【完結】歪みの旋律~わたしが愛を知るまでのレッスン~

読了目安時間:7分

エピソード:21 / 47

3-6.arditezza~大胆~

「あ、さだ。瀬良(せら)さん」  曇った心をどうしようかと悩んでいた時、葉留(はる)の声がして顔を上げた。 「どうしました。忘れ物ですか」 「違うってば。どっかの誰かさんが、まともに事務作業してないから仕事が溜まったの」 「お、お疲れ様です。池井戸(いけいど)先生」 「ホント、疲れてるわよ。……今日もレッスン?」 「ええ」  別室から出てきた葉留と共に、三人で受付へと赴く。その最中、葉留があからさまに目をすがめてきて理乃(りの)は少し、どきりとした。  葉留に直接指摘され、逃げた日のことをまだ謝ってない。そのことに気付いた。 「ねっ、さだ。お茶入れてよ。疲れちゃったんだから。もらった紅茶あるでしょ」 「これから帰るつもりだったんですが」 「労いもないわけ? いいじゃない少しくらい。一人で事務すんの、結構つまんないんだから。あたしは紅茶と菓子を所望する」 「……仕方ありませんね。理乃、葉留と一緒に待っていて下さい」  理乃は貞樹(さだき)の溜息に頷いた。受付の椅子に座る。葉留もまた、理乃の対面に腰かけた。貞樹は別の部屋へと入っていく。  ピアノの音も流れていない空間で、二人無言になる。 「謝らないからね、あたし」  しばらくして静寂を破ったのは、葉留の方だった。 「あの日のこと。さだには怒られたけど、本当のことを言ったまでだから」  そっぽを向いて、子どものように()ねた顔で言うものだから、理乃は小さく頭を振る。 「いえ、本当のことだったんです。だから、池井戸先生は謝らなくていいんです。わたしの方こそ、逃げるような真似をしてごめんなさい」 「……ふぅん。随分素直なんだね。でも、どっか吹っ切れた様子だけど」 「宇甘(うかい)先生のおかげで。少しは楽になれた気がします」 「なるほどね。ところでさ、瀬良さんってあの、瀬良莉茉(りま)さんの肉親なの?」  浮かべている微笑みが刹那、強張った気がした。しかし隠す意味もなく、頷く。 「莉茉は双子の姉なんです。もう、姉は亡くなってますけど」 「ミュンヘンのコンクールで見たの、あっちか。バッハの『シャコンヌ』だっけ、弾いたの。あれは凄かったね。亡くなってるって事故かなんか?」 「病気で……本当に姉は凄い人でした」 「あー……もしかして、瀬良さん、今までお姉さんと比べられてきた?」  遠慮のない物言いに苦笑した。両親は何も言わなかったが、隆哉(たかや)や周囲からは比較された覚えがある。苦笑いを返答と見たのだろう、葉留が腕を組んで納得したかのような顔を作った。 「天才を身近に持つと辛いよね。あたしもさだと比べられたりしたもん」 「池井戸先生は、宇甘先生の妹さん……でしたよね。やっぱりそうなんですね」 「なんだ、妹だってバレちゃったか。そ。小さい時からさだにばっか注目行ってさ」 「……ピアノを嫌いになったこと、ありませんか?」 「そりゃあるよ。さだが側にいたからね。あたしなんて弾く意味ないって思ってた」  理乃の問いに、葉留はうんざりした様子で肩をすくめる。 「でも結局今もピアノ弾いてる。好きだからね、なんせ。好きに勝るものはないよ」 「宇甘先生は前に言ってました……天才なんて周りが決めるものでしかないって」 「うっわ、嫌味。それ、さだが言うかって感じだわ。まあ、そうなのかもしれないけど。我々凡人は正しく努力することでしか追いつけないわ」 「宇甘先生も似たようなことを言ってました、それ」 「随分と話が弾んでいるようですね」  トレーに三人分の紅茶とチョコレートを載せた貞樹が、丁度よく戻ってくる。 「どうぞ。あなた所望のお茶と菓子ですよ」 「モテる兄を持つと茶菓子に困らなくていいわ。まだ差し入れ攻撃続いてるからね」 「生物(なまもの)は家に持ち帰って下さい。私は理乃からの贈り物しか受け取りません」 「はいはい。お熱いことで」 「理乃もどうぞ。甘いものは好きでしょう」 「あ、ありがとうございます……」  言われて、理乃も遠慮がちに色とりどりの包みを数個、手にする。チョコレートボックスへ無造作に手を突っ込んだのは葉留だ。十個くらい一気に取り出した。  貞樹が理乃の隣に座り、紅茶を飲み始める。肩が触れ合うほどに近くて、理乃の胸が高鳴った。照れ臭さを隠すようにチョコを口に運ぶ。ミルクの味がして美味しい。 「一体なんの話をしていたのですか?」 「天才は嫌味だってことですー」 「葉留。昔から話しているでしょう。天才だって重圧があるのです。