「とにかくお互い、そこそこの信用は得たということだ」 「信用かなあ、それ」 「信じるということはですね。リク様。疑わないということではないのです」 「まあいい。先程の話に戻す。ウェアウルフの件がなぜ口外無用なのか、だ」 「それだよ」 「説明する……そう急くな。リク。別に隠そうとしているわけではない。われわれ前の世代にとっては、あまりに周知のことなので、お前たちがそれについて知らないということが想像つかなかっただけだ」 「もう。またそうやって」 「威張っているわけではない。本当に想像がつかなかったのだ。リリヤ殿も座られよ。立ったままでいられると、目線が高くて話しにくい」 なんとなくゼストリエルが仕切り役のような雰囲気になる。 リリヤは音もなく椅子を引き、リクの向かいに腰かける。 それから彼女は、何か神聖な香炉でも扱うみたいな仕草で、テーブルの上に置かれていたランタンを自分からいくらか離した。 火が小さい音を立てて爆ぜた。その光はランタン自身の枠を透かして、テーブルの上に蜘蛛の巣のような模様を描いている。 彼女はリクの様子をうかがうようにしばらく黙ったあと、ゼストリエルに目配せし、口を開く。 「リク様、冒険時代には、ウェアウルフのせいで大量の死者が出ました」 「うん」 「冒険時代末期、スリトヤという村落で、およそ三百の住民がほとんど死に絶えた事件があります。あの時代には、モンスターの関わる死はいまほど珍しくはなかったですが、百を超える数はそうあったことではありません。戦争行為を除けばですが」 彼女の言う通り、モンスターが関わる事例でそれほどの犠牲者が出ることはめったにない。長い冒険時代を通じても、まれですらある。 世間ではまったくそうは思われていないが、大半のモンスターは、実はそれほど積極的に人間を殺すことはない。 なぜなら彼らの大半は、言ってしまえば人間にあまり関心がないからだ。 例外はリリヤの言う通り、戦争に使われた場合ぐらいだ。 モンスターはその登場初期から戦略に組み込まれた。彼らは自分で歩いてくれる破城槌として、無限に火を噴く大砲として、移動する防壁として利用されてきた。ようするに便利な兵器だったのだ。 実際のところ、リクの両親がしばしば駆除を依頼されているモンスターも、大半はその種の軍用モンスターが放置されたものだったりする。 これも、世間では知られていない事実のひとつだ。異界の怪物がこの世界のそこら中にいる理由でもある。 とはいえ、リリヤの言い方からすると、スリトヤ村はそんな争いに巻き込まれたわけではなさそうだった。 「スリトヤ村は冒険時代を通して、一度も戦闘には巻き込まれていない。運がいいのもあるが、貧しい村だったのもある。言ってしまえば襲う価値のない場所だ。略奪するほどの資源もなし、拠点としての価値もなかった。結果的に平和だった」 ゼストリエルがそう補足する。アルルが聞いたら眉をひそめるだろう。 だが悪気はないのはリクにもわかる。ゼストリエルの生まれた時代なら当然のセンスではある。 「その平和な村が、ウェアウルフのためにほぼ全滅しました。ウェアウルフは、そういう魔物です。モンスターとしては、実際のところ戦闘能力はさほど高くありません。せいぜい中程度です」 「そうだ。だが、ドラゴンなどよりよほどたくさん死人を出す」 「ほら、危ないんでしょ。だから早くなんとか――」 「――でもね。リク様、その村では、人狼病の感染者は一人もいなかったのです」 リクは話の行方を見失い、言葉に詰まる。 ふたりがリクをからかおうとしているのかと思ったが、彼らの表情は真剣そのものだ。 「どうゆうこと?」 「この地方で、過去に、ウェアウルフの関わった事件の死者が、千人いたとしましょう」 リリヤは左手の指を三本立て、右手の親指と人差し指を合わせた。ジェスチャの意味は分からないが、たぶん千という意味なのだろう。リリヤは話を続ける。 「そのうち、ウェアウルフに殺された者と、人狼病の悪化で人間に戻らなくなった――まあこれは病死にあたると言っていいです――者たち、そのふたつは、千人のうちそれぞれおよそ何人だと思いますか?」 「えっ……わからない」 「それぞれ三十人と、ふたりです。合計三十二人ですね」 リリヤは奇妙なジェスチャで指を動かす。一種の指算法のようなことをしているらしかった。 「これはスカイル様が個人的にこの地方の記録を当たって調査したものです」 スカイルの名が出てきてリクは驚く。 「そんな調査してたんだ……」 「スカイル様は、何事にも真摯な方です。事実を重んじる人です。ああ見えて」 「はは。ああ見えて、ね」 笑いながらも、リクはいくらか自分を恥じた。 スカイルがそんな調査をしているなんて思わなかった。何につけても詳しいとは思っていたが、それなりに努力しているのだろう。 まるで自分たちだけが人々のために何かしているような感覚に陥っていたが、各自、それぞれなりに問題に対処しているのだ。 「女装だけしてたわけじゃなかったんだ……」 「スカイル様を何だと思ってるんですか。まあ女装癖はありますが」 と言いつつ、リリヤはリクの言ったことが気に入ったらしく、しばらく笑っていた。 それからふいに真顔に戻る。 「さて、冗談はこのくらいにして、先ほどの話に戻ります。