宝石の子

読了目安時間:11分

エピソード:19 / 24

女王リス・フランシス

 ロゼが軍服ではなく身軽な服装で出仕するようになって数日、ロゼの活動時間がわずかに伸びた。日によってアレクシスの部屋を出ただけで力尽きていたロゼがジェドの執務室には到達できるようになった。執務室についてジェドか、ルミエールと二人きりになると安心するのか仮眠用の小さなベッドには辿り着けなかったが、ジェドとルミエールの勤務が終わるまで部屋でひたすら眠るだけだったロゼが本を読む時間を持てるようになった。あまりにもぎりぎりだった日々に余裕ができた。そのことを知ったアレクシスは喜び、勉強部屋にカウチを置いた。勉強部屋でも休憩時間に横になれるようになったロゼはアレクシスと雑談する時間を長く取れるようになった。アレクシスと打ち解け、環境になれたというのもあるかもしれないが、アレクシスの心遣いでロゼに余裕が出てきたことにジェドは目を細める。ロゼとアレクシスに友人と言えるような親密さが見えるようになってきた。 「ロゼ、余のことを名前で呼んでくれぬか?」  休憩時間にロゼがカウチで休んでいるとアレクシスが唐突に言った。 「それは……」 「余とロゼは友人であろう?」  ロゼは困ったように笑う。 「殿下、立場が違います」  アレクシスはひどく残念そうな顔をする。アレクシスは立太子以前の友人とは距離ができてしまい、少し寂しい思いをしていた。立太子以前は外を駆け回って遊ぶ活発な子どもだったらしい。 「余が許すと言っておるのに……」  ロゼは悲しそうに俯いてしまったアレクシスを見て戸惑い、小さくため息を吐く。服も地位も言葉遣いも慣れないものを一生懸命身に着けようとしているアレクシスの些細なわがままだ。 「休憩時間だけでよければ……」 「それでも良いぞ!」  アレクシスはうれしそうに笑ってロゼの顔を覗き込む。期待にきらめくハシバミ色の目で見つめられてロゼは言いにくそうに口を開く。 「あ……アレクシス……」 「うむ! うれしく思うぞ!」  アレクシスは満足そうに笑って、ロゼの肩を軽く叩く。 「休憩時間は名前で呼ばねば返事をせぬからな」  ロゼは苦笑いをこぼす。だが、こうしたわがままを言われるのも少しうれしい。 「わかりました、でん……アレクシス」 「もっとなれたらアレクでよいぞ」 「考えておきます」  アレクシスはにこにことうれしそうに笑う。その時、女王リス・フランシス・ド・シルフェシアンが訪れた。ロゼが教育係として勤務するようになって初めてのことだった。ロゼは慌てて起き上がって礼を取る。ジェドやほかの近衛兵も同様に礼を取った。リス・フランシスは丈高く、ひどく冷たい雰囲気をまとっている。 「硬くならずともよい。アレクシスからそなたの働きはよく聞いています。アレクシスはよくやっていますか? ペタル・ローズ少尉」  女性にしては低く重い声は威圧感がある。 「殿下はご理解も早く、熱心に学んでおられます」 「それはよいこと……」  リス・フランシスはロゼの顎を黒い扇でついと引き上げる。ロゼはリス・フランシスの冷たい水色の目で見つめられて、意識が乱れるのを感じた。恐怖で身体が硬くなる。だが、相手は女王。ジェドに助けを求めることさえできない。 「思っていた以上に幼い……なぜ軍服を着ていないのですか?」 「そ、れは……」  ロゼが苦しそうにしていることに気付いたアレクシスがリス・フランシスの視線を遮る。 「私が許可しました。ペタル・ローズ少尉は身体が弱く軍服を着ているだけでも消耗してしまい、この部屋を出てすぐ意識を失ってしまうことが多かったのです。こうして身軽な服を着ていれば少しは消耗が抑えられるそうなのです。だから、軽装を許可しました。陛下の許可を得ず、勝手をしたのは私です。罰するのであれば私を罰してください」  リス・フランシスの冷たい視線がアレクシスからジェドに移る。 「事実ですか? シュトラール少将」 「事実です。陛下、ペタル・ローズ少尉が虚弱であることは奏上したはずですが?」 「ここまで虚弱とは思いませんでした。軍服を着用しないことは許可しますが、皇太子の教育係にふさわしい服装を選ぶように」 「は、い……」  ロゼは絞り出すように返事をする。この日のロゼはジレさえ着ていなかった。それがなおさらリス・フランシスの怒りを買ったのだろう。 「アレクシス、シュトラール少将を借りますよ」 「はい、陛下」 「おいでなさい、シュトラール少将」  ジェドは眉間にしわを寄せる。 「約束をお忘れですか?」 「ジェド・シュトラール、この私の命令が聞けないというのですか?」  ジェドは拳をぎりと握りしめる。 「仰せのままに、陛下」  行かないで。