むやみやたらに天才と言わないでいただきたいものですね」 「自分で天才だって認めてるじゃん、それ。嫌よね、瀬良さん」 「え、えっと」 「瀬良さんとは仲良くなれそうな気がするわ。お互いに比べられた身同士として」 「おや、理乃もそうだったのですか?」 「わたしは……昔、陰で色々言われてましたけど……」  隆哉に比べられたことは口に出せず、曖昧にごまかす。 「でも、今は少しだけ、バイオリンを弾く自分を好きになれてる……気がします」  姉までには至らないが、自分の音色を好きになっていけそうに思った。思いを込めてささやくと、貞樹がふんわりとした優しい笑みを向けてくる。 「理乃、これからも一緒に頑張りましょう」 「は、はい。精一杯、やります」 「初々しいわよね、全く。さだもデレデレしちゃってさ。こんなさだ、見たことないわ」 「なんとでも。理乃は私の特別ですから」 「瀬良さん、束縛が強くなり始めたらあたしに言って。代わりに殴ってやる」 「け、喧嘩はだめですよ? それに宇甘先生、優しいから大丈夫です」 「猫被ってるだけだって。まっ、嫌気が差したらあたしに相談でもしてちょうだい」  チョコを三個も一度に頬張りつつ、葉留はにやりと唇を釣り上げる。貞樹は何も言わない。紅茶を飲み干し、コートを持って立ち上がる。 「さて、事務仕事はありがたい妹の厚意に甘えて。そろそろ帰りましょうか、理乃」 「でも……池井戸先生お一人でやらせるのは……」 「あ、いいよ、あたしは別に。それに夫があとで迎えに来るから」 「そう、ですか……?」 「給料上乗せしてもらうから平気。じゃあね、瀬良さん。さだ、しっかり送ってやって」 「あなたに言われずともわかっていますよ。さあ、理乃」 「わかりました。それじゃあ池井戸先生、また今度」  二人にうながされ、悪いなと思いつつ理乃はコートを羽織る。チョコを貪る葉留に一礼し、貞樹に肩を抱かれながら教室を出た。  外はちらちらと雪が降っている。吐く息が白い。駐車場に向かう最中、いつものように手を繋がれた。長くて細い指は毎度のように冷たいが、それを心地良いと思う自分がいる。  車に乗り、シートベルトを締めた。同じようにした貞樹が車を運転する。 「食事はどうしますか?」 「さ、最近食べ過ぎてますから……今日は遠慮します」 「それは残念。私はあなたが痩せていても太っていても、一向に構わないのですが」 「わたしが気にします……」  本当に最近、美味しいものばかり食べている。体重が心配だ。貞樹の言葉は嬉しいが、少し肉付きがよくなってしまった気がして軽く、唸る。微かに貞樹が笑った気がした。  車通りは落ちつき始め、理乃のマンションへとすぐに着く。マンション前で停車させた貞樹が、理乃を見て口を開いた。 「明日は会えませんね。代わりに連絡を入れてもよろしいでしょうか」 「それは、はい。わたしも連絡しますね」 「夜に電話します。……ああ、そうだ」 「なんでしょう?」 「贈り物のお返し、前借りしてもいいですか」 「前借り……?」  小首を傾げた理乃に対し、貞樹はシートベルトを解いて体を身動ぎさせる。  いつものチークキスだろうか、と理乃が縮こまった瞬間、貞樹の顔がやはり近付いた。だが、チークキスではない。頬に直接、唇を押し付けられた。薄い唇の感触に、ぴくりと体がうごめく。  頬に何度も直接キスをされ、吐息が耳元をくすぐる感触は堪えがたい何かを(はら)んでいる。体が火照る。顔が赤くなっているのが、明かりでわかってしまうかもしれない。 「……理乃」  優しい声音に、うつむかせていた顔をおずおずと上げた。シートを軋ませ、貞樹が両手で頬を挟んでくる。あ、と思った瞬間だった。  唇を柔らかく、そっと奪われた。唇同士が触れ合う感覚に脳髄が痺れる。自然と、ゆっくり瞼が下りた。理乃が感じる初めての大人のキスは甘く、それでいて強烈だ。  どのくらいの時間が経ったのかわからない。しばらく無言で、ただされるがまま口付けを受け入れる。蕩けて脱力した理乃に気付いたのか、貞樹が静かに顔を離した。 「……貞樹、さん」 「すみません。堪えきれなかったもので。お休みなさい、理乃」 「……お、お休みなさい」  理乃の全身は心臓になったかのように脈打っていた。唇を奪われたことに嫌悪はなく、むしろ気分が高揚してくる。脱力した体に力を込め、なんとか車から降りる。 「それではまた。いい夢を」 「はい……」  にこやかに、どこか満足した様子で車を走らせて去っていく貞樹を見送りながら、唇へ指を当てた。  寒いはずの外、そこだけが妙に火照っている。

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