鎌倉は、京の都を模していた。
鶴岡八幡宮を京都御所、由比ヶ浜へ伸びる若宮大路を朱雀大路と見立てる。
八幡宮の側には大倉御所、周辺には御家人の屋敷が構えられていた。若宮大路の西側には下総の千葉介の屋敷。
千葉介とは、国府役人である下総権介を世襲した千葉宗家が称す名である。
現在の下総権介は、6代目千葉胤綱。年の頃15.6の若者であった。
その若宮大路西側、甘縄の屋敷で、叫び声が上がる。声の主は、家人の佐平。
屋敷が揺れたのではないか!?と錯覚する第一声に続き「な、何と申された!?」と、問う言葉でさえ耳を擘く。問われた伊賀家の侍女は耳を押さえつけた。
そこで初めて自身が興奮し、声をあらげていたことに気付いた佐平は、ばつが悪そうにゴホンッ!と咳払いをしてみせると取り繕ったかのような澄まし声で「……で?何と申された?」と、問い直した。
「こちら、多美子姫様からのお文でございます」
「いや、その前でござる」
「はぁ……?」
「その前に何か申されたであろう?千葉介様の……」
「これは決して姫様のお言葉ではございません。私の勝手な考えにて……」
「それの後じゃ!」
「はぁ……縁組が整ったと申しますのに、姫様のお文にお返事を下されないとは、千葉介様はあまりに情け知らずだと佐平様からも申し上げて欲しいと」
「だだだだだ、誰と誰の縁組ですと!?」
泡を食ったような佐平の様子に、侍女は顔色を失った。察したのだ、千葉介は縁談のことを側近に話していないと。
そして佐平も察した、殿様は縁談の事を綺麗さっぱり忘れていると。
◆◆◆◆
「たわけ、忘れるわけなかろう」
何を申しておるのだ――とでも言いたげな胤綱の面に佐平は、ホッと安堵の吐息を漏らす。
「左様で……安心致し――ではありません!!」
安堵を浮かべたのは一瞬で、佐平は強い口調で胤綱を叱りつけた。側近の剣幕に眉をひそめた胤綱は地蔵を磨く手を止め、問うた。
「何が気に入らぬのじゃ?」
「縁談を了承されたことを誰一人知りませなんだ!」
「あぁ、申しておらぬからな」
「何故でございますか!大事なことを!」
「伊賀家は、判官の喪中である故に婚礼は1年後の話じゃ、急いで話す必要もあるまい」
「必要ございます!!」
「何故じゃ」
「な、何故ですと!?」
「吉日を占わせてもおらぬのに、準備も何もないではないか。当人は知っておるのだから良い――」
「――わけありませぬ!」
佐平は、主である胤綱の言葉を遮った。ずいっと膝を進め右手を突くと身を乗り出し「よろしいですか」と一言断るが、胤綱は顔を背け聞かぬと態度で表す。
「妙見菩薩は仰います。心武く、慈悲深重して正直なるものを守らん――と!」
「わかった!わかった!」
「いいえ!分かっておられませぬ!妙見菩薩は千葉家の守り神でございます、その神のお言いつけを千葉介が守らずして誰が守りますか!縁談を隠すなど……正しい道ではございません!正直ではありませぬ!真っ直ぐではございませぬ!!」
「佐平!」
うるさい、黙れ――と言葉を継ぎたいのは山々なれど、それを言うと小言が長くなることは胤綱の経験上、分かりきっていた。
佐平は、父が付けた守役の1人であり譲れぬことは、頑として譲らない。時に厄介だと思うが正しいだけに胤綱は、ぐうの音も出ない。
「それでは何故、黙られていたのですか。お答えによっては守役一同揃いて、お諌め申し上げねばなりませぬ」
「な!そこまで……」
冗談ではない!と言わんばかりに、胤綱は眼を見開いた。
「そこまで?事の重大さをお気付きでは……」
「気付いておる、わかっておる!」
「それでは何故?」
「何故……?」
佐平の眼は鋭く細まった、ここで叱られずに済む言い訳などある訳がない。どんなことを言っても小言を喰らうだろう、それに言い訳を考える余裕もなかった。
胤綱は、動揺したが守役の威厳を放つ佐平に勝てる気がしない。
大きく息をつき、口を開いた――。
◆◆◆◆
絎台に備え付けられた針山に針を差すと、はぁ……と小さくため息をつく。
屋敷の縁側で多美子は、うなだれた。
頭の中は、先程帰って来た侍女が語った一言『千葉介様は、縁談の話を誰にも打ち明けておられません!』
驚いた、心臓が飛び出る思い――というのは、このことだろう。
千葉介の縁談ともなれば、御家の大事ごとということは云うに及ばず、縁が結ばれた時は北条義時も居れば、伊賀光宗も居た。
両家揃い、証人というべき者は執権だ。そんな中、結ばれた縁は違えることはないが、その縁が納得するものかは別である。
(千葉介様は、元々縁談に乗り気ではなかった)
父・伊賀光季が何度、打診しても首を縦に振らなかったのだ。
今回は、情けをかけたのだろう――。
嫌々進めた縁談を、改めて一族郎党に告げる気にもならず、ひっそりと隠れるように話を進めるつもりなのかもしれない。
