1章 はじまりは紅咲くむらから

たずねびと

 こんな月のない暗い夜に、誰が私を訪ねるのかしら。  目の前に掲げてある金色の鏡が映し出す自分の顔が、ひどく歪んでいることに気が付いて、両の手で頬をぱんぱんと叩く。同時に首から下げた色とりどりの玉や、腕を飾る貝の輪が揺れ、しゃらしゃらと鳴る。 夜も更け、多くの人は既に眠りについている時間。自分もこの祈りが終わったら寝ようとしていた時だった。 「スヒリ様、どうします?」  祈りが終わったところを見計らって、スヒリの後ろにじっと控えていた侍女がそっと声をかけた。 「薄汚い身なりをした子供が1人、戸を叩いたとのことなんですが」  スヒリはそう聞いて、少しだけ眉を寄せる。 「子供? こんな月のない暗い夜に、1人で? 分かった、行くわ。カジカはまだ起きてる?」 「ええ、剣を持っていないからと、戸の前で刀子(とうす)を構えて震えていますよ」  侍女が半ば笑いながら告げた。それを聞いたスヒリの方は、お腹を抱えて笑った。 「刀子って言ったら、ものを削る道具じゃない!」  立ち上がり、スヒリは屋敷の戸へと向かう。 「カジカったら」  大きな戸の前でまるで鹿のように震えている男の子に、スヒリは笑いながら声をかけた。 「あ、スヒリ様! まだ奴は戸の前にいるみたいですよ! どうしましょう!」  耳の近くで髪を結うみずらもまだ小さく、背丈もない小柄なカジカが、精一杯鼻の穴を広げて振り返った。戸を少しだけ開けて外の様子を見ていたらしい。  スヒリはカジカから刀子を奪って、静かに言った。手より少し大きめな工具で、この子は一体何から自分を守ろうとしていたのかしら。スヒリは笑う。 「何を怖がっているの。こうやって、戸を開いてあげたらいいじゃない」  ぎぃっと戸が鳴き、カジカは頭を抱えて「ひゃっ」と小さな声を上げた。 「このような月のない夜に、一体わたくしにどのような用があって訪れたのかしら」  女の身ではあるが、この大きな屋敷の守り主でもあり、この(むら)の長でもあるスヒリ。威勢よく声を放ち、しゃんっと背筋を伸ばす。  けれども、戸の前には誰もいない。どうしたことかとスヒリは首をかしげた。普通なら客人は戸の前で待つものだが、その姿がないのだ。 「何よ、誰も居ないじゃない」  ほっと肩を下ろし、振り返ると、カジカは階段の下を指さした。 「階段の下です、あそこ!」  言われるままに、身を乗り出して視線を落とす。侍女が持ってきた松明を受け取り、下を照らすとそこには――。 「まあ!」  自然と、声が出てしまった。  階段の下で小さな両の手を地につけ、頭を深く深く下げる1人の男の子が、闇の中に居た。  そのそばには、スヒリも見たことがない、立派な鉄の剣があった。 「聞いたぞスヒリ! よその邑から逃亡者が来たんだって?」  来たわね。  スヒリはその大きな声を聞いて、手にしていた鏡を置いた。  部屋を出ると、1人の男が目の前をよぎった。彼は、カジカたちが着ているような粗末で簡単な作りをしている貫頭衣(かんとうい)とは違い、上質な真っ白の絹で作られた衣と袴を身に着けている。身分が高い証拠だ。 「昨日のことなのに。もうあなたの耳に入ったのね、ヤヤク」 「ついさっき、カジカから聞いたんだよ。しかし、卑弥呼さまの統治する邪馬台国もそこまで治安が悪くなっていた邑を抱えていたとは、俺もびっくりだ!」  ずかずかと、慣れた様子で客間に入っていくヤヤクの後を、スヒリは静かについていった。  ヤヤクはスヒリの住む邑から少し離れた、小さな邑に住まう大人(たいじん)だ。いわゆる貴族を指す邪馬台国の言葉で、ヤヤクもスヒリと同じく邑の長である。ヤヤクの邑に住まう者はみな貿易を生業としていて、不在にする方が多いと言う。  今日もその貿易の話をするためにスヒリの邑を訪れたようだった。