【完結】歪みの旋律~わたしが愛を知るまでのレッスン~

読了目安時間:6分

エピソード:22 / 47

3-7.posato~平静に~

 日曜、珍しく晴れの夕方。理乃(りの)千歳(ちとせ)と札幌駅で待ち合わせをし、そのあとは大通駅まで戻った。札幌の中央にあるショッピングモール数店を巡り、買い物をたっぷりと楽しんだ。  今、理乃たちがいるのはちょっとした隠れ家的なカフェ。千歳は夜に彼氏と夕飯デートをするらしく、軽食は頼まなかった。スイーツと飲み物をそれぞれ注文し、一息つく。 「たくさん買っちゃった……」 「えぇ? 理乃、この程度でへばったわけ?」 「だってもう両手一杯だよ、千歳……服に鞄に、靴でしょ。それから化粧品とか」 「アタシとしてはも少し着飾らせたい気がするけど」 「も、もうお金がね。着回しもできる服を選んでくれただけで、十分」 「そう? まあ、デートもできるコーデにはしてあるからさ。あの講師と上手くやんなさいな」  ティラミスを食べて頬杖をつく千歳が、からかうようににやりと笑った。貞樹(さだき)のことを出されて理乃は照れる。カフェラテを飲んでごまかすも、昨夜されたキスを思い出して頬が紅潮するのを感じた。  カフェラテの柔らかな口当たりが、嫌でも貞樹の唇を連想させる。未だに胸がときめいてやまない。そんな様子を見たのだろう、千歳が楽しげに顔を覗きこんでくる。 「そんな顔赤くしちゃって。何かあったんじゃないの?」 「な、何もないよ」 「宇甘(うかい)ってやつと一線越えたか?」  カフェラテを吹き出しそうになり、理乃は軽く咳き込んだ。勢いよく頭を横に振った。 「じゃあ告白されたとか」 「それは……その、うん……」 「お、いいじゃない。ついに理乃にも恋人できたってことか」 「えっと……わたしは返事、まだ保留してるの」 「なんでよ。いい男だし、他の女にとられたらどうすんの」 「もう少し、もうちょっとだけバイオリンを上手く弾けたら、って考えちゃって」 「なんでそこでバイオリン?」  いぶかしむ千歳に、理乃は自主公演のことを説明した。二人で高難易度のクロイツェルを演奏することを。  理乃にとって、クロイツェルは難関だ。乗り越えなければならない最後の壁。それを弾ききることができた時、初めて貞樹の隣に立てるようになる気がする。 「ふーん。クラシックには詳しくないけど、そんなに難しいんだ、それ」 「うん。貞樹さんと伴奏するなら、上手くなって自信をつけたいの。返事はそれから」 「……生殺しだな、宇甘。せめてキスくらいは許してやんなさいよ」  キス、という単語にまた顔が赤くなるのを自覚した。 「見た感じ、アンタ、キスはしたって感じがする」 「千歳……それ以上言わないで……」  恥ずかしくてうつむき、スコーンを口に運んだ。からかわれてはほんのり甘いということしかわからない。 「ま、アンタらのテンポで上手くやりなよ。尊敬してたってやつとはもう、縁切ったんでしょ?」 「アプリの連絡はブロックしたし……別れも告げたから」 「そっか。なんかあったらすぐに宇甘かアタシらに連絡しなよ」 「ありがとう。大丈夫だと思う」  隆哉(たかや)は姉の代わりとしてすら、自分を見ていないのだから――そんな考えを出すこともなく、薄く微笑む。  それからしばらく会話を弾ませ、十八時過ぎに大通駅で千歳と別れた。千歳は彼氏が迎えに来るらしい。「今度三人で彼氏同士会わせよう」と最後まで軽口を叩かれた。 (まだ貞樹さんとは恋人の関係じゃないんだけど……)  帰路への地下鉄に乗りながら、たくさんの買い物袋を携えつつ思う。確かに口付けはされた。告白も。でも、理乃はまだそれに応えてはいない。千歳が放った「他の女にとられたら」という台詞が胸をちくりと痛ませた。  貞樹の人気は未だ高い。昔のことは聞いてはいないが、彼女だっていただろう。彼の好意にあぐらをかくわけにはいかないのだ。 (……クロイツェル、頑張ろう。池井戸(いけいど)先生にも教えてもらったりできればいいな)  貞樹の隣に並ぶことを決意して、家路を急ぐ。