宝石の子

読了目安時間:13分

エピソード:11 / 24

ペタル・ローズ

 平和な日々が過ぎていく。セレナのお腹は少しずつ確実に丸みを帯びていき、ロゼはおしゃべりが上手になってきた。近頃、セレナの大きくなったお腹に話しかけるのが楽しいらしい。ルビーから生まれたロゼには母も、父もいない。だから、なおのこと不思議に見えるのかもしれない。たまにヴェルデを質問攻めにしてたじたじしている。なんでなんでとロゼがする問いには決まった答えがないものも多い。ルミエールはその問いを止めることもなくただ傍らで聞いていた。ルミエールもヴェルデからその答えを聞いてみたかったというのもあったが。これまで帰らなかった分、がんばればいいとも思っていた。 「ルミエール、前から思っていたけど、君、僕のこと敵視してない?」 「してませんよ?」  ルミエールはくすりと笑いながら答える。ロゼがセレナのそばにいたがるせいで必然、ルミエールも二人といることが多くなっていた。ルミエールは長くなった足を持て余し気味に揺らす。 「強いて言うなら、ぼくの大好きなセレナをほったらかしにしたくせに一番に思われているのが気に入らないってだけです」  セレナはくすくす笑って傍らで眠ってしまったロゼの頭を撫でる。 「なら仕方ないわね。ヴェルデ」  ヴェルデは深いため息を吐きながら頭をかく。 「ジェドにも似たようなことを言われたよ。かわいい妹を取られたのが気に入らないって。どうやら僕は敵地に住んでいるらしい」 「ちゃんとセレナを大事にしてくれたら変わりますよ」 「最近、かなり大事にしてると思うんだけどなぁ……」  ヴェルデがぼやくとルミエールはつんと顎を上げて笑う。 「出だしが最悪だったんですよ。結婚してすぐ新妻を泣かせたのは誰かなぁ? セレナ」 「誰かしらね?」  セレナは小さく笑って、丸くなったお腹を撫でる 「一番に妊娠を報告したかったのに二週間近く待たせて、最後になったのは誰かしら?」 「僕が悪かったよ」  ヴェルデは呻くように言って頭を抱える。実際激務ではあったが、本来部下に割り振ればよかったことまで抱え込んで帰宅できない日が多かったのは事実で、家庭をほったらかしてしまっていたことを否定できるはずもない。セレナは変わらず家族と暮らしているから大丈夫だろうという甘えもあった。あの日、ジェドに強制的に連れ帰られてやっと事の重大さに気付いたが、遅すぎたくらいだっただろう。こうやってなじられても何も言い返せない。あの日以来、ヴェルデはきっちりと仕事を分散して夕食の前には帰宅し、週に一度は必ず休日を設けるようにしたが、地に落ちた信頼は簡単に取り戻せるものではない。  セレナは強い女性だからとついつい甘えすぎてしまった部分もある。実際、セレナは強い。だが、妊娠という特別なことに不安がないはずがない。まして、セレナの母はすでに亡く、相談できる相手もいないのだ。できる限り早く支えてほしかったはずだ。それが隠しきれずに知られてしまった。しかもヴェルデは不在。ジェドに馬に括りつけられて荷物のように運ばれても仕方なかった。 「誓うよ、セレナ。もう二度と君に寂しい思いはさせない。君と支え合っていずれ生まれてくるこの子とみんなで幸せになろう」  ヴェルデは跪いてセレナのお腹にやさしく触れる。 「その誓い、破ったら本当に愛想つかすわよ?」 「覚悟の上だよ。君に愛想をつかされて、ジェドに切り刻まれても文句は言わない」 「ぼくが証人になるね」  ふと笑いながら言ったルミエールにヴェルデは真剣な眼差しを向ける。 「ルミエール、僕の命にかけて誓うよ。もしも破ったら君の気のすむようにしてくれ」  大袈裟とは言えなかった。 「ぼく、ちゃんと見てるからね。まだ子どもだけど、あと七年で成人します。誓いが守れなかったらセレナは赤ちゃんも一緒にぼくがもらうから、そのつもりでいてくださいね」  ヴェルデはその言葉にふと笑う。 「絶対に破らない。