下総の犬~玉響~

読了目安時間:6分

エピソード:86 / 100

番外編

妙見菩薩

 妙見菩薩の挿絵1  鎌倉は、京の都を模していた。  鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)を京都御所、由比ヶ浜へ伸びる若宮大路(わかみやおおじ)朱雀大路(すざくおおじ)と見立てる。  八幡宮の側には大倉御所(おおくらごしょ)、周辺には御家人の屋敷が構えられていた。若宮大路の西側には下総(しもうさ)千葉介(ちばのすけ)の屋敷。  千葉介とは、国府役人である下総権介(しもうさ ごんのすけ)を世襲した千葉宗家が称す名である。  現在の下総権介は、6代目千葉胤綱(ちば たねつな)。年の頃15.6の若者であった。  その若宮大路西側、甘縄(あまなわ)の屋敷で、叫び声が上がる。声の主は、家人(けにん)佐平(さへい)。  屋敷が揺れたのではないか!?と錯覚する第一声に続き「な、何と申された!?」と、問う言葉でさえ耳を(つんざ)く。問われた伊賀(いが)家の侍女(じじょ)は耳を押さえつけた。  そこで初めて自身が興奮し、声をあらげていたことに気付いた佐平は、ばつが悪そうにゴホンッ!と咳払いをしてみせると取り繕ったかのような澄まし声で「……で?何と申された?」と、問い直した。 「こちら、多美子(たみこ)姫様からのお文でございます」 「いや、その前でござる」 「はぁ……?」 「その前に何か申されたであろう?千葉介様の……」 「これは決して姫様のお言葉ではございません。私の勝手な考えにて……」 「それの後じゃ!」 「はぁ……縁組が整ったと申しますのに、姫様のお文にお返事を下されないとは、千葉介様はあまりに情け知らずだと佐平(さへい)様からも申し上げて欲しいと」 「だだだだだ、誰と誰の縁組ですと!?」  泡を食ったような佐平の様子に、侍女は顔色を失った。察したのだ、千葉介は縁談のことを側近に話していないと。  そして佐平も察した、殿様(胤綱)は縁談の事を綺麗さっぱり忘れていると。  ◆◆◆◆ 「たわけ、忘れるわけなかろう」  何を申しておるのだ――とでも言いたげな胤綱の(おもて)佐平(さへい)は、ホッと安堵の吐息を漏らす。 「左様で……安心致し――ではありません!!」  安堵を浮かべたのは一瞬で、佐平は強い口調で胤綱を叱りつけた。側近の剣幕に眉をひそめた胤綱は地蔵を磨く手を止め、問うた。 「何が気に入らぬのじゃ?」 「縁談を了承されたことを誰一人知りませなんだ!」 「あぁ、申しておらぬからな」 「何故でございますか!大事なことを!」 「伊賀(いが)家は、判官(はんがん)の喪中である故に婚礼は1年後の話じゃ、急いで話す必要もあるまい」 「必要ございます!!」 「何故じゃ」 「な、何故ですと!?」 「吉日を占わせてもおらぬのに、準備も何もないではないか。当人は知っておるのだから良い――」 「――わけありませぬ!」  佐平は、(あるじ)である胤綱(たねつな)の言葉を遮った。ずいっと膝を進め右手を突くと身を乗り出し「よろしいですか」と一言断るが、胤綱は顔を背け聞かぬと態度で表す。 「妙見菩薩(みようけんぼさつ)は仰います。心武く、慈悲深重して正直なるものを守らん――と!」 「わかった!わかった!」 「いいえ!分かっておられませぬ!妙見菩薩は千葉家の守り神でございます、その神のお言いつけを()()()が守らずして誰が守りますか!縁談を隠すなど……正しい道ではございません!正直ではありませぬ!()()()()ではございませぬ!!」 「佐平!」  うるさい、黙れ――と言葉を継ぎたいのは山々なれど、それを言うと小言が長くなることは胤綱の経験上、分かりきっていた。  佐平は、父が付けた守役の1人であり譲れぬことは、頑として譲らない。時に厄介だと思うが正しいだけに胤綱は、ぐうの音も出ない。 