宝石の子

読了目安時間:21分

エピソード:12 / 24

 病院に向かう馬車の中でカーテンの細い隙間からロゼは楽しそうに外を見ていた。初めての外出が楽しくて仕方がないらしい。ジェドは用心のためにカーテンを閉ざしてしまいたいようだったが、何度注意してもロゼが大きく開けてしまい、隙間を開けることで妥協させていた。 「あれ、なに? あれは?」  ロゼにはすべてが新鮮で面白いものばかりだった。ジェドはロゼの問いに丁寧に答えている。これが普通の外出であったなら、ロゼが普通の子であったなら。何度目になるかわからない思考をルミエールは強引に止め、寝たふりをしていた。考えても意味はない。程なくして馬車が止まった。 「ルミエール、着いたぞ」  やさしく声をかけられてルミエールは目を開ける。ジェドの腕に抱かれたロゼはつばの広い帽子を深く被せられ、髪が隠されていた。 「行こう」  ロゼは何事か察したのか急に大人しくなった。休診日の病院は当然ながら静まり返り、ジェドの靴音が嫌に響く。 「こわいこわいの、るみえる」  病院の独特の空気に怯えたのかロゼはルミエールに抱っこをせがむ。 「大丈夫だよ」  ルミエールはロゼをやさしく抱きしめる。ロゼは怯えたようにルミエールの服をきゅっとつかんだ。ロゼは何かあるとジェドやセレナではなく、ルミエールのそばにいたがる。 「お待ちしていましたよ」  手続きを済ませて診察室に入ると医師が穏やかに微笑んだ。かつてローズを診察した医師だ。 「無理を言ったのに受けてくださって感謝しています」 「いえいえ、安全を思えば当然の措置です。近頃のシルク・フリークはあまりにもひどい……往診に伺えたらよかったのですが検査機器は運べませんから」  深いため息を吐いた医師の視線がロゼに移る。 「その子ですか? シュトラール侯爵」 「事前にお伝えした通りです。ペタル・ローズです」 「ペタル・ローズ、かわいい名前だね」  ロゼは医師をちらりと見ただけでルミエールの胸に顔を埋める。医師は小さく息を吐いてルミエールに視線を移す。 「抱っこしたままでいいから座ってくれるかな?」  やさしく言われてルミエールはロゼを抱いたまま椅子に座る。医師は言葉を尽くしてロゼをなだめながら丁寧に診察していく。これまで外に出さなかったせいで二人とも知らなかったが、ロゼは人見知りがひどいらしい。レントゲンを撮ることになったがルミエールから離れたがらず一緒に行くはめになった。それでも、一通りの検査ができたが、採血をする段になって、注射器を見たロゼが怯えて天井まで飛び上がった。 「空も飛べるんだねぇ」  医師はロゼを見上げてぼんやりと呟いた。 「伝え忘れていましたが飛べます。飛ばないように言い聞かせてはきたのですが……」 「まぁ、稀にいますから……採血はレントゲンの結果次第でもかまいませんから、ゆっくり説得しましょう」 「捕まえるのはすぐです」  音もなく高く飛んだジェドはやすやすとロゼを捕まえて着地する。 「地上の鷹は健在のようですな」 「昔の話です」  ジェドはロゼをルミエールに抱かせる。 「やーや!」  ロゼは泣きそうな顔でいやいやをするように頭を振る。ここまで簡単に捕まえられるとはロゼも思っていなかったのだろう。 「ロゼ、少し痛いかも知れないが、必要なことなんだ。我慢できないか?」 「いたいの、やーや」 「ロゼ、ぼくが抱っこしててあげるから我慢できないかな?」 「ろぜ、いたいのがまんする。るみえる、げんきなる?」 「たぶん元気になれるよ」  ロゼはひどく不満そうに唇を尖らせたが、ゆっくりと口を開いた。 「がまんする」 「よーし、できるだけ痛くないようにするからね」  ロゼは注射器を見て、また逃げようとしたが、どうにか踏みとどまった。 