幼い夢と、新しい命

 今日はもう遅いからと、スヒリに泊まっていきなさいとすすめられたクナギは、素直に頷いて一晩を館で過ごした。誰かの家に泊まることが初めてだったクナギは少し嬉しそうな面立ちをする。  遅くまでクナギの邑のことや、ヤヤクの働きぶりなどをひっきりなしに喋るので、カジカもハテヒも、クナギはよく喋る人だなあ、と重たいまぶたをこすりながら話を聞いていた。昼間の疲れが、眠気となって押し寄せる。外から満月の光が差し込んできて、眠たそうにする2人の顔を見るのも、クナギにとっては面白いことだった。 「父上みたいな、立派な貿易商になるのが、俺の夢」  自信満々に語るクナギを、2人はへえ、と相槌を打つ。 「父上はあまり家にいないし、母上も寂しそうにしているけど、俺もそんな父上になりたい。お国のために働く父上はとってもかっこいいんだ」  父が卑弥呼の元で貿易をする。それがクナギにとってはとても魅力的で、誇りでもあるようだった。ヤヤクもトクも家を留守にすることが多いというのは似ていると、ハテヒもカジカも思う。大人の男は、家の外で働き、女は家の中で働く。そして、その周りで生口や下戸が働く。それが決まりのようにも見える。 「トク様と一緒ですね。トク様もあまり帰ってきませんが、私もトク様みたいな誰かを守れる人になりたいです」  俺も、とカジカも眠そうに手を挙げて言う。先ほどトクに直してもらった矛をきちんとそばに置いている。ハテヒも同じように、剣を手に届くところに置いていた。成人すれば腰に下げることができるとトクに言われている。それがずっと待ち遠しかった。あと数年すれば、立派な下戸になれるとカジカもハテヒもずっと楽しみにしている。 「それじゃあ、俺のことも、守ってくれるか?」  枕の上に顎を乗せて、クナギはハテヒの顔を見る。 「ええ、大切な人はみんな」  そっかぁ、と、クナギは口の端を上げたまま眠りにつく。 「あと少しだね」  しんとした空気の中でハテヒが言うと、カジカも頷いた。 「あと少しで、ちゃんと剣も矛も立派に持てるようになる。トク様みたいな、強い人になれるよ」  クナギの夢の話を聞いて、2人は下戸なりの夢を持っていることに改めて気づく。  ここのところ、背が伸びるのに伴って声変わりも始まってきたハテヒを見ていると、カジカは少し焦りが出てくるが、2人とも年齢は一緒、同じ日に成人するという話をトクから聞いている。カジカも早く大きくなりたいという気持ちが強くなっていた。 「早くトク様みたいな大きい人になりたいなあ」  なれるよ。ハテヒが静かにカジカに言うと、2人とも明日には都に戻ってしまう憧れのトクを思いながら、目蓋を落とした。  鳥たちのさえずりと共に、慌ただしい音が耳に入り、ハテヒは目が覚めた。  なんだろう、と、体を持ち上げる。昨晩寝たのが遅かったせいか、まだ頭がぼうっとするが、普段ならもう起きていて当然の頃だ。 「カジカ、起きて」  隣で丸くなって寝ているカジカの肩を揺らして、くしゃくしゃの髪の毛をきちんとみずらに結い直し、ハテヒは部屋を出た。  普段とは違う朝の様子に、カジカも気が付いてハテヒに続いて部屋から顔を出した。 「なんだか、騒がしいね」  カジカが目をこすりながらハテヒに言う。侍女たちがばたばたと慌てている中にスヒリとトクの姿は見えなかった。トクは皆が起きる前には都に向かうので、居なくて当然だったが、スヒリの姿が見えないのはおかしなことだった。 「なんだろう。スヒリ様がいない」  2人がどうしたことかと様子を見ていると、1人の侍女がカジカとハテヒに気が付いて歩み寄ってきた。 「お寝坊さんたちね、今起きたの?」  やっぱり寝坊したんだ、とハテヒとカジカは素直に謝る。 「あの、スヒリ様は」 「産気づいて、産屋にいます。あなたたちは屋敷でスヒリ様の無事を祈っていてください」  その侍女の言葉に、2人とも目を丸くする。  とうとうだ、と、眠気も飛び去ってしまった。突然のことに驚くばかりで、2人も急にそわそわとし出す。どうしてこういう時はいつもトクが居ないのだろうとも思う。 「どうした?」  クナギがきょとんとして2人の後ろで屋敷の様子をうかがっていた。 「赤ちゃんが産まれるって」  カジカが震える声で言った。 「産まれる? お前たちのきょうだいか?」 「違うよ。新しい、大人様だよ!」  あたらしい、自分たちがお仕えする方が、今まさに、産まれようとしている。自分たちが仕えるスヒリの、初めての子供。そわそわとするカジカとハテヒを見て、クナギは何だか凄いことが始まったようだと周りの様子を見た。