彼の後ろに侍る男の手には何やら布に包まれた荷物がある。 「朝早くからご苦労ね。けど、あまりそういう話は大きな声で言わない方がいいわよ。それからカジカの軽い口をどうにかしないといけないわねえ」  ヤヤクは貿易のために、言葉を商売道具とする者。彼がどんなに口が堅くても、やはり怖い。  スヒリとヤヤクが抱える邑が位置するのは、邪馬台国のほぼ中央。この国をまとめる女王卑弥呼の住まう都にも近い。このような悪いうわさが女王の耳に入った時、スヒリなど邑の長が女王から一体何を言われるか分からない。 「やっと倭国大乱も落ち着いて、卑弥呼さまの政もいいように行っている中で、邑が荒れているなんてことが知られたら、また戦でも起こりそうで怖いわ」  スヒリは今は亡き母から聞いた、50年ほど前にあった大きな戦の話を思い出す。  スヒリ自身は平和な邪馬台国の姿しか知らないが、人々が剣を持ち血を流し、黄金色の稲穂を抱いた田が荒れた邪馬台国の姿を想像すると背筋が凍る。 「いやいや、気を付けるよ。で、そうなるとその子供は生口なのか? それと下戸? どのくらいの子なんだ。親は?」  切れ目の細い目が少しだけ大きくなり、辺りをきょろきょろと見渡す。 「私もまだ詳しく知らないの。呼ぼうかしら?」 「いいのか? 俺もそいつと話がしてみたい」  まったく、貿易の話はどこに行ったのよ。 嬉しそうにそわそわとするヤヤクの様子に呆れ、スヒリは、侍女を呼んで一言連れてくるように言った。 ――助けてください……!  スヒリの耳に残る、叫び。  侍女に連れられてやってきたのは、癖のある髪の毛を結いもせず、どこでそんなにつけたのかと疑ってしまうほどの傷を、頬や膝につけた男の子だった。纏う貫頭衣だけが新しい。昨日の晩にスヒリが用意したもので、少しぶかぶかのようだ。  男の子は、ヤヤクの身なりを見るなり顔色を変えて、静かに両の手を床につけて頭を下げた。大人であることを悟ったようだ。  ヤヤクはその子を一目見るなり、言った。 「生口だろうなあ。下戸でもここまで綺麗な恭敬はしないよ」 「ええ、あなたの言う通りこの子は生口なのですって。自分で昨日名乗ったの。自分は生口のハテヒと言いますって」  生口は奴隷を指し、下戸は平民を指す。ヤヤクは奴隷がスヒリの元に逃げてきたということにますます興味が湧いたのか、ハテヒに話しかけた。 「どこの邑から来たんだ? 年はいくつだ。親は?」  ハテヒは、少しだけ顔を上げて、ぽつりぽつりと言葉を選びながらヤヤクに言った。 「邪馬台国の西の邑からで、えっと……6つになります。お母さんしかいません。けど、お母さんは昨日、知らない人たちと大陸に行きました。男の人に、この邑で一番大きな屋敷の戸を叩けと言われて、ここに来ました」  母を海の向こうに連れ去った人たちの中の1人が、ここまで送ってきたんだと、ハテヒはヤヤクに言う。  その話を聞いたヤヤクは驚いた。カジカもハテヒと同じく、幼くして親を失い、スヒリの元に引き取られた子だが、このように邑の外から逃げてきた子供ははじめて見る。 「6つということは、カジカと同い年ね。あなたの子供は今何歳だったかしら」 「ん? あいつは今5つだから1つ下かな。大陸人が生口を連れ去るなんて話も初めて聞くが……やはり身を売って逃亡でもしたんだろうか」 「こら、推測でそんな話をこの子の前でするんじゃありません!」  スヒリはヤヤクにぴしゃりと言うと、ハテヒの表情をうかがった。  ヤヤクの話に何か思い当たる節でもあったのか、床につけた手を握りしめて、ふるふると背中を振るわせていた。 「ハテヒ?」 「お母さんは……どうなるのですか……」  ぽつり、ぽつりと、涙が落ちていることにスヒリは気付いた。  昨日の晩はひとつも涙を流さなかった子が、今になって、押し出すように涙を落としている様子にスヒリは居てもたっても居られずに、抱き寄せた。