宝石の子

読了目安時間:8分

エピソード:2 / 24

セレナ

 侯爵家の令嬢セレナ・シュトラールは馬の嘶きを聞いた気がして、窓から外を見る。冬を迎えた庭は常緑の木以外葉を落とし、花もなく閑散としている。その広い庭に軍馬が入って来ていた。馬上の人を見てセレナはふと笑う。しばらく顔を会わせていなかったが変わっていない。軍服を着ているということは、どうせまた厄介事を持ってきただけですぐ帰るだろうと思いつつも、期待してしまう乙女心をため息で消す。ヴェルデはまだ少尉、約束の佐官には程遠い。そうとわかっていても浮かれてしまう足でセレナはエントランスに続く階段をぱたぱたと下って行く。すでにエントランスホールでメイドに案内を頼んでいたヴェルデはセレナを見て、うれしそうな顔で笑った。 「お久しぶりね。エスポワール少尉」  セレナは細くしなやかな指でヴェルデの衿に付いた階級章をなぞる。 「ご、ごめんね、セレナ。約束はまだ果たせそうにないんだ」 「別にかまわないのよ? 私はここでお兄様と暮らしていることに何の不満もないもの。それでも、軍服でしか来ないのはどうかと思うわ」  セレナはまだ十八で急いで結婚したいわけではなかったが、十六のころに幼馴染で四つ年上のヴェルデからプロポーズをされ、佐官になったら考えてもいいと曖昧な返事をした。それをはっきりとした約束にしたのはヴェルデがシルク・フリークの摘発時に問題を起こし、降格された時だった。ヴェルデを憎からず思っていたセレナははっきりした約束を交わすことで変わってほしいと願った。以後、問題は起こしていないが一度下げられた地位から這い上がるのは簡単なことではない。だからこそ、ヴェルデは必死に勤めていたが、そのせいでセレナのもとを訪れるのが仕事の合間のちょっとした空き時間や、こういった頼みごとの時しかなくなったのは否めない。 「言い訳もできないよ」 「でも、いいの。今日はこうして来てくれたし、あなたの活躍はよく耳にしているわ。また面倒事を持ち込みに来たって言うなら話は別だけど?」  セレナの切れ長な青い目で見上げられて、ヴェルデは苦笑いを浮かべる。セレナの勝気そうな笑顔が徐々に失望に変わっていく。 「その、またなんだ……」 「あなたっていつもそうね!」  一瞬でも期待した自分が莫迦だった。セレナは青いスカートをばさりと翻してそっぽを向く。 「本当にごめんね! 今度、おいしいお菓子を買ってくるから!」 「まぁいいわ。長引く案件かしら?」  セレナは顎をつんと上げて気の強そうな青い目でヴェルデのやさしげな緑の目を見る。 「長引くと思う。できたら人に聞かれたくない」 「はいはい、わかりました。お菓子は私が食べたことのないお店のものにしてね」 「ど、努力するよ」  貴族の令嬢らしからぬ菓子作りを趣味にしているセレナの要求はかなり難しいが、身から出た錆だ。相当怒っているのは間違いない。セレナの部屋ではなく、公的な応接室に通されただけでも怒りの程が知れる。用事があるときにしか顔を出さず、さっさと帰るのが悪いのもわかってはいる。この案件が片付いたらできる限り早く私服で訪ねようと思う。 「さ、これでいいかしら?」 「うん、ありがとう。用件の前に僕が君を愛しているってことだけ伝えても?」 「軍服を脱いでいるときにして」  冷たい低い声で言われてヴェルデは軍服の襟を正す。できるだけなどと言っていないで、すぐにも出直した方がよさそうだ。 「わかった。公私混同はよくないよね。用件なんだけど、シルク・フリークで保護した子どもを二人養育してほしい」 「普通の保護施設にいれるのではなくて私に話を持ってきたということは本物……ということかしら?」  ヴェルデはゆっくりと頷く。セレナの勘が鋭いところは話が早くて助かる。 「十二歳の少年なんだけど、胸に拳大のルビーがあって、涙の代わりに宝石がこぼれ落ちる。歯が一本もなくて、喉を潰されているから喋ることもできないけど、聡明な子で読み書きができるから意思の疎通は問題ない」 「嘘のような話ね……」  セレナはため息交じりに呟く。 「証拠もなく信じてもらうのは難しいだろうからこれを持ってきた。少年の目からこぼれ落ちた宝石だ」  ヴェルデは机上にハンカチを広げる。色鮮やかな宝石が輝いた。 「トパーズ、トルマリン、サファイア、エメラルド、アメシスト……」  美しいカットが施された大小様々な宝石をセレナはゆっくりとなぞる。偽物には見えない。 「一少尉がハンカチに包んで持ち歩くようなものじゃないでしょう?」 「そうね……保護施設ではその子の安全を守ることができないっていうことかしら?」 「そういうこと。お願いできるかな? できたらその子がかわいがっている五歳の男の子も一緒に引き取ってもらいたいんだ」  セレナは思案するように細い顎をなぞる。ここまで難しい頼み事は初めてだ。 「その五歳の子は普通の子なの?」 「うん。