そう言いたいのに声が出ない。言うことも許されない。ジェドはリス・フランシスのあとに従って出て行った。ロゼはそのまま前のめりに倒れ、意識を失った。 「ロゼ!」  アレクシスが慌てて抱き起すとロゼは胸を押さえて苦しそうに息をしていた。 「ルミエール少尉! 早く手当てを!」  ルミエールはロゼをカウチに寝かせて服をゆるめ、手をやさしく握ってやる。 「ロゼ、僕はここにいるよ。君のそばに」  ルミエールがやさしく囁くとロゼの呼吸が穏やかになった。 「殿下、ロゼは緊張しすぎて意識を失ってしまっただけです。ご心配なさらずともそうかからずに目覚めるでしょう」 「そうなのか?」 「はい、隠して育てたせいか、見知らぬ方との会話ではひどく緊張してしまうのです。特に陛下は気軽にお話しできる方ではありませんから」 「そうか……先ほどの陛下は気が立っておられた。余計に当てられてしまったのだろう。かわいそうなことをした……」  アレクシスはロゼの頬にやさしく手を添える。少し頬が冷えている。 「ルミエール少尉、ロゼを部屋に寝かせてやって来てくれ。今日はもう休ませるように」 「はっ」  ルミエールが抱き上げるとロゼは飾緒をきゅっと握った。よほど離れたくないのだろう。ルミエールは複雑な気持ちを抱きながら部屋に向かった。  ジェドはリス・フランシスの後ろを歩きながら苛立ちを募らせていた。すでに終わった関係。そう思っていたのはジェドだけだったのだろうか。だが、その過去を盾にリス・フランシスに近付き、無理を通したのも事実でジェドには逆らえない理由があった。リス・フランシスは振り返りもせず、廊下を抜け、中庭を進んでいく。気付けば護衛が一人もいない。二人きりでは会わないという約束を反故にして、どういうつもりなのかまったく読めない。 「ジェド・シュトラール」  木陰で不意に立ち止まったリス・フランシスがゆっくりと振り返る。 「あれがあなたの守りたいものですか?」 「そうです。陛下」 「リスとは呼んでくれないのね……」 「わたくしを遠ざけられたのは陛下です。今さら何をお望みですか?」  硬質な声、伏せられたジェドの青い目には感情が見えない。 「過去に囚われているのは私だけのようね。ジェド……まだあなたが私を愛しているのではないかなどと思ったことを許してください」  ジェドの目に動揺が走る。 「あなたを遠ざけた日からあなたの存在は大きくなるばかりだったのに、あなたは一切姿を見せなかった。周到なほど私を避け、あなたはあなたの世界にこもってしまった。今さらなのも、私がこんなことを言うことさえ許されないのもわかっています。それでも舞い戻ったあなたを見て私は……」  ジェドはリス・フランシスの言葉を手で遮る。今さら聞きたくなかった。二人の道が分かたれる前に言ってくれたら一緒に苦難を越えたというのに。 「わたくしは陛下の近衛……それ以上でもそれ以下でもありません。あの日、確かにそう申し上げたはず……今さら……今さら、俺の心をかき乱さないでください。俺は……あなたを忘れるために何度も自分を殺した! 二十年だ……二十年もの長い間、俺は黒い服をまとって君への想いを殺し続けた! それを今さら!」  ジェドがダンと叩いた木が揺れる。リス・フランシスはゆっくりと目を伏せる。 「あの日、あなたがそれほどの想いを見せてくれたら違う道を選んだかもしれない……」  若さゆえに押し込めた思いはすれ違い、もつれ、修復できないほどの溝を二人の間に刻んでしまった。 「ご無礼を、申し上げました……」  ジェドは跪いてサーベルを捧げ持つ。 「わたくしの変わらぬ忠誠をここに。リス・フランシス・ド・シルフェシアン女王陛下」  リス・フランシスはぎりと唇を噛む。ジェドはまた本心を包み隠してしまった。これは別れの儀式だ。あの日もジェドは同じように去って行った。恋人ではない、主従だと自分自身を縛る儀式でもあるのかもしれない。ジェドの忠誠。それは滅私のもの。この国のために死ねと言えば死ぬだろう。だが、共に生きてほしいと私情を言っても眉一つ動かすことさえないだろう。リス・フランシスが欲しかった言葉はこれではない。だが、関係を修復するには時が経ち過ぎた。ジェドの心はもう戻らない。 「そなたの忠誠、しかと……」  リス・フランシスは慣例通りジェドの肩を扇で二回打つ。 「これからも皇太子によく仕えるように」 「御意……」  ジェドは静かに立ち上がり、去って行った。リス・フランシスは深いため息を吐く。すべてが遅すぎたのに、胸を焦がす激情はまだ燃え盛っている。リス・フランシスはこぼれそうになった涙を瞬きで消す。涙で取り戻せるような相手ではない。涙で取り戻せるならいくらでも泣いてすがる。