じゃあそれ以外、1000人のうち968人は何で死んだと思いますか?」 リリヤの言いたいことが何か、リクの脳裏にある可能性がよぎる。 それを言葉にする前に、リリヤが言った。 「人間ですよ。人間はウェアウルフなんかより、ずうっとたくさん、人間を殺すんです」 ゼストリエルがうなずいて、リクをじっと見る。 「先に話したスリトヤでは、村人たちの間にウェアウルフが混じっていると噂が立った。狭い村のなかで噂が幾度もめぐるうち、それはほとんど事実のように受け止められ始めた」 「いわば自家中毒です。流れた噂を他人も話し、まわりがみんな話しているから事実と思い込む。よくある話です。自分の吐いた息だけ吸っていれば、いつか窒息します」 「とにかく、村人たちは自分たちの中にウェアウルフがいると信じた。ウェアウルフ自体は、先ほど言ったようにそれほど強力ではない。だが、それは我々のレベルから見た話で、一般人にとっては充分脅威だ。だが、彼らにもウェアウルフを倒す方法がひとつある。まだ人間でいるあいだに殺すことだ」 リクにもいくらか話が見えてきた。 しかしゼストリエルの述べた内容は、リクの想像よりさらに無残だった。 「まず初めに病人が殺された。それからはみ出し者や、村にたまたまいた流れ者。ようするに疑わしい者。疑わしいと言っても、主観だ」 ほとんど怪談話のように聞こえる。 ゼストリエルの話でなければ、事実だと思わなかったかもしれない。 リクには、人間がそんな理由で人間を簡単に殺すなんて信じられなかった。 「次に、寝言の多いものや夜に目を開ける癖のあるものも殺された。ウェアウルフは夜に本人に置き換わって動き回ると村人たちが聞いたからだ」 「それだけで?」 「そうだ。殺される理由はどんどん難癖じみたものになっていった。何しろ、村人たちはウェアウルフがどんなものなのか、正確には誰も知らなかったからな。ただ彼らは、お互いにお互いが『それ』だと思い込んだだけだ」 「……なんでそう思い込んだの?」 「正確にはわかりません。噂の発端は、商人が人狼について村人に話したことと、その後にたまたま家畜がいなくなったからだと言われていますが、なにしろ、記録が村人の供述しかないうえに、ほとんど全員が錯乱していたので」 「子供が怖い夢を見れば、それを真に受けて殺す。見に覚えのないアザが身体にあれば殺す。それに反対するものがあれば殺す。それが領主の耳に入り、兵が鎮圧のために村にたどり着いた時には、村はほぼ全滅に近かった。生き残りはその時点で二十人ほどだ」 「名前もついてなかった赤ん坊が井戸に投げ込まれていたそうです。兵がなぜそんなことをしたか問うと『どうしてこの子が悪魔じゃないって分かるんです?』と逆に質問したそうです」 「なんでそんなになるまで放っておいたの」 「当時は何もかも足りなかったんです。領主は……けして無責任だったわけではありません。彼の耳に入るのが遅かったんです。……あの方は終生それを悔いたまま死にました」 リリヤは遠い眼をする。 「生き残った村人はどうなったの?」 「昔のやり方だぞ? 決まってるだろうが」 ゼストリエルの表情は、皮肉っぽく笑むようでも、嘆くようでもあった。 「火刑だ。許すわけにいくか? それでスリトヤ村は全滅した」 リクはのどの奥で固まった唾をのむ。 「そんなの。本で読んだことがない」 「忌むべき事件だからな。気持ちのいい話でもない。当時は今より、ものを書ける人間自体が少なかったし、何を残すかは彼らが決めた」 「そうかもしれないけど……」 「他人事のように言うな、近所の話だ。この家のすぐ南だ。街道沿いに古い墓があるだろう。あれだ。知らないか?」 あの薬草を摘んだ場所だ。 自分はとっくの昔に、その場所に立っていたのだ。 リクは気分が悪くなる。何も知らなかった。 冒険時代の出来事は自分から遠いと思っていた。 自分はそこから切り離された存在だと思っていたし、その境遇が嫌だと思っていた。 しかし、その痕跡はすぐそこにあったのだった。 「そんなことが起こる理由が何かあったんでしょ」 「別に悪党の村ではない。あの当時の普通の村のはずだ。貧しく弱いものが身を寄せあって、どうにか暮らしていた」 「……昔話でしょ?」 「まあ。そうだ。六十年ほど前の話だな。おまえの父親にとっても昔話だ」 ゼストリエルはリクを慰めるように言う。 その期間は、人間の感覚からすれば昔話だが、歴史の年譜の上ではごく最近だ。 長年を生きたゼストリエルやリリヤにも、ほんのこのあいだに感じることだろう。 「……今は違う。そうお前は言いたいんだろう。そんな残酷さは昔の話で、今はないものだと。私だってそう思いたい。いまは治療薬もある。人々は昔ほど閉鎖的ではないし、互いに疑い合って暮らしているわけでもないだろう。少なくとも昔よりは。だが……」 ゼストリエルの言いたいことはリクにもわかった。 今だって、同じことが起こらない保証は何もないのだ。 「不用意にウェアウルフの存在が表ざたになれば、恐怖に駆られた者が同じようなことをしないとは限らないのだ。たしかに今は昔よりましかもしれんが、それが起きない保証にはならん」 「うん……」 「リク、お前は勇者だ。私もこんな姿だが、そうだ。