泣かないで、と言えなくて。

読了目安時間:5分

エピソード:2 / 34

肩書きに依存する事の危険性

「おかーたん、おとうしゃん……帰っちゃった」  夜になり、個室には春光さんと私二人が相変わらず残っていました。  お母さんは終始苛立ちを露わにし、とうとう病室に残る事もやめてしまいました。お父さんの姿は見てもいません。小さい子供同然の状態の春光さんですから、私が出ていけば怖くて泣いてしまうでしょう。 「なおせんせい、いっしょねんね」 「……いいですよ。怖いですもんね。寝る前におむつ替えましょうか。ちょっとじっとしててくださいね」  私がズボンに手をかけると急に不安そうな表情になりました。 「いたいのいや」 「痛くないですよ、大丈夫。きれいにするんですよーじゃあ、10数えましょう。10になったらおしまい」  私は数を数えていきながら、おむつを外し身体の様子を観察しました。  全身に黒くなったあざと、お尻と性器には傷がありました。痛かったでしょう、酷い話です。 「ちょっと拭きますよ」 「うーっ……」 「つめたかったですね、びっくりしますね。もうおしまいですよー」  さっと新しいおむつで包んでやれば、泣くのはおさまりました。 「良く頑張りました。ねんねしましょうね」 「なおせんせい、お茶ちょーだい」 「いいですよ。お手手洗ってきますね」  春光さんの見える範囲内で行動し、不安をなるべく感じさせない様にしてやります。本当ならご両親が看護するところを、完全に責任を放棄してしまった為、私が代わりにつきっきりになっているのです。そのために呼ばれたのですから、腹が立つ事もないのですけれど。 「はい、春光くん。お茶ゆっくり飲んでくださいね」 「……おかーたん、来る?」  春光さんはお父さんの事を余り話題に出しません。  相当お母さんっ子だったのでしょう。だからこそ、今の事態を完全には飲み込めないのかもしれません。 「明日朝になったら来るかもしれませんね」  あんなにひどい事をされたのに、お母さんの事を口に出す。本当にかわいいではありませんか。それをなぜ、簡単に捨ててしまえる様な事を口に出来るのでしょう? 『某美大卒の肩書きを得てくれたから、自慢だったのに!』  病院を去る前、お母さんはこの様に口にしました。  恐らくお母さん自身が叶えたかった夢を、息子に託す事で今まで自分の肯定感を保っていたのだろうと思われます。人は学歴が全てではないのに。それ一点だけにとらわれていると、子供の性質をもあっさりと見えなくなってしまいます。お母さんにとって、今の状態の春光さんはなんの旨味も無いのでしょう。  人間関係は利害関係で成り立っているとは言いますが、まさか親子関係でもこんなに薄情なものがあるのかと、私は衝撃を受けてしまいました。そう思うえるという事は、恵まれた環境で育ったという証左に違いないのですけれども。 「なおせんせい、ねんねする……」 「うん。おやすみなさい。先生ここで見ていますからね」  そう言うと、春光さんは安心したのか目をつぶって、すぐにスースーと寝息を立て始めました。安心して過ごしていける、と思ったのもこの時まででした。  春光さんの身の周りの世話をしながら、ずっと様子を見ていたのですが、突然泣き叫び始めました。痛い、痛いと口にしている事から病院に来る前の事を思い出してしまっている事は容易に想像することが出来ます。 「ごめんなさい、ごめんなさい……許して。痛い」  うえーん、と泣く春光さんのお腹をトントンと叩いてなんとか落ち着ける様にします。私がそばにいた事を思い出して目を開けるとだっこをせがんできたので、ベッドに腰掛けると春光さんをだっこしました。 「怖い事を思い出してしまったんですね」 「うん……お尻、いたい」  おむつを替える時に見た傷でしょうか。異物を入れられたと医者から説明がありましたから、まだ相当に痛みを引きずっているものと思われました。それをやった男達は、同じ男だから苦しまないと思ったのでしょうか。 「ちょっと様子見せてくださいね」 「……」  片手にゴム手袋をつけて、ズボンをめくって傷を確認します。  少し、血がにじんでいましたので拭いてやって、そばに置いてあった薬も塗ってやりました。 「少し、痛いのおさまりましたか?」 「うん……」 「寝られます?」 「なおせんせい、えほんよんで」 「いいですよ。ねんねしながら読みましょうね」  月明かりが照らす病室で、私は静かに絵本を読んであげました。  最初は物語を楽しんでいましたが、いつの間にか春光さんは眠ってしまっていました。  ふと、ベッドそばにある一枚の絵画の写真が目に止まりました。恐らくお母さんが持っていたものでしょう。昔を思い出し、当時に戻ってほしいと懇願していたのかもしれません。春光さんは絵を描く事が大好きな人だったといいます。現に写真に映っている絵は独創性に富み、とても精巧に描かれた絵でした。安直な言葉になってしまうのですが、とても上手いと思いました。  春光さんも大学で、そして就職したデザイン会社で自分自身の『創作』という手段を使って、人の事を笑顔にしたり、辛い事を忘れさせていたりしていたに違いなかった事でしょう。  今はその姿もなく、ただの子供に戻ってエネルギーを回復させている途中です。いつまで治療が続くのかはわかりませんが、私がなんとか社会生活を遅れる様にサポートをしてあげたいと思っています。  ただ一つ。  本当に気がかりなのは、春光さん本人よりもご両親の方でした。親子間で態度が変わってしまったのには、何か決定的な事があったのは確実だと推測するからです。  数時間おきに下着を替えてあげながら、私と看護師さん達で代わる代わる春光さんの事を見守ってやり、明日の事について考えていました。  ご両親は姿を見せてくれるのか。それが気がかりでした。  

