【短編版】クリミナーレ ~そして、少年は少女を殺す~

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始まり

 町から少し離れた場所に大きな森がある。  高い木々が生い茂るその森は、奇妙な生物の鳴き声が昼夜問わず聞こえることから、近づこうとする者は誰もいない異質な場所だった。  そんな森の奥深くに静かに佇む大きな屋敷。  そこに、彼……黒野翡翠(くろのひすい)が誰にも悟られることなく忍び込もうとしていたのは、受けた依頼を完遂するためだった。  家の周囲を巡回中の見張りにばれないように、彼は木の死角を利用して身を隠しながら、依頼主に渡された1枚の写真を内ポケットから取り出した。 「…………」  一瞬だけ届いた月明かりを利用して、写真の人物を再び目に焼き付けて、写真を内ポケットに戻す。  それから、自身の存在に気づいていない見張りが目の前を通り過ぎ、その場を離れたことを確認すると、身を隠していた木の陰から飛び出し、近くにあった小窓から屋敷の中へと侵入した。  室内に入り、人の気配がないことを確認すると、翡翠は辺りを見渡して自身がどこにいるのか、大体の目星をつける。  飾られた絵画  天井につるされたシャンデリア  複数人が座れるソファーが2脚  恐らく、ここは屋敷へ訪問してきた客をもてなすために用意された部屋……客間といったところだろう。  ある程度の目星を立てたところで、今度は頭に詰め込んでおいた屋敷の地図を利用して現在地と事前に予測していた標的との位置まで最短コースを計算する。  それから、最適と判断したコースに、今回の依頼を成功させるための必要不可欠な情報を組み合わせた。  時間にして数秒。  結果として得た答えを再度、頭の中で確認して【最適である】と最終判断を下す。  そして、立ち上がり正面へと歩みを進め、右手で扉のノブを握った。 『カチャリ』  できるだけ静かに開けたドアから廊下へと少しだけ顔を出し、辺りに人影が無いことを確認する。 「誰もいないな」  確認後、身を部屋の外へと出し、音が響かないようにそっと扉を元の位置に戻した。  再び、『カチャリ』と小さな音を立てて閉まる。  と、同時に翡翠の足は予定した通りの方向へと向けられていた。  足を忍ばせて廊下を進み、階段へと続く曲がり角で彼は急に足を止める。  それから、壁伝いに身を隠した。 「……予想通り、と言ったところだな」  隠れた場所から顔をゆっくりと少しだけ出して、翡翠は階段方向へと視線を向ける。  それから、先ほど足を止める理由となった、人の気配を順に数えていく。  廊下の先に現れる広い空間、そこの階段付近に見張りが2人  その2人の死角をフォローするための射撃手が両側の窓枠付近に2人  4人が万が一に超えられた際の襲撃役として、身を隠している人員が1人  最後に標的がいる部屋の前に……恐らくは、今回の依頼で1番に厄介な男が1人、の計6人  敵の数をしっかりと把握して、次に腰に忍ばせておいた【睡眠薬の塗り込まれた針】を全て手に取って、数を確認する。 「全部で5本か」  依頼用に用意しておいた物が少なすぎたと後悔して、「依頼の中に『大ごとにしないため、人を殺すな』なんて条件が無ければ……」と少し嘆く。  が、そんなことを考えても状況がよくなることはないわけで……翡翠は短く息を吐くと思考を戻す。  それから、数を確認し終えた針を元の位置に戻し、状況と自身がとれる最善の策をすぐに模索する。  多くはない思考時間。  翡翠はそこから一つの答えを見つけ出し、あまり時間をかけたくない気持ちから、すぐに策を実行することを決めた。  闇夜に溶け込むように、彼は姿勢を低くして、隠れていた場所から飛び出す。  そして、先ほど閉まった針を1本ずつ両手に持つと、窓枠付近に身を置く2人の陰めがけてそれを投げた。「うわっ」と小さな声が漏れ、階段付近を陣取る2人の男が視線を向ける。 「なんだ?」  男達の驚きが広い空間に響いた時、「悪いな」と小さくつぶやいて、翡翠は2人の首元にそっと針を差し込んだ。  一瞬の出来事に抵抗すらできないまま、彼らは力の抜けた膝を折り、そのままゆっくりと床に倒れこむ。  と、同時に2人を利用して作られた死角から、用意していた最後の1本を隠れるもう1人に投げつけ、翡翠はその場を制圧した。  そして、何事もなかったかのように、再び歩みを進める。  