「いい子だねー、ちょっとだけ、ちくっとするよー」  医師は穏やかに話しかけながら消毒し、注射針を刺したが、当然のようにロゼは身をよじって大声で泣きだした。 「押さえて!」  急に大きな声で指示を出されてルミエールはロゼを押さえる腕に力を込める。医師の手もぶれないようにロゼの手を硬く握りしめている。ロゼは火が付いたように泣き叫んでいるが、意外にも普通に採血ができていた。 「はい、もういいよ。よくがんばったね」  医師はロゼの手に止血用のガーゼを貼って、ルミエールに押さえさせ、やさしく頭を撫でたが、ロゼはルミエールにしがみついて顔を隠してしまった。 「やっぱり嫌われちゃったなぁ」  医師は残念そうに呟いて採取した血液を検査用の容器に移し、一滴だけシャーレに落とす。シャーレの上には血ではなく宝石が一粒乗っていた。 「空気に触れることで宝石に変わるようですね。こちらの検査結果は来週以降になりますが、今のところ特に異常はありません。レントゲン写真は……」  ちょうど技師が現像の終わったレントゲン写真を持ってきた。 「さて……」  医師はそれを見てほっとした表情を浮かべる。 「どうやら大きな問題はなさそうですよ。心臓がお伝えいただいた通りルビーなのか写り込んでいますが、拍動もちゃんとしていますし、音に異常もないので大丈夫でしょう。肺や消化器官もすべて問題なし。宝石から生まれたと聞いていたので、もっと魔法的な力が働いていて組成からして違う可能性もあると思っていましたが、ほぼ普通のお子さんと変わりないと言えるでしょう。ただ、この心臓はあまり激しい運動には向かない可能性がある。それだけは注意してあげてください」 「よかった……」  ルミエールはロゼをきつく抱きしめてほっと息を吐く。 「血液検査は念のためですし、ペタル・ローズは健康です。誘拐にだけはこれまで通り気を付けてあげてください」 「ありがとうございます」  ジェドの声が震えていた。ロゼは降ってきた滴にルミエールを見上げる。 「るみえる、いたいいたい?」 「違うよ。うれしいんだ……ロゼ、大好きだよ」 「だいすき!」  ロゼは涙を拭いてきゅっと抱き付く。 「俺もお前たちが大好きだ!」  ジェドは二人を一緒に抱き上げる。 「ジェド!」 「じぇど、たかいたかい!」 「本当によかった……」  ジェドの声がひどくやわらかい。二人に不安を移さないように平静を装っていたが、不安で仕方なかった。 「じぇど、うれし?」 「ああ、お前とずっと一緒にいられるとわかってうれしいんだ」 「ろぜ、みんなだいすき!」 「ははは、大好きだぞ!」  ルミエールはジェドの笑い声を久しぶりに聞いた気がした。 「ドクトル、ありがとうございました」  ジェドは二人を抱いたまま頭を下げる。 「いえ、何ともないとわかって私もうれしいです。血液検査の結果は送付します。問題ないとは思いますがね」 「わかりました。失礼します」  ジェドは二人を抱きかかえたまま診察室を出る。 「あの、ジェド? そろそろ下ろしてくれませんか?」 「もう少しいいだろ?」  ジェドはそう言って下ろしてくれず、そのまま馬車に乗せられた。ルミエールは少し恥ずかしかったが、ロゼが健康だとわかって浮かれているのは確かで、水を差したくはなかったし、ルミエールもジェドに抱きかかえられていなかったら、ロゼを抱いたまま飛び跳ねていただろう。ロゼがジェドにつられてきゃらきゃら笑うのがかわいくて仕方がない。 ルミエールはロゼの頬に何度も何度もキスをした。最終的にロゼに嫌がられるほどだったが、うれしくて仕方がない。帰ってきた三人の様子を見て、セレナはほっと息を吐く。