【完結】歪みの旋律~わたしが愛を知るまでのレッスン~

読了目安時間:8分

エピソード:16 / 47

第三幕 激情の旋律

3-1.paventoso~怯えて~

「最近瀬良(せら)ちゃんおかしいねぇ。なんか変だねぇ」 「え……そ、そう?」 「いや、アタシが見ててもなんか違うから、絶対に理乃(りの)、アンタ変だよ」  アイリッシュパブの二階――友人の瑤子(ようこ)千歳(ちとせ)に挟まれて、理乃はただただ縮こまる。ケルト音楽と談笑が響くこの店は、瑤子の彼氏がバーテンダーとして勤めている場所だ。  紺色のパンツに包まれた足を組み、自身のショートボブを掻く千歳が目をすがめた。 「アンタ、少し明るくなった気がする。何あったのよ。ゲロれ」 「な、何もないよ……?」 「あっ、バイオリン上手く弾けるようになったとかかな?」  瑤子の言葉に理乃は何度も頷いた。だが、千歳は眉を(ひそ)めたまま顔を近付けてくる。 「怪しい。それならそうだって言うじゃん。答えないとこがますます、怪しい」 「そ、れは……その」 「宇甘(うかい)さんと何かあったのかな? もしかして、いい仲になってるとか」  戸惑う理乃に容赦ない単語がぶつかった。思い切り、首を何度も横に振る。しかし心臓が勝手に脈打ち、頬が熱くなるのがわかってしまう。はーん、と千歳が声を上げた。 「バイオリン講師と何かあったね、こりゃ。瑤子、その宇甘って男はどんなやつよ」 「この人。カッコよくない? 瀬良ちゃんにお似合いのインテリさんだねえ」  瑤子は、理乃にも千歳にもわかるように、スマートフォンでwebサイトを見せてきた。微笑みもしない貞樹の顔がアップにされており、理乃は思わず画面から顔を避けるようにカクテルを口に運んだ。 「おー、いい男。これが理乃の恋人か」 「ち、違うの。貞樹(さだき)さんとは何も……あっ」  慌てて唇を開けば、自爆した。もはや癖となってしまった名前呼びで否定してしまい、口を(つぐ)むがもう遅い。 「ほほう、聞きましたかちーちゃん。これはまさしくですねぇ」 「聞きましたよ瑤子さん。いつの間に恋人作ったの、理乃。隠すなんて真似しちゃって」 「だから……違うの、誤解なの……」 「名前呼びして顔真っ赤にして、どこの何が誤解なのよ、アンタ」  うう、と小さく呻き、千歳からの追求に理乃は冷たいグラスを握った。  初めて貞樹と頬を擦り合わせた、あの日。その夜からすでに三週間が経過している。季節は冬。十二月に入っても貞樹とは変わらず、ほぼ毎日連絡アプリでやり取りしたり、休日は食事などを一緒にしていた。  最初の頃は意識し過ぎたためか、貞樹のことをろくに見ることができなかった。だが、頬を擦り寄せてくるのは個人レッスンの帰りと、デートの帰りの時だけ。恋人のふりをする約束の日にはしてこない。手はしょっちゅう握られるけれど。  貞樹のことを思い出すつど、顔が熱くなる。にやにやと千歳が笑った。 「で? どっちから告白したのよ」 「あのね、千歳……誤解なの。そういう仲じゃないの……」 「じゃあどんな仲なのよ?」  理乃は困って瑤子の方を見たが、無駄だった。瑤子も目を輝かせてこちらを見ている。 「……実は……」  仕方ない、と腹をくくる。期待の視線に耐えかねて、恋人のふり、を含めた貞樹との契約などを二人に話した。 「えーっ。何それ、ふりって、要は虫除けに使われてるだけ?」 「そ、そうだと思う。だから本当に、何もないの」 「でもでも、手を握ったりされてるんでしょ? それでふりだけって言うの、無理あるよ」 「さだ……宇甘さんは本当に人気だから、女性に。やむを得ないことって言うのかな」 「マーキング」  ぽつりとささやかれた千歳の声に、思わず右を見る。千歳が一人頷いていた。 「マーキングされてるわ、それ」 「マーキング……?」 「どういう意味、ちーちゃん」 「その名の通りだってば。理乃、アンタ鈍感だから多分気付いてないかもしれないけど、そいつ……宇甘ってやつ、女性除けって言っときながら、逆にアンタの男性除けしてる」  千歳の発言に、理乃はぽかんとした。けれど、とまたもや首を横に振る。 「そんなの、違う。宇甘さんは外国育ちだから……スキンシップが激しいだけだと思うの」 「ほっぺたのはビズ、だね」 「ビズ……?」 「頬と頬を合わせた、ってさっき言ったでしょ? そうして空中でキスの音だけをさせることをフランスではビズって言うのよ。講師の男、どこ育ち?」 「ドイツって聞いてるけど……」 「はい、特別な感情抱かれてること決定。チークキスとも呼ぶけど、ビズは。ドイツじゃ確か久しぶりに会う親戚とか、やる人は限られてるから」 「詳しいね、千歳……」 「こういうのは彼氏からの受け売りだけどさ。でも、生まれや育ちがどうであれ、アンタ以外でその、宇甘? ってやつが女性にそういうことしてる?」 「して、ない……と思う……」  葉留(はる)のことや他の生徒たちを思い浮かべてみる。貞樹は彼女たちにハグも許していない。せいぜい握手だけだ。