『師匠の、わからず屋っ!!』 背中に掛けられた制止の言葉を振り切って、師匠のもとを飛び出したのは、何年前のことだっただろうか。 それからは、ずっとひとりだった。身寄りのない私にとって、師匠だけが唯一の身内だったから、ひとりでもなんとかなる、と思いこむしかなかった。 事実、なんとかする力が私にはあった。周りの魔女たちも、私を天才だと持て囃していたから、それが当たり前だと思っていた。 挫折を知らないまま、はじめての試験に臨んだ。そこで初めて、隷属というものの存在を知った。 生まれてはじめて挫折を知った。それを知られたくなかったから、変化の魔法で大人のフリをしていた。 規則という大きな力の前では、子供は無力だった。 そしてそれは、どれだけ修行を積んでも、研究を繰り返しても、すぐに埋められるようなものじゃなかった。 二度目の試験。うまくいくと思っていた。実際はあの有様だ。見立ても実力も、何もかも足りなかった。 試験場を飛び出して、あてもなく彷徨った。たまたま見かけたベンチに座って、これからのことを考えた。 「これからのこと……?」 大人になれない私が、これからのことを考える必要はあるの? 子供のための明るい未来は、大人になる意思のうえだけに成り立つものじゃないの……? そんなことが頭をよぎって、考えることがいやになった。 考えることをやめると、ただ、虚しいだけだった。 雨あがりのベンチは冷たくて、夜風はひたすらに寒かった。 ひとりになりたいのと同じくらい、誰かと一緒に居たかった。 全部を吐き出してしまいたい。そう思うだけで動けない私を、ロビンが迎えに来てくれた。 子供の姿で、そのままの気持ちをぶつけた。私のただの我侭に、ロビンはぼろぼろと涙を流してくれた。 子供だけど、子供だからこそ、本音を言えた。受け入れてくれたことを、受け入れられた。 格好悪いところは全部、しっかり見せた。 ……今度は、格好いいところを見せる番だ。 ∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬ ローブの袖口で涙を拭っていると、ロビンがハンカチを貸してくれた。ちいさくお礼を言って、照れくささを振り切るように、勢いよく立ち上がった。 「付き合ってくれてありがとね、ロビン」 ひとりで終わった気になっちゃだめだ。私はまだ、ロビンのお願いを叶えていない。 振り返って手を伸ばしたけど、今の私の身長じゃ、あんまり意味がなさそうだ。 慌てて引っ込めようとした手を、ロビンがぎゅっと握りしめた。 これじゃ、私が手を引いてるんじゃなくて、ただ手を繋いでるだけじゃないか。 そう言おうとしたけど、ロビンの手があんまり暖かかったから、言う気になれなかった。 「さ、今度はロビンのお願いの番よ。お家はどこかしら?」 「えっ……? 試験は、もういいの?」 「うん、もういい……あ、意地とかじゃないからね!」 これは、隷属の話だけじゃない。 なりたくもない一人前になって、嘘をついてまで大人ぶるくらいなら、子供のまま世界を広げてみよう。 私の理屈と感情が、そう言っていた。 「今までの私が苦しかったのは、きっと、大人に認めてもらおうと必死だったから。でも、ロビンに認めてもらえて、ああ、これでよかったんだ、って前を向くことが出来たの」 私の胸の奥に引っかかる何かは、もう、すっかり抜け落ちていた。 「私は、私を認めて生きていく。だから、もうなんの躊躇いもないの」 浮かべていた箒を呼び寄せて、掴んだ手のひらに力を込める。 ……子供の姿をやめて、もう随分と経つ。体の使い方だけはすっかり大人だったから、自分の体の成長にも気が付かなかった。箒ひとつ持つのも、体を持ち上げるのも、自分のものじゃないみたいに辿々しかった。 両手を使えば楽だけど、そうはしなかった。 繋いだ手を離したくなかった。それを隠すことも、恥じることも、したくなかった。 「えっと、ぼく、ひとりで帰るから……」 「はあ?!」 だからこそ、ロビンがそんなことを言い出した瞬間、私は箒からずり落ちそうになった。 「何言ってるのよ。もともと、あなたのお母さんを私に診てもらうための話でしょ?」 「それは……そうなんだけど……」 「あ! ひょっとして、私の魔女としての力を疑ってるのかしら? 