って? もしかして皆さん、私と美土里さんのこと」 「ゲロったな。名前呼びなんてしちゃって、もう」  しまった、と自分の迂闊さを呪った。だがそれより、皆という言葉が気になる。にやにやしながらこちらを見つめる原に、若干恨めしい声を上げた。 「もしかして皆さん、ご存じ……ですか?」 「んー。スタッフの大半は気付いてると思うよ。本店の皆はね。真殿さんはわからないな。あんまり話してないし」 「どうしてわかっちゃったんでしょう……」 「いや、社長がめちゃくちゃ雪生ちゃんのこと気に入ってるって、一目でわかるってば。それにあれかな、こないだの飲み会で送られてったときに皆で確信した」 「そうですか……あの日に……」  はじめて美土里と体を交えた日。心を重ねたときのことを思い出すと、胸が疼いた。無意識にペンダントをなぞったとほぼ同時に、頼んでいたケーキ類が運ばれてくる。 「社長って結構、皆に優しいけどさ。雪生ちゃんに対しては接する態度が違うんだよ」 「違いますか? 確かにお弁当とかはつまみ食いされてましたけど」 「そういうんじゃなくてね。こう、大事なものを守ろうとしてる感じ? があるかな」  トーストを切る原の指摘に、恥ずかしくて顔から火が出そうだ。ケーキを口に運び、何も言えずにただうつむく。 「優しさの度合いが違うからさー。スタッフたちその他大勢とは。いいねー、幸せだねー」 「……恋愛をしたら、幸せじゃなくて、苦しさも感じるものなんでしょうか」 「お、何? なんか悩み?」  原にどこまで言うか思案し、フォークを不躾ながらカチリと噛んだ。偽りの婚約者を演じていることは抜きに、今抱いている不安を話そうと決めた。 「こないだのお店の事件を、私、美土里さんから教えられてなくて。私じゃ美土里さんの力になれないのかな、ってばっかり考えてしまったりして……」 「なるほどね。雪生ちゃんは支えたいんだね、社長のこと」 「はい。微力ですけど……気遣いが苦しいんです。確かに私は無力かもしれません。でも、大変なときだからこそ話してほしかった、と言うのが本心で」  言っている間に、段々と気持ちが落ちこむのがわかった。原には話せないが、紅子(べにこ)に対しての劣等感も確かに抱いている。住む世界が違うのだという事実も、重くのしかかっている要素の一つだ。  美土里が自分を大切にしてくれるたび、嬉しさと不安が同居して心を乱す。いつの間に、こんなに思いが大きく膨らんだのだろう。知らなかった感情の渦は、自分のペースを崩すのに十分すぎるほどだった。  原はコーヒーを啜ると、真面目な顔で一つ、うなずく。 「それ、社長に言った?」 「いえ……やり取りはしてますが、お互い労うくらいだけですし、今はお忙しいかなと」 「遠慮してちゃだめだよ。ぶつかることもあるのが恋愛。ちゃんと本心を話さないとわからないこともあるんだからさー。恋人になってるなら尚更だよ」 「ぶつかる、ですか。少し怖いです」 「そのままじゃ何も変わらないよ、きっと。ま、うちはまだデートする予定くらい程度の恋愛だから、そんな偉そうなこと言えないけどね。酸いも甘いも含めて恋、だよ」 「難しいですね……」 「簡単な恋愛なんてないよ。でも、吐き出せたら少しは気持ち、楽になったんじゃない?」 「はい、それは確かです。ありがとうございます、原さん」 「こっちも多分、難しいだろうなー。浅川さんって口数少ないし。でも、決めるんだ」 「上手くいくといいですね。浅川さんと」 「雪生ちゃんもね。泣きたいときは、スタッフ総出で受け止めるから安心しなさい」  原の明るい物言いに、少し心の靄が晴れた気がして、雪生は微笑んだ。  お互いの恋愛事情を話すのは楽しい。隠していることはあるが、詰まった心情を吐露するのがこんなに心地よいとは思わなかった。  カフェを出て、尽きない話題に盛り上がりながら、存分に休日を謳歌する。原がデートのために雰囲気を変えたコーディネイトをしたい、と言うので、自分がよく行く服屋に連れて行ったりもした。逆に原から、今まで着たことのない類いの服も教えてもらった。  充実した時間はあっという間に過ぎ去る。夕飯は軽めのものを共にし、それから別れた。  パンツはスーツ以外に持っていなかったが、原の薦めで白いアンクル丈のものを買ってみた。ブラウスにもノースリーブにも合うから、着回しができそうだと判断したからでもある。  帰り道、久しぶりに惣菜を買った。自宅近くにある商店街からのんびり歩く。今日は何かと散財してしまった気もするが、給料は出た後なので問題はない。貯金用の金額は確保済みだ。  それにしても、と原との会話を思い出し、ちょっと笑いそうになる。 (浅川さんと原さん、意外とお似合いかもしれない。上手くいくといいな、二人が)  原がいつもより、いきいきしていたのが印象的だった。もしかすれば、端から見れば自分もそうなっているのかもしれない。恋をすると女は変わる、とは原の言だ。  原からのアドバイスには勇気をもらえた。帰ったら、自分の思っていることを美土里に電話で話してみよう。そう決めて、早足で自宅に向かおうとしたそのときだ。 (……あ、また、車)  例の黒いセダンがゆっくりと、自分の横を通り過ぎていく。  刹那、カメラのようなものが車の窓から見えた。レンズが夕陽に反射したのだ。それは間違いなく自分を捕らえており、思わず足が止まった。車は固まった自分を捨て置き、スピードを上げて去って行く。 (今の、って……何?)  呆然とその場に立ちつくす。自分を映したと思しき何か。いつも自宅近くに現れる車。一気に血の気が引いた。怖くなって駆け足でアパートに戻る。鍵を出す手が震えていた。  自室に入り、チェーンと鍵を急いでかけて、カーテンも閉めた。 「な、何……誰?」  警察に、とも思ったが、単なる自分の勘違いかもしれない。それでも不気味さを伴った恐怖心で、リビングにへたりこんでしまう。  スマホを取り出す。困惑と恐ろしさ、その二つに支配され、美土里に連絡しようとした瞬間、理性が手を止めた。美土里は今、すぐ駆けつけてくれる状態にない。ただの勘違いだったら――そう思うと躊躇するばかりだ。  男友達などいない。浅川は、これから原とデートのはずだ。と、すれば選択肢は一つ。 「……助けて、氷雨(ひさめ)」  弟を自宅に呼ぶ。それしか、なかった。

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