【完結】歪みの旋律~わたしが愛を知るまでのレッスン~

読了目安時間:7分

エピソード:17 / 47

3-2.rabbia~怒り~

 金曜日。勤務の最中、昨夜過分にとったアルコールが頭痛となって理乃(りの)(さいな)む。普段は滅多にここまで飲まないのだが、半ばやけでカクテルを注文し続けたのがまずかった。  頭痛を抑える薬を服用して楽になれば、今度は貞樹(さだき)への気持ちが膨らんで胸が苦しい。今日は約束の日だ。教室に行かねばならない。 (……恋)  パソコンと睨み合いながら、思い浮かぶ単語を振り払うように仕事へ集中した。上手くいかない。どうしても貞樹の声や手の感触、そして微笑みが頭から離れなかった。 (わたしが恋なんてしちゃいけない……)  素直になるだけ、と千歳(ちとせ)は言った。でも、思いを自覚すればするほど意固地な自分が顔を覗かせる。特に今月――十二月は莉茉(りま)の命日がある月だ。同月の誕生日前に急死した姉を思えば、自然と隆哉(たかや)のことも脳裏を(かす)める。 (上江(かみえ)さんを助けるため始めたことなのに)  嘆息し、窓の外を見る。雪が本格的に降り始めていた。白い粒を見るたび、苦しさだけが心の底に沈殿していく気になる。気持ちは鬱屈していくばかりだ。  幸い、仕事は今のところ急ぎのものはない。明日は休みだが、久しぶりに休日出勤をしてもいいだろう。  昼過ぎに上司へ頼み、早退扱いにしてもらった。重い足取りで冬用の黒いコートを羽織り、鞄を持って会社から出る。足枷をはめられたかのように、歩みが遅いと自分で思う。  教室が終わるまでまだ時間はあった。本屋にでも向かおうかとも考えたが、どうにもそういう気になれず、適当な店で昼食をとる。時間を潰し、教室へ行くことに決めた。  いつものコースを辿り、教室につくと受付には葉留(はる)がいた。 「あらっ、瀬良(せら)さん。こんにちは、今日は早いのね」 「こんにちは、池井戸(いけいど)先生。はい……ちょっと。待たせてもらっても大丈夫でしょうか」 「どうぞー。さだは今レッスン中よ。終わるまでまだ時間があるから、大分待つけど」 「いいです、それでも。椅子、借りますね」  頷かれ、隅っこの席へ腰かけた。鞄から翻訳された海外小説を取り出す。貞樹から借りたミステリー小説だ。理乃は普段、あまりミステリーなどは読まないのだが、ドラマ化された原作ということもあり、スムーズに読み進めることができている。  数ページ読んで本の世界へ没頭し始めた時、目の前のテーブルにクッキーとお茶が置かれた。顔を上げると、なぜか正面に葉留が座っている。 「瀬良さん。少し話しましょうよ」 「なんの話でしょうか……?」 「そりゃーもう、決まってるじゃない。あなたとさだの話よ。さだのやつ、いつの間にか恋人なんて作ってるんだもん。びっくりしちゃって」 「そ、そうですか」  頬杖をつき、笑顔を浮かべる葉留に理乃は気圧される。親しげな名前呼びを許す間柄、そこが少し気になった。 「池井戸先生と……貞樹さんは、長いお付き合いがあるんですか?」 「長い長い。嫌って言うくらいの長さよ。ねっ、二人はどこで出会ったの?」 「コ、コンサートホールです……半年前に」 「なるほどねー。さだのやつ、こんな可愛い子捕まえておきながら、あたしには内緒にしてたか」  可愛い、と言われて困惑しながらお茶を飲む。温かいほうじ茶だ。その間にも葉留はクッキーを頬張っている。 「瀬良さんはさだに個人レッスン受けてるんだよね? 来年の自主公演には出るの? あたしは伴奏で出るけど」 「ま、まだ悩み中です」 「クロイツェルでしょ、目玉の演目。さだがそれを担当するから、瀬良さんがバイオリンを弾くって聞いてはいたけど。なんだ、悩み中なのか」 「難易度が高い曲ですし……ちょっと勇気が足りなくて」 「さだのことだ、無理やり出させるよ。絶対。あいつはそういう男だ」  一人首肯する葉留を見て、理乃の胸に暗雲が立ちこめる。曲についてではなく、なぜか貞樹の全てを知っているような物言いに。つきん、と心臓が痛む気がした。 (二人はどういう関係なのかな……)  疑問を解消するには、あまりに自分は宙ぶらりんの状態だった。貞樹に告白されたわけでもなく、こちらが貞樹に抱いている感情もあやふやで。そんな中で問い質すこともできない。 「そうだ、瀬良さん。よければあなたの演奏聴きたいんだけど、どうかな」 「わ、わたしの演奏をですか?」  我に返したのは、唐突なまでの葉留の提案だった。突然の言葉に理乃は目を丸くした。 「うん。あたしが伴奏するから。さだが見定めたっていうくらいだもん。どんな感じで曲を弾くのか知りたくてね」 「でもわたし……まだリハビリ中ですし」 「曲は瀬良さんに合わせるから。