「それでは何故、黙られていたのですか。お答えによっては守役一同揃いて、お諌め申し上げねばなりませぬ」 「な!そこまで……」  冗談ではない!と言わんばかりに、胤綱は(まなこ)を見開いた。 「そこまで?事の重大さをお気付きでは……」 「気付いておる、わかっておる!」 「それでは何故?」 「何故……?」  佐平の(まなこ)は鋭く細まった、ここで叱られずに済む言い訳などある訳がない。どんなことを言っても小言を喰らうだろう、それに言い訳を考える余裕もなかった。  胤綱は、動揺したが守役の威厳を放つ佐平に勝てる気がしない。  大きく息をつき、口を開いた――。  ◆◆◆◆  絎台(くけだい)に備え付けられた針山に針を差すと、はぁ……と小さくため息をつく。  屋敷の縁側で多美子(たみこ)は、うなだれた。  頭の中は、先程帰って来た侍女が語った一言『千葉介(ちばのすけ)様は、縁談の話を誰にも打ち明けておられません!』  驚いた、心臓が飛び出る思い――というのは、このことだろう。  千葉介の縁談ともなれば、御家の大事ごとということは云うに及ばず、縁が結ばれた時は北条義時(ほうじょう よしとき)も居れば、伊賀光宗(いが みつむね)も居た。  両家揃い、証人というべき者は執権(しっけん)だ。そんな中、結ばれた縁は違えることはないが、その縁が納得するものかは別である。 (千葉介様は、元々縁談に乗り気ではなかった)  父・伊賀光季(いが みつすえ)が何度、打診しても首を縦に振らなかったのだ。  今回は、情けをかけたのだろう――。  嫌々進めた縁談を、改めて一族郎党に告げる気にもならず、ひっそりと隠れるように話を進めるつもりなのかもしれない。  縁談とは、家と家の結び付きであり惚れた腫れたは関係ない、しかし一族郎党にも隠し通されては立場がない。  この縁談が、北条義時や大江広元(おおえの ひろもと)立ち会いの元、決まった日から1月(ひとつき)は経っている。話す機会がなかった――ということもない。胤綱は下総に帰ることなく鎌倉に留まっていたのだから。  多美子は、情けなくなり縁側で静かに涙を流した。  ◆◆◆◆  千葉胤綱(ちば たねつな)の本意が何処にあるのかなどは関係なく、大倉御所(おおくらごしょ)では最近になり噂が広がりだした。  もう少し噂になるのが早いと思っていた胤綱は、当てが外れていた。 (あの場には、執権(義時)(広元)三浦介(義村)光宗(みつむね)殿が居たというのに……何故、1月(ひとつき)もかかったのじゃ?)  別に広まっても良い話である。口止めもしていない、当然評定(ひょうじょう)の席などから広まるものと思っていたのだ。しかし蓋を開けてみたら重鎮の口が堅いことこの上ない。胤綱は心底驚いた。 (ベラベラ話すものと思うておったが……)  今になって、御家人達が『伊賀家に決めたか!』『これは光季(みつすえ)殿も草葉の陰でお喜びじゃ』などと声をかけてくる。 (遅いわ!!)  胤綱は、不機嫌に眉を寄せる。  すぐに噂が広まり、一族郎党の耳にも自然と入ると思っていたのだ。あとは『おめでとうございまする』と挨拶をしてくる家人(けにん)に『準備を怠るでないぞ』と一言いえば済む……これが胤綱が理想とした流れだった。  それが、噂にならず思わぬ所からバレた。佐平(さへい)には大目玉を喰らい、散々な目にあったのだ。思い出すだけで腹が立つ胤綱は、チッ!と舌打ちをし 「なんの……判官の喪中故、公表することを憚っておったのじゃが……かたじけない」  それだけ言うと足早に立ち去る。  頬に血がのぼるのが自分でも分かったのだ、胤綱は後悔していた。  あの日、佐平から『何故、隠していた』と詰問され言い訳を考える間もなかった、今のように『判官の喪に服していた』と言えば、まだマシだったかもしれない――が胤綱の口からは、焦りで本心が漏れた。 『恥ずかしかった』――と。