1番に厄介だと言える男が待つ、その先へ……    進む足が次に止まったのは、階段を上がり終えてすぐの事。  耳に届いた男の声と、彼の姿を視界にとらえた時だった。 「お前、中々に面白いことをやってくれたものだな」 「面白いこと?」  優しそうな見た目とは裏腹に、長年戦い続けてきたであろう風格を身に宿した大男。  翡翠は届いた問いへ、わざととぼけるように答えを返す。  すると、男は翡翠に対して、何故か小さく笑った。 「なぜ、1人も殺さなかった?」 「依頼だったからだよ」  無意味な質問。  そう思えた男の言葉に、彼が持っていた唯一の答えを口にする。それを聞いて今度は何を思ったのか、男は大きな声を出して笑い……  すぐに臨戦態勢をとった。  それを見て、同じく翡翠も自身が1番に集中できる体勢で構える。 「お前とは、別の形で出会いたかったものだな」  聞こえないふりをした男の声が戦闘開始の合図となって、1秒前までそこにあった2人の姿は影一つ残さずに消える。  代わりに大きな物が地面に落ちた時のような振動と風圧が拳を交えた2人の周りを駆け抜けていった。 「俺の拳を受けて見せるか」  右手に重い衝撃。  それを何とか耐えるように力を込めた翡翠の一撃はどうにか敵の攻撃と均等になり、自身へ届く前に勢いを殺した。  が、すぐに、男は左手をギュッと握ると、空いていた翡翠の腹部へと振り上げる。  しかし、その攻撃は狙っていたところへ当たることなく、翡翠に届く寸前で彼の左手のひらに収まって、それによって生まれた勢いが次の翡翠の攻撃へと利用される。  均衡を保っていた右手を少しだけずらし、左手の勢いをそのままに一回転しながら飛び上り、男の顔面に裏拳を放つ。  直撃する拳。  恐らく、大した攻撃にはなっていない。  悟ってすぐに翡翠は両腕を前でクロスさせる……瞬間、凄まじい威力の拳が自身の体を守る両腕にめり込んだ。  威力で体が弾き飛ばされて滑るように廊下を転がり、そのまま壁に叩き付けられる。  その際、崩れた壁の残骸が翡翠の上に落ちた。 「立てるか? 若造」 「…………」  崩れた際に舞い上がった砂埃に包まれる翡翠へ向けて、男は『ニタッ』と笑うと、心配ではない……弱者をあざ笑うような声をかけてくる。  これが、男の本当の顔というやつなのだろう。  それに対して、翡翠は何事もなかったかのように立ち上がると、肩にかかった埃を払い落しながら、男へ向かって首を傾ける。  そして、彼の中に生まれた純粋な感想を言葉にした。 「……この程度か?」  挑発めいた一言が翡翠の口から吐かれる。  瞬間、額に青筋を浮かべた男の顔が目の前に現れて、翡翠は予想していた男の攻撃をほとんど動かずに避けた。  それから、大きくジャンプして壁を粉々に砕いた男の腕に着地する。 「間合いとタイミングは見切った」  もう、2度とお前の攻撃は当たらない。  そんな意味を込めた彼の回避方法に、男が怒りを抑えられるわけがなかった。 「ふざけるなよ……小僧!」  怒りを拳に込めて、男が戦闘を再開しようとした。  その時だった。  2人の戦闘に決着が訪れる。 「な……んだ……」 「やっと、効果が出始めたか」  急に男の全身から力が抜けていく。  翡翠は、男の腕から飛び降りて床へと着地する。  と、その頃には男の膝は床に着き、かすかに力が残っている両腕でどうにか自分の体を支えている状態だった。男の驚く表情に、翡翠は感心を表す声を漏らす。 「さすがだな。象ですら一瞬で力を失わせる薬だぞ」  顔を上げるので精一杯な男に向けて、翡翠は自身の左手の甲を向けると手首の方からゆっくりと目に見えないほど薄い、ビニールのようなものを剥がした。  すると、男は自分の体に起きた異変のきっかけとなる瞬間を思い出して、無理矢理に持ち上げた頭をがっくりと下げる。 「ま……さか……その一撃だけを狙っていたのか……」 「悪いな。あんたを殺すのは簡単だけど、生きたまま倒すのは骨が折れる」  力の差を思い知れ……  そう思わせるような一言を受け、男は体に残していたすべての力を失うと、床へ倒れた。  そこで限界を迎えたのだろう。  そのまま動かなくなった。 「あんたとは、普通に殺し合いたかったよ」  翡翠は、そう残すと男に背を向け、目的地である部屋の前に立ち、締め切られた大きな扉に両手をついて、1つ深呼吸。  それから、両手に力を込めて前方へと進み、標的がいるはずの部屋へと踏み込んだ。  