雪は降ってはいない。晴れた夜空に、しかし星は、周囲の明かりでなかなか見ることができなかった。  途中、ドラッグストアに寄る。買うのはレトルトのものではなくきちんとした食材だ。苦手なものと向き合う努力もしたい。そう思わせてくれたのは、貞樹のおかげだろう。  味噌汁くらいは作ろうと、味噌と豆腐を購入した。米はさすがに持てない。  手一杯荷物を持ち、マンションまでようやく辿り着く。  エントランスで足が止まったのは、人影があったからだ。貞樹ではない。隆哉だった。 「……上江(かみえ)さん」  名前を呼ぶ声が、震える。デニムパンツの両ポケットに手を入れ、思案顔をしていた隆哉の瞳が理乃を捕らえた。その視線はどこか弱々しい。 「どういう、つもりだ」  声にも覇気がなく、言われた理乃は戸惑う。アルコールには頼っていないようだが、怒りも自失もない弱めいた姿は、莉茉(りま)の葬儀以来で初めて見た。 「……何がですか」 「宇甘のやつに何か吹き込まれたのか? 俺に会うなとか、構うなだとか」 「わたしが、決めたんです。もう上江さんの面倒を見ないって」 「お前も俺を置いていくんだな。莉茉と同じように」 「言いました。わたしも……誰も、姉さんの代わりにはなれません」  気丈に振る舞いつつ、足が震えるのを堪える。荷物を置き、肩掛けの鞄から鍵を出す。一瞬、隆哉から視線を逸らしたその時だった。 「理乃」  手から鍵が滑り落ちる。呆然と顔を上げた。隆哉は今、名を呼んだ。姉の名前でも他の女性の名でもなく、自分の名を。  明るく、本当の兄のように名を呼んでくれていた昔がフラッシュバックする。小さく(かぶり)を振る理乃に、隆哉は遠慮なく近付いてきた。 「頼む、理乃。俺の側から離れないでくれ」 「な、何を……言ってるんですか」  困惑し、理乃がしゃがんで鍵を拾った直後。うつむきながら立ち上がった刹那。  思い切り隆哉に抱き締められた。冷え切ったシュノーケルコートに顔を押し付けられる。頭の中が真っ白になった。何をされたのかわからなくて。 「お前の優しさがいい。落ち着くんだ……凄く。一人の女としてお前を見てる」  身動ぎすることも許さない、そんな強い力を込めて両腕で抱かれ、熱い吐息と共にささやかれた。切実な声音にしかし、理乃の頭は思考を止めたかのように動かない。 「莉茉の妹だから、じゃない。俺にくれたお前の優しさがもっとほしい。だから」  腕が移動し、両肩を掴まれる。(おもて)を上げれば、泣き出しそうな、しかし真剣な隆哉の顔があった。酒の勢いというわけでも、冗談というわけでもない台詞に、理乃は思わず手で口を覆う。  途端、手首につけていたオードトワレの残り香が鼻をくすぐる。貞樹からもらった、大切な香り。清涼で甘やかな匂いが自我を取り戻させる。 「離して……下さい」 「理乃、俺は」  拒絶の言葉に、隆哉は顔を強張らせた。力が緩んだ瞬間を見逃さない。理乃は両手で隆哉の胸を押し、数歩後退る。  今までだったら、隆哉の言葉を嬉しく思っていたかもしれない。憧れの人からの告白にときめいていただろう。けれど、脳裏に貞樹の笑みが、声が思い浮かぶ。そしてキスの感触すら。 「……もう、来ないで。わたしはきっと、上江さんの期待に応えられないから」  はっきりと言い切った。言ってしまった、と思う。でもそれは、心の底からの本心だ。  理乃の拒絶に隆哉は悔しそうに、苦しそうに面を歪める。唇を噛みしめ、自らの足下を見つめる隆哉へ、理乃は続けて声はかけない。  荷物を持ち、隆哉の横を通り過ぎる。 「俺は……まだ、諦めないからな」  呟く隆哉の声にも振り向かず、緊張で高鳴る胸を押さえながらマンションへと入った。閉まったドアの向こうから、背中へ鋭く熱い視線が注がれている。  角を曲がり、エレベーターに乗った。足がまた震え出す。  一人の女として――優しさがほしい――隆哉の言葉が繰り返し浮かんだ。けれど、心はどこまでも平坦だった。手首を鼻に近付け、そこから立ち上る香りに集中する。  この匂いがもしかしたら、今の自分を護ってくれているのかもしれない。

