3章 太陽に向かって大きく

黄の着物と白の衣

 自分はどうして、父とも母とも会うことができないのだろう。  乳兄弟が乳母(うば)に抱かれているところを見た時、ヒミココは自分に仕える1人の男に何度もそう訊ねていた。 「国王様と王妃様は、(まつりごと)で忙しいゆえ」  別の館に住み、狗奴国のために頭を悩ませている父王が、最近病気がちだという話は、男からずっと聞いていた。そのために会えないのだと、ヒミココはきちんと分かっているつもりだった。けれど、どうしても一目会いたいという気持ちは抑えられない。  自分と同じ“ヒミココ”という狗奴国王の名を持つ父の顔を、まだ一度も見ていないことが悔しくもあった。  狗奴(くな)国は大きい。その狗奴国を治める偉大な父王へのあこがれは、日に日に増す一方だった。 「ねえ、キクチ」 「はい」  金色に光る大きな銅の剣を見つめ、ヒミココは顔を上げた。 「それじゃあ、邪馬台国のこと、教えてよ」  まだ7歳の幼い王子が、自分の話を聞くのが好きということが、キクチにとってとても嬉しいことだった。キクチはにこやかにほほ笑み「よろしいですよ」と、ヒミココの前に座った。すると、ヒミココはよじ登るようにしてキクチの膝の上に座った。 「ここがいい」  キクチを見上げて、ヒミココは笑う。 「みんな言うよ。キクチは、なんでも知っているのでしょ? 僕にいろいろ教えてよ」  ひとりぼっちで、寂しそうな顔をするヒミココの顔がぱっと明るくなる。隣国の邪馬台国の話が、特にヒミココは大好きで、よくせがむようだった。 最近になって、国王の館にはヤヤクという1人の男が、貿易の話を持ちかけてきていた。彼から邪馬台国の情報が狗奴国に入ってくるため、キクチも出来る限り収穫していたのだ。 「ええ。では、ヒミココ様より3つ下の、新しい王女様のお話をしましょう。とても可愛らしい王女さまという話を聞いたのです」  3つ下の王女様?  まだ話が始まっていないのに、小さな可愛いらしい女の子の姿を想像した。どんな女の子だろう。まだ見ないお母さんより綺麗なのだろうか。胸の中に、ぽっと花が咲いたような気持ちになる。 そして、キクチの心地よい声に、ヒミココは真剣に耳を傾けた。  ◆ 「イヨは黄色が好き!」  下着姿のイヨが、目の前に広げられた数々の着物を真剣に選ぶ姿を、ハテヒは後ろで静かに見ていた。隣には侍女が座ってイヨが服を選ぶのを待っている。 「ぴかぴか光る、鏡と同じ色よ。それから、お母様の紅花と同じ色よ。イヨは黄色が好き」  選んだのは、鏡と同じ色の黄色の着物だった。侍女が「お似合いです」と微笑みながら着付けをする。  4歳になったイヨは、一度は静かになってしまったスヒリの屋敷を、明るくする女の子だった。スヒリによく似たぱっちりとした目に、白い肌。遊ぶことが大好きで、ハテヒともカジカとも遊ぶことが多かった。 「ハテヒ、イヨ、可愛い?」  くるりと身をひるがえし、()を揺らす。背中あたりまで伸びた髪を2つに結い、屈託なく笑うイヨに、ハテヒも自然と笑顔になる。 「イヨ様は黄色が似合いますね」 「だって、好きな色だもの!」  カジカに見せてくる! と、屋敷の外にいるカジカのところまでイヨがぱたぱたと走っていく。今頃、紅花の種を屋敷の敷地中にある畑に撒いているカジカを果たして見つけられるのかとハテヒは焦ってイヨを追いかけた。イヨの足はうんと速い。あっという間にその小さな姿を消してしまった。  外に出ると、優しい光が邑――北の都を包んでいる。スヒリを亡くして4回目の春。ハテヒとカジカは13歳を迎えていた。  カジカの居る場所が分からないし、とりあえず、遠い場所から探してみようか。そう思い、ハテヒは屋敷の門に一番近い畑へ向かうことにした。  小さな邑から、王女のいる小さな都となったこの地は、以前よりも紅の数は減りつつあった。カジカはそのことが悔しくて、一生懸命、土に種を落としていた。  いくら、邪馬台国の女王である卑弥呼とその弟のミミガネが守ってくれているとは言え、自分を養ってくれたスヒリが大切にしていたものが失われていくのは耐えられなかった。  紅の花が咲く地は、ここだというのは、ヤヤクから聞いていた。他の場所では見ることができないから、染め物が貴重なのだと、クナギも言う。この門の外へは決して種を出すな。トクからもそう言い聞かされてきた。なのに、どうして毎年花の数が減っていくのだろう。カジカにとっては、春は不安の季節でもあった。 「カジカ!」  背を丸めて、土をいじっているカジカの背中に、イヨが飛び乗る。  しゃがんでいたカジカの背は、イヨがちょうど飛び乗りやすい場所にあった。イヨは「びっくりした?」と、楽しそうに笑いながら、カジカの首に腕を回す。 