帽子と箒を握りしめて、ぼくは光の壁に飛び込んだ。 金色と銀色の世界が、ちかちかと眩しいだけの世界に変わる。その真ん中を、荷物をなくさないように、目をあけて走り抜けた。 奥のほうにみえた黒い点がぐんぐんと近づいてくる。光の輪っかのなかに口をあけた、まっ暗な森の景色に、ぼくは勢いよく飛び込んだ。 ぱっと広がった森のなかは、動くのも怖いくらいに、本当になんにも見えなかった。 試験の場所がこの森でよかった。と思いながら、ぼくは周りを見渡した。 セレーネさんの帽子はここにある。だから、あのきれいな金色の髪が、きっと目印になる。 そう思うとなんとなく、行き先が決まった気がした。 この森の真ん中にある、たったひとつの道。大きな森なのに、馬車がやっとすれ違えるくらいの、ちいさな道。 積もった葉っぱを飛び越えて少し歩くと、お月さまの光がだんだんと明るくなっていった。 そのそばにある茶色のベンチのうえで、子供みたいにひざを抱えてすわりこむ人影を見つけた。 「……ロビン?」 ちいさな声といっしょに、セレーネさんが顔をあげた。ぱらぱらと落ちてきた明かりの下でも、暗い顔をしているのがはっきりと見えた。 ぼくの腕から飛び出した箒が、セレーネさんに抱きついた。両腕で受け止めて揺れた髪の毛のうえに、帽子をそっと乗せた。ぼくが何も言わないでいると、セレーネさんは帽子をぎゅっとかぶって、また、うつむいてしまった。 ちいさなベンチだったから、ぼくが隣に座ると、それだけで腕がひっついた。セレーネさんの体は、服のうえからでもわかるくらいに冷え切っていた。 「だいじょうぶ?」 「ん…………」 ぼくの質問に、セレーネさんは顔の向きをずらして、うつむいたままぼくのほうを見た。 「……ね、お師匠さまから、私のこと、なにか聞いた?」 「ううん。教えてくれなかった。あの子に聞きなさい、って」 「そう……」 セレーネさんは、みじかい言葉のあとに長い溜め息をはいて、組んでいた長い足をほどいた。大人っぽいその体をじっと見つめていると、セレーネさんが箒を持ち上げて、そのさきっちょを額にこすりつけた。 「それじゃ、私の嘘、見せてあげるね」 そう言うと、セレーネさんは聞き取れない言葉を口にした。 落ちてきた光が、セレーネさんの体のうえに降り積もった。光はどんどんと集まって、セレーネさんの体のぜんぶを隠してしまった。まぶしくても我慢して、ぼくはその光をじっと見守った。 光が、ゆっくりとしぼんで、消えていった。 「……これが、本当の私なの」 そこにいたのは、ぼくよりも身長の低い、ちいさな女の子だった。声と目の色だけはおんなじで、それはセレーネさんがそのまま子供に戻ったみたいな見た目だった。 「嘘をついててごめんなさい。子供って言われるのが嫌で、見た目だけでも、って、変化の魔法で大人のフリをしていたの」 「…………」 セレーネさんが、通り名を呼ばれても振り返らなかった理由が、やっとわかった。 あれは、あの魔女さんたちは、セレーネさんのことをばかにしてたんだ。 「笑っちゃうわよね。さんざん大人ぶっておいて、ルールに従うこともできなければ、ルールを破る力もない。そんなふうに、中身はいつまで経っても子供のままだったのよ。本当、笑っちゃう……」 『……情けない』とつぶやいて、セレーネさんは空を見上げた。 その横顔が、今までずっと見てきた大人のセレーネさんよりも、よっぽど大人っぽく見えた。 ぼくがいくら悩んでも、夏の空みたいな透明な青い瞳に浮かんだ、薄い雲みたいな悲しみを晴らしてあげることは、きっとできない。 「笑わないよ」 だから、せめて、今はそばにいたい。 「魔女のことはわからないけど、セレーネさんはりっぱな人だと思う。だから、笑わないよ」 きゅっと唇を結んだセレーネさんが、ぼくの顔を少しだけ見上げて、そのままもたれかかってきた。 帽子が脱げて、きらきら光った髪の毛がぼくの鼻先をくすぐった。ハーブとシャンプーのまじったとてもいい匂いがして、なんだか恥ずかしくなったぼくは、ちょっとだけ顔を逸らした。 「……隷属ってね、その人を、その魔女のものにしちゃう契約なの」 うつむいたまま、セレーネさんが小さな声をだした。顔を見られたくないんだと思ったから、ぼくは返事の代わりに首を縦に振った。 「契約を交わした人は、その魔女に絶対に逆らえなくなるし、離れられなくなる。魔女が魔法を使うときは、溜めた魔力を魔女に渡す役目だったり、魔力の媒介……杖や、箒の代わりにされたりする。戦いになったときは、自分の命を捨ててでも魔女を庇うの。契約のときに、体にそういう命令がかかるんだって」 「…………」 「話せなくなったり、自分の意思で動けなくなるとか、そんなことはないの。だからみんな、隷属のことをパートナーっていう言い方をするけど、私は、怖いのよ」 やわらかい声がどんどん震えていったから、ぼくはその体に手をあてた。体も震えてたから、手のひらにぎゅっと力を込めた。 「好きな人を好きでいられる理由を、魔法で縛り付けたりしたくない。好きだって言ってもらえることも、私を庇うことも、その人の意思でそうしてほしい。自分より先に死ぬことが魔法で約束されてる関係なんて、私は結びたくない……!」 