君にセレナはもったいないよ」 「ヴェルデ少佐に言われたくないです」  セレナはくすくすと笑って、ルミエールの頭を撫でる。 「素敵なナイトがいてくれるから心強いわ」 「セレナ、ヴェルデ少佐と幸せでいてね」 「ええ、そうね」  セレナはルミエールをやさしく抱きしめる。 「ありがとう、ルミエール、あなたが大好きよ」 「ぼくも大好きだよ、セレナ」 「ろぜもだいすき!」  突然目を覚ましたロゼが大きな声で言った。 「もちろん、ロゼも大好きよ」 「大好きだよ、ロゼ」  二人に抱きしめられてロゼは幸せそうに笑った。毎日が穏やかで、幸せだ。    セレナは大きくなったお腹が重いのか、ゆっくりと歩くようになった。ロゼは走るのが上手になり、ルミエールもたまに捕まえられないことがある。だが、ジェドからは絶対に逃げられず、それが楽しいのか、よく追いかけっこを挑んでいる。ジェドは身体が大きいのに小回りが利き、瞬発力がかなりある。ヴェルデが冗談のように語ったかつてジェドが馬と競争して勝ったという黒い疾風の話は本当なのかもしれない。 ジェドとロゼのそんな姿を見てセレナがくすくすと笑った。 「お兄様、子どもみたい」 「子どもと遊ぶときは全力でするものだろう?」 「そう、そうね」  セレナと話すために少し減速したジェドから逃げきってルミエールの腕の中に飛び込もうとしたロゼが転んだ。ルミエールが慌てて抱き起すとロゼの目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。だが、ルミエールの視線は擦りむいた膝に釘付けになった。擦り傷から出た血が、宝石に変わっていく。 「いたいいたいの」  ロゼが慰めの言葉を待っているのに気付いていたが、ルミエールは喉が詰まり声が出せなくなった。異変に気付いたジェドがロゼを抱き上げ、手当てのために連れて行った。 「ルミエール、息をして、ルミエール」  セレナに両手で頬を包み込まれて、ルミエールはどうにか息をする。 「血が、血が宝石に……兄さま……」  あの日の恐怖が蘇った。血液が宝石に変わる。それがこれほどの恐怖を呼び覚ますとは思わなかった。 「大丈夫、大丈夫よ、ルミエール……」  セレナは自分自身にも言い聞かせるように繰り返す。 「ロゼの胸にルビーはないわ」  青ざめて震えるルミエールをセレナはやさしく抱きしめる。 「怖い……怖いよ、セレナ……ロゼまで失いたくない……」 「大丈夫よ。きっと大丈夫だから……」  セレナは祈るように繰り返す。ロゼがローズと同じように短命であってほしくない。  ロゼの怪我はただの擦り傷だったが、ルミエールの取り乱しようは尋常ではなかった。ロゼを抱きしめて離さない時間が長くなり、外遊びや、走り回ることを過剰に避けるようになってしまった。ロゼは大人しく言うことを聞いてルミエールに寄り添っている。そういうところが変わらないから、余計に過敏になってしまっているのかもしれない。 「るみえる?」 「どうしたの?」 「げんきないない?」  ロゼにのぞき込まれてルミエールはふと笑う。 「大丈夫だよ。ロゼはぼくを置いていかないでね」  ロゼはわからないというように小首を傾げる。ロゼはローズの記憶をほとんど持っていないらしい。三人の名前とどう思っていたか、それだけが純粋に残っている。きっかけがあると断片が蘇ることもあるが、ロゼはただ純粋な幼子だ。ルミエールはロゼを抱きしめる。 「わからなくていいよ。ロゼ、大好きだよ」 「だいすき!」  きゅっと抱き返してきた腕が愛しい。ロゼは相変わらず体が大きくならない。 「ねぇ、最近飛ばなくなったけど、飛べなくなったの?」 「じぇど、めーって」 「ジェドに叱られたから飛ぶのやめたの?」  ロゼはこくりと頷いてふわりと浮かぶ。 「ふわふわ、すき」  ロゼはうれしそうに笑ってくるくると回りながら宙を泳ぐ。ジェドが飛ばないように言ったのは当然だと思う。ヴェルデたち治安維持部隊の努力でシルク・フリークはかなり数を減らしていたが、地下に潜り、悪質になっているのだという。