泣かないで、と言えなくて。

読了目安時間:6分

エピソード:6 / 26

愛していた人を失う辛さ

 私は春光さんの様子を見ながら、隣に椅子を用意して晶さんに座る様に言いました。お母さんと違って危害を加える様子は見受けられず、少しだけ安心します。ずっと緊張状態と保っているのも疲れるものですね。 「春光さんは幼児退行する前は、どんな人でしたか?」  単刀直入に聞きました。  退行する以前の春光さんを知る事でより、コミュニケーションを取りやすくなります。退行しても何が好きで何が嫌いかという事は体にしみついている事が多いですから。 「最初、私のバーに来た時は本当に静かな人だったわよ。小さくて、最初は学生がバーに入って来たのかと思って注意をした時の事を今でも思い出せるわ。好きなお酒はウイスキーとか度数が強いお酒が好きだったわね。ワインも好きだったわ。つまみがなくても、水みたいにしてお酒を飲む人でね。バーに来ては静かに仕事のストレスを吐き出している様な人だった。小さいスケッチブックを常に持っていて、サラサラと絵を描く人だったわね。そこに強く惹かれたわ。多分、退行をしている時も比較的大人しかっただろうと思うけれど、暴力は振るわない人よ。佐々木さんみたいに背の高い人が好きね。優しい人になつく傾向があるから、今はっちゃんが佐々木さんにすぐになついたのも理解が出来るわ」 「静かな人だったんですね。春光さんは同性愛者なのですか?」 「ええ。筋金入りと言っていたわ。大学生になった辺りから親との関係性がぎくしゃくしはじめたみたいで、会社をやめて露頭にまよっていた時に私と同居する事になったの。後に行方不明になったり、色々あって家に来た時にね、お酒を大量に飲んでいて、体中切って倒れていたのをみて救急車呼んだの――その結果、今の様な状態になったのよ。まさか幼児退行するなんて思っていなかったんだけど」  ようやく春光さんが病院に運ばれた当時の事を聞く事が出来ました。  両親とは情報の共有がかなわない分、周囲の人から情報を得るしかありません。 「入院した初期の頃はどんな状態でしたか?」 「まだ普通にやりとりは出来たわ。たまにお見舞いに行っていたし。自暴自棄になる時もあったんだけど。段々寝ている回数が増えて、お見舞いに行っても会話が減ってきてね。私も仕事が忙しくなってしまって、なかなか会えなかったの。それで今日久しぶりに会えたのよ……そうしたら、今の状態になった春光さんを見て……――」  晶さんは言葉につまって涙を流しはじめました。  その感情は当然に湧き出てくるものとして理解をする事が出来ます。複雑な関係だったとしても愛していた事に変わりなかった人が、多くの人の事を忘れ、恋人の事も忘れたとなれば、身を引き裂かれる様な思いをするのは当然の事です。 「辛いですよね。愛した人が形がどうであれ、いなくなってしまうのは」   「ええ。恋人関係というには複雑な関係だったのだろうけど、はっちゃんの事を大切に思っていた事に代わりはなかったからね。今のはっちゃんには、私の関係を理解する事は難しいでしょうから、訪れるのも最後にするけど、お二人が露頭に迷う事があったら私の所に連絡して。家を二人に貸すわ」 「そんな、いいんですか?」 「ええ。元々はっちゃん、家がないの。それに私の家は広いからね。一人じゃ寂しいというのもあるのよ。関係性は変わるかもしれないけど、はっちゃんの事は大切に思っているから、力になりたいのよ」 「わかりました、その時は連絡をしてもよろしいですか?」  そう言って、私と晶さんはチャットのIDを交換しました。  晶さんの提案に安心したのは事実です。味方が誰一人いない中、一人で春光さんを支えていくのは難しいと思っていたからです。 「かまわないわ……ねえ、佐々木さん。その指輪、きれいね」  私のつけている指輪を見て、そう言いました。ターコイズブルーに輝く指輪。そういえば、春光さんの手にも晶さんとおそろいの指輪がありましたっけ。 「ありがとうございます。今は亡き妻の遺骨の一部で作ったものです」 「……ごめんなさい。軽率な事を」 「いいえ。いいんですよ。妻が綺麗だと言われたようで、私も嬉しいです。この病院で分娩中に母子共に亡くなりましてね。だから、大切な人がいなくなる辛さは分かるつもりです」 「……辛かったわね」 「はは……――すみません」  ああ、情けない事に涙が出てくる。  晶さんがより申し訳ないと言った顔をなさったので、貴方のせいではないですよと付け加えました。すっかり傷は癒えたと思ったのですが。やはり家族の事になると、どうしても弱くなってしまいますね。だからこそ、春光さんのお母さんの事は許せない部分もあるのですが。 「だから、はっちゃんのお母さんに対して憤りを感じていたのね」 「あ、声に出てしまっていましたか」 「聞いてしまったのよ。ごめんなさい」 「いいえ、大丈夫ですよ。そうですね、私は家族が欲しくても失ってしまいましたから。だから、春光さんには笑顔でいてほしいと、つい親代わりになってしまうのかもしれないですね――」  そう言った時に、春光さんがもぞもぞと動いて少し泣き始めてしまいました。 「んぅ……ふえっ……」  いきんで、泣いている様子にトイレだと気が付きました。 「晶さん、一旦外に出てもらってもいいですか? 春光さん、トイレしたいみたいなので」 「ええ、大丈夫よ。他に人がいたら恥ずかしいものね」  晶さんが外に出たのを確認して、私は春光さんのお腹をマッサージします。 「……いたい」 「大丈夫ですよ。お薬いれましょうね。痛いのすぐに楽になりますよ」  薬をいれて、効果が出るまでお腹をマッサージし、排泄したのを確認しておむつを替えます。出した後は痛みが無くなったからか、泣き止んでふたたびうとうととし始めました。 「すっきりしましたね。よかった。綺麗にして寝ましょうね」  着替えさせて、完全に寝入るまでお腹をポンポンと優しく叩いてあげました。寝たのを確認してから、晶さんを再び病室に呼びました。 「はっちゃん、トイレもつらいのね」 「ええ。泣いてしまってね。今は介助が欠かせないんです。配慮して頂いてありがとうございます」 「どういたしまして。ドアごしに声が聞こえていたけど、本当に赤ちゃんみたいに泣いていて驚いたわ」 「今の春光さんの精神年齢は5歳以下です。言葉による意思疎通も出来ますが、殆どの事はできなくなっていますね。覚えている人もお母さんしかいなくて」 「幼児退行って確か、自分が一番楽しかった頃に戻ってしまうのよね。でも現実は親が自分の事を嫌ってくるなんて、本当に辛いわ」 「それは私も思います。つらすぎた人生の中で、再び幸せを感じ取ってもらえたら嬉しいなと」 「今日お見舞いに来て、最初は騒動みたいになっていたから凄く不安だったんだけど、優しい介護士の方が一緒にいてくれてよかったわ。私とはっちゃんの関係性は少し変わってしまうけれど、本当に安心した」 「それは良かったです」 「……安心した所で、私はもう帰らないと。時折姿を見に来る事もあるかもしれないけれど、極力混乱を与えたくないから、今後は余り会いには来ないかもしれないわ」  晶さんは春光さんの頭を愛おしそうに撫でています。本当に愛していたのでしょう。 「はっちゃん。どうか元気になってね。幸せになって――それじゃ、私もう行きます。佐々木先生、本当にありがとう」 「どういたしまして。途中は取り乱してしまって申し訳ありませんでした」 「それはお互い様ですよ。では、失礼致します」  晶さんは深くお辞儀をして病室を後にしました。  春光さんの知らない一面について知る事が出来たのは、大きな収穫でした。