コメント

もっと見る

コメント投稿

スタンプ投稿


  • ブルーマーメイド

    魚住真琴

    ♡1,000pt 〇10pt 2022年8月6日 0時05分

    香水がめちゃくちゃいい仕事しててグッジョブ

    ※ 注意!このコメントには
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    魚住真琴

    2022年8月6日 0時05分

    ブルーマーメイド
  • キューコ(デンドロ)

    円月 おみ@満月

    2022年8月6日 5時49分

    真琴様、コメントと応援ありがとうございます♪ 香水はこれからももう一回出てくるのでお楽しみに!

    ※ 注意!この返信には
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    円月 おみ@満月

    2022年8月6日 5時49分

    キューコ(デンドロ)
  • サキュバステラ

    都鳥

    ♡1,500pt 2022年8月1日 17時01分

    ううううう、どんだけ調子のいい奴なのだーーー!!! (ノシ´・ω・)ノシバンバン しかし!貞樹の気持ちに応えていいのか悩む気持ちもわかる! 住む世界が違いすぎる気もするしねぇ~……

    ※ 注意!このコメントには
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    都鳥

    2022年8月1日 17時01分

    サキュバステラ
  • キューコ(デンドロ)

    円月 おみ@満月

    2022年8月1日 19時27分

    都鳥さん、ヤツを殴っていいよぉ!!笑 実はこれから色々あるのでゆっくり楽しんで下されば幸いです!

    ※ 注意!この返信には
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    円月 おみ@満月

    2022年8月1日 19時27分

    キューコ(デンドロ)
  • あんでっどさん

    花蓮

    ♡1,500pt 2022年3月7日 20時15分

    うん、それでいいって読んでいて思いました。 隆哉の元には戻らず、このまま貞樹と繋がればいい……って思ったけれど、多分そんなに甘くはないんだよな……と思ったり……

    ※ 注意!このコメントには
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    花蓮

    2022年3月7日 20時15分

    あんでっどさん
  • キューコ(デンドロ)

    円月 おみ@満月

    2022年3月7日 20時45分

    花蓮さん、いつも応援やPTありがとうございます!もうちょっと甘々が続くんですけれど、その後に…ええ…なんかあります!(??? 本当に花蓮さんにはやる気を頂いていてありがたいです。色々ありますが見守って下さると幸いです。

    ※ 注意!この返信には
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    円月 おみ@満月

    2022年3月7日 20時45分

    キューコ(デンドロ)
  • ジト目ノベラ

    行里ゆんや

    ♡1,000pt 2022年4月22日 23時31分

    ※ 注意!このコメントには
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    「神回じゃん!」ほっぺげver.ステラ

    行里ゆんや

    2022年4月22日 23時31分

    ジト目ノベラ
  • キューコ(デンドロ)

    円月 おみ@満月

    2022年4月23日 10時01分

    ※ 注意!この返信には
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    報われました…!

    円月 おみ@満月

    2022年4月23日 10時01分

    キューコ(デンドロ)

同じジャンルの新着・更新作品

もっと見る

  • 気になるあの子はヤンキー(♂)だが、女装するとめっちゃタイプでグイグイくる!!!

    可愛ければなんでもいい! 男の娘でも!

    531,137

    2,462


    2022年11月28日更新

    万年童貞の新宮 琢人(しんぐう たくと)はひょんなことから、通信制の高校に入学。 入学式で出会ったのは琢人のどストライクゾーン、貧乳、金髪、緑の瞳、色白、ハーフの美少女 ……ではなく、ただのヤンキーの男の子。 古賀(こが)ミハイル ミハイルを見つめていたことで、「ガン飛ばした」と因縁をつけられて、彼女いや彼から「なぜだ?」との問いに、琢人は純粋に答えた。 「かわいいとおもったから」 その一言で、琢人とミハイルとの歪んだ出会いがはじまり、琢人との思惑とは裏腹にミハイルからのアプローチがすごい! しかも、女装すると琢人のめっちゃタイプな女の子に大変身! 口調まで琢人好みに変えてくれるという神対応! でも、男装?時は塩対応……。 あ~だから男の娘だとわかっていても、可愛ければいい! 禁断ラブコメディー、ここに開幕!

