下総の犬~玉響~

読了目安時間:4分

エピソード:96 / 100

いざ、下総!

 ◆◆◆◆  暮新月(くれしづき)  寒さ、まだ極大(きょくだい)には(いた)らず、この日は多少(たしょう) 冷たさを感じる朝風(あさかぜ)を頬にうけ、年の頃16.7の青年が背後に立つ女を振り返った。  恭しく(かしず)かれ輿に乗り込む女は、伊賀光季(いが みつすえ)の娘、多美子(たみこ)である。  亡き判官光季(はんがん みつすえ)の念願叶い、下総権介(しもうさごんのすけ)である千葉胤綱(ちば たねつな)の妻として胤綱の自領である下総へ向かう日であった。当初、光季の喪が明ける5月以降――という話であったのだが、今は暮新月。  まだ1月だ。 「出立――ッ!」  先触れの者の大音声(だいおんじょう)に胤綱の馬が歩みだす。馬首を並べる佐平は、にこやかに声を掛けた。 「殿様、下総では皆が首を長くして待っておりますぞ」 「……左様じゃな」 「おや、おや、まだご不満ですか?」 「不満などない」 「それでは、もそっと嬉しそうなお顔をお見せください」 「あのホラ吹きのせいで、いらぬ恥をかいたことが気に入らぬのじゃ」 「これは異なことを。お陰で逢い引きのお噂も吹き飛んでしまいました。光村様には感謝でございます」 「たわけ!元々あやつがふざけた噂を撒き散らした事が発端じゃ!」 「はははッ!それもそうでございました」  乾いた空気に、佐平の楽しげな声が響いた。  前倒しになった婚礼は、またしても妙な噂がもたらした事だった。  発端は、星見の宴と称された場に胤綱が誘われた日に遡る。三浦泰村(みうら やすむら)と多美子の噂を撒き散らしたのが、三浦光村(みうら みつむら)であることが分かり、その噂を消すことを命じた。  光村は、すぐに打ち消せると伊賀光宗(いが みつむね)を伴い三浦家へ向かったのだが、すぐに戻ると言った光宗は体調不良で足止めをくらい、運悪く大倉御所付近に盗賊が現れた。  胤綱は伊賀家で足止めされ、やっと解放されたのは明け方近くだった。  時明(ときあ)かりの空を眺めながら屋敷へ戻り、直ぐ様 御所へ出仕したのだが、すれ違う者達がニヤニヤと笑う。掛けてくる普段の挨拶も何やら含みがあるようだ。胤綱は不思議に思うものの放っておいた――が、直ぐ様その理由は判明した。 「その方、昨晩許嫁と共に過ごしたらしいではないか」  大あくびをしながら問うてきたのは、三浦義村(みうら よしむら)だった。それに呼応するように「ほう?」と唇を引き上げたのは北条義時(ほうじょう よしとき)。  胤綱は、嫌な予感がした。  伊賀邸で過ごしたことは嘘ではない。  そなたらの思っているようなことはない!と言ったとしても、そこは論点にならないのだ。慌てては負け――、平常を保ち口を開く。 「昨晩、大倉御所付近で盗賊が出没したとか。三浦家を訪れていた光宗殿が体調悪く、戻れぬと報せがあった故、代わりに警護をしていたまで……ん?その方ら、どうした?」  胤綱の話を聞いていた2人は、怪訝そうな表情で顔を見合わせる。 「千葉介、光宗殿は昨晩うちに参っておらぬぞよ?」  こう告げるのは三浦介。  続けて、執権(しっけん)北条義時も口を開いた。 「千葉介、昨晩 賊が出たなど報告は上がっておらぬぞ?」 「は?そんな訳は……」  否定する言葉を漏らすが、語尾が尻窄みに細まる。胤綱はぐっと唇を引き結んだ。  (してやられた!)  胤綱は気が付いた。  光宗の体調が悪化したこと、御所付近の賊騒動、全てが初めから計画されたものだった――と。  噂をどうにかせよと申し付けた、あの一瞬で光村が思い付いたというのなら感心せざるを得ない。盗賊が出たと報せ、屋敷に足止めしたのも胤綱と多美子が一緒にいたという既成事実を夜明けまで維持する為だったのだろう。  今更、光村を問いただしても埒があかぬ――と胤綱は立ち上がった。  当然ながら胤綱は広まった噂を何とかしようと考えた。舅となるべき伊賀光季(いが みつすえ)の喪が明けぬうちに通い、夜を明かしたという内容は胤綱にとって黙っておられぬほど恥ずかしいものだったのだ。  しかし、大江広元(おおえの ひろもと)が待ったをかけた。わざわざ打ち消すよりも、迎えてしまえ――と。   「番役を終え、下総へ多美子殿を伴えば一族郎党、安心するのではないか?」  大江広元は静かに口元をほころばせる。  無論、胤綱も千葉家のことを考えれば祝言は早い方が良いことは分かっている。それ故、この言葉に頷いてしまった。  こうして、正月参賀を済ますと多美子を連れ、国へ戻ることとなった。  鎌倉から下総への街道は、東海道下ノ道と呼ばれた。山ノ内から弘明寺(ぐみょうじ)保土ケ谷(ほどがや)を経て、鶴見(つるみ)方面に至る。下総(しもうさ)上総(かずさ)に通じており、上ノ道などと同じく東国御家人の鎌倉への道として整備されていた。 「千葉介様、私このように遠出をしたことがありませぬが、この道を進めば下総のお屋敷へ辿り着くのでしょうか?」  なだらかな起伏が続く中、休息をとる一行から少し外れた木陰で多美子が尋ねた。  見渡す限り、平野が広がり賑やかな町など見当たらないことから、下総は遠いのかと聞きたいのだろう。 「屋敷へ入るのは10日程後じゃ」 「そんなに!?」 「多美子様、これは珍しいことにございますよ」 「佐平、うるさい」  肩をすくめた佐平は、クスリと笑う。そっぽを向き景色を眺める胤綱の考えなど、佐平は手に取るように分かる。  何事も素早く行うことを良しとする胤綱が、道中のんびり進むことなどありえない。  これは、ひとえに鎌倉を出たことがない多美子に道中を楽しんでもらおうという考えの元、組まれた日程だった。  まさか、胤綱がここまで多美子を思いやるとは考えていなかったと、佐平は感慨深く2人を見つめた。