細かい話を聞いておきたいが、あそこまで浮かれている様子を見れば検査の結果がよかったのはわかる。あれほど不安そうにしていたルミエールの表情も明るい。ジェドがすれ違いざまに額にキスをしてきて、セレナは思わずジェドを見上げた。普段は絶対にそんなことをしない。両親が健在だったころ、誕生日にだけはしてくれたが、もうずっとなかった。そのジェドが隠せないほど機嫌がいいのだと思うとセレナもうれしくなった。 「もう、私も混ぜてちょうだい!」  セレナは楽しそうに笑っている三人の輪に飛び込んだ。その日は笑い声が絶えることがなく、帰ってきたヴェルデも否応なく巻き込まれたのは言うまでもない。   「ルミエール、ルミエール、起きてくれないか」  その日の夜半、ルミエールはヴェルデに起こされた。ルミエールは起きた拍子にベッドから落ちたが、ヴェルデの話を聞いて一気に目が覚めた。 「赤ちゃんが……」 セレナは何かあった場合の安心を考慮して王都の病院で出産することを事前に決めていた。陣痛が来たため今から病院に向かうことにしたのだという。 「うん。早くても明日の昼を過ぎると思う。ジェドを起こすと大騒ぎになりそうだから、君にお願いしたい。いいね?」  ヴェルデは職務の都合上、出産の知識があり、その言葉は信頼できる。 「はい。セレナに赤ちゃんに会えるのが楽しみだって伝えてください」 「わかった。頼んだよ」 「はい、早く行ってあげてください」 「ありがとう」  ヴェルデは素早く去って行った。ルミエールは喜びと不安をゆっくりと噛みしめる。セレナの子どもが生まれる。ごちゃ混ぜになりかけた感情と思考を頭を振って払う。大変なこともあるだろうが、きっと新しい家族も一緒に幸せになれるはずだ。ルミエールはガウンを羽織って、廊下をゆっくり移動していたヴェルデとセレナを見送り、ジェドの部屋に向かう。以前だったらセレナとヴェルデの判断を薄情だと思ったかもしれないが、妊娠が発覚した時の様子を見て以来、間違っていないと思う。気が動転したジェドは考えれば意味のあることをしているが、やることなすこと突然で強引だ。間違いなく邪魔になる。  ルミエールはジェドの私室のドアを叩いた。朝になってから伝えてもいいかもしれないが、止める口実が減ってしまう。 「ジェド、ジェド、起きてください」  少し眠そうな声で返答があった。ジェドは遅くまで起きていることも多いが、流石に寝ていたのだろう。 「入りますね」  ジェドはベッドではなく、ソファでうっかりと眠ってしまっていたらしい。ガウンを直しながらローテーブルに本を置く。 「こんな時間にどうしたんだ、ルミエール」  消し忘れたままのランプに照らされた時計は午前一時を回ったところだった。 「お話する前にいくつか約束をしてもらってもいいですか?」 「約束?」 「はい。すごく大事なことなので」 「わかった」  ルミエールはゆっくりと口を開く。 「一つ目、この話を聞いても部屋を飛び出さない。二つ目、朝になるまで屋敷を出ない。三つ目、移動は馬車で。馬は禁止です。四つ目、うろうろしない。五つ目、ヴェルデ少佐を振り回さない。睨むのもダメです。いいですか?」 「なんの意味があるんだ、それは」  さすがのジェドも眠気のせいでいまいち頭が回っていないらしい。 「約束してくれなきゃ話せません」 「わかった。約束しよう。部屋を飛び出さないし、朝まで屋敷を出ない。移動には馬車を使うし、うろうろしないし、ヴェルデを振り回さない」 「では、話すので落ち着いて聞いてください。陣痛が来てセレナが病院に向かいました」 「え?」 「最後まで聞いてください」  立ち上がりかけたジェドは腰を下ろす。 「ヴェルデ少佐が言うには早くても明日の昼になるそうです。