僕と同じようにオッドアイなだけで、改造もされてないし健康そのもの。不思議なくらい天真爛漫な普通の子どもなんだけど、喋れないあの子が唯一心を開いているから引き離したくない」 「兄弟なの?」 「違うよ。兄と呼んで慕っているし、特別に思っているのは確かなんだけど、よくわからない」 「そう……」  ひどい境遇で寂しい魂同士、身を寄せ合っていたのだろうか。 「とりあえず、お兄様に話を通してもいいかしら? 私の一存じゃ決められないわ」  ヴェルデが頷くのを見て、セレナは召使いを呼び戻し、兄を呼ばせる。 「子どもたちの名前は?」 「宝石の子がローズ、五歳の子がルミエール。ローズは本名じゃないみたいなんだけど、それ以外わからないって」 「ローズ? 男の子よね?」  セレナの細い眉が怪訝そうに寄る。 「うん。女装させられているし、とても長い白髪で儚い少女のような容姿をしているけど男の子だよ。興行主が付けたんだと思う」  その言葉にセレナは切なくなる。自分の名前さえわからないほど幼いうちから虐げられていたのだろうか。その時、兄のジェド・シュトラール侯爵が応接室のドアを開けた。少し屈んで鴨居をくぐったジェドは相変わらず上から下まで真っ黒な服を着ている。 「ああ、ヴェルデだったのか。あんまり来ないからセレナがへそを曲げて大変だった」 「お兄様!」  ジェドにまでなじられて、ヴェルデは所在無く縮こまる。両親がすでに他界しているセレナにとって年の離れた兄のジェドは保護者同然だ。セレナは恥ずかしそうにジェドに抗議している。ジェドは本来あまり喋るほうではなく、そんなことを言うこと自体珍しい。よほどだったのだろうと思うと申し訳なさが募る。 「それで、話とは?」  ジェドはセレナの抗議を受け流して、長い足を持て余し気味にソファに座る。ジェドは身長が高すぎていつも椅子の高さが足りていない。 「あ、あのね、お兄様、ヴェルデが保護した子どもたちを引き取りたいの。いいかしら?」 「お前が決めたのならかまわないが……ヴェルデがわざわざお前に助力を求めた理由を教えてくれるか?」  ジェドは少し乱れていた長い黒髪をかき上げる。 「その子たちのうちの一人が本物なのよ。胸にルビーがあって、涙が宝石になるのですって」  セレナはハンカチに包まれた宝石をジェドに見せる。ジェドは鷹のように鋭い目で宝石を一瞥し、小さく息を吐く。 「そうか……可能な限り秘したい。そういうことだな? ヴェルデ」  かつて近衛兵として軍の中枢にいたこともあるジェドはすぐに理解してくれたらしい。 「そうです。ローズは長く人として扱われてこなかったようで対処が難しいかもしれませんが、ローズの身の安全のためにもできる限りこのことを知るものを少なくしたいのです。ご協力いただけますか?」 「できる限り協力しよう」  ジェドはすと青い目を伏せる。長い睫毛が顔に影を落とした。 「ありがとうございます。すぐに移送してもいいでしょうか?」 「かまわない」  ジェドのコントラバスのように低く重い声にセレナが慌てて立ち上がる。 「すぐにお部屋を用意させなくちゃ! お兄様は着替えてね。今日も死神みたい。泣かれても知らないわよ。ヴェルデ、十二歳と五歳よね?」 「うん、けど、ローズはすごく小柄で、八歳くらいの体格しかないし、できたら……ああ……」  ヴェルデの言葉を最後まで聞かずにセレナはぱたぱたと走って行ってしまった。 「セレナがせっかちですまんな」  ジェドが申し訳なさそうに苦笑する。 「いえ、慣れていますから……」  ヴェルデは肩をすくめる。 「ところでローズといったか……その子ではなく、もう一人の子はどういった子だ?」 「オッドアイなだけでごく普通の少年です。両親を見つけ出せる可能性もあるとは思いますが、難しいでしょう。ローズが唯一心を開いているようなので、可能な限り引き離さずにおきたいのです」 「ふむ。他に留意点は?」 「ローズは女装させられ、女性名を与えられていますが、男児ですので、本人が望むようなら男の子の服を与えてあげてください。喋れませんが、筆談のできる聡明な子です」 「わかった。善処しよう」 「恩に着ます」 「かまわない。ジュールによろしく伝えてくれ」 「はい、では連れてきますね」  ヴェルデは軍帽をきっちり被り、敬礼をして去って行った。ジェドは一つに縛った長い黒髪をついと流して小さくため息を吐く。高い身長のせいか、彫の深い顔のせいか、子どもにはいつも怯えて泣かれてばかりだが、大丈夫だろうか。表情が乏しいのが悪いともセレナに度々言われるが、柄ではない。そもそもシルク・フリークで人として扱われずにいた子どもが人に怯えないというのが無理かもしれない。セレナがうまい事采配するだろうと思っていても少し心配だった。ジェドは少しでも子ども好きのする服装に着替えようと部屋に向かう。いつもの隙間なく黒い服ではセレナに言われたように死神に見えてしまうかもしれない。