願い事が、そのままかたちになったような、そんな声だった。 セレーネさんは、たぶんぼくとおんなじくらいの歳だ。でも、大人になることを目指して、向き合って、悩んだ数は、ぼくとはきっと比べ物にならない。 その思いが、ぜんぶ、この声に込められている。 教えてくれた言葉の全部をわかってあげたいのに、言葉をなぞることしかできない。 それが悔しくて、気がついたら、目の奥が燃えるみたいに熱くなっていた。 「……だから、一人前の魔女は、人と関わっちゃいけない、っていわれてるのよ。魔女のほうが、べつの人に浮気しちゃわないようにね」 「じゃあ、セレーネさんが一人前だったら、ぼくたちは会えなかったの?」 「そうね。そうかもしれない――」 顔をあげたセレーネさんが、口を開けたまま固まった。ぼくを見上げた大きな目が、何度もまばたきを繰り返した。 「なんで、ロビンが泣いてるの……?」 「だって、セレーネさんが泣きたそうにしてたから……」 「なによ、それ……ばかみたい……」 途切れた言葉のあとを追いかけて、セレーネさんも涙をこぼした。 少しだけ悲しそうに、それでも最後は笑ってくれた。それを見たぼくは、よけいに泣いてしまった。 ぼくたちはそのまま、お互いの声が落ち着くまで、ふたりきりで泣き続けた。
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うさみしん
そうだったそうだった! ホントは小さかったんだ。新鮮な気持ちで拝読させていただくために出来るだけ思い出さないように、頭を空にして読みましたがやっぱりびっくりしたです押忍!
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うさみしん
2022年9月28日 2時15分
羽山一明
2022年9月28日 9時53分
あれから5年ですっかり元通りになりました。彼女が思い描いた大人の自分は、何の因果かそのまま本来の彼女の成長した姿であったようです。
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羽山一明
2022年9月28日 9時53分
くにざゎゆぅ
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くにざゎゆぅ
2021年11月25日 22時30分
羽山一明
2021年11月26日 8時56分
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羽山一明
2021年11月26日 8時56分
うさみしん
ショタじゃなかった! ロリショタ?だった! 読んでいる最中、これまで拙者の頭の中ではナイー◯タ氏の魔女シリーズの絵面がチラついていたわけですが、良い意味で裏切られました押忍! さあさ、このあとどんな展開になってくのか、とても楽しみであります!
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うさみしん
2022年3月9日 5時37分
羽山一明
2022年3月9日 8時32分
セレーネが指先をひと振りすれば、ジャンルは千変万化します。何とショタを掛け算するかは彼女次第です。半人前同士、分かち合う……ということで、どちらも子供でした、というわけです。いきなり生意気に見えてくる不思議。
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羽山一明
2022年3月9日 8時32分
乃木重獏久
まさかの展開とは、このことですね。セレーネが子供だったとは。彼女の二つ名の意味、読み違えておりました。二人の子供の、他人を思いやる純真さに、心が洗われるようです。お師匠は、清らかな心の少女に魔女の宿命を負わせたくなかったからこそ、今まで試験に受からせなかったのかも知れませんね。
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乃木重獏久
2022年3月1日 0時01分
羽山一明
2022年3月1日 2時35分
「半人前」が「ふたりぼっち」のお話ですので、相方として描かれるセレーネもまた子供なのでした。ふたりを見送った師匠は、互いに認められないからこそ認めあえることを予見していたのかもしれません。仰るとおり、彼女はセレーネの未来の選択肢を広げたいのでしょうね。
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羽山一明
2022年3月1日 2時35分
花時雨
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花時雨
2021年11月25日 22時41分
羽山一明
2021年11月26日 8時56分
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羽山一明
2021年11月26日 8時56分
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