降り始めた雨が、長いローブを重く染めあげる。 遠目に見える雲から、雷が舌を出してこちらを睨んでいる。凶兆だ。 「ああ、もう! 大事なパーティーの日なのに……っ!」 雨に打たれた箒が、みるみるうちに不機嫌になっていく。 なだめるように魔力を込めて、もうすぐよ、と声をかけた。 ひとつの山を越えた先、見慣れた街のはずれ、森の奥。 ぐん、と高度を下げて、庭先に降り立つ。雨垂れの景色の向こう側、屋敷を背景に、見慣れない人影がうずくまっていた。 子供だろうか。煉瓦の階段の上に俯いたまま座り込んで、雨音に溶けるような、か細い泣き声をあげている。 「……ねえ、君、どうしたの? 迷子?」 少し迷ったけど、声を掛けてみた。ずぶ濡れの体がぴくりと動いて、子供はゆっくりと顔をあげた。 年端もいかない男の子だった。 雨のなか、ここで泣き続けていたんだろうか。濡れた目元がすっかり赤くなっていた。 「……お姉さんは、この街の魔女さん?」 「そうよ。小さな子供をさらって食べちゃう、悪くて怖い魔女なの」 箒の端切れを少し千切って、ふっ、と息を吹きかけた。 ぽん、と音をたてた端切れが、小ぶりの傘に姿を変えた。ちょっと心配になる音を立てて開いたそれを、少年にさしだした。 「だから、私がお腹を減らす前にお帰りなさい。拭くものくらいなら貸してあげるわ」 精一杯、優しい声で話しかけたつもりだった。だけど、子供はふるふると首を横に振った。 「魔女さんは、ひとつお願い事を叶えてあげると、お返しにお願いを聞いてくれるんだよね?」 「…………」 ――街外れの森の魔女。それが、この街での私の通り名らしかった。 夜な夜な子供をさらい、食べたり、実験のために使い捨てたり。 千年以上生きていたり、果ては、実は女装だったり。 ……願いを叶える契約を結ぶと、見返りに願いを叶えてくれたり。 それは、魔女というより悪魔のような、何一つ当たっていない、ただの噂。 どうやら、この少年はその噂を信じてここに辿り着いたようだった。 渋面を見せないよう俯いても、こぼれる溜め息までは隠しきれなかった。 「いいこと? それはただの噂話。私は魔女だけど、悪魔みたいに契約を結んだりはしないのよ」 少年が力なく項垂れた。痛ましい姿に、私の気持ちまで沈みそうになる。 だけど、人と魔女は安易に関わり合いになるべきではない。そういう掟なのだ。 「さ、おうちの人も心配しているわ。帰りましょ?」 「お母さん、倒れちゃったの……ごはんがなくって……」 さしだした手のひらが、自分でもはっきりわかるくらいに震えた。 少年の抱える願いごとが、震えた喉から、声より強く伝わってくる。 薄雲を仰ぎ見る。時間がない。 「……わかったわ。じゃあ、今夜の魔女の試験で、私のお手伝いをしてくれるかしら?」 「それが、お願い?」 涙をきった少年の、返す言葉の語気が強まる。瞬間、電撃のように体中に迸った圧力が、彼の意志の強さを物語っていた。 「ええ。だけど、魔女だって万能じゃないわ。力になれるかはわからない。それでもいい?」 「……いい。でも、お手伝いって何をするの? 僕、魔女じゃないよ?」 「従魔のフリをして、隣に立っていてくれればいいわ。どうせ、着替えなきゃいけないしね」 言いながら、近くに浮かべていた箒を呼び寄せた。 あれこれ準備しようと思ってたけど、この子がいれば問題なさそうだ。必要なことは道中、追々で考えよう。 「さ、そうと決まったら、後ろに乗って頂戴。時間がないわ」 立ち上がった少年が、私と箒をちらちらと見比べながら、おそるおそる、私の後ろに跨った。魔力を込めた箒が地面から離れた瞬間、バランスを崩したのか、少年が背中に体重を預けてきた。 「怖かったら、肩でも腰でも掴んでていいわよ」 「うん……ありがとう。魔女さんは、悪くも怖くも見えないね。魔女じゃないみたいだよ」 ――そりゃあ、そうでしょうね。 少年の気遣いに愚痴をこぼしかけて、慌てて代わる言葉を探した。 「『魔女さん』じゃないわ。セレーネって呼んで頂戴」 「わかった。僕のことも、ロビンって呼んでね」 ……何年ぶりかの自己紹介。しかも、相手は人間、それも子供だ。 どうかしている。そう思うし、知られれば誰にだってそう言われるだろう。 こみ上げていた後悔は、だけど、雨に打たれる空の下で、呼吸に紛れて消えてしまった。 風を切って突き進む夜空が、私の体を責め立てるように冷やしていく。 だけど、寒くはない。背中から伝わるぬくもりが、凍りつく体を内側から温めてくれる。 思い出さないようにしていた、人の肌の心地よさを、いまは離したくない。 そんな、ばかなことを考えてしまったから。
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くにざゎゆぅ
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くにざゎゆぅ
2021年11月18日 22時08分
羽山一明
2021年11月19日 2時45分
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羽山一明
2021年11月19日 2時45分
うさみしん
なにこのエモい情景……。とんでもないく期待が高まっていきますぞ! ええ! ショタも大好物ですはい!
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うさみしん
2022年3月7日 5時14分
羽山一明
2022年3月7日 11時08分
ありがとうございます! 性癖を満たせるかどうかはわかりませんが、こういう日常的な話も好きなのです。「魔王」が落ち着かないと書けないですが。
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羽山一明
2022年3月7日 11時08分
乃木重獏久
遠雷と雨音が耳の奥に響いてくるかのような描写、流石ですね。魔女の怖い噂を信じながらも、恐怖を押し切って訪ねてきたロビンの切実な願いに心を動かされる、セレーネの優しさが伝わってきます。従魔として試験に立ち会う事になった男児と優しき魔女の物語に、早くも引き込まれました。
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乃木重獏久
2022年2月24日 23時46分
羽山一明
2022年2月25日 4時03分
ありがとうございます。ハロウィンということで、またしてもファンタジーに手をつけてしまいました。優しげな一人称視点を起用しつつも、例によってあれこれ影を仕込んでおります。ふたりの半人前の一夜のおはなし、どうぞお楽しみください。
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羽山一明
2022年2月25日 4時03分
星降る夜
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星降る夜
2022年2月1日 17時54分
羽山一明
2022年2月2日 1時02分
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羽山一明
2022年2月2日 1時02分
ななせ
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ななせ
2021年11月11日 12時39分
羽山一明
2021年11月12日 1時45分
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羽山一明
2021年11月12日 1時45分
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