ぼくたちを乗せた箒は、街の反対側にある、暗い森の上にいた。 街の人たちも近寄らない、入ったら絶対に出られなさそうな奥の奥。 そのど真ん中に、ぼくたちは吸い寄せられるみたいに降り立った。 暗くて寒い景色に、体がぶるぶると震える。雨はすっかり止んでたけど、風はずっと強いまま、木をくぐって、縦笛みたいな音をたてていた。 「ひとりで降りられる?」 先に降りたセレーネさんが、箒から降りるぼくの手を引いてくれた。 大きくてあったかい手を離したくなくて、地面に足をつけたあとも、その手を握り続けた。 セレーネさんは、ちょっとだけ驚いた顔をしたけど、やっぱり笑って握り返してくれた。 「ごめんなさいね。いつもは雨よけの魔法を使うんだけど、きょうは魔力を残しておきたいの」 「ううん、大丈夫。でも、試験ってこんな森の中でやるの?」 「えっと、それはね……ああ、あれだわ」 辺りをきょろきょろと見回したセレーネさんが、ひとつの枯れた木をじろりと見つめた。 その裏側に、ぽっかりと口をあけた穴があった。箒を持ち上げたセレーネさんが、その真ん中に箒のおしりをさしこんだ。 そうすると、夜の空みたいな黒い穴いっぱいに、虹色の星が浮かび上がってきた。光がどんどんと広がって、まっ暗闇のここだけが、満天の星空みたいだった。 「この中よ。さ、行きましょ」 光る壁のなかに、セレーネさんはしゃがんで、ぼくはそのまま、手を引かれてもぐりこんだ。 ぎゅっと閉じたまぶたでもわかる眩しさが、ぱっと光って、すぐに弱まった。 「わっ……!」 開いた目に飛び込んできたのは、本のなかでしか見たことがないような世界だった。 吸い込まれそうな高い天井と、ふかふかで真っ赤な絨毯。 隣り合った金色と銀色のランプが、『こっちのほうがキレイだぞ』と背比べをするみたいに、眩しいくらいの光を部屋いっぱいに溢れさせていた。 天井を見上げていたセレーネさんをまねして、ぼくも上を見上げた。待っていると、大きな羽根ペンとクリーム色の羊皮紙が、大げさな音をたてて、ぱたぱたと羽ばたいてこっちにやってきた。 「ディオンの街のセレーネよ。昇級試験に来たわ」 ぼくと違って、セレーネさんは慣れたようすだ。話しかけられた羽根ペンが、羊皮紙の上でくるくると踊って、ぽん、と煙を吐きだした。 煙のなかから、鎖のついた時計がふよふよと落ちてきた。それを首にかけたセレーネさんが、ぼくのほうを振り返った。 「どう? パーティーみたいでしょ?」 「パーティーみたいです!」 こくこくと首を振って繰り返したぼくを見て、セレーネさんは口もとに手をあてて、くすり、と笑った。 「毎年、たくさんの魔女が試験に来るから、その合間に……ほら、ああやって食事を楽しめるようになったのよ」 ぼくの前に立っていたセレーネさんが、体を動かして、部屋の奥を指差した。 そこにはたくさんの人たちが列をつくっていて、何かを食べたり飲んだりしながら、楽しそうにおしゃべりをしていた。 「じゃあ、試験はこことは違うところでやるの?」 「いいえ。あそこ、少し高さが違ってるの、見えるかしら?」 見ると、赤い絨毯を切り取ったみたいな、白くて丸い台座が、部屋の真ん中に寝そべっていた。 ライトでくっきりと照らし出されたそれを見ていると、なんだか、胸のあたりがもやもやしてきた。 「なんだか、ちょっと、いやな感じだね……」 「……そうね。見世物みたいに思われても仕方がないわ」 セレーネさんのその声を聞いてはじめて、ぼくは自分の言葉の間違いに気がついた。 「ごめんなさい! 僕、あの――」 言い訳を探してうつむいたぼくの頭に、大きな手がのせられた。 顔をあげると、セレーネさんがぼくの顔を覗き込むみたいにしゃがみこんで、にっこりと笑ってくれた。 「気にしなくていいわよ。実際、私の目から見ても悪趣味極まりないわ」 それにね、と言いながら、セレーネさんは立ち上がった。 奥まで透き通って見える、セレーネさんの綺麗な赤い目が、台座を睨みつけるみたいにぎらりと光った。 「結果がどうあれ、受験は今年で最後のつもりにしてたのよ。これ以上がんばっても一人前って認めてもらえないなら、この先に私の居場所はないわ」 部屋のなかにいるのに、体中が風に吹かれたみたいだった。じぶんの両腕を抱きしめたぼくを見て、セレーネさんがあわてて両手を重ねた。 「いけない、着替えなきゃ風邪ひいちゃうわね。あっちに部屋があるから、呼ばれるまで暖まりましょ?」 セレーネさんは、片方の手でぼくの手をとって、もう片方の手で指を鳴らした。空から落ちてきた袋を見ずに受け止めると、そのなかから大きなタオルを取り出して、ぼくに渡してくれた。 絨毯の模様を追いかけて、ぼくたちは廊下に出た。とちゅう、すれ違った魔女たちが、後ろでこそこそと話し合っている声が聞こえた。 『ねえ、あの人……』 『うん……"変化"のセレーネだよね……』 セレーネさんのことだった。やっぱりこの人は、べつの呼び名をもらうくらいの魔女だったんだ。 きょうの試験もそれだけすごいものなんだろう。 部屋に入って、体を拭きながら、ぼくはこれからのことをあれこれと思い浮かべていた。 「……ねえ、ロビンの好きな色ってなにかしら?」 「えっ――?」 まだ服も着てないのに、後ろから声をかけられた。 「あら、後ろ向いちゃダメよ?」 振り向きそうになったぼくの背中に、やわらかくてあったかい何かが当たった。 びっくりするより先に、セレーネさんの腕がぼくの体をぎゅっと抱きしめた。 「ね、何色が好き?」 「えっと……あの……」 聞かれたことより、背中に当たるなにかが気になって、頭のなかがぐるぐる回った。 『赤色が好き』と言いかけたぼくの頭のなかに、セレーネさんの紫色のローブが浮かんだ。 「……ぼく、紫色が好き」 「ん……わかったわ」 ぼくの嘘がばれたのか、セレーネさんが少しだけ何かを言いたそうに、だけどなにも言わないで、両手でぼくの目を塞いだ。背中に感じていたあったかい何かが、ゆっくり、体じゅうに広がっていく感じがした。 「はい、こっち向いていいわよ」 まっ暗な景色がきゅうに明るくなって、ぼくは少しだけ目を細めた。 ゆっくり顔をあげると、おおきな鏡にうつる、ぼくとセレーネさんが見えた。 