第一部 太輪 序章

扉の向こうへ

 つめたい夜露に濡れた草を踏むと、つんっとした匂いが鼻についた。 「こら、立ち止まるな」  自分の手を引く大きな手にぐっと力が入り、体が前につんのめる。男の子は急いで止めていた足を動かした。横を歩く男は自分の何倍もの大きさがある。何をされるか分からない怖さから、言われるままに男の子は歩いた。 今日は、月がない。  草が生い茂る道を照らすのは、夏の星だけだった。たまに遠くで鳴く鳥の声や、蝉の声に、何度も何度も驚き、その度に男の子は隣を歩く男にしがみついた。 「あの」  男の子は後ろを振り返ったが、暗くて来た道がよく分からなかった。 「僕はどこへ行くの、ですか?」  目のあたりまで伸びた前髪を揺らして、今度は男を見上げた。あまりにも背が大きいのか顔がよく見えない。男の子はうつむいて、足元を見つめた。  かしゃん、かしゃん、と男の腰で何かが揺れているのだけが分かる。  剣だ。これは鉄の剣だ。何本あるのだろう。2本くらい持っているのだろうか。男の子は空いている手でぎゅっと衣の裾を握った。 「黙って着いて来ればいい。お前の母が望んだ場所へ行くのだ」  男はそう短く答えた。  男の子は「え?」と、男を見上げた。やっぱり、顔は見えない。 「よく聞け」  歩幅が広い男に男の子は一生懸命ついていこうとする。 「お前の母はお前を捨てた」  男は歩調をひとつも変えずに男の子に言う。 「自分から望んだのだ。大陸に行きたいと。我が国に連れて行ってくれと」  男の子はぎゅっと唇を噛んだ。生暖かいものが口の中に広がって、それをごくりと飲み込んだ。  ――逃げて!  大勢の男から暴力を受けていた母の姿が、闇に浮かぶ。傷だらけの腕や足、ぼろになってしまった衣、乱雑にまとめた黒い髪。自分をいつも守ってくれた母の姿だった。 お母さんも、あなたも、もっと幸せになれるのよ。  震える自分の背中を、とんっと押し出した母の優しい声が耳に残っている。ついさっきのことだった。 「お前の母は海を越えて、新しい幸せを探しに向かった。だが、見捨てた訳ではないぞ。お前も同じように、新しい幸せを探せ」  男の足が止まった。  どうやら、どこかの邑の入り口に着いたようだった。門は夜だと言うのに開けられていて、守り人もいない。  ぽつん、ぽつん、と小さな竪穴の住居から明かりが見える。かなりの人が住む邑なのかもしれない。ここはどこだろうと男の子は邑の様子をまじまじと見ていた。 「俺はお前をここまで連れてくるようにと言われた。安心しろ、お前の母は、私の主が無事に国まで連れて帰る」  男の子の足元に、男は何かを置いた。 「これを持って一番大きな屋敷の扉を叩け。お前を助けてくれる人がいる」  男はそれだけ言い残し、来た道を戻っていった。  男の子は足元に置かれた何かをそっと抱いた。  小さな手では持ちにくくて、重くて、すぐに落ちそうで、泣きそうになりながらも邑の中を歩き、言われた通りに一番大きな屋敷の扉を叩いた。  この扉の向こうには何があるのだろう。  男の子は必至に声を上げた。 「助けてください――!」

まだ小説を書きなれていない頃に書いた、初めての歴史長編作品です。 多々至らないところがありますが、これもまた大切な作品なので、カクヨムから引っ越すことにしました。 どうぞよろしくお願いします。

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