指先から伝わる恋

読了目安時間:4分

エピソード:10 / 16

きっかけ

「俺たちが入社して一か月後くらいに退職された鈴木さん、覚えていますか?」 「え、あぁ。お前と同じチームにいた女性社員だろ」 突然出された名前に驚いて目を瞠る。鈴木は大谷が入社する二年前に入社した女性社員だ。営業部には珍しい大人しく引っ込み思案だったこともあり、営業成績は決して良いとは言えなかった。 自分に似たタイプだと気にかけていたこともあり、見かけたら声をかけていたのでよく覚えている。 上手く話せない代わりに資料に手を加えたり、先輩社員と営業のロープレを行ったり、営業先の情報を丁寧に集めたりと、慣れない中でも懸命に仕事に向き合っている姿が印象的だった。 「鈴木さんの退職、引継ぎもできないくらい急だったので、チーム内で不満抱えている人が数名いたんですよ。 丸川さんが上手く抑えてくれていたので、表立って鈴木さんにぶつかる人はいませんでしたが、俺も内心なんでこんな忙しい時期に急に退職するんだって、新人の分際で思っていました」 語尾が震えていることに気付いて反射で顔を上げる。罰が悪そうに眉を下げている大谷の大きな身体が、心なしか小さく見える。鈴木の退職で自分が抱いてしまったことを快く思っていないのだろう。 結末に辿り着いていないが、反省の色を浮かべる大谷が気がかりで思わず口を出す。 「お前の場合は配属されてすぐだったからな。鈴木の件でチームがばたばたしていたから、本来なら新卒として手厚くフォローされる場面でも、一人で何とかしないといけないことも多かっただろう。あまり気にするな」 あまり上手いフォローにはならなかったが、それでも気持ちは届いたようで、大谷が力なく笑った。ふっと短い息を吐いて続ける。 「国木さんの素敵なところに気付いたのは、鈴木さんへの声かけでした。たまたまラウンジで鈴木さんに声をかけられているところを見かけたのですが、国木さんは開口一番ありがとうって伝えられていました」 大谷がどんなやり取りを見たのかすぐに思い至った。鈴木の退職を知って、ラウンジで見かけた際に今までのお礼を伝えたときだ。寂しい想いも事情を知りたい想いもあったが、まずは今までの感謝を伝えたいと声をかけた。 思ったより鈴木の顔色が良かったことから、退職はネガティブな理由ではないのかもしれないと、安心したことも併せて思い出す。 「会話は短いものでしたが、それでも俺には刺さるものでした。 チームに所属してから、鈴木さんから営業資料のまとめ方を教えてもらったり、休憩時間にお菓子を分けて頂いたりと、目をかけていただいたにも関わらず、退職されると聞いてお礼どころか少し迷惑に思っていた自分が恥ずかしくて情けなかったです」 「大谷……」 恥ずかしくて情けなく思う気持ちは痛いほどわかる。つい最近味わったばかりだ。対人関係でこの想いを抱くと、より大きなダメージとなって襲い掛かってくる。 自己完結しにくい部分のため、負ったダメージを癒すにはだいぶ時間がかかる。 どう大谷に声をかけようかと思案してすぐ、あることが思い起こされた。 「鈴木の送別会の幹事、大谷だったよな。社員からのメッセージ集めたり、プレゼント渡したり、かなり力が入っていた記憶がある」 「はい、国木さんのお陰で目が覚めて、精一杯心を込めて準備しました。最終出社日に鈴木さんからお礼をいただいたことで、ほんの少し気持ちが楽になりました」 「そうか、良かったな」 気持ちに決着を付けられたことに安心する。あくまで憶測だが、人の機微に敏い大谷は今回の件があると引きずるタイプだろう。 いくら周りがフォローを入れたとしても、恐らく響かなかったと思うので、自らの手で少しでも緩和できたのであれば上出来だ。 国木の返事に大谷の顔に明るさが戻る。一区切りついたところで、ビールジョッキの横に置かれている水の入ったコップを傾けて飲み干すと、大谷は唇を舐めた。 どこか緊張した面持ちであることから、ここから先の問いへの答えが返ってくるとわかった。視線を逸らしそうになるも、テーブルに乗せていた腕にぐっと力を入れて大谷の返答を待つ。 大谷と視線が合わさる。丸っとした瞳の奥にある大谷の本心を探ろうとじっと見つめるも、視線が逸らされた。 「鈴木さんへの対応から、国木さんは周りの噂や評価に左右されず、その人の本質を見ようとされる方だと察しました」

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