けれど、3人ともすることと言えばスヒリの無事を祈ることだけなので、寝室にもう一度戻ってしまった。 「男の人は、こういう時は祈るしかないって、なんだか嫌だね」  ただひたすら待つことが苦痛に感じるのは、2人とも一緒だった。 「しょうがないよ、だって、女の人だけが出来ることだもん」 「父上、言ってたぞ。一生懸命お祈りしていたら、神様がちゃんと聞いてくれるって」  ハテヒもカジカも、剣と矛がこういう時は何の役にも立たないことが歯がゆく感じていた。 「10回満月を見たら産まれるっていうのは、本当だったね」  カジカは思い出すようにスヒリの話を思い出す。 「スヒリ様は、絶対、嘘はつかないよ」  一度も、嘘はつかない。口の中でハテヒは復唱した。 「スヒリ様、元気な赤ちゃんを産むって、言ってたから。嘘はつかないよ」  2人はこくりと頷いて、それから口をひとつも動かさなかった。  お喋りのクナギでさえも、口を開くことのできない重たい沈黙が流れる。  早く、スヒリ様の声が聞きたい。  ただ養ってくれる人ではなく、母のような存在になっていたスヒリ。しかしハテヒにとってはこの時間だけはずっと遠くに居るように感じた。 「ハテヒ、カジカ、スヒリ様がお呼びですよ」  どれくらい、待っただろうか。きっと半日は経っているはずだろうと話していたちょうどその時、侍女の1人が寝室に顔を出して2人を呼んだ。その声を聞いたとたん、2人は顔を上げた。 「スヒリ様、お体の調子が悪いようですから、急いで」  そそくさと出ていく侍女の後ろを2人は小走りでついていく。クナギはなんだかついて行ったらいけない気がして、いつもの客間に座って待つことにした。  侍女に案内されたのは、スヒリがいつも祈りを捧げていた間だった。鏡が飾られ、神聖な空気を持っている間。なかなか立ち入れないところに案内されて、カジカもハテヒもどきりとする。 「スヒリ様!」  ぐったりと横たわり、疲れた表情を見せるスヒリの顔を見て、カジカが一目散にスヒリに寄り添った。 「カジカ、ハテヒ」  子供たちの顔を見た瞬間、ほっとした、いつもの優しい顔になるスヒリを見て、ハテヒは少し嫌な感じがする。 「ご機嫌は、どうですか」  スヒリの腕の中にいる赤子は、どうやら寝ているようで静かだった。 「ちょっと、よろしくないみたい」  もっと近くにいらっしゃい、とスヒリに言われ、2人はスヒリの横に正座する。 「女の子よ。私とトクとどっちに似ているかしら」  抱いてみて、と言われ、ハテヒが先に赤子を抱いた。思っていたより重い。どちらかと言えば、スヒリの方に似ている気がする。それを聞いたスヒリは嬉しそうに微笑んだ。 「名前は? お決めになってますよね」  カジカが聞くと、スヒリは手元にあった紙をハテヒとカジカに見せた。 「紙!」 「そう、紙。ほら、見て」  ハテヒとカジカはとても高級なものに書かれている字をまじまじと見つめた。 「なんて、読むのですか?」 「イヨ。イヨと読むの。いい、絵として覚えなさい。あなたたちが伝えるのよ。“壱与”とあなたたちも書けるようにしなさい」  イヨ。その可愛らしい響きをカジカもハテヒも何度も何度も呟き、字を一生懸命見つめた。 「あと、それから」  もう1枚の紙を出して、ハテヒに手渡した。これもまた字が書かれている。 「これは?」 「それは、イヨが知りたいと言った時に渡しなさい。イヨが字を練習して、私のことを知りたいと言った時に渡しなさい。いい、これはハテヒ、あなたが大切に持っていて」  なんだろう。カジカものぞき込むが、何が書かれているかはスヒリは教えてくれなかった。きっと自分たち下戸は読んではいけないものなのだろうと2人は理解する。 「私は少し疲れてしまったから、イヨのこと、しばらく見ていてくれるかしら」 「でも」  スヒリは首を横に振る。 「しばらく、1人にさせて」  体調が悪いの。スヒリは静かに言った。 「あと」  スヒリは最後に、ハテヒの耳元で、一言つぶやく。カジカにも聞こえず、ハテヒだけに伝えたいことがあったようだ。 「じゃあ、私はしばらく休むから、イヨを頼むわ」  侍女に一言スヒリが言うと、2人とイヨを居間に戻るように言った。  絶対、嘘はつかない。  そう信じていたスヒリが、最後の最後となって、2人に嘘をついてしまった。  その晩スヒリが息を引き取ったことを、ハテヒとカジカは侍女から伝えられ、イヨもまた、2人と同じように母を亡くしたのだった。  

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