2つの印と2人の客人

 狗奴国の王子が、邪馬台国の王女に会いに来たという情報は、卑弥呼の都まで伝わっていた。  国王であるヒミココとは何年も直接話が出来ておらず、キクチという男が全部話を請け負っている、ということはヤヤクから聞いていたが、ミミガネはそれが納得いかないようだった。 「ナシメ、どう思う?」  貿易、外交のために命をかけて海をこえ、“親魏倭王(しんぎわおう)”と刻まれた金印を無事に倭国にもたらした外交官のナシメにミミガネは話を振った。ミミガネと同じく高齢で、顔にはしわがたくさんある。ミミガネとナシメは互いに国と国の間のことを考えることが多かった。 「卑弥呼さまが国民に姿を見せないのと同じ、ヒミココ様も同じように姿を見せないのでしょう。それに、もともとヒミココ様とは話が合わないと卑弥呼さまは仰っていたではありませんか」  ヤヤクと同じく外交や貿易に携わる人は、邪馬台国には山のようにいる。その中でも遣使の長として大陸へ赴き、大陸の帝と話を交わしたというナシメ。外交官の中では最高の官位であるナシメの意見に、ミミガネは頷いた。 「魏の国の王はどうであった? もう少し、大陸のことを聞きたい」 「武にも優れ、特に剣が得意と仰っておられました。書にも明るく、私たちにそれは綺麗な書を見せていただきましたよ」  意味はよく分かりませんでしたが、とナシメは笑った。共に向かった使譯(しえき)という通訳を生業としている者も、少し首をひねったと言う。 「文か……そろそろ王女にも教養が必要であるな。剣も少ない」  ミミガネは顎をさすり、それから何か思い立ったのか膝を叩いた。 「ヤヤクに大陸に行ってもらおう。文と剣が欲しい。貿易が得意な者に行ってもらった方がよいであろう」  字を書けるということは、倭人にとっては最高の力を持つということであった。ミミガネも卑弥呼も困らない程度には文字は習得していたが、それでも大陸の人から見れば幼稚なものだと自覚していた。 「ナシメ、お前は国に帰ってその力を存分に使いなさい。これからも邪馬台国のためによく働いておくれ」  ミミガネにそう言われ、ナシメは頷いた。 「では、奴国に戻ります。これからも邪馬台国の同盟国として、出来るだけのことはするよう王にも伝えておきます」  ミミガネに一礼したナシメの腰で揺れるのは、青の紐が通してある銀の印だった。  ナシメが大陸の皇帝から授かったのは“親魏倭王”の金印だけではなく、自分自身の“率善中郎将(そつぜんちゅうろうしょう)”の銀印もあった。それは、王の次に位が高いことを意味する。実質、ナシメは奴国の王族でもあった。  ナシメは、銀印を握りしめ踵を返す。  邪馬台国の同盟国として出来る限りのことはやってきた。それゆえに高い官位を授かることが出来た。今度は、自分の国で(まつりごと)をするのだ――。  “漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)”の金印を持つ王に一体どんな声をかけられるのだろう。ナシメは胸を躍らせて、歩調を早めた。 「ヤヤク、さようならしちゃうの?」  イヨに言われ、ヤヤクは眉をハの字にして笑った。 「死ぬわけではありませんよ。何か月か留守にするだけです」  川辺には既に、海に下るための船と舟乗りたちが待機している。中には航海中の安全を祈る持衰(じすい)や、ヤヤクに仕える下戸も数人いる。ハテヒやカジカ、クナギも見送りをしに来ていた。 「父上、どうかご無事で」  クナギが頭を垂れて、父の安全を祈る。 「お前も成人したのだから、じゅうぶんにイヨ様に仕えるように」  ヤヤクに言われて、クナギは分かってますと答えた。  ハテヒたちに数年遅れて成人したクナギは、このところ狗奴国や奴国まで足を運ぶようになっていた。ヤヤクと同じく素質があるようで、邑と邑、国と国の間で数多くのモノを動かすようになっていた。 「まあ、1年のうちには帰ってきたいかな」  寄り道しなければ、と、ヤヤクは朗らかに笑い、舟に飛び乗る。 「それじゃあ、行ってくるよ」 「イヨ、ずっと待ってるわ」  イヨの小さな手がヤヤクに振られた。  海をこえる。