不可逆性の改造を施された子どもが増えたとヴェルデは哀しそうに語っていた。まだまださらわれる子どもは後を絶たない。  ロゼは空を飛び、目を宝石に変え、喜びを表すために光の粒を舞い散らせ、血が宝石に変わる。それが知れればシルク・フリークでなくとも、邪なものにさらわれてもおかしくない。ロゼは特定の召使い以外の目には触れないように育てられていた。 「ろぜ、ほうせきのこ」  ロゼは不意に胸をぎゅっと押さえる。 「なにしてるの?」  ざわり神経が逆立った。ロゼはゆっくりと手を離す。淡い色のチュニックの胸元が赤く光る。ルミエールは血の気が引くのを感じた。 「ろぜ、ほうせきにもどるほうが、いい?」  戻ってほしくない。そう叫びたいのに声が出ない。 「るみえる、かなしい。ろぜもかなしい」  ルミエールはロゼを抱きしめたが、どうしても声が出ず、なにも言ってやれない。 「ろぜのせい?」 違うと早く否定したいのに、胸に当たる硬い何かがルミエールの呼吸を荒くさせる。 「るみえる?」  ロゼが不安げに見上げているのに気付いたが、なにも言ってやれない。 「るみえる! るみえる!」  ぐらりと身体が傾いた。身体が痙攣し、力が抜けていく。ロゼが小さな足で走って行くのを視界の端で見ながらルミエールは意識を手放した。    ルミエールが意識を取り戻すとベッドに寝かされていた。ロゼがセレナとジェドを呼んでくれたらしい。 「よかった……」  セレナのほっとした声がした。 「ごめんなさい……」 「謝る必要なんてないわ。気分は大丈夫?」 「なんとか……」  身体を起こすとジェドに抱かれて泣きじゃくるロゼが視界に入った。 「るみ、える?」 「おいで」  ルミエールが手を差し伸べるとロゼが胸に飛び込んできた。 「びっくりさせちゃってごめんね。もう大丈夫だよ」 「いたいのない?」 「うん。大丈夫。ねぇ、ロゼ、宝石に戻るなんて言わないでね。ぼくはロゼが大好きで、ずっとずっと一緒にいてほしいんだ」 「ろぜ、るみえるのそば、いる。るみえる、だいすき!」 「ぼくも大好きだよ、ロゼ」  ぎゅっと抱きしめても胸に硬いものは当たらなかった。あれは錯覚だったのだろうか。 「ロゼ、さっきお胸にあったものはなに?」  その問いにロゼはゆっくり口を開く。 「るびーのしんぞう」  また息ができなくなりそうだった。やはり気のせいではなかった。ルミエールはどうにか笑顔を貼り付けて、ロゼの頭を撫でる。 「そっか、大事にしまっておいてね」 「うん」 「ロゼ、お茶の時間よ」  ルミエールの様子がおかしいことに気付いてセレナが声をかける。 「るみえる?」  ロゼはルミエールの顔を見る。ルミエールの笑顔は今にも剥がれ落ちそうだった。 「後から連れて行く」  ジェドはロゼをベッドから降ろす。 「ロゼ、お腹が大きくなったから一人じゃ歩くのが大変なの。ゆっくりしか歩けないし、一緒に行ってくれるとうれしいわ」 「うん!」  ロゼは得意げに笑ってセレナと手を繋ぐ。二人が出て行くと、ルミエールはため息を吐きながらベッドに沈んだ。 「ジェド、ぼくは思っていた以上に兄さまを喪った日が怖かったみたいです」  顔を覆うルミエールの手がガタガタと震える。 「ぼくの元気がないから、ロゼが宝石に戻った方がいいのかって言い出して胸を押さえたんです。兄さまが苦しいときにしていたように……手を離したら胸が、赤く輝いて……」  ルミエールの呼吸が荒くなった。ジェドはルミエールの手をそっと握る。 「ちゃんと息をしろ。そばにいる」 「はい……抱きしめたら胸に硬いものが当たって……怖くなって……苦しくなって……」 「そう、か……」  ジェドもまた深いため息を吐く。ルミエールの言わんとしていることがわかった。ルミエールにとってあの日のことが今も深い傷として残っていることはわかっていた。まだ五歳で兄と慕ったローズを喪い、その身体が宝石に変わっていくのを目の当たりにしたのだ。