お金で買われてほどかれて~社長と事務員のじれ甘婚約~

読了目安時間:8分

5-3.指輪と謎のメッセージ

 美土里(みどり)と誰かが話している声で、雪生(ゆきな)は目覚めた。ベッドの横に美土里はおらず、閉じられた寝室の外、リビングから微かな声が漏れている。  時計を見ると七時を回っていた。少し寝坊してしまったようだ。ガウンを身にまとい、少し冷たいフローリングの床を素足で歩く。そっと寝室の扉を開けた。  明るい陽射しが入る広い居間、窓の側で美土里がガウン姿で電話をしている。 「だから、誤解は解くって。その準備もしているところだから」  片手にマグカップを持った美土里は、少し疲れたような顔だ。こちらに気付き、微笑みを返してくれはしたが。風呂場の方を指さされ、雪生はうなずく。シャワーを浴びて、ということだろう。恐縮しながら先に風呂を借りることにした。  誰と話しているのか気になったが、目覚めた直後ということもあり、あまり頭も回らなかった。できるだけ早く体と髪を洗い、新しい私服に着替えて風呂場から出る。身も頭もかなりしゃっきりした。  リビングの美土里と目が合い、そこでようやく挨拶を交わす。 「おはようございます、美土里さん」 「おはよう、雪生くん」  疲労を隠さない美土里は、ソファに座ったままスマホをテーブルに投げ出していた。 「朝からどうしたんですか?」 「貴江(たかえ)からの連絡だよ。野々宮専務がかなり暴走してるみたいだから、気をつけろだって」 「誤解、という言葉が聞こえたんですけど」 「ああ……それは僕の両親の方だね。専務がどうやら、君と僕の関係を喋ったらしい」 「ば、バレてしまったんですか? 美土里さんのご両親、怒ってらっしゃるのでは」 「なんで?」 「なんで、って……当然じゃないですか。偽者の婚約者を連れて行ったんですよ?」  恐る恐る美土里の横に座り、顔を曇らせると、それでも美土里は不敵に笑う。 「雪生くんはもう、本物の婚約者だからね。君がどう思おうと、僕の両親や周りが何を言おうとそこは変わらない事実だよ」 「……私で本当に、いいんでしょうか」 「僕は君以外に興味がない。雪生くんは僕と結婚するの、嫌かな?」 「結婚……」 「そう、結婚。僕と一緒に新しい家族を作ることに、まだ抵抗がある?」  半乾きの髪を撫でられながら言われて、飛び出した結婚という言葉を考えてみた。実感があまりない。嬉しい気持ちは確かにあれど、頭と心が追いついていないのが現実だ。 「まだ現実味がないって顔をしてるね。まあ、プロポーズもしてないけど」 「ぷ、プロポーズですか」 「もっときちんとした場所でしたいから、ちょっと待ってて。あ、でも今日は指輪を買いに行くつもりだから、そのつもりで」 「指輪……って、あの、気が早いような」 「本物の婚約者に渡すんだよ。遅い方だと思うけど」  そう笑い、美土里が立ち上がる。 「ああ、よかったら朝食を適当に作ってくれると嬉しいな。キッチン、好きに使ってくれていいから」 「はい、それは……お世話になってますし、作らせてもらいますね」 「じゃあ、僕は風呂に入ってくるから。よろしく、雪生くん」  風呂場に向かう美土里の後ろを見ながら、雪生もソファから立った。結婚、その言葉を頭の隅に追いやって、キッチンへ入る。美土里も自炊をしているのだろう、冷蔵庫の中には意外に食材が豊富にあった。  パンにしようと決めて、サラダとスクランブルエッグ、簡単なコンソメスープを作る。  リビングのガラステーブルにそれらを並べていったところで、美土里がいつものベスト姿に着替えて戻ってきた。 「いい匂いだね。美味しそうだ」 「簡単なものですけど、お口に合えば嬉しいです」  美土里が椅子に座ったのを見て、自分もそれに倣う。美味しい、と美土里がスープをお替わりしてくれたことが嬉しかった。食べた後の片付けなどは美土里がしてくれ、その間に雪生は簡潔なメイクを洗面台で済ませておく。  髪もそのままではなく、少しうなじに近いところでひとまとめにしておいた。 「雪生くん、準備できたかい?」  洗面所の外から、美土里が顔を覗かせてくる。 「できました。お待たせしてごめんなさい」 「全然待ってないから気にしないで。そういや今日はパンツルックなんだね」 「原さんと買い物へ行ったときに買ったんです。着るのは今日がはじめてですけど」 「似合ってるよ。爽やかな感じがして。じゃあそろそろ行こうか」 「はい、お付き合いします」  ショルダーバッグを持ち、美土里と共に外に出た。駐車場から車に乗ると、ゆっくりと、繁華街の方向へ走りはじめた。  指輪はどんなものがいいか聞かれ、そちらの方に全く気を留めていなかったことに気付く。美土里から与えられるものならば、どんなものでもいい。その思いを綴ると、美土里は微笑み、予約を入れていたというジュエリーショップに車を向かわせた。  着いたのは小さい店舗だ。それでも高級感の漂う店に、雪生はちょっと尻込みする。 「さあ、入ろう。僕がいるから大丈夫。何も心配しないで」 「は、はい……」  手を絡めとられ、いわゆる恋人繋ぎという状態で入店した。  