なので、あまり急いで来ないでほしいとのことです。セレナからもすぐに来ないように伝えてくれと強く言われています」 「そうか……わかった……」  ジェドは深いため息を吐く。ルミエールに約束させられてなかったら、今すぐ馬を駆って病院に向かっていただろう。 「ジェド、伯父になるんですね」 「そう、だな……無事に生まれるといいんだが……」  ジェドはふとため息を吐いて、暗くなりかけた思考を払う。ジェドの母はジェドとセレナの間に一人死産をしている。ジェドは生きて産まれなかった弟の分まで年の離れた妹のセレナを愛していた。だからこそ、過剰に反応してしまうこともあったが、もうセレナは母になる。それにセレナにはヴェルデが付いている。出産は命懸けだが、しっかり者の妹を信じたい。 「ルミエール、教えてくれてありがとう。明日朝食を食べてからゆっくり病院に向かおう。セレナが生まれた時、俺は九歳だった。お産がすぐ終わらないことくらいちゃんとわかっている。だが、お前が約束させてくれていなかったら夜道を馬で駆けて行ってしまうところだった」 「セレナのことだけ見境がないのはこの半年くらいで急に骨身にしみました」 「すまん」  ジェドは苦笑する。少し眩暈がすると言ったセレナを抱きかかえてベッドに戻し、医者を呼んだのも記憶に新しい。妊娠中にありがちなことで医者を呼ぶほどではなかったとセレナに叱られていた。ジェドが心配症で過保護というのは大袈裟だと思っていたのは過去の話だ。 「なんだか眠れそうにない。少し話さないか?」 「よろこんで。ぼくも眠れそうにないんです」  ルミエールはジェドの隣にとすりと腰を下ろす。 「ねぇ、ジェド、ぼくはセレナの赤ちゃんとどういう関係になるんでしょうね?」 「どうって、どうなんだ?」  ジェドは顎に手を添えて小首を傾げる。 「セレナにも前聞かれたんです。ぼく、セレナは姉のように思っているし、あなたを父親のようにも思ってる。そうすると叔父か、従弟なんですよね。でもロゼもいるから余計ややこしくって」 「そうだな」  ジェドはふと笑って、ルミエールの頭をくしゃりと撫でる。 「兄でいいんじゃないか?」 「兄ですか?」 「嫌か?」 「嫌じゃないですけど、ずいぶんざっくりいったなと思って」 「そもそも、お前とローズも血縁ではなかったし、ロゼも血縁じゃない。セレナと俺以外血縁じゃない家族なんだ。今さらだろう?」  やさしく頭を抱き寄せられてルミエールは笑う。 「そうでしたね」  家族、その言葉がひどくうれしい。 「なんか急に眠くなっちゃいました」 「久しぶりに俺と寝るか?」 「はい」  ローズがいなくなってからしばらくルミエールはジェドやセレナと眠っていた。もうずいぶん一緒に眠っていなかったが、たまにはいいかもしれない。 「そういえば、ロゼは?」 「寝たら起こすまで起きないので部屋にいます」 「そうか。だが、起きた時お前がいなかったら泣くだろう?」 「そうですね。連れてきます」  ジェドはロゼを連れてきたルミエールと一緒にベッドに入る。ジェドのベッドは特別大きく、三人で寝ても十分広い。 「ふふふ」 「なんだ?」 「少しうれしくて」 「そうか」  ジェドは二人をまとめて抱き寄せる。 「今日も忙しかったが、明日も忙しい一日になる。しっかり寝よう」 「はい」  三人一緒のベッドにいるせいかひどくあたたかくて、すぐに眠気がやって来た。夜の闇が三人をやさしく包み込む。  翌朝、眠りについたのが遅すぎたせいか、三人は執事に起こされた。 「寝すぎた……」  ジェドはぼんやりと呟いて時計を見る。すでに十時を過ぎていた。 