ねっ、お願いっ」  懇願に逡巡(しゅんじゅん)する。両手を合わせて頼まれてしまえば、押しに弱い理乃には拒むことはできない。小さく頷いて返事に代えた。 「やった。今日、バイオリンは貸すから。空いてるもう一室に行こう」 「あの、本当に期待しないで下さい……」  小さく呟くも、葉留は聞いていないようだ。颯爽と立ち上がって理乃を手招くものだから、荷物を持って後に続く。  いつもとは違う防音室に通され、理乃は嘆息しながらコートを脱いで葉留を待った。バイオリンを持ってやって来た彼女は、どこか機嫌がいい。 「はいこれ。いつもとは使い勝手が違うだろうけど。曲は何がいい? 今ある楽譜は……」  バイオリンを渡され、いくつかの曲名を口に出された。どれもアップテンポ、明るめの曲だ。貞樹に言われた言葉を思い出せば、情熱的な演奏を弾くのはまだ早いかもしれない。  哀しく、うら寂しい曲――と記憶をまさぐる。すぐに見つかった。 「スメタナの『わが祖国』第二曲……モルダウはだめですか」 「え? いや、いいけど。ゆっくり弾いてもいい?」 「はい、大丈夫です」 「オッケ、わかった。楽譜あるから、その間にバイオリンの準備してて」  大量の楽譜を持ってまた出ていく葉留を見送り、理乃はバイオリンケースを開けた。  スメタナの曲の中で最も有名なのが、このモルダウだ。日本でも様々なCMで使われているし、合唱で耳にすることも多い。雄大な川の流れや幻想的さを連想させるこの曲は、頭に浮かんだ楽曲の中で、ある程度自分が弾けるくらいだと見越した。 「あったあった。交響曲のだから奥に置かれてた。ミスったら許してね」  言いつつ帰ってきた葉留は、先程までと雰囲気が異なる。明朗さは変わらないが、より覇気に満ち溢れていた。メトロノームや楽譜をセットしていく葉留を横目に、理乃もバイオリンを構える。テンポが原曲より少し遅いが、リハビリ中の身にとってはありがたい。 「じゃ、始めるよ。よろしく」  小さく頷く。ピアノの独奏が始まった。最初は静かに、そして次第に盛り上がっていく瞬間を聞き逃さない。タイミングよく弓を引く。手と体は上手くついてきてくれた。  広大な川、自然、妖精たちの踊り――今、イメージできる最大限の熱量を曲に乗せる。急がずに、森や渓流、昔動画で見たチェコの映像を想起しながら。  だが、タン、とピアノの音が唐突に途切れた。止まるのが遅れて、少し長引かせてしまう。葉留の音は間違ってはいない。自分も間違いなく弾けていたはずだ。どうしたのかと思い、バイオリンを降ろして葉留を見た。 「あ、あの……」 「……んー」  葉留は難しそうな顔で楽譜を睨んだのち、理乃の方に向き直る。その(おもて)は渋い。 「楽しくなさそうだね、なんか」 「え……」 「悲しみだけが強調されてるよね。モルダウの解説読んだりしたことある?」 「あ、ありますけど」 「じゃ、今の部分は哀愁じゃなくて「これから先の希望」を見据えた音にならないかな」 「……ごめんなさい」 「なんだろうね、瀬良さん。失礼だけど」  しょげてしまう理乃に、葉留は眉を寄せて言い放つ。 「瀬良さんて、本当にバイオリンが好きなの?」  鋼のような一言だった。鋼で作られた言葉の剣。それは冷たさを帯びて理乃の心を穿つ。思わず息を飲んで、しかし衝撃のあまり口から何も出てこない。全身から血の気が引く。 「こういうのもあれだけど、ここにないね、心。さだに言われてない?」  歯に衣着せぬ物言いは続く。そう、自分の心はここにない。そうだというのに、貞樹にバイオリンを習うなんて失礼ではないのか。不誠実極まりないのではないか。考えれば考えるほど、自分の顔から表情が消えるのがわかった。  何も言わずその場に腰を落とし、ケースにバイオリンを入れる。慌てたように葉留が立ち上がったが、そんなことどうでもよかった。 「瀬良さん、あのね」 「わたし、失礼します。今日と明日は会えないと貞樹さんに伝えて下さい」 「えっ。いや、それはさだに怒られるって、あたしが」  空洞な心のまま、バイオリンを片付け荷物を持った。コートも着ず、ベージュのフレアスカートをなびかせて、防音室から逃げるように飛び出る。 「理乃?」  駆け出したとき、貞樹の声が後ろから聞こえた。理乃は返答も振り返ることもせず、そのまま駆け足で教室を飛び出し、少し暗くなった外の歩道を走り続ける。  葉留の言葉に言い返せないことが悔しかった。悔しいと思う自分に、そんな感情はどこで眠っていたのかと内心、自嘲する。無力ならば、精一杯努力して見返せばいいだけだというのに。  それすら今はできそうになく、自分の弱さに無性に腹が立った。

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