遺灰で作る、メモリアルアクセサリーというものがあります。 佐々木さんが身につけているのはその指輪。ずっといっしょ。

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  • メカノベラ弐号機(ステラ作製)

    klmi-wata-mawa

    ♡1,000pt 2022年8月12日 18時15分

    物語そのものは混迷の中にあるはずですが、登場人物たちが身につけているターコイズの指輪の存在になぜか透き通った光の粒子を感じました。この物語が人の優しさ温かみをもたらすものでありますように。

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    klmi-wata-mawa

    2022年8月12日 18時15分

    メカノベラ弐号機(ステラ作製)
  • 文学少女(心と身体フェアver)

    岸谷メルカ

    2022年8月12日 19時49分

    この物語のテーマは人間という優しさと残酷さなので、汲み取っていただけた事がとても嬉しいです

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    岸谷メルカ

    2022年8月12日 19時49分

    文学少女(心と身体フェアver)
  • 男戦士

    すきづきん

    ビビッと ♡100pt 2022年8月14日 22時21分

    《「幼児退行って確か、自分が一番楽しかった頃に戻ってしまうのよね。でも現実は親が自分の事を嫌ってくるなんて、本当に辛いわ」》にビビッとしました!

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    すきづきん

    2022年8月14日 22時21分

    男戦士
  • 文学少女(心と身体フェアver)

    岸谷メルカ

    2022年8月14日 23時17分

    一番楽しかったはずなのに、どうして状況が変わっているんでしょうね……とはっちゃんが一番思っている事かも

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    岸谷メルカ

    2022年8月14日 23時17分

    文学少女(心と身体フェアver)
  • 男戦士

    すきづきん

    ビビッと ♡100pt 2022年8月14日 22時20分

    《「ありがとうございます。今は亡き妻の遺骨の一部で作ったものです」》にビビッとしました!

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    すきづきん

    2022年8月14日 22時20分

    男戦士
  • 文学少女(心と身体フェアver)

    岸谷メルカ

    2022年8月14日 23時18分

    遺灰をこうした指輪の宝石部分に使ったり、ペンダントにしたりというサービスは一部であったりしますよ。物として残すという事で一緒にいる感覚になれる

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    岸谷メルカ

    2022年8月14日 23時18分

    文学少女(心と身体フェアver)
  • ハーピー

    しがない文芸部鳥

    ビビッと 2022年8月19日 21時57分

    《「いいえ。いいんですよ。妻が綺麗だと言われたようで、私も嬉しいです。この病院で分娩中に母子共に亡くなりましてね。だから、大切な人がいなくなる辛さは分かるつもりです」》にビビッとしました!

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    しがない文芸部鳥

    2022年8月19日 21時57分

    ハーピー
  • 文学少女(心と身体フェアver)

    岸谷メルカ

    2022年8月19日 22時31分

    佐々木さんもけっこう大変な道を歩まれてきたんだなと思います

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    岸谷メルカ

    2022年8月19日 22時31分

    文学少女(心と身体フェアver)
  • 野辺符羅亭寅瓶

    蒼田

    ビビッと 2022年8月10日 13時22分

    《春光さんの知らない一面について知る事が出来たのは、大きな収穫でした。》にビビッとしました!

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    蒼田

    2022年8月10日 13時22分

    野辺符羅亭寅瓶
  • 文学少女(心と身体フェアver)

    岸谷メルカ

    2022年8月10日 13時41分

    人は色々な一面がありますね

    ※ 注意!この返信には
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    岸谷メルカ

    2022年8月10日 13時41分

    文学少女(心と身体フェアver)

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