「ダメだな、子どもたちと寝ると心地よすぎて」  ジェドはため息交じりにそう言ったが、腹にはルミエールの足が乗っていたし、胸にはロゼが完全に乗っていた。寝苦しくはなかったのだろうか。 「ほら、ルミエール起きろ。ロゼ、もう一度寝ようとするな」  ジェドは二人をころころ転がしてベッドを出て、身支度を整える。何か大切なことを忘れている気がする。 「あ!」 「セレナ!」  ばっと起き上がったルミエールが叫ぶ。 「そうだった! 朝食を食べたら向かわなくては」  ルミエールは寝ぼけ眼でゆらゆらしているロゼを抱き上げて部屋に戻る。そこまで急ぐ必要はないとわかってはいるが、のんびりしすぎていたかもしれない。長い黒髪を臙脂のリボンでまとめていると、ルミエールが急いで着替えて戻ってきた。ルミエールのぴょんぴょん跳ねまわる癖毛を整えてやりながらジェドはくつくつと笑う。 「ルミエール、昨夜はあんなに落ち着いていたのに、起きたらこの慌てようはなんだ?」  まだうとうとしているロゼを着替えさせたまではいいのだが、ボタンは掛け違えているし、手が出ていない。 「え、あ! 本当ですね。昨夜はあなたを落ち着かせなきゃって思ってたから色々考えていたけど、思ったよりあなたが落ち着いているから、ぼくが代わりに慌てているんだと思います」 「そうか」  ジェドは笑いをこらえながら、縦になっているルミエールのリボンを結びなおす。 「深呼吸だ、ルミエール」  ルミエールは言われた通りに深呼吸をする。 「それから顔を洗ってこい。ロゼの服は俺が直しておく」 「はい」  ルミエールがぱたぱたと走って行くのを見送ってロゼの服を直す。近頃、セレナとルミエール、どちらの好みなのかはわからないが、ルミエールとロゼはお揃いの服を着ていることが多い。今日も紺色のセーラーカラーのお揃いだ。かわいいとは思うが、ルミエールとロゼは髪の色だけでなく、肌の色も違う。似合う色も違うだろう。好きで着ているようだからいいのだろうか。ルミエールはローズともお揃いの服を着ていた。やはりセレナの趣味だろうか。ローズは与えられたものに文句を言うことはなかったし、あのころのルミエールは自分で服を選んでいなかった。セレナの子どもが男の子だったら三人でお揃いになってしまいそうだと思って苦笑する。とにかく母子ともに無事で生まれてくるといい。 「じぇー? るみみぇ?」 「すぐ戻ってくる」  ジェドは寝ぼけ眼でゆらゆらしているロゼを抱き上げて廊下に出る。ちょうどルミエールが戻ってきた。 「少しは落ち着いたか?」 「どうにか」  ルミエールは肩をすくめる。 「朝食を食べたら、ゆっくり病院に行こう」 「はい」  朝食を食べると気持ちがずいぶん落ち着いた。パンを一つどうにか食べきったロゼが不意に祈るように手を組んだ。 「せれなのあかちゃん、おんなのこなの」  ゆっくりと開かれた手の中には美しく輝くエメラルドがあった。深い緑はヴェルデの右目の色に似ている。 「これは?」 「おまもり……」  ロゼは突然眠ってしまった。 「どういうことなんでしょう?」 「わからないが、これもロゼの力なのだろう。女の子か……」 「当たっていたらすごいですね」 「そうだな」  ジェドはロゼの小さな手からエメラルドを取る。 「生まれてくる子のお守りなのか、セレナのお守りなのかわからないが、届けてやるか」 「そうですね。何か意味があるかもしれませんしね」 「ああ」  眠ってしまったロゼを連れて、二人は病院に向かった。  一時間ほどで病院に着くとヴェルデが廊下に所在無さげに立っていた。ジェドに気付くとヴェルデは少しほっとしたように笑った。服が乱れているのはセレナを一生懸命支えていたせいだろう。 「そばにいなくていいのか?」 「破水して、もうすぐ生まれるので追い出されたんです。