「うわ、イヨ様! びっくりしたじゃないですか」  振り向くと、イヨはぱっとカジカの背中から下りて、くるりと体をひるがえして首を傾げた。 「ねえ、見て、紅花と同じ色の着物よ。イヨ、可愛い?」  カジカが顔を上げると、まぶしく光る太陽を背にしたイヨが息を切らして笑っている。 「あれ、新しい着物ですか? お似合いですね」 「ハテヒもそう言ってくれたわ。イヨは黄色が好きなのよ」  紅花と同じ色だもの。そのイヨの言葉にカジカは手にしていた種をぎゅっと握りしめた。 「そうですね。今年もいっぱい咲くと思います」  絶やしてはいけない。カジカは頷いて、立ち上がった。 「イヨ様、けどせっかくのお着物が、土で汚れてしまいますよ。ハテヒは? あれ?」  いつもイヨと一緒にいるハテヒの姿がないことに、カジカは首をひねった。イヨもそういえば、どこだろうと辺りをきょろきょろする。ああ、ハテヒを屋敷に置いてきてしまったんだ。そう思ったカジカはイヨをとりあえず屋敷にまで戻し、ハテヒを探すことにした。  イヨは人探しが得意なのかもしれない。カジカはそう思った。 「ねえカジカ、ハテヒのところにトクおじさんいるよ」  屋敷に戻ったはずのイヨが、屋敷の外をうろうろしていたカジカの元に戻って来た。ハテヒは屋敷の中だったのかと驚く。 「え? トク様?」  イヨに連れられるままに、カジカは小走りでトクの元に向かった。すると、ハテヒと何か話をしているトクの姿がほんとうにあり、驚く。 スヒリを失っても未だに南の都を守っているトクは、このところ帰る回数がますます少なくなっていた。年をとった様子は顔にしわが少し増えたくらいで、それ以外にはまったく見えず、たくましい顔を見るとカジカは嬉しくなった。 「イヨ様、お久しぶりでございますな! また大きくなられましたか?」  イヨに「トクおじさん」と呼ばれても、トクは気にせずイヨを迎えた。よいしょ、とトクは軽々とイヨを抱き上げてくるくると回ると、イヨはとても喜んだ。トクもイヨのことを「イヨ様」と呼び、親子には感じられない。カジカもハテヒも、そのことについては疑問に思うが、ずっと黙って見ていた。どうして父親ということをイヨに言わないのだろう。4年経ってもずっと分からなかった。  体の大きなトクに空高く持ち上げられてきゃっきゃとはしゃぐイヨを横目に、カジカはハテヒに耳打ちした。 「なあ、何の用だったの?」 「今日、成人するんだって」  ハテヒの短い応えに、カジカは、どきりとした。ハテヒは、ずっとイヨの方を見ている。 「これで、立派な下戸になれる」  ハテヒは、そうゆっくり言った。いきなりのことに、ハテヒも実感していないようだった。 「そっか。今日なんだ。立派な下戸に、なれるな」  カジカも、同じように口に出してみる。立派な下戸になる。そうすると、不思議なことに、体の中にすとんと、その事実が入ってきたような気がする。  剣を腰に下げることが、許される。剣の重さを常に感じることができる。待ちわびていた日がこのように突然くるとは思っていなかったが、ゆっくりと、ハテヒは成人という言葉を飲み込んだ。  その晩にトクから授かったのは、大人(たいじん)が着ている、真っ白の衣だった。2人はその衣に腕を通していいのかと、何度もトクに確認したが、首を横に振ることはなかった。  大人が着るものを、下戸が着ていいのか。みなしごの下戸がこんなもので身を飾っていいのか。2人は、恐る恐る袖に腕を通した。 「王女に仕えるものが、みっともない恰好をしてもいけないだろう」  ハテヒとカジカが鏡をのぞき込むと、そこには見慣れない自分の姿があり恥ずかしくなった。そして、腰に剣を下げると、どこか落ち着かない。けれど、実の母と別れた日から、肌身離さず持ち歩いていた剣を腰から下げることによって、地に足がきちんとついている気がした。  トクはイヨを呼び、2人の見違えた姿を見せた。それを見たイヨは、わっと驚く。 「ハテヒとカジカは、おとなになったの?」  トクの腕の中で、イヨは2人の姿をまじまじと見ていた。いいなあ、と、イヨは言う。 「変身みたい!」  かっこいいわ、と、イヨに言われて2人は顔を少し赤くして笑った。 「イヨ様を、お守りする立派な下戸に、なります!」  カジカが手に矛を持って、トクに言った。ハテヒも続いて、トクとイヨに誓う。 「トク様と同じ、剣を以て、イヨ様を必ず、お守りします」  2人は、恭しく手を地につき、頭を下げた。  おとなになったばかりのカジカとハテヒが自分に頭を下げていることが、イヨには妙におかしなことに思えて仕方なかった。  なんでみんな自分に頭を下げるのだろう。そう、ぽかんとしていたイヨを、トクは遠くから父親の顔で見ていた。

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