試験に落ちるような半人前の魔女なんかに、お母さんを診せたくない、って……?」 箒から降りて、俯くロビンの顔を下から覗き込む。 我ながら意地の悪い質問と表情だと思ったけど、いまの自分は子供なんだ。多少の我侭は許されるはずだ。 「違うよ、違うんだけど……っ!」 「ならいいじゃない。そうしないと釣り合いがとれないし、私だって納得がいかないわ。ロビンだって、私の格好いいところ、見てみたいでしょ?」 「それは……うん……」 「決まりね」 にやりと笑って、私は今度こそ箒に飛び乗った。万が一のことを懸念して、身体強化魔法をかけた小さな手のひらで、ロビンの手を体ごとぐっと引き寄せる。驚きながらも私の後ろにおさまったロビンが、あたふたと両腕を動かした。 「じっとしてて頂戴。危ないわ」 「ごめんなさい。でも、掴むところがなくて……」 「肩でも腰でも、掴めばいいじゃない」 「え、でも、どっちもちっちゃい――」 「――何か言ったかしら?」 「いえ……」 二の句を封じ込めて、ぐんぐんと高度をあげた。空は私の世界だ。文句は言わせない。 それにしても、ああ、自分に嘘をつかなくていいことが、こんなに気楽だとは思っていなかった。 「その……セレーネさん、人が変わったみたいだね……」 「もとに戻ったって言ってほしいわね。それとも何? 大人の私のほうがお好み?」 「…………」 「ほら、場所を教えてくれなきゃ、降りられないわよ」 雨上がりの空、真正面にぽっかり浮かんだ月が、暗闇に沈む眼下の景色を淡黄色に照らしていた。 聞きながら、懐の時計を取り出す。金属のこすれる快音に目を落として、すぐにもどす。その腕と重なるようにのびたロビンの指先が、ほとんど真下の森の一点を指した。 「……あなたの家を、教えて欲しいのだけれど」 「だから、僕の家です。あそこ……」 箒を傾けて、ロビンの指先に目を凝らした。街の入り口からさほど遠くない森のなか、木々の屋根のかわりに、人工物らしき屋根が確かに見えた。 街で数年暮らしているのにも拘らず、初めて見る家だった。私の屋敷がある森は、街を挟んでちょうど反対側にあるから、気が付かなかったのかもしれない。 両親のどちらかの生業と関係があるのかな、とも思ったけど、いま、ロビンに親のことを聞くのはよくない。 その家に箒の矛先を向けて、素直に急降下した。 ……暗い。 降り立って見上げた家の第一印象は、それだった。 森の中にあるわけでもない。振り返れば、街灯の光に覆われた景色が一望できる。 なのに、どこか人の気配がしないような。そんな家だった。 外壁に立て掛けられていた斧と薪だけが、かろうじて、誰かの所有物であることをしめしていた。 木でできていたその家は、踏み入れた途端、くすんだ悲鳴をあげた。扉をノックしてみるも、病人だからだろうか、なんの反応もなかった。 「おじゃましますー……」 声が小さくなってしまったのは、部屋のなかにいっさいの照明がなかったからだ。 窓がないのか、月の光すら射し込んでいない。家の中のはずなのに、森の中のような真っ暗闇の空間だった。 ……ぎし。 見えない視線の先から、木の軋む音が響いた。 ロビンのお母さんだろうか。足取りらしいその音が妙にゆっくりだったから、私は急いで家のなかに飛び込んだ。 なんの病気であろうと、ヒトは無理をするとすぐに死んでしまう。 いくら適切な処置を施しても、引き返せない境界というものはある。 とりあえず、暗すぎるこの部屋をなんとかしたかった。ひとまず指先に焔を浮かべて、私はロビンへと振り返った。 「ロビン? 早く入ってきて、照明を――」 瞬間、左手に掴んでいたはずの箒の感触がなくなった。 ぱらり、と、藁屑が舞い落ちてきた。木と木のこすれる音に釣られて頭上を見上げると、天井に這った黒い影が、ばたばたと暴れる私の箒を押さえつけていた。 「……おかえりなさい、ロビン」 紛れもない怖気が背中を走り抜けて、私は声のしたほうへと指先を突き出した。 闇の奥を照らす焔が、人の良さそうな笑顔を浮かべる女性の姿をうつしだした。 「……ただいま、母さん」 今度は背後から。小さくつぶやくようなロビンの声と、扉の閉まる音。 わけもわからず強ばる体に魔力を込めて、向かってくる足音に向けた火の勢いを強めた。 ゆらり、と。