こういう時、男は無力ですね」  その弱々しい言葉にジェドはヴェルデの肩をがしりと抱く。 「父親になるんだろう。しっかりしろ」 「はい」  ヴェルデの不安そうな表情が消える。産室から苦痛に満ちた呻き声が聞こえた。助産師が必死に励ます声も聞こえる。また少し心配そうな顔をしたヴェルデの手にロゼが触れる。 「せれな、いたいいたい?」  ヴェルデはふと微笑んでロゼを抱き上げる。 「赤ちゃんに会うためにがんばってるんだ。もう少しで赤ちゃんに会えるよ」  ロゼはふわりと笑ってヴェルデに抱き付く。 「るー、せれな、だいじょぶ。あかちゃん、おんなのこ、げんきなの」 「そっか。心配してくれてありがとう」  ロゼのオパールのようにきらめく目がエメラルドに変わる。 「ろぜ、おともだちになるの」  ロゼはまた突然に眠ってしまった。 「今日はずっとそんな調子なんです」  ルミエールは困ったように笑って、ヴェルデからロゼを受け取る。 「ロゼは人とは違う存在だから何かを感じ取っているのかもしれないね。女の子か……セレナに似るといい」 「そうだな」  ジェドは軽く息を吐いて、壁にもたれる。中からは相変わらず壮絶な声が聞こえる。産みの苦しみは並大抵のものではない。だが、中が急に静かになった。 「うまれたよ」  ぱっと目を開けたロゼが呟くと同時に産声が響き渡った。 「産まれた……」 「おめでとう、ヴェルデ」  ヴェルデの頬を涙が流れ落ちる。あふれた喜びをどう表したらいいのかわからない。ルミエールは静かに微笑む。 「おめでとう、セレナ……」  しばらくして産室のドアが開いた。 「おめでとうございます。元気な女の子ですよ。奥様はお疲れですが、お元気でいらっしゃいます。処置が終わりましたら、お呼びしますね」 「ありがとうございます……」  ヴェルデはゆっくりと頭を下げた。母子ともに元気。これほどうれしいことはない。 「ロゼの言う通りでしたね」 「ああ、不思議な子だ」  ジェドはふと笑ってロゼの帽子を直す。ロゼが不思議なことを起こすのは今に始まったことではないが、今日のことは祝福のようにも思える。 「ああ、そうだ、ヴェルデ、これをセレナに渡してやってもらえるか? ロゼがお守りだというんだ」  ジェドは小さな箱に入れたエメラルドをヴェルデに渡す。 「わかりました……会っていかないんですか?」 「疲れているセレナに睨まれたくない。姪の顔だけ見たらすぐ帰るようにする。ゆっくり休むよう伝えてくれ」 「思ったより冷静ですね」 「ヴェルデ、俺をなんだと思っているんだ」 「過保護すぎる心配性の兄、ですかね」  その言葉にジェドは苦笑する。 「否定はしないが、わきまえてはいる」  ルミエールがその言葉にくすりと笑う。 「昨夜はちょっとジタバタしたんですよ。でも起きたら落ち着き払っていて拍子抜けです」 「その分、お前が大騒ぎだっただろう」 「なにも言い返せません」  ヴェルデがくすりと笑う。 「君が大騒ぎなんて想像もできないな」 「ロゼの服もぐちゃぐちゃ、自分のリボンもちゃんと結べていなかった」 「ジェド!」 「まだまだ子どもだ」  頭をくしゃりと撫でられてルミエールは恥ずかしそうに笑う。安心したせいか会話がだらだらと流れていく。少ししてヴェルデが呼ばれて中に入って行った。 「かわいいんでしょうね。赤ちゃん」 「そうだな……だが、最初はしわくちゃで顔もよくわからない。セレナもそうだった。でも、愛しくて、かわいくて、小さな宝物のように思ったのを今でも覚えている……」 「そうなんですね……ぼくも両親にそう思われたのかな……」 「きっとな……」  ジェドはルミエールを抱き寄せる。 