ヤヤクは母と同じ海を行くのだと、ハテヒは内心、微かな期待を抱いていた。  ヤヤクが何か、自分の剣について何か見つけてくれれば。何故、母は大陸の人に連れられて海を渡ってしまったのか。何故自分はこの剣が授けられたのか。分かるのならば知りたい。イヨを抱き上げながら、ハテヒはヤヤクを見送った。  それから、月日は流れて、イヨは8歳になった。  ヤヤクが大陸に向かって数年。ヤヤクと同じ舟で大陸に向かったものは皆戻ってきたのに、ヤヤク1人だけが大陸に残っているということを、ハテヒはクナギから聞いていた。何のために大陸に残っているのかは謎だったが、ヤヤクたちは邪馬台国に大量の剣をもたらした。そのうち戻ってくるだろう。そう信じてクナギもハテヒもカジカも、じっと待っていた。 「イヨ様、そろそろお勉強をしましょうかね」  クナギが木簡を持って、イヨの元に訪れる。  それまで、床に伸びてごろごろとしていたイヨがぱっと飛び起き、ハテヒの背中の後ろに逃げた。 「また字のお勉強なの? クナギは教えるのがへたくそだから眠くなるわ……」  髪飾りを磨きながら、イヨはうんざりしたような顔をする。クナギはハテヒに困ったように視線を送り、助けを求めた。 「イヨ様」  ハテヒは仕方なく、一枚の紙をイヨに手渡した。 「ずっと黙っていたのですが、スヒリ様からイヨ様に手紙を預かっています。ハテヒにも、クナギ様にも、難しくて読めません。イヨ様しか読める方がいません。イヨ様が、ご自身で勉強して読んでと、スヒリ様は最後に仰りました」 「お母様が?」  イヨが聞き返し、ハテヒは黙って頷いた。  おそるおそる開くと、そこにはびっしりとよく分からない字が並んでいる。「壱与」という自分の名前だけは分かる。これだけはハテヒやカジカが書いてくれて覚えていた。しかし、それ以外が読めない。 「何て書いてあるのかしら」  イヨが文字と睨めっこしている間、カジカがそっと部屋を訪れた。 「おいクナギ、ヤヤク様が帰ってきた」  クナギの耳元でカジカがそう囁き、クナギは「え?」と聞き返す。 「父上が? 今?」  カジカはうん、と頷き、クナギと一緒に屋敷を飛び出した。  2人が急に飛び出して、どうしたのかとハテヒも様子を見に行こうとした時、部屋にすっかり日に焼けたヤヤクと、1人の男、それより若干若い女が部屋に入ってきた。 「ただいま帰りました、イヨ様。またすっかり背が伸びましたね」  突然の客に、イヨは目を見開く。イヨは手にしていた手紙をハテヒに押し付けて、真っ先にヤヤクに走り寄った。 「ヤヤク! ヤヤクだわ! 帰ってきたのね!」  ヤヤクに抱き上げられたイヨが、きゃっきゃと笑う。数年見ない間に、すっかり手足もすらっとしてきて、体重も増えていた。腰が耐えられなくなり、ヤヤクは年だなと感じながらイヨを下ろす。 「あの人たちは誰?」  大陸の服だろうか。刺繍がたくさん施されており、女の服はとても色が鮮やかなものだった。男の方は武人だろうか。背も高く、がっちりとした肩が特徴的だった。トクよりは細身だが、腰には3本ほど剣が下がっている。背中には、倭では見たことがない弓矢もある。男の方はハテヒたちよりは年上に見えるが、女の方は、同い年――17、8歳あたりに見える。 「イヨ様に文字を教えてくれる方と、ハテヒたちに武術を教えてくれる方です。大陸から来られた兄妹ですよ」  大陸の人、と聞いてハテヒはどきりとする。  手をついて、ハテヒは恭敬の態度をとり挨拶をした。倭人はこのように挨拶するのか、と、男はヤヤクに訊ねる。ヤヤクは「彼は下戸という身分ですゆえ」と簡単に説明していたが、良く分からなかったのか、男はふうんと興味なさそうに頷いた。 「私は、張政(ちょうせい)と言う。こっちは妹の(めい)。ミミガネ様に頼まれ、あなたたちの教育をすることになった」  よろしく頼む、と、張政は手を合わせる。ハテヒはハテヒで、これが大陸の挨拶の仕方なのかと、じっと見ていた。  その訛りがある喋り方が、ハテヒに遠い昔の月のない夜を思い出させた。

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