縁談とは、家と家の結び付きであり惚れた腫れたは関係ない、しかし一族郎党にも隠し通されては立場がない。
この縁談が、北条義時や大江広元立ち会いの元、決まった日から1月は経っている。話す機会がなかった――ということもない。胤綱は下総に帰ることなく鎌倉に留まっていたのだから。
多美子は、情けなくなり縁側で静かに涙を流した。
◆◆◆◆
千葉胤綱の本意が何処にあるのかなどは関係なく、大倉御所では最近になり噂が広がりだした。
もう少し噂になるのが早いと思っていた胤綱は、当てが外れていた。
(あの場には、執権、爺、三浦介、光宗殿が居たというのに……何故、1月もかかったのじゃ?)
別に広まっても良い話である。口止めもしていない、当然評定の席などから広まるものと思っていたのだ。しかし蓋を開けてみたら重鎮の口が堅いことこの上ない。胤綱は心底驚いた。
(ベラベラ話すものと思うておったが……)
今になって、御家人達が『伊賀家に決めたか!』『これは光季殿も草葉の陰でお喜びじゃ』などと声をかけてくる。
(遅いわ!!)
胤綱は、不機嫌に眉を寄せる。
すぐに噂が広まり、一族郎党の耳にも自然と入ると思っていたのだ。あとは『おめでとうございまする』と挨拶をしてくる家人に『準備を怠るでないぞ』と一言いえば済む……これが胤綱が理想とした流れだった。
それが、噂にならず思わぬ所からバレた。佐平には大目玉を喰らい、散々な目にあったのだ。思い出すだけで腹が立つ胤綱は、チッ!と舌打ちをし
「なんの……判官の喪中故、公表することを憚っておったのじゃが……かたじけない」
それだけ言うと足早に立ち去る。
頬に血がのぼるのが自分でも分かったのだ、胤綱は後悔していた。
あの日、佐平から『何故、隠していた』と詰問され言い訳を考える間もなかった、今のように『判官の喪に服していた』と言えば、まだマシだったかもしれない――が胤綱の口からは、焦りで本心が漏れた。
『恥ずかしかった』――と。
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熊乃しっぽ
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熊乃しっぽ
2021年11月28日 16時29分
涼寺みすゞ
2021年11月28日 17時47分
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涼寺みすゞ
2021年11月28日 17時47分
郭隗の馬の骨
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郭隗の馬の骨
2021年10月13日 21時08分
涼寺みすゞ
2021年10月13日 21時26分
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涼寺みすゞ
2021年10月13日 21時26分
gaction9969
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gaction9969
2021年10月14日 13時03分
涼寺みすゞ
2021年10月14日 14時34分
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涼寺みすゞ
2021年10月14日 14時34分
あんこ
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あんこ
2021年10月19日 13時18分
涼寺みすゞ
2021年10月19日 17時35分
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涼寺みすゞ
2021年10月19日 17時35分
ななせ
(遅いわ!!)←千葉介君の、こういう突っ込みが好き。
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ななせ
2022年3月13日 21時32分
涼寺みすゞ
2022年3月14日 18時39分
千葉介、結構 重鎮達にも突っ込み入れますもんねwきっと屋敷に帰る頃には血圧上がって「疲れた、もう寝る」とか言いそう。
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涼寺みすゞ
2022年3月14日 18時39分
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