コメント

もっと見る

コメント投稿

スタンプ投稿


同じジャンルの新着・更新作品

もっと見る

  • 夢を貪る

    夢の中でしか出会えない者 神となるか……

    0

    0


    2023年6月1日更新

    君にとっての現実は僕にとっての現実ではない。君にとっての夢こそが僕生きる現実だ。美しい天獄のような世界。剣と魔法があるファンタジー世界。地獄のような残虐な世界。あるいは、現実と何一つ変わらない日常の世界。僕は幽霊、夢の中を移動し続けて世界を覗き干渉する存在。僕が望むのならば君の願いを叶えよう。僕にできることはそれだけしかないのだから

    • 残酷描写あり

    読了目安時間:8分

    この作品を読む

  • 第3次パワフル転生野球大戦ACE

    野球(覇権争い)しようぜっ!!

    62,900

    100


    2023年6月1日更新

    宇宙の崩壊と共に、別宇宙の神々によって魂の選別(ドラフト)が行われた。 野球ゲームの育成モードで遊ぶことしか趣味がなかった底辺労働者の男は、野球によって世界の覇権が決定される宇宙へと記憶を保ったまま転生させられる。 その宇宙の神は、自分の趣味を優先して伝説的大リーガーの魂をかき集めた後で、国家間のバランスが完全崩壊する未来しかないことに気づいて焦っていた。野球狂いのその神は、世界の均衡を保つため、ステータスのマニュアル操作などの特典を主人公に与えて送り出したのだが……。 果たして運動不足の野球ゲーマーは、マニュアル育成の力で世界最強のベースボールチームに打ち勝つことができるのか!? ※小説家になろう様、カクヨム様、アルファポリス様、ノベルバ様、MAGNET MACROLINK様にも掲載しております。

    読了目安時間:7時間3分

    この作品を読む

  • サイケデリック・モノクローム ~異能学園成り上がり計画~

    その能力には、秘密があった

    3,000

    0


    2023年6月1日更新

    特殊能力者の存在が当たり前になった2100年。 『触れた特殊能力を無効化する』という能力を持つ少年・芹田 流輝(せりだ るき)は、国立の能力者育成学校『星天学園』の2年生。この学園には学年ごとのランク制度が存在しており、彼の学年ランクは91人中89位と、ほぼ最底辺だった。 目標のために努力を続ける芹田だが、強力な能力者たちを前にランク戦では惨敗続きで、一部のクラスメイトからは『無能力者』と笑われる始末。二年生にもなってランクが一つも上がらず八方塞がりかに思えたそんなある日、彼はある人物と出会った。 一人で数十もの特殊能力を使いこなす謎多き転入生・彩月 夕神(さいづき ゆうか)である。 「ボクと一緒に目指してみない?この学園の頂点を」 学園の頂点に君臨する最強の少女が差し伸べた手を、最底辺で足掻き続ける最弱の少年は握った。 戦略と頭脳、そしてたった一つの特殊能力を駆使して、少年は最強を目指す!! ※小説家になろう様 カクヨム様でも連載しています。

    • 暴力描写あり

    読了目安時間:9時間23分

    この作品を読む

  • 日々の欠片【一話完結短編集・毎日20時頃更新】

    オチはないけど、それでいい。

    500

    0


    2023年6月1日更新

    日常にあったりなかったりするような、あったらいいなと思えるような、2000字以内の一話完結ショートストーリー集。 ※一部、過去に公開した作品に加筆・修正を加えたものがございます。

