下総の犬~玉響~

読了目安時間:3分

エピソード:40 / 100

薄氷

 大江広元(おおえのひろもと)御前(ごぜん)を退出した千葉胤綱(ちば たねつな)は、御所西庭にある池を覗き込んでいた。  折しも早朝、肌を刺す冷たい空気も相まって西庭の池は、薄くではあるが全面に氷が張っていたのだ。  薄氷(はくひょう)を覗き込む胤綱(たねつな)の頭にあるのは、夢に見た氷面鏡(ひもかがみ)のことではなく、源頼茂(みなもとの よりしげ)の夢であった。 (この上ない慶事に、不吉極まりない夢とは……)  しゃがみこみ水面(みなも)を覗く胤綱の(まなこ)は、物思いにふけるのに似つかわしく、ぼんやりと薄氷を眺めていたのだが、次の瞬間 みるみる内に瞼が見開かれた。  氷に人影が映ったのだ。 「なッ!まさか!?」  信じていたわけではない……が、今まさに氷に人影が浮かび上がっているのだ!  胤綱(たねつな)は、池の縁に両手を突き 身を乗り出した。ぼんやりと浮かぶ顔は、どのような者なのか――、 「懸命に何を覗いておるのじゃ?」 「ぅわぁ!!」  胤綱は飛び上がった――と、同時に聞き覚えのある低い声に勢いよく振り返る。 「三浦介(みうらのすけ)……!」  背後に立つ者の正体を口にした途端、右手が滑り落ちた――! 「……あ!」 「あ……ッ!!」  刹那、胤綱(たねつな)は頭から薄氷を叩き割った。  勢いよく上がる水飛沫(みずしぶき)と共に、ゴボゴボとなる水音と「千葉介(ちばのすけ)――!!」と叫ぶ声を、耳に捉えながら思う――。  今年は、ついてない――と。  ◆◆◆◆ 「急に声をかけた儂が悪かった」  申し訳なさそうに謝罪する三浦義村(みうら よしむら)に、千葉胤綱(ちば たねつな)は首を振る。 「いや……儂の落ち度じゃ」  ガタガタと震える胤綱(たねつな)を、()(かか)小侍所(こざむらいどころ)に駆け込んだのは、他ならぬ三浦義村(みうら よしむら)であり、さすがに 「そうじゃ!そなたのせいじゃ!」とは言えなかった。  しかも、今 胤綱(たねつな)の身に付けている直垂(ひたたれ)は、たまたま居合わせた義村の倅・光村(みつむら)の物だという。  光村とは、数日前 由比ヶ浜(ゆいがはま)にて胤綱に追いかけ回された、あの男だ。 「光村(みつむら)……殿にも礼を言わねばならぬが……」 「構わぬ」  小侍所(こざむらいどころ)の者に、衣類を準備させたが大人の物しかなく、胤綱(たねつな)を抱えたことで濡れた義村(よしむら)がそれを着用し、胤綱には光村(みつむら)の物をあてがったという。  それならば、光村は今 何を着ているのか?と思うが、それを口にする前に義村が尋ねた。 「考え事をしておったのか?それとも魚でも眺めていたか?」  本来ならば、三浦義村(みうら よしむら)の尋ねなど無視する所なのだが、状況的に答えざるを得ない。 「……八幡宮で鳩が死んだ」 「成る程」  会話は成立した。  不吉な夢の話も、実際に境内で鳩が死んだことも、三浦義村(みうら よしむら)が知らぬ訳はないのだ。 「三浦介(みうらのすけ)……どう思う?」 「……どうもこうもないわ。ところで千葉介(ちばのすけ)、そなたは明日 屋敷におるのであろう?」 「ああ、儂は父を亡くして日が浅い。慶事に列することはない」  胤綱(たねつな)は、父・千葉成胤(ちば なりたね)を建保6年4月10日に亡くしていたことから、今回の鶴岡八幡宮の参拝は、供をする立場ではなかった。 「そなたは、前駈(ぜんく)であろう?」  胤綱は問うた。  行列は、それは華々しい物になる。  居飼(いかい)舎人(とねり)一員(いちいん)殿上人(てんじょうびと)前駈(ぜんく)の笠持――、次いで胤綱(たねつな)が口にした『前駆』である。  勿論、その後にも行列は続くのだが、この前駆と言うのは名の通り、行列の前方を馬で先導する者だ。  鎌倉御家人(かまくら ごけにん)でも、錚々(そうそう)たる者が名を連ねることは、分かりきっていた。  胤綱(たねつな)は、あまり興味がなく目を通していなかったが、三浦義村(みうら よしむら)がここに位置するのは確実だと口にした――が、返ってきた答えは予想もしていないものだった。  義村は、視線を火鉢にあてるとボソリ……と呟いた。 「儂は、屋敷におる」――と。

●千葉胤綱(ちば たねつな) 12程の年若い者だが 国府役人ナンバー3である『下総権介』上2つの役職は不在の為 事実上のトップ 下総千葉家の当主 通称・千葉介。 ●三浦義村(みうら よしむら) 北条家と肩を並べる程の有力御家人。

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