悲しみと恐怖を抱かないはずがない。ロゼの胸にルビーがないことを喜んだのにこんなことがあっていいものだろうか。ロゼは赤く輝いたそれをルビーの心臓といった。ルビーから生まれたロゼの心臓がルビーでも不思議ではない。だが、ロゼの胸に光るルビーほど恐怖を呼び起こすものはない。 「外に出すのをためらっていたせいで遅くなってしまったが、ロゼを病院に連れて行って検査を受けさせようと思う。いいな?」 「はい……ロゼがなにものでもいいんです……生きていてくれさえするなら……」  ジェドはなにも言わずにルミエールの頭を撫でる。ジェドは不確定なことを口にしないが、祈るように安心させるように触れてくれる。 「ジェド……少しだけ泣いてもいいですか?」 「ああ……」 ルミエールの頬を涙が流れ落ちる。 「怖い……怖いんです……失いたくない……」  ジェドはルミエールをやさしく抱きしめる。 「そうだな……」  何年もかけ、ローズの喪失と向き合い、気持ちの整理をつけたが、まだまだ十三歳の子どもだ。唐突に突きつけられた残酷な現実を受け止め切れるはずもない。腕の中で泣きじゃくるルミエールにローズの姿が重なる。ローズの胸のルビーから生まれたロゼもまた短命であるとは思いたくない。  ルミエールはロゼを不安にさせまいと必死に明るく振る舞ったが、どうしても不自然だった。そのせいかロゼも少し元気がない。セレナが談話室の揺り椅子で本を読んでいるとロゼがとてとてとやって来た。 「どうしたの?」  ロゼは泣きそうな顔でセレナを見上げる。 「るみえる、げんきない。ろぜのせい?」  セレナはなんと言ってやったらいいか考えながらロゼの頭を撫でる。ロゼの心臓のことはジェドから聞いている。病院に連れて行く日は無理をいって休診日にしたことも。三人ともどういう結果が出るのかわからず、不安で仕方がないというのが現状だった。その不安をジェドやセレナは隠しきれているが、ルミエールは隠しきれていなかった。 「あのね、ロゼ、ルミエールはあなたが大好きで大好きで仕方ないの。だから心配しすぎてしまうのよ。あなたが元気いっぱいに過ごしていればルミエールも元気になるわ。ねぇ、ロゼ、ルミエールのことが好き?」 「だいすき!」  ロゼはにぱっと笑う。ロゼは普通の子どもではないが純粋で無垢な幼子だ。 「あ、蹴ったわ」 「ほんと?」  ロゼは大きく丸くなったセレナのお腹に小さな手を添える。 「早く、あなたとお話したいのかもしれないわ。ほら、また蹴った」 「ろぜ、あかちゃんとおはなしする」  ロゼはセレナのお腹にうれしそうに話しかける。純粋な幼子の気をそらすのはそう難しいことではない。ルミエールも昔はそうだったと少し懐かしくなる。ローズを喪う前は天真爛漫な明るい子だったが、失ってからは物静かになり、いい子でいようと必死になってしまった。少し寂しく複雑な気持ちにさせられたが、近頃また本来の天真爛漫さが目立つようになってうれしかった。だが、ロゼが怪我をした日から気が塞いでしまっている。そこに追い打ちをかけるような現実を突きつけられたのだ。ルミエールが不安定になってしまっているのも仕方のないことだと思う。ルミエールもまだまだ庇護しなければならない子どもだ。 「せれな?」 「あ、ごめんなさい。少しぼーっとしてしまったわ。夜も元気であまり寝かせてくれないの」 「あかちゃん?」 「そうよ」  セレナはふと笑って、大きなお腹を撫でる。もう月は満ち、いつ生まれてもおかしくはなかったが、まだ兆しはない。初産は遅れるものと焦ってはいない。ルミエールが不安定な今、もう少しだけお腹にいてほしいとセレナは思っていた。 「お散歩に付き合ってくれる?」 「うん!」  セレナはロゼと手を繋いでゆっくりと歩く。明日、ロゼを病院に連れて行くことになっている。何事もなければいい。

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