部屋に入って、すぐに浮かんだもの……それは『驚き』という名の感情とそれから、月の光を浴び、立つ少女に対する何とも言葉にしがたい『不思議な何か』であった。  自身の目の前に佇む彼女は美しく、綺麗で幻想的で……しかし、何かがそれとは異なっている。 「だれ?」  翡翠の視線を奪った少女から聞こえてきたその声に、彼は場の独特な雰囲気のせいで、忘れそうになっていた今回の目的を思い出し、袖に手を伸ばした。  そして、取り出した刃物をそのまま彼女へ向けて突き付ける。 「あんたが、『シエナ』だな。恨みはないがここで死んでもらう」 「そう……」  翡翠にとって、それは少女に対して『死の宣告』のつもりだった。  しかし、彼に対して彼女はこちらに顔を向けると、口元に手を当てて少し笑う。  それから、小さな口を開くと彼をからかうようなことを口にした。 「あなたが、わたしを殺しに来た暗殺者さんなのね。そっか……でも、残念」 「残念?」  シエナから返ってきた答えに対してあくまで冷静に疑問を返す。  すると、彼女は『ええ……』と、小さく相槌を打つと、自分の発言が当たり前であると断言するかのように続きを話し出した。 「だって、あなたはわたしを殺すつもりみたいだけど。あなたはわたしを殺せないもの」  彼女が放った言葉。  それが、不思議と意味のないものには聞こえなくて……  気が付けば、翡翠はそれに対して問いを返していた。 「お前が、俺を殺すからか?」 「わたしもあなたを殺せない。わたし……あなたより強くはないもの」 「なら、誰かが助けに来るとでも言うつもりか?」  翡翠に続いて、すぐに答えを返してくるシエナに対し、彼も同じような対応をしていたが、『助けを求めても無駄だ』という意味を込めた言葉を発した瞬間、彼女は彼に対して、少し驚いたという表情を見せる。  が……再び、彼女は小さく笑った。 「いえ……だって、警備の人たちはあなたがやっつけてしまったのでしょ? なら、この部屋に誰かが来て、わたしを助けてくれるなんてことはありえない。でもね……」  と、そこまで言って言葉を区切る。  それから、くるりと月の光を浴びた自身の体を回し、翡翠に背を向け両手を後ろで組んだ。 「それでも、あなたはわたしを殺せない……そういう運命なのよ」  笑顔を絶やすことなく、言い切った彼女に翡翠は珍しく怒りを覚えていた。  理由はわからない。  しかし、彼女から向けられたその発言が何故かそんな感情を湧き起こさせるのだ。 「なら、俺があんたを殺すことができれば、運命は簡単に変わるってことだよな」  後になって考えてみれば、翡翠は彼女によって怒りの感情が生まれるように誘導されていたのかもしれない。  だが、この時の翡翠はそんなことを考えられる頭と余裕を持ち合わせてはいなかった。  ……ころしてやるよ。お嬢さん  いつも通り、ただ単純に相手との距離を一気に詰めて首筋、斬られれば一瞬で生命を死へ誘う急所へと刃物を移動させる。  あと少し……と言うところで彼は刃物を止めた。  鳴り響く通信音。  それは、異常事態が起きた時に使う通信機が発していた音だった。  翡翠は、届いた通信を受け取るために空いていた左手を耳へと持ち上げる。 「……了解しました」  発信元は本部からだった。  翡翠は、届いた指令を受け、感情とは反対の言葉を口にすることを決める。  それから、シエナの首筋を捕えていた刃物を袖へと戻すと、彼女へ向けて片膝をついた。 「シエナ様。命に従い、これよりあなたの身柄を『保護』させていただきます」  受けた通信で言われた通り、礼儀正しく忠誠を誓うように彼女へ深々と頭を下げる。  すると、彼女が「頭を上げて」と言うのであまり気は進まなかったが、翡翠は彼女の指示を受けることにした。  彼女の声に逆らうことは許されない。  頭を上げた翡翠を待っていたのは、彼を覗き込むシエナの顔。  彼女は、片目をつぶり彼の前に右手の人差し指を立てる。  そして、左右に軽く揺らすと「よろしく。保護者さん」とからかいを一言入れ、再び背を向けた。  その際、彼女が小さく何か囁いた気がしたが、翡翠の耳に届く前に再び通信が入り、彼はそちらの対応に追われ、彼女の言葉を気にしている余裕などなかった。  そんな彼を見て、シエナはため息を1つ。  それから、輝く夜月に向かってつぶやいた。 「ね。だから、言ったでしょ……『あなたはわたしを殺せない』って」

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