美土里は婚約指輪をフルオーダーで作る気らしい。指輪の素材、形や宝石は何がいいか、刻印はどうするか。静かだが格調高い店内で色々と決めていく。  刻印は互いのイニシャルと共に、イタリア語で、熱愛・愛するという意味を表す単語を入れることになった。Ti adoro。シンプルだがこれ以上ない愛の告白で、実際に耳打ちされた雪生の胸は脈打つ。  あらかたを決め、二人で店を出た頃にはすでに昼過ぎになっていた。多少空には灰色の雲がたなびいてはいるが、この様子だと夜になれば晴れるだろう。  街中の駐車場に車を停め直し、近くのカフェへと移動する。テラス席に並んで座った。 「指輪、できるのが楽しみだね。きっとよく似合うよ、雪生くんに」 「そ、そうでしょうか……楽しみなのは確かですけど……」 「雪生くんはまだ、あまり実感湧かない? 結婚に」 「実感がないと言いますか……だって、お付き合いしてから少ししか経っていませんし。その、展開が早くて戸惑ってます」  カフェモカを飲みながら肩を縮め、雪生は小声で本心を告げる。机に置いた左手、その薬指に触れながら美土里が微笑んだ。 「それは体の付き合いがはじまってからだろう? その前からお互い、気になってたわけだし。好き同士だったわけだし。一年間付き合っていたのと同義だと僕は思う」 「そうかも……しれませんけど」  思っていたのは互いも同じ、ということには納得がいく。それでもあまりの展開の速さに驚くことしかできない。だが、美土里の顔はどこまでも真剣だった。 「重いかなって思ったけど、僕は本気だ」  美土里が、左手を撫でる手に力をこめた。 「僕だけに愛される覚悟、決めた方がいいよ。君を離す気なんてこれっぽっちもないから」 「美土里さん……」  熱をこめた言葉に、それでもどうしよう、とうろたえる。結婚となれば弟にも話さなければならないし、何より美土里の両親に認められるか、それが心配で。 「それとも雪生くんは、僕と結婚するのはやっぱり嫌かい?」 「そ、そんなことは……ないです……」  握っていたカップを置き、赤い顔のまま頭を振る。  美土里が人生の伴侶になることを夢見たことは、確かにあった。そうなったら幸せかも、そんな風に思い描いたことだって幾度となくある。  けれどやはりネックなのは、家柄の違いだ。親もいない、かつ借金を肩代わりしてもらった事実も、心証としてマイナスなのではないだろうか。  不安が顔に出たのだろう、雪生の思いを払拭するように美土里は笑う。 「次の休み、僕の両親にまた会ってくれるかな。変な誤解は解いておきたいし」 「あ、それなら私も、偽者を演じていたことを謝りたいので……」 「じゃあ、そのあと僕は氷雨(ひさめ)くんに殴られに行こうかな」 「弟はそんなこと、しないと思いますけど」 「どうかな。親父の代わりに、って殴られた方が、それらしくないかい?」  明るくおどけてみせる美土里に、雪生は微苦笑を浮かべた。考えてみれば、弟に美土里と付き合っていることは話していない。早めに筋を通しておくのがいいだろう。  そこまで考え、自分の中に、結婚自体を嫌だと思う嫌悪の気持ち、それ自体がないことにようやく気付く。戸惑いと照れはさすがに隠しきれないけれど。  自然と笑みを浮かべたそのとき、鞄に入れたスマホからメッセージの着信音が鳴った。美土里も耳にしたのだろう、出ていい、というように手を離してくれたから、スマホを鞄から出す。  スマホにあったのは、原からのメッセージだった。  ――『幸せになってね』という一言だけの連絡。 「誰からだい?」 「原さんです……どういう意味かしら、これ……」  画面を美土里に見せて、首を傾げた。思い当たるとすれば、浅川(あさかわ)との件しかない。まさかフラれてしまったのだろうか。不安にも似た嫌な予感がする。 「浅川さんと、上手くいかなかったんでしょうか?」 「どうだろうね。さすがに僕から、浅川に連絡するわけにもいかないし」  謎めいたメッセージに二人で悩むも、答えなど出なかった。とりあえず、と感謝の念を送ってはみたものの、既読はつかないままだ。 「明日、原さん出勤ですもんね。そのときに聞いてみることにします」 「それが一番いい。さて、これからちょっと買い物に付き合ってもらおうかな。今日は家で料理をしようと思っててね」 「何を作るんですか?」 「カレーかパスタ。一緒に作りたいんだけど、どうかな」 「いいですね。カレーなら冷凍で保存もできますし、たくさん作れそうです」 「なら早速、買い出しに行こうか。途中で昼食にしよう」 「はい、わかりました」  立ち上がり、二人でカフェを後にした。  楽しく会話をしながら買い出しなどを済ませていく中、それでも気がかりなのは、原のメッセージだ。夜になっても既読はつかず、返信もない。美土里のマンションに戻った後、電話もかけてみたが、原は出てはくれなかった。  ――明日になったら、原さんに何があったか聞かなくちゃ。  嫌な予感を振り切るように決めて、雪生は美土里と優しい時間を共に過ごした。

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