風もないのに、焔が逃げるようにゆらめいた。なおも強めた焔が、視界を明転させた。 血のようにどろりと揺れる瞳の光、闇のなかでざわざわと蠢く黒髪、そこから覗く艶のある両角。 ……そして、影のない体。 「一人前になるための捕食、その子に決めたのね?」 その姿と、その発言。 私は、ようやく事態を把握した。 ――街外れの森の魔女。この街での私の通り名。 夜な夜な子供をさらい、食べたり、実験のために使い捨てたりするという―― その、正体。 咄嗟に翻そうとした肩は、ロビンの手に掴まれて、私は一歩も動けなくなった。 「……ごめんなさい」 横目で見たロビンの唇の奥に、親指ほど太い牙がのぞいた。 私の逡巡は、答えに辿り着いた瞬間、終わりを見せた。
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くにざゎゆぅ
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くにざゎゆぅ
2021年11月26日 23時36分
羽山一明
2021年11月27日 7時39分
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羽山一明
2021年11月27日 7時39分
うさみしん
いや、あれ? おかしい、違います! 拙者いったい何を見せられているでありますか? 違うのです! 拙者、もっとこう甘々の……。えっ?
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うさみしん
2022年3月10日 5時20分
羽山一明
2022年3月10日 17時14分
じつを言いますとこれが既定路線です。本来は喰われて死ぬホラーです。書いている途中で、あまりにもセレーネが不憫になり、なぜかハートフルな感じになっちまいました。残酷になりきれないのが悩みです。
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羽山一明
2022年3月10日 17時14分
乃木重獏久
ハートフルな成長譚かと思いきや、紛うことなきホラーですね! まさか、このような展開になるとは。どんでん返しが最高です! とはいえ、ここで終わるとは思えません。もう一捻りありそうな気が。ハートフルで終わるのか。それとも絶望で終わるのか。果たして……。
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乃木重獏久
2022年3月1日 23時44分
羽山一明
2022年3月2日 7時30分
ホラーだったんですよ、これ。途中がもっと短くて、ここで終わり、という流れが本来のアイデアで。でも、途中でセレーネが不憫になってしまって、思いっきり話を転進させました。どうしてこうなった。
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羽山一明
2022年3月2日 7時30分
花時雨
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花時雨
2021年11月26日 23時10分
羽山一明
2021年11月27日 3時00分
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羽山一明
2021年11月27日 3時00分
特攻君
まさかの展開に 羽山さんのニヤリ顔が浮かびますなあ(´▽`*)
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特攻君
2022年1月27日 11時39分
羽山一明
2022年1月27日 17時54分
いやこれ本来の流れなんです。食われて終わり、のホラー作品のはずだったので、今までの流れがむしろ予定外です。
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羽山一明
2022年1月27日 17時54分
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