鎌倉街道は「東海道」と記載があり上・中・下とあった。ただし何処に通じていた等の詳しいことは諸説あり。下ノ道は鎌倉から朝夷奈切通、金沢へ出て、その後は東京湾沿いに下総国府方面さらに常陸国へと続くとも、金沢六浦から東京湾を渡り、房総半島に上陸。上総・下総・常陸と向かうと説もあり。

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  • 2周年記念ウルスラ&女子作家ちゃん

    郭隗の馬の骨

    ♡200pt 〇11pt 2021年11月16日 8時43分

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    見事なお点前で

    郭隗の馬の骨

    2021年11月16日 8時43分

    2周年記念ウルスラ&女子作家ちゃん
  • 文豪猫

    涼寺みすゞ

    2021年11月16日 15時44分

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    「いつも応援ありがとう!」ほっぺげver.ノベラ&ステラ

    涼寺みすゞ

    2021年11月16日 15時44分

    文豪猫
  • サキュバステラ

    特攻君

    ♡50pt 〇10pt 2022年3月9日 10時19分

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    さすがですね

    特攻君

    2022年3月9日 10時19分

    サキュバステラ
  • 文豪猫

    涼寺みすゞ

    2022年3月9日 11時52分

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    「いつも応援ありがとう!」ほっぺげver.ノベラ&ステラ

    涼寺みすゞ

    2022年3月9日 11時52分

    文豪猫
  • 涼寺みすゞさんは更新頻度が安定してるのに、毎度の事ながら内容が抜かりないのでそのスタイルにとてもウラヤマです😭

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  • 文豪猫

    涼寺みすゞ

    2021年11月21日 14時42分

    何を仰る!とらえもんさんの作品は、よく練ってある上にあの挿し絵ッ!文も考え、絵も描くとか……それこそウラヤマです😂

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    涼寺みすゞ

    2021年11月21日 14時42分

    文豪猫
  • 女魔法使い

    月瀬ハルヒ

    ♡2,000pt 2021年11月16日 14時04分

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    応援しています

    月瀬ハルヒ

    2021年11月16日 14時04分

    女魔法使い
  • 文豪猫

    涼寺みすゞ

    2021年11月16日 15時49分

    あれ!? ハルヒさん (゜ロ゜ノ)ノ!? 名前2度見してしまいました(笑) Twitterのみならず、こちらにまで応援残して頂きありがとうございます!あと2話+後書き2話で完結作品になります。

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    涼寺みすゞ

    2021年11月16日 15時49分

    文豪猫
  • エリナ(QB)

    あんこ

    ♡1,000pt 2021年11月18日 22時56分

    優しい~~!!胤綱、多美子にはやけに優しいですよね~!女の人に弱いのかしら?

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    あんこ

    2021年11月18日 22時56分

    エリナ(QB)
  • 文豪猫

    涼寺みすゞ

    2021年11月19日 13時55分

    胤綱は年寄りと女には優しいようです(笑)教育の賜物で御家人(大人)には堂々と渡り合いますが、弱った爺に亡き父を重ね、女の人はあまり関わることがなかった為か接し方が分からないのだと思います。なので多美子にも当初怒鳴り散らしたこともあります(承久の時)、泣かせたことで優しくなりました

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    涼寺みすゞ

    2021年11月19日 13時55分

    文豪猫

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