    読了目安時間:7時間9分

    この作品を読む

読者のおすすめ作品

もっと見る

  • アード・サジン! ダンジョン少年の帰還

    ダンジョン育ちの少年、日本で猛威を振るう

    9,100

    0


    2023年6月1日更新

    「ダンジョンの中で死ぬと、生き返って外に放り出される」この世界に現れたダンジョンの不思議なルールの1つだが、そこに迷い込んだとある少年には、何故か適応されなかった。少年は行き倒れる度に別の風景で目を覚まし、一生ダンジョンの中で過ごすことになるのかと諦めかけた時もあったが、いつか故郷に帰ることができると信じて、出口を探し求めてきた。 自分の名前すらも忘れ去った日々だったが、二人の人間が行った怪しい儀式のおかげで、なんと日本へ帰ることに成功した! 少年を呼んだ二人組は、彼をダンジョンの探検隊に誘うものの、それを断り家族の元へ向かおうとする。この瞬間から、ダンジョン少年サジンの冒険は再び始まった。 家族と再会し、なぜ自分が閉じ込められたのかを突き止めるため。自分に構う変わった人々のしあわせを守るため。全ての目的を達成するために、彼はダンジョンで得た知恵と力を存分に振るい、唯一無二の探索者になるのだった。 ---------------- 【作者が考える作品のセールスポイント】 1.ちょっとズレた感性を持つダンジョン育ちの主人公 2.主人公との認識の差を、生活を通じて縮めていく仲間たち 3.別世界のように多彩なダンジョンで、環境に適応し生き抜く魔物 ----------------

    • 暴力描写あり

    読了目安時間:59分

    この作品を読む

  • 地を進むアーミラリ

    こんな天球儀、見たことがない

    6,400

    50


    2023年4月9日更新

    飾り文字。 それは、魔力を文字に宿すことで様々な用途に使う特殊な文字だ。 レティシア・カノプスはこの飾り文字を作り、修復する飾り文字師を仕事にしている。 ある時、レティシアの元にとある依頼が舞い込んで来る。 それは「星見の原」で仕事をしているとある星見からの依頼だった。 飾り文字の仕事であればどのような仕事でも引き受けるレティシアは、早速、「星見の原」へと箒に乗って向かうのだが、そこには彼女の想像もしていなかった光景が広がっていたのだった。 ※「魔法のお守り」短編小説コンテスト参加作品です。

    読了目安時間:10分

    この作品を読む

  • 昔噺冒険譚 カミノイイナリ―神之衣稲荷―

    昔話を用いて邪を退く、神使を纏う者たち。

    26,900

    50


    2023年6月1日更新

    昔話を用いて酔いどれ神使、邪な神と戦え。 王道をこよなく愛する人のための和風冒険譚。 その日殺生石は割れ、古の封印が解かれた。 殺生石伝説。 青年と白狐の大蛇退治の伝説は永い時を経て風化し、やがて九尾の狐を封印する物語へと変貌を遂げていた。 さらに人々が持っていた神への信仰さえその殆どが失われたことにより封印さえ風化し、ある日とうとう殺生石は割れてしまった。 幾百年もの間、殺生石に封印されていたのは九尾の狐ではなく【八つの頭、八つの尾を持つ恐ろしき怪物】であり、怪物は邪な企みとともに、自らを【神】と名乗った。 邪な神は平和を司る十二体【子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥】の神使を自らのイイナリとして泥酔させ、各地で怪奇現象を巻き起こし、人々の不安と恐怖を煽った。 全てはこの世を我が物にせん為。 平和な世を築きあげた神、宇迦之御魂神は十二体の神使の酔を醒ます為、邪な神を滅ぼす為に【狐、狸、猫】の神使を遣わせた。 しかし、失われた信仰では邪な神どころか同胞たちにも敵わない。 そんな時、神使や神の力【神気】を豊富に持った人間たちが僅かに存在し三体の神使は彼らと強力しながら、十二体の神使にちなんだ古き語りをもとに、酔明けまで戦い続ける。 「来い、カミノイイナリども……」 「慎太郎、準備は良いな?」 「うん、行こう稲荷!」 その身に羽織るは、神之衣【神羽織】。 神の力に袖通すは神通し。 その姿、正に【神之装衣】なり。 酔いしれた同胞を古き語りで目覚めさせよ。そして、新たな信仰とともに失われた力を取り戻し、邪を祓い退け。 さあ、酔い醒ましだ。

    • 残酷描写あり

    読了目安時間:1時間50分

    この作品を読む

  • 天球儀が映し出すもの

    義務を果たせ

    2,600

    0


    2023年4月7日更新

    「魔法のお守り」短編小説コンテスト応募作品。 使用アイテム:アーミラリ天球儀 。 利用すべきか、封印すべきか。 世界を異常な存在から守るとある組織的の話。

    読了目安時間:6分

    この作品を読む