夜の怪物は、われわれが闇から闇に葬るのだ。残酷はわれわれが引き受ける。たとえその試練に、われわれが耐えることができないとしても。それが勇者の役割だ」 簡単に言ってくれるよな。 ゼストリエルは猫だからいいな。 そうリクは一瞬そう思った。 だが、ゼストリエルの猫の姿も、彼が戦った結果だ。彼が勇者として引き受けたものがそれだ。それを分かってあげなければいけない。少なくとも自分だけは。 「……楽じゃないね」 「そうだな」 その後、リリヤといくらか情報交換をしたが、彼女の側、つまりニンフライト家のほうでも、犯人の当たりはついていなかった。 感染者は何人か見つけたものの、いずれもただの巻きこまれた者で、どう見てもあの殺しをこなすような人物ではなかったという。彼らの保護と治療は順調だが、秘密を守ることはいずれ難しくなるだろう。そうリリヤは言った。 「情報はなんであれ、自然に広がろうとします。関わる人間は少しづつ増えてきています。誰かが漏らすか、もういくらかは漏れています。手が付けられなくなる前に、獲物を狩って、人々にこの件は終わったと示す必要があります」 リリヤはそういった。 率直に言ったわけではないが、彼女の口ぶりやほのめかしから「いくらか問題のある手段でも許容する」というニュアンスが感じ取れた。 もちろん、そう口に出すわけではない。貴族風の言い方である。 新しい情報と言えば、リクの両親の帰還がさらに遅れる見込みだということだけだった。なんでも、海軍が先駆けじみた行動をとって、将校が人質にとられたという。 おおかた勇者に手柄を独り占めされるのを嫌ったのだろう、と、ゼストリエルは分析した。リクもそんな事だろうと思った。 いずれにせよ。両親が来てなにもかも解決、とはいかないようだ。 犯人は両親が遠征に出ているタイミングを狙ったのだろうか。仮にそうだとしたら、これはおそらく犯人にとっていいニュースになるだろう。 リリヤは用が済むと帰っていった。 ベッドに横になって寝ようというとき、リクは言った。 「……明日、シフさんのところに行くよ」 「そうか。私も行く」 ゼストリエルは答えた。 彼はこれまでテーブルで眠っていたが、ここ数日はリクのベッドの下で眠るようになっていた。だからどうだという話ではないが、お互いにいくらか距離は縮んでいた。 「どうやってもあの犬を借りてくる。それが必要なら」 「そうだな。ほかに手もない」 「それに。シフさんにちゃんと謝ってないし……」 「まあ……確かに」 「それに……」 「なんだ?」 「ゼストリエルが言うよりも、シフさんは人間に近いと思うよ。多分、分かってくれる」 「……だといいが」 しばしの沈黙。 明かりはもう消していた。消えた灯のやに臭いにおいが室内に残っている。 「さっきはなんか、突っかかって悪かったよ」 「ん……」 「もっと、恥をかきたくないとか、そういう理由でウェアウルフのことを隠してるんだと思って。そんな理由ならみんなに知らせた方がいいと」 「気にするな。むしろ。いくらか安心した」 暗闇のせいか、ゼストリエルの口調はいくらか素直だった。 「お前にちゃんと、町の人間を助けてやろうという気概があることがわかったからな。剣の振り方や魔物の殺し方など、私は必要ならいくらでも教えてやれるが、他人のために怒れない者にそれを教える方法を私は知らん」 「ん……」 「そんなわけで安心した。もう寝るぞ」
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CoRuRi
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CoRuRi
2019年9月19日 20時22分
kotoro
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kotoro
2019年12月4日 2時10分
harukary
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harukary
2019年9月19日 22時56分
桑白マー
昼更新!バリ焦る!すごく丁寧な解説で読みやすかった。そして解りやすい。ゼストリエル老とリリヤさんとリク君が気にしてるところの違いがジンワリとグラデーションになってて良いですよね。
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桑白マー
2019年9月19日 13時42分
まくるめ
2019年9月20日 0時38分
世代差と価値観ですね。流行りのあれで言うとリクはカオス・善でゼストリエルはロウ・善でリリヤは中立・中立ぐらいです
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まくるめ
2019年9月20日 0時38分
からあげ
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からあげ
2019年9月20日 5時20分
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