「お前も俺の宝物だ」 「はい……」  ルミエールはこぼれそうになった涙を隠して笑う。 「じぇど、ろぜも?」 「ああ、もちろんロゼも俺の宝物だ。俺は手も大きいし、腕も長い、たくさん宝物を抱きしめられる。俺は幸せだ」  ジェドはひどく穏やかに微笑んだ。 「じぇど、すき!」 「俺も好きだぞ」 「ぼくも大好きです、ジェド」 「るみえる、だいすき!」 「もちろん、ロゼのことも大好きだよ」  膝をついたジェドにまとめて抱きしめられ、ルミエールは少し恥ずかしそうに笑う。ロゼはうれしそうにきゃたきゃたと笑った。その時、ヴェルデがドアを開けた。 「ジェド、セレナが呼んでいます。ちゃんと顔を見せてほしいって。もちろん子どもたちも」 「わかった」  ジェドはふと笑って中に入る。ルミエールはロゼの手を引いて中に入った。 「お兄様」  穏やかに微笑んだセレナは疲れ果てているようだったが幸せそうだった。高めに積まれたクッションに身体を預けているセレナの傍らで赤ん坊が小さな手を動かしていた。ふさふさとした栗色の髪はセレナによく似ている。 「よくがんばったな、セレナ。かわいい子じゃないか」 「ええ、うれしいわ。お兄様、抱っこしてあげてくれる?」 「い、いや、もう少し大きくなるまで遠慮しておく。壊しそうで怖い」  セレナはくすくすと笑ってルミエールに視線を移す。 「ルミエール、お兄様の代わりに抱っこしてくれるかしら? ロゼにも赤ちゃんを見せてあげてほしいの」  ルミエールは少し迷ってから頷く。 「わかった」  ルミエールはヴェルデに教えてもらいながら赤ん坊をそっと抱き上げる。 「ぐにゃぐにゃで、小さくて、壊しちゃいそう……でも、なんか、すごく……愛おしい……」  ルミエールの頬をぽろぽろと涙が流れ落ちた。 「るみえる?」  ロゼにズボンを引っ張られて、ルミエールはゆっくりとしゃがむ。 「ロゼ、この子がセレナとヴェルデ少佐の赤ちゃんだよ」  ロゼは赤ん坊の顔を見てうれしそうに微笑む。 「ろぜ、なかよくするの」  ロゼが伸ばした指を赤ん坊がきゅっと握り、ゆっくりと目を開いた。その目はきれいなエメラルドグリーンだ。 「目の色だったのか」  ジェドはふと笑って赤ん坊の頬にそっと触れる。 「セレナに目がよく似ている」 「そう?」 「ああ、そっくりだ。口元はヴェルデに似ているかな。はは……懐かしい」  穏やかに笑ったジェドの顔が少しだけ老けて見えた。ルミエールは赤ん坊をセレナの傍らに戻す。 「名前は決まってるの?」 「(アムール)よ」  セレナは愛おしげにアムールの頬を撫でる。 「かわいい名前だね」 「たくさん愛されて、たくさん愛せる子になってほしいの。協力してね」  セレナはルミエールの手を軽く握る。 「うん。もちろん」 「頼りにしているわよ。お兄様も」 「ああ」 「ろぜも!」 「ええ」  セレナはやさしく微笑む。 「さ、俺たちは帰るからゆっくり休んでくれ」 「ありがとう、お兄様」  ジェドは二人を連れて去って行った。 「私、ちゃんといい母親になれるかしら?」  セレナの青い目が不安げに揺れる。ヴェルデはセレナの手をやさしく握る。 「大丈夫だよ。みんなそばにいる。ベテランのナニーも手配してあるから、気負わないでアムールの親として一緒に成長していこう」 「ええ……愛しているわ、ヴェルデ」 「僕も愛してるよ、セレナ。かわいい娘をありがとう」  その時、存在を主張するようにアムールがあえかな声を上げた。 「もちろん、あなたのことも愛しているわ、アムール」  そっと触れた指をアムールが握る。小さいけれど大きな幸せがここにある。

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