コメント

もっと見る

コメント投稿

スタンプ投稿


  • れびゅにゃ~

    アルカディア

    ♡1,000pt 2022年8月30日 10時22分

    虐待している側の問題が解決しないと、変化は起きないのでしょうね。 他人の問題に踏み込む事に、ルールとか法律を立てないと、踏み込むべきと考えても躊躇しそうです。

    ※ 注意!このコメントには
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    アルカディア

    2022年8月30日 10時22分

    れびゅにゃ~
  • ヴァンパイア

    岸谷メルカ

    2022年8月31日 6時06分

    現実問題としては解決は難しいですよね。

    ※ 注意!この返信には
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    岸谷メルカ

    2022年8月31日 6時06分

    ヴァンパイア
  • メカノベラ弐号機(ステラ作製)

    klmi-wata-mawa

    ♡500pt 2022年8月5日 17時30分

    ※ 注意!このコメントには
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    てぇてぇ

    klmi-wata-mawa

    2022年8月5日 17時30分

    メカノベラ弐号機(ステラ作製)
  • ヴァンパイア

    岸谷メルカ

    2022年8月5日 17時46分

    ※ 注意!この返信には
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    励みになります!

    岸谷メルカ

    2022年8月5日 17時46分

    ヴァンパイア
  • ひよこ剣士

    闇潜人

    ビビッと ♡300pt 2022年8月14日 23時49分

    《人間関係は利害関係で成り立っているとは言いますが、まさか親子関係でもこんなに薄情なものがあるのかと、私は衝撃を受けてしまいました。そう思うえるという事は、恵まれた環境で育ったという証左に違いないのです…》にビビッとしました!

    ※ 注意!このコメントには
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    闇潜人

    2022年8月14日 23時49分

    ひよこ剣士
  • ヴァンパイア

    岸谷メルカ

    2022年8月15日 0時03分

    見える視点と見えない視点。 支援しなくてはいけない立場だと難しいものがあるのだと思います

    ※ 注意!この返信には
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    岸谷メルカ

    2022年8月15日 0時03分

    ヴァンパイア
  • ハーピー

    しがない文芸部鳥

    ビビッと 2022年8月19日 21時45分

    《ご両親は姿を見せてくれるのか。それが気がかりでした。》にビビッとしました!

    ※ 注意!このコメントには
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    しがない文芸部鳥

    2022年8月19日 21時45分

    ハーピー
  • ヴァンパイア

    岸谷メルカ

    2022年8月19日 22時17分

    両親揃って、はなかなか難しいと思います

    ※ 注意!この返信には
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    岸谷メルカ

    2022年8月19日 22時17分

    ヴァンパイア
  • 野辺符羅亭寅瓶

    蒼田

    ビビッと 2022年8月4日 7時16分

    《ふと、ベッドそばにある一枚の絵画の写真が目に止まりました。恐らくお母さんが持っていたものでしょう。昔を思い出し、当時に戻ってほしいと懇願していたのかもしれません。春光さんは絵を描く事が大好きな人だった…》にビビッとしました!

    ※ 注意!このコメントには
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    蒼田

    2022年8月4日 7時16分

    野辺符羅亭寅瓶
  • ヴァンパイア

    岸谷メルカ

    2022年8月4日 7時47分

    こういった細かい所に人の想いって出るんだろうなと思って書いた一文です

    ※ 注意!この返信には
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    岸谷メルカ

    2022年8月4日 7時47分

    ヴァンパイア

同じジャンルの新着・更新作品

もっと見る

  • 胃ろう

    胃ろうを受ける若い女性

    4,800

    300


    2022年10月30日更新

    浦野優子は19歳、母と暮らしている。

    読了目安時間:20分

    この作品を読む

  • 雉白書屋短編集

    ショートショートです。ジャンルは色々です

    39,650

    120


    2022年12月8日更新

    ジャンル・長さは色々です。 奇妙だったり不穏だったり理不尽、王道、くだらない、など。 オチは用意しているつもりです。 お読み頂きありがとうございます。 数が増えたのでオススメに◆をつけました。 お役立てくださいませ

    読了目安時間:20時間24分

    この作品を読む

読者のおすすめ作品

もっと見る