もう取り戻すことはできない。     その日からジェドの様子がおかしくなった。眠っているロゼを抱きしめてぼんやりしていたり、本を開いたまま虚空を見つめていたりする。明らかに普通ではなかった。心をどこかに置いてきてしまったようにさえ見える。それでも勤務中のジェドは完璧だった。軍服を着てさえいれば別人になれるのかもしれない。だが、いつも以上に口数が少ない。  あまりの様子にセレナも心配していたが、双子が生まれそれどころではなくなった。一人でも大変なのに二人なのだ。さらにアムールが寂しさからか赤ちゃん返りをしてしまい、ますます手が足りなくなった。熟練のナニーたちの手を借り、どうにかしていたが、ジェドにまで気を回せず、ジェドは一向にいつものジェドには戻らなかった。ジェドは双子が生まれたことさえ気付いていないかのようだった。目を開けたまま、眠っているような、そこにいるのにどこにもいないような、そんな雰囲気で妙に小さく見えた。 「お父様」  ロゼにそっと抱きつかれて、ジェドはぼんやりとロゼの方に顔を向ける。その目はどこも見ていないようだった。 「ロゼ……?」 「ねぇ、ジェド、みんな心配していますよ。そろそろ帰って来てくれませんか?」 「俺はずっと、ここにいる……」  そのどこか虚ろな声にロゼは哀しそうな顔をする。 「陛下となにがあったんですか?」  ジェドの身体がびくりと強張った。 「ジェド、私はあなたの力になりたい」  ジェドは深いため息を吐く。 「過去が過去でいてくれない……」  ジェドは膝をつきロゼを強く抱きしめる。 「わかっているんだ。考えても、悔やんでも意味がないことくらい……過去は変わらないし、今ももう変えられない……あの方は俺が感情を隠したから今を選び、俺もあの方が感情を隠したから今を選んだ。あの時、俺たちは他国を敵に回しても激情のままに求め合うべきだったのかもしれない。だが、そうしなかった。あの方は民を、俺は平和を思った。だから今があるのもわかってはいる。けれど、考えるのをやめられない。俺はリスを愛していた……」  ロゼはジェドの広い胸にそっと手を添える。 「ジェド、気を失う直前、陛下のお心が見えたんです。陛下はあなたのことをあなたと同じくらい思っていました。あなたも、陛下も、同じところが痛いんです。もう一度話し合ってみてはいかがですか?」  ジェドはため息を吐いて苦しげに笑う。 「俺とあの方の間に刻まれた溝は深い。愛しあったのと同じだけ傷付けあい、憎み合ってしまった……もう元に戻ることなどできないんだ。ロゼ、俺はお前たちを愛するただ一人の男でいたい……」  ジェドは何度目になるかわからない深いため息を吐く。 「ロゼ、お父様と呼んでくれ……考えるのはもう、やめるから……」  ロゼは複雑な思いを抱きながら、ジェドの青い目を見上げる。 「お父様、大好きです……」  ジェドはロゼを抱きしめ、静かに涙を落とした。長く黒い睫毛がきらきらと光る。 「少しだけ、こうしていてくれないか……俺が俺でいられるように……」 「はい……」  ロゼはただ黙ってそばにいた。ジェドの隠されたままの想いはどこへ行くのだろう。  その日、目が覚めたように元に戻ったジェドは双子をその腕に抱いた。小さな小さな二つの命をジェドは慈しむように抱きしめる。 「ほら、お兄様、シャルルはお兄様に似ているのよ」  セレナの言葉にジェドはふと笑う。産まれてさほど経っていない赤子の顔ははっきりしていないが、シャルルと名付けられた男児の太くて意志の強そうな眉が似ている気がする。対して女児のセシルは垂れ目でやさし気な目元をしている。 「セシルはヴェルデに似ているようだな」 「そうね、垂れ目なところがそっくり」  セレナの膝に不意とアムールが身体をねじ込んだ。双子が生まれてからというもの、アムールはセレナから離れなかった。セレナはアムールをやさしく抱きしめる。 「アムールは私に似たのよ。ふふふ、思い出すわ。あなたが生まれたのはあたたかい春の日で、みんなが祝福してくれたのよ。みんなに愛されるように、みんなを愛せるように、アムールって名前にしたの」  アムールは少し恥ずかしそうに笑う。 「お母さま、わたしのこと、好き?」 「もちろん、だぁい好きよ、アムール」 「わたしもお母さまが大好きよ!」  うれしそうに笑ったアムールはその日を境に赤ちゃん返りが終わり、双子の世話を手伝ってくれるようになった。どこか異常だった家の中がやっと自然に回りだした。ジェドの存在は想像以上にシュトラール家を支えているらしい。   

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