袖でいくら涙を拭っても、とめどなく溢れ、床に落ちてはしみを作ってゆく。  大人の前で生口が泣いてはいけない。みっともない。そう思っているのだろうか。嗚咽が漏れないように歯を食いしばり、肩を震わせ、苦しそうに息をするハテヒの背中を、スヒリは片方の手で優しく撫でた。  昨晩の様子を見たところ、ずいぶんとおとなびているとスヒリは感じていたが、この小さな体に一体どれだけ生口としての、奴隷としての態度が叩き込まれているのだろうか。  もっと泣いていいのに。同い年のカジカなんて、転んだらすぐめそめそ泣くのに。ハテヒには、それさえ許されていないような気がした。  まだ6歳。もう6歳。どう捉えていいのかスヒリは迷う。彼女は、生口の子供を思った以上に知らなかった。 スヒリの邑には下戸の子供はいる。みな、簡単な仕事の手伝いが終われば遊んでばかり。親に怒られた子供の鳴き声が、響き渡る時もある。カジカも、その中の1人だ。しかし、大人身分のスヒリは生口の子供を見たことがなかった。生口の子供は、こんなにも早くにおとなに近づかなければならないのか。腕の中ですすり泣くハテヒの背中を撫でながらスヒリは眉を下げた。 「お母さんは、幸せに、なるために、海を、越えると言いました。お母さんは、本当に、幸せになれるでしょうか。暗い夜になって、たくさんの男の人に……殴られることも、蹴られることも、なくなるのでしょうか」  言葉と共に不安が涙となってあふれ出てくる。一度口を開くと、堰を切ったようにありったけの力で、ハテヒは泣いた。  そして、ハテヒの言葉にヤヤクとスヒリは、顔を見合わせた。  この子の母親は――。 「やっぱり、ここはミミガネ様に言った方がいいと思うんだがなあ」  ヤヤクは持ってきた貿易の品を高床の倉庫に納めながら言った。夏の太陽の光に照らされる金色の鏡と鐸が、時たまぶつかり合い、鈍い音を立てた。  もうすぐ、雨乞いの祭りが行われる。彼はその際に使われる道具を持ってきてくれたようだった。使った鏡と鐸は割って捨てるのがこの邑の祭りのやり方。その為に新しいものが必要で、ヤヤクに頼んでいたのだ。  スヒリは、それでも首を横に振った。 「卑弥呼さまの弟君さまは、忙しいって聞くから。たった1人の生口のために時間は割いてくれないでしょう」  たった1人の奴隷のために。スヒリのその言葉を聞いて、ヤヤクは倉の戸を閉める。 「あの子のお母様は、下戸や大人たちの横暴に耐えかねたのでしょうね……」  倉の後ろに広がる、一面の紅の畑。その畑の中で、ハテヒとカジカが一緒になって紅の花を摘んでいた。カジカが慣れた手つきで紅花を摘んでは、ハテヒの持つ籠の中にぽんぽんと入れていく。周りの大きな下戸たちに混ざって、小さな男の子2人が仲良く仕事をしているのを見て、スヒリはほっとする。 「本当にあの子を下戸として引き取るのかい」  階段を降りて、ヤヤクは腰を叩きながらスヒリに問うた。 「だって、かわいそうじゃない」 「そりゃそうだが。別に下戸じゃなくても、養子とか――」  スヒリは、そう言われて、笑った。 「諦めてないの」  そっとお腹に手を当てる。 「毎晩、毎晩、神様にお祈りをしているのだから……」  自分と夫の間に、子供が欲しい。そう毎日願って、手を合わせる。昨晩、ハテヒが戸を叩いた時も、夫の無事を祈っていたのだった。  国の兵士として長い間、邑を留守にしている夫が帰ってくるまで、ずっと、鏡に向かい続けるのだとスヒリは決めていた。 「でも、一度はお母さんと呼ばれてみたいわね」 母になりたい。  だからスヒリは、ひとりぼっちになってしまった子供を放っておけないのだなと、ヤヤクはハテヒを遠くに見ながら思った。

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