    • 性的表現あり

    読了目安時間:26時間29分

    この作品を読む

  • 元悪役令嬢とS級冒険者のほのぼの街暮らし

    12/15コミカライズ1巻出ます!

    224,600

    12,150


    2022年11月28日更新

    断罪の日の朝、何の前触れもなく突然ここが乙女ゲームの舞台で自分は悪役令嬢だったことを思い出したアリーシャ。 落ち込んで下を見た瞬間、自らの巨乳の価値に気付いてしまい秒で立ち直った。 断罪は既定路線。ならば一刻も早く家の中での自分の価値を高めなければ……! 新たな価値観を元にようやく自分を認めることが出来たアホ女子が全力で恋愛脳を貫くお話。

    • 残酷描写あり

    読了目安時間:18時間4分

    この作品を読む

読者のおすすめ作品

もっと見る

  • 宗教でスローライフを送ろうと思ったが

    人生初投稿です。

    21,900

    210


    2022年11月26日更新

    大学を卒業し仕事も上手くいかず毎日を適当に過ごしていたが、見かねた親に勘当され、いよいよ当ても無くなった私。 そうだ!宗教に入り込めば衣食住に困らず、しかも暇そうじゃないかとの発想で何とかコネ作りから始めるが……。

    • 性的表現あり

    読了目安時間:40分

    この作品を読む

  • Dual World War

    異世界転移×ロボアクション

    1,011,900

    12,585


    2022年11月23日更新

    もし今日生きる世界が明日に繋がらないとしたら……あなたならどうしますか? 平坦で窮屈な毎日がガラリと様変わりして人知れず悦びます? あるいは、充実した日々を何の脈絡もなく奪われて涙します? この青年、ごく普通の高校生:水奈 亮(17)は現在まさにそんな状況下に置かれている。 『昨日』と同じような『今日』を過ごし、『今日』に似た『明日』を迎える、そう信じていたのに…… ◇◇◇ 『昨日』に通じるようで通じない世界。突如襲来した謎の存在:外来生物により既存の秩序・規則が崩壊し、人類は新たなる国家・制度・価値観のもとに生まれ変わろうとしていた。それは日本とて例外ではなく、実質的な首都:東京と人口の約60%という尊い犠牲を払いつつも、新たなる首都:神奈川県新都小田原のもとで立ち直りをみせていた。 しかし、そんな日々をまたしても危機が襲う。5年前に世界の理を強制的に変えた存在、外来生物が首都近くの海域:日本のEEZ域内に侵入したのだ。 突然の出来事。『昨日』とは全く異なる状況から逃れることも戸惑うことすらも許されず、ごく普通の高校生は『昨日』とは少し違う親友と全く異なる幼馴染らとともに、迫り狂う『滅亡の再来』に対し特殊装甲ARMAで挑む! それが人類に与えられた【最後の希望】だと告げられて…… ◇◇◇ 現代世界に似た世界を舞台にしたSF長編作品。異世界転移を基本ベースにしつつ、ロボットアクションに、政治的な駆け引きに、早熟で未熟な恋愛劇にと、自身が好きな要素を「これでもか!」と加えています。登場人物が割と多めですが、主役・準主役以外にもスポットライトは当てるつもり。毎回いろんなことを調べながら記しているので更新は週1程度ですが、どうぞ最後までお付き合いませ♪ 【ジャンル別ランキング日間1位獲得】(2022.11.02) 【ジャンル別ランキング週間1位獲得】(2022.10.08) 【ジャンル別ランキング月間1位獲得】(2022.10.15) 【ジャンル別ランキング年間4位獲得】(2022.11.02) 【総合ランキング日間1位獲得】(2022.09.28) 【総応援数1,300件到達】(2022.10.28) ※日頃よりのご支援・ご愛顧ありがとうございます(*'ω'*) ※表紙イラストは伊勢周様作(掲載許可取得済)(2022.10.29)

    • 残酷描写あり
    • 暴力描写あり
    • 性的表現あり

    読了目安時間:5時間39分

    この作品を読む