セレーネさんは、さっきまで着てた紫色のローブだった。おんなじように見えたけど、よく見ると、表面にきらきらした粒がいっぱい付いていて、ライトを浴びて銀色に光っていた。 ぼくはというと、大人が着ているみたいな、ぴしっとした服だった。 ぴんと立っていた襟が、すっぽりと首を隠していた。そこからおなかのあたりに伸びていた斜めの線が、途中から真っ白な色になっていた。胸のあたりについてるポケットから、黒色と青色の間みたいな色をしたハンカチが見えていた。あったかくて、ふかふかで、とっても高そうな服だった。 「色味、ちょっとだけ直そうかしら……」 真剣な目で鏡をのぞきこんでいたセレーネさんが、ぼくの前にしゃがみこんで、指先をぼくの服に何度かあてた。指があたったところの色が、少しだけぼやけて、少しだけ変わった。 また鏡を見て、またしゃがみこんで。それを何度も繰り返して、ようやくセレーネさんは嬉しそうに立ち上がった。 「うん、ばっちりね! かっこいいわ!」 「……セレーネさんも、きれいです」 「ふふ、ありがとう。きょうはよろしくね、ロビン」 そう言ったセレーネさんの笑顔は、きれいな服よりも、もっときらきらして見えた。 ――魔女。 ぼくたちとは少し違う世界に住む、その生き物のことは、お母さんから少しだけ聞いたことがあった。 『理想を実現させるために、世の倫理に背くことも辞さない生物』 難しいことはよくわからないけど、そのときのお母さんの顔は少し暗かったから、きっと、魔女のことは好きじゃないんだろうな、と思った。 だから、セレーネさんに会いに行くって決めたとき、ぼくはちょっとだけ怖かった。 ……だから、声をかけてもらったときは、それ以上にびっくりした。 紫色のローブがよく似合う、背の高い魔女。 雨に打たれながら微笑みかけてくれたその人は、でも、怖い生き物にはぜんぜん見えなくて。 優しくてきれいなその目で見つめられたぼくは、ただ、じっと見つめ返すことしかできなかった。 その時は、この人を選んでよかった。と、そんなことを考えてたと思う。 ……でも、いまは。 ちょっとだけ、やめておけばよかった、なんて。 そんな、ばかなことを考えてしまったから。
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くにざゎゆぅ
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くにざゎゆぅ
2021年11月19日 21時04分
羽山一明
2021年11月20日 1時48分
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羽山一明
2021年11月20日 1時48分
うさみしん
主観がロビンに変わった事により、ちゃんと普段と違う子ども的な言い回しになっているところに好感が持てました押忍! それもさる事ながら、だんだんとショタ感が高まってまいりました! 妄想捗ります押忍!
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うさみしん
2022年3月7日 5時23分
羽山一明
2022年3月7日 11時09分
このへんとても難しかったです。一人称視点の勉強ですね。魔法のある世界ですが、ロビンが急にクソイケメン青年に成長したりはしないのでご安心ください。
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羽山一明
2022年3月7日 11時09分
乃木重獏久
漢字がひらかれた柔らかい文体が、ロビン視点で優しいですね。二つ名を持つほどのセレーネが落ち続ける魔女の試験。その内容が気になります。背中に当たる暖かくも柔らかい存在、男児には刺激が強すぎる! しかし、人から別種の生物扱いされる魔法使いに、この世界の陰を感じます。
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乃木重獏久
2022年2月25日 23時48分
羽山一明
2022年2月26日 12時13分
雰囲気が出るかなと思ってこうしたのですが、言い回しも相まって秒で後悔しました。セレーネは魔女としての才覚は間違いないようなのですが、いまだに「半人前」と言われる所以がどこかしらにあるようです。ロビンから見て、彼女が別種の生物のように見えるのは――続きをご覧あれ。
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羽山一明
2022年2月26日 12時13分
ななせ
ビビッと
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2021年11月18日 20時50分
《ちょっとだけ、やめておけばよかった、なんて。》にビビッとしました!
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ななせ
2021年11月18日 20時50分
羽山一明
2021年11月19日 3時01分
不穏な一言にビビっと。ありがとうございます。 ……さて、どういった意味なのでしょうか。
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羽山一明
2021年11月19日 3時01分
花時雨
三話で終わるのがもったいないです。 いくらでも話を拡げられそうな。
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花時雨
2021年11月14日 18時48分
羽山一明
2021年11月14日 23時41分
ありがとうございます。 3話で終わらないですねこれは……(遠い目
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羽山一明
2021年11月14日 23時41分
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