理乃が見ている限りだけのことだが。 「考えてみればここは日本だよね。いくら生まれがドイツだっていっても、好意を持たない相手にそんな真似、するかなぁ?」 「よくぞ言った、瑤子よ。それなのよ。少なくともただの女除けに使われてる、なんて思っちゃいけないからね、理乃」 「でもわたし……宇甘さんのことを覚えてないの。覚えてませんかって聞かれたけど」  だから、と小声で付け加えれば、千歳が大げさに溜息をついて体勢を崩す。三人掛けのソファが軋んだ。 「半端ない記憶力の持ち主が、どうして何かを忘れてるかなんて考えればわかるでしょ」 「え?」 「……あ! 二年前っ」  声を上げたのは、理乃ではなく瑤子だった。これまた呆ける理乃へ、アヒージョのエビを一口食べた瑤子が神妙な面持ちを作る。 「瀬良ちゃんが少し変わったの、二年前からだよ。もしかしたらその時期に、宇甘さんと出会ってるのかもしれないよ」 「あ……」  姉である莉茉(りま)の死、隆哉(たかや)との過ち、それ以外の二年前の記憶は朝露みたく儚い。両親が消沈しきっていたことくらいは思い出せるが、莉茉の葬儀すらあやふやだ。莉茉が死んだ当日、家族で行ったコンサートの演目すら覚えていない。 「まあ、一目惚れされたのかもしんないけどね。で?」 「で……って、何……?」 「理乃はどう思ってんの。一緒に食事したりするってことは、別に嫌いじゃないんでしょ」 「き、嫌いな人にレッスンをお願いしたりしないわ」 「じゃあ、好きなのね?」 「好き……」  千歳と瑤子に聞かれ、理乃は悩む。黒いテーブルにコップを置いた。  確かに貞樹は優しい。優しくて、紳士的で、一緒にいると落ち着く。胸も高鳴ることがある。ピアノの弾き方も好きな分類だ。厳しい(おもて)からは想像できないほど、複雑な情感を込めたメロディに卓越した技術。聴いていると心がほぐされていく自覚もあった。  だが、ピアノを弾く貞樹に隆哉を思い浮かべる自分は不埒(ふらち)に過ぎて、自嘲する。 「……凄くて、いい人だと思う」 「なんでそこでいい人止まり? ビズまでされてその心意気に応えようとは思わんのか」 「わたしなんかじゃ、宇甘さんとは釣り合わないもの」 「瑤子さーん。この鈍感内気娘、どうにかなりませんかねー」 「まあまあ、ちーちゃん。瀬良ちゃんには瀬良ちゃんのテンポがあるんだよ」 「そりゃそうだけど。何、理乃、他にいい男がいるとか?」  心底呆れた顔を作る千歳に、理乃はただ曖昧に笑う。隆哉のことを話す勇気がまだない。 「はーん。その顔、他に気になるやつがいるな」 「そ、そんなことない」 「この千歳様を舐めるなよ。なんか悩みがあるって顔は昔からしてたけどさ。それが酷くなった気がする。今のうちにゲロれ。楽になるから」 「ウチら話くらいは聞けるよ、瀬良ちゃん」  二人の言葉が優しい。理乃は思わず瞳が潤みそうになって、軽く目を拭う。本当に、人に恵まれていることを実感して。少し間を置き、震える唇から言葉を滑らせた。 「……実は、尊敬してる人がいるの。バイオリンをまた始めたのも、その人にピアノを弾いてほしいから」 「そうなのね。ピアニストなんだ、その尊敬してる人って」 「うん……宇甘さんを利用してる身分だもの。だから好きとか、考えられなくて」 「理乃。尊敬と恋は違う」 「え……?」 「その尊敬してる人が誰だかアタシは知らん。でもさ、愛とか恋ってのはもっと、こう、女を輝かせるものなんだよ。今喋ったアンタは、辛そうな顔ばかりして輝いてない」  千歳はカクテルを飲み干すと、真剣な眼差しで理乃を見つめる。 「無償の愛だとかは考えなくてもいいよ、この際。一緒にいて楽しいのはどっち? 自分らしく振る舞えるのはどっちなのよ」 「それは」  貞樹だ、と理乃は直感で思ってしまう。笑顔が自然と浮かぶ相手。こちらを見守るような眼差しを思い出せば、自然と照れる自分がいる。冷えた手から感じる温もりに、どこか安堵している事実にようやく気付いた。 「恋、しちゃった? わ、わたし、恋してるの?」  隆哉を置いて、出会ったばかりの貞樹に心を奪われていることへ愕然(がくぜん)とし、慌てる。 「ようやく気付けたのか鈍感娘。あとは素直になるだけだね」 「恋……」  満足げな千歳の様子に、理乃はそれでも呆けるだけだ。  二年以上の付き合いがある隆哉を置き去りに、一人先へ歩き出そうとしている。それは裏切りではないのか。莉茉と隆哉、二人を置いて歩き出そうとしてもいいのだろうか。 (違う、これは恋じゃない……)  しかし頑なな自分が顔を覗かせ、思いを封じこめるような内心の声が響く。 (貞樹さんを利用しているだけ、恋人のふりなだけ)  胸が苦しくなって嘆息した。「理乃」と自分を呼ぶ貞樹の声を思い返し、混乱する。その柔らかなアルトが、どうしようもなくかけがえのないもののように感じて。  それがどこか恐ろしく、思えた。

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