――りぃん、と。 ふたりきりの部屋、冴え渡る鐘のような音が、余韻も爽やかに会話の隙間に飛び込んできた。 音につづいて、私の胸元が強く震えた。首の鎖に指を引っ掛けて、思い切り引っ張り上げると、ひとりでに蓋の開いた時計と目が合った。 『お時間です。お時間です。壇上へどうぞ――』 気味が悪いほどに流暢な声をあげて、時計はぱたぱたと飛び去っていった。天井近くまで辿り着くと、照明の光と同化するかのように、燐光を放って消えてしまった。 「……だいじょうぶ?」 下から聞こえたその声に、私ははっと息をのんだ。 睨めあげていた横顔を見られた。そして、そのことでロビンに気を遣わせてしまった。 それじゃあいけない。彼をこの世界に引き連れ、巻き込むことを選んだのは私だ。 その私が、彼の指針という役目を放棄するなんてことは、決して許されない。 たとえ、どんな理由があろうとも。 「大丈夫よ。行きましょうか」 自分に言い聞かせるようにロビンの手をとり、大広間へと踵を返す。 その空間に踏み入れた瞬間、ぴり、と、肌が震えた。じとりと水気を含んだ針のような視線が、横合いから次々と投げかけられた。 遅れたロビンと繋いだ手がかすかに緩む。その手をぎゅっと握り直して、私たちはどんどんと突き進んだ。 靴音高く、踏み抜くように壇上へ登る。後ろに続くロビンが登るのを見届けてから、私は正面に向き直った。 老齢の魔女がひとり、私と相まみえるように佇立していた。 年季を感じさせるローブをまとう姿は、さながら枯木のような静けさを放っている。しかし、深く刻まれた皺の奥に覗いた眼光は、見るものを竦ませる迫力を確かに湛えていた。 ――よりによって、この人が試験官か。舌打ちしたい衝動を噛み殺して、私は箒を握りなおした。 「お見せなさい」 ただの一言、それっきり。赤紫のグロスで塗りつぶされた唇が、二度開かれることはなかった。 「……はい」 小声でロビンを呼び寄せて、胸元に抱きかかえるように立ってもらう。 小さな体が、目を逸らしたい恐怖と、目を離せない恐怖に、かすかに震えていた。 わずかな間だけでも矢面に立たせることが心苦しくて、その体を後ろから抱きすくめた。びく、と震えた体は、だけどすぐに、やわらかな落ち着きを取り戻してくれた。 「ごめんね。ちょっとだけ、我慢しててね」 ぽん、と頭を撫でた手のひらに、そのまま力を込める。爪先からつむじまで、体中にうずくまっていた魔力を、手のひらの先に集約させるイメージ。指先から迸った魔力が、ロビンの体を介して魔法に代わる。そう見えるように、偽る。 血のように熱っぽく溢れる魔力が、悪趣味な照明を押し返す光彩を放って―― ――すぐに、消え去った。 「あ、れ……?」 さっと、血の気が引く感覚が全身を覆った。背中に感じる、居心地の悪い視線が、よりいっそう重圧を増した。 もう一度。魔力を集め、思念と呪文を込めて、放つ。だけど、結果は同じだった。 私の魔力は、魔法に代わるまでもなく、ロビンの体に触れたそばから、あっけなく弾けて消えていった。 しん、と静まり返った部屋に、溜め息がこぼれた。顔をあげた私の前で、老齢の魔女がわざとらしく視線を逸した。 ふたたび開いた唇はわずかに、だけど確かに、失意のかたちに歪んでいた。 「セレーネ、あなたのことは、誰よりもよく知っているつもりです。類まれなる変化の使い手であり、その他の魔法技術もきわめて優秀であることも。よく、知っています」 「…………」 続く言葉が、私の期待を裏切るであろうことは、その声色が何よりはっきりと示唆していた。 「ですが、その少年、隷属化していませんね? そしてあなたはそれを偽り、みずからの力だけで魔法を行使しようとした。そうですね?」 私の思惑は、すべて見抜かれていた。 手から、全身から、力が抜けていった。 「……はい」 「魔女の世界は、一度踏み入れば抜け出すことのできない世界です。隷属をつくることは、魔女の力を増幅させることのみならず、世俗を捨て、こちら側の世界に飛び込む覚悟の証なのですよ?」 「……はい。よく、存じております」 目頭が、喉奥が、燃えるように熱い。 お前には覚悟がない。そう言われているのだ。 ……悔しい。 私だって、覚悟を捨てる覚悟を決めてここに立っている。 魔女を目指すものとして、その志を貫き、規則すら疑って望んだつもりだった。 私の力では、例外の壁を破ることはできなかった。それだけだった。 「ご指導、ありがとうございました。失礼します」 表情を見せたくなくて、私は顔を下げたまま振り返った。 赤絨毯のやわらかい感触に八つ当たりするように、思い切り踏み抜いて駆け抜けた。 血の気が引いた指先に残る、ほんの小さな暖かさにも気づけないままに。
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くにざゎゆぅ
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くにざゎゆぅ
2021年11月20日 20時43分
羽山一明
2021年11月20日 23時37分
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羽山一明
2021年11月20日 23時37分
うさみしん
やだもう~、めっさ甘々やないですか~。足りない、足りないです。しかし風向きが変わって不穏な雰囲気。甘々路線が永遠に続くことを祈りますぞ押忍。
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うさみしん
2022年3月8日 6時08分
羽山一明
2022年3月8日 10時21分
不穏とは、平穏があるからこそ際立つものです! その逆もまた然り、どちらも長くは続きません。最後に傾くのはどちらのほうか。どうぞ最後までお確かめのうえ……。
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羽山一明
2022年3月8日 10時21分
乃木重獏久
隷属化した存在が必要であるにも拘わらず、ロビンを従魔として立ち会わせたことに、セレーネの深い考えを感じます。しかし、期待する結果を得られずに、ロビンを残したまま、逃げるように壇上を降りる彼女の姿が物悲しい。それを見ているはずの老いた試験管の視線には、何が浮かんでいるのでしょうか。
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乃木重獏久
2022年2月27日 0時49分
羽山一明
2022年2月27日 8時19分
隷属が前提であることから、ロビンにそのフリをしてもらえば、或いは。と考えたのでしょう。実力はあれど、規則には完全に従うことが出来ず、またしても残念な結果となってしまいました。取り残されたロビンは、果たして……?
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羽山一明
2022年2月27日 8時19分
花時雨
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花時雨
2021年11月16日 8時31分
羽山一明
2021年11月16日 9時34分
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羽山一明
2021年11月16日 9時34分
ななせ
どうなるんですかね~とても気になる🎃🎃
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ななせ
2021年11月19日 23時31分
羽山一明
2021年11月20日 16時20分
どうなってしまうんでしょう……(話数と締切的な意味で
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羽山一明
2021年11月20日 16時20分
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