★ 千葉家は、祖である平良文が敵兵に囲まれて窮地に陥った時、空から星が降ってきて戦に勝利した……という伝説から古くより妙見を信仰していた。 ★ 家紋は 月星。 時代や本家か分家か?などで形は違うが、月に星のデザインになっています。 本作品の頃は、ハッキリとしていませんが鎌倉末期頃は、千葉家九曜紋と推測されているそうで「千九曜」と呼ばれることから、 九つの星が配された多曜紋では?と。 形は、中央に●(月) その周りを囲む●(星)が9個。 ただ、本家は中央が 半月だったのでは?とかよく分かっていない為、1番有名な紋を貼り付けました。

コメント

もっと見る

コメント投稿

スタンプ投稿


同じジャンルの新着・更新作品

もっと見る

読者のおすすめ作品

もっと見る

  • 龍を討つもの、龍となるもの

    愛してはならない者同士の恋愛劇

    38,100

    190


    2022年5月28日更新

    敵である龍を討つために西の果てから龍が支配する世界にやってきたものの、 龍を護衛する役目を就いてしまった男がいずれ龍となるものである女と出会ってしまう。 今はまだ出会ってはならないもの同士が出会ってしまい、気づいてはならないものに気付いてしまい、 そして抱いてはならない感情を抱き合う。 ふたつの龍を巡る闘争の世界において交錯する宿命の物語。

    読了目安時間:3時間12分

    この作品を読む

  • 報われない者たち ~祝2000PV感謝!毎晩更新!独特異色の哲学系学園譚!~

    第三章、武士道 vs 騎士道の体育祭!?

    29,600

    170


    2022年5月27日更新

    自殺一歩手前まで行った女の子が、高校に入学して七癖も八癖もある同好会に所属したことを転機に、先輩たちの心の闇を取り払うまでになる一年間の物語。 【あらすじ→】 高校に入学して間もなく、『報われない者たち』という謎の同好会に勧誘されてしまった水野舞湖。「なんだか面白そう」という理由でつい入会してしまうが、その活動実態は工作に筋トレに読書、小難しい議論をしているかと思えば、ボランティア活動と称した地域の七不思議の解明まで!? クラスマッチ、夏休み、体育祭に文化祭。高校生の日々を過ごす中でそれぞれの思想信条を持つクセ強な先輩部員たちに揉まれ、水野も段々と自分なりの ”ものの見方” を身に着け、人生に悩む先輩たちの心を支えていく。 そしてそれは、水野の心を救い、『報われない者たち』に水野を勧誘した張本人である、代表の杯賀にも……。 登場人物たちはみな日陰者、人生に社会にすべてを憂う "アンチ" 青春ストーリー「報われない者たち」、ぜひご一読ください。 各編予告動画↓ https://www.youtube.com/channel/UCJBNqWcDGjwyLRYqipiggIQ ※Twitterにあとがきのようなものを置いてます。 ※すべての発言、仕草、状況、展開を伏線だと思ってもらって構いません。本小説は群像劇、ないしは全体論的小説の一面を持ち合わせています。 ※本小説に登場する人物、集団、思想、発言、組織、商品、サービス、現象、地名、その他のすべてはフィクションであり、現実のそれとは何ら関係するものではなく、特定の何らかを推奨、勧誘、斡旋、揶揄、非難等をするものでもありません。

    • 暴力描写あり
    • 性的表現あり

    読了目安時間:4時間41分

    この作品を読む