ゲートキーパーズ・アパート ~異界対策部のお仕事~

読了目安時間:5分

第九章 悪夢を招く者

悪夢を招く者 1

「『悪夢を招く者(ファントム・ブリンガー)』?」 「そう。元々は『幻を連れてくる』程度の意味合いだったのだが、次第に悪い意味でしか使われなくなっていったようだね。私も遭遇(そうぐう)したことはないが、状況から見て間違いないだろう」  それからマスターは遠子(とおこ)に礼を言い、目の前に置かれたコーヒーを一口飲んだ。彼女はミーティングルームを一周し、皆へと飲み物を運び終えると、空いていた席に腰を下ろす。 「わたしも、お祖母(ばあ)さまから聞いたことがある。『ファントム・ブリンガー』には気をつけなさい。きっと悪いことが起こるからって」 「んで、あのガキとおねーさんがそうだったって?」 「少年の方だね。『レディ・サウザンド』と呼ばれていたのは幻影(げんえい)だろう」 「そういえば最後の消え方、何か変でしたよね」  それは理沙(りさ)だけではなく、皆が感じたことだった。それ以降、『レディ・サウザンド』らしき者がどこかに姿を現したということも、魔力の残滓(ざんし)感知(かんち)されたという情報も入ってはこない。 「他の事例がそうであるように、少年にとって君たちとの戦いは『現実』ではなかったのだろう。彼は恐らく、『夢の中』でゲームに(きょう)じていただけだ」  この世界のどこかに存在しているのか、あるいは異世界の住人か。いずれにしろ『ゲート』の力も借りることなく、空間を渡り歩く能力者。共通しているのは皆、それを無自覚に行っているように見えるということだった。 「彼ら自身も幻のようなものでね、本体なのかどうかも定かではない。調査を試みた者もいるようだが、上手くいった例を少なくとも私は知らない」 「でも幻なんて強さじゃなかった気が……」  祥太郎(しょうたろう)は命の危機に(さら)されたことを思い出し、身震いする。書庫の火事も収まり、今は他のスタッフたちが事後処理に追われているようだが、あそこで起きた戦いは幻などではない。 「それが、『悪夢』と言われるゆえんでもあるね。秘められた強大な魔力が、無意識下(むいしきか)で爆発した結果だという説もある。だからその痕跡(こんせき)を追うのすら、並大抵のことではないと」 「正体をつかめないと、噂ばかりが大きくなるってこともあるのよねぇ。人って怖がりだから」  遠子がぽつりと付け加え、煎茶(せんちゃ)をすすった。 「マリーちゃん、どうかした?」  声をかけられ、じっと床を見つめていたマリーは顔を上げる。遠子だけではなく、皆の視線が集まっていた。彼女は何と言ってよいのか分からず、曖昧(あいまい)に首を動かす。 「ええ……何か嫌な予感がするの。確かにあの『レディ・サウザンド』は強かったけれど、お祖母さまの言っていたのは、もっと違うことのような気がする」  そうして紅茶を一口飲んだ。ベルガモットの香りが、ふわりと口から鼻の奥へと広がる。  祖母がその後何と言っていたのか、彼女の記憶には残っていない。もしかしたら、大したことは言われていないのかもしれない。祖母もまた、誰かから『ファントム・ブリンガー』の事を聞いたに過ぎないのかもしれないのだから。 「大丈夫だよ、何かあってもいつもみたいに、みんなで乗り越えれば。ね?」 「理沙ちゃんの言うとーり! 今んとこなーんも()えねーしさ。平和平和」  理沙と(さい)に励まされ、マリーは小さくうなずくと、また紅茶を飲む。  確かにこれまでもそれなりに危険な目には()ってきたが、乗り越えてきたという事実は、自信になる。  それでも、しこりのような居心地の悪い感覚は、中々彼女のもとを去ってはくれそうになかった。  ◇ 「どうしても駄目(だめ)?」 「駄目です。まだ調査中ですから」 「だって、わたしも当事者だし、お役に立てるかもしれないでしょう?」 「でも目的は本を見ることですよね?」 「……ええ、まぁそれは」 「じゃあ後にしてください。今それどころじゃないんで」  そう言い捨て、書庫へと入っていく男の背中に、マリーは小さく舌を出す。 「何やってるの?」  突然背後からした声にびくりとして振り返ると、そこにはおっとりとした笑顔があった。 「な、なぁんだ、トーコ。トーコこそどうしたのよ?」 「だって私、解毒係(げどくがかり)だもの」 「……ああ、そういえばそうよね」 「何か気になることでも?」 「まあね。ちょっと、フォンドラドルードの蔵書(ぞうしょ)にヒントがないかと思って」 「ヒント? ……ああ、『悪夢を招く者(ファントム・ブリンガー)』の?」 「ええ」  うなずき、何気なく書庫の扉の方を見た時、マリーの心に疑問がわき起こった。 「解毒って、もう終わったの?」 「そうよ。戦った時にどういう毒かもわかったし、遠子さんにかかれば、ちょちょいのちょいよ。あとは念のための確認と、お片づけね」   遠子は言って指をくるくる回し、おどけて見せる。それはとても、彼女らしい仕草だった。 「さすがね。……そういえば、トーコはどうしてあの結界のことを知っていたの? マスターから聞いたとか?」 「いいえ。町を守る結界だから、きっと上手くいくんじゃないかって思ったの」 「そう……そうよね。『アパート』の近辺では、何が起こるかわからないものね」 「それじゃ、マリーちゃん、私も行ってくるわね。また後で」  白い鹿の像の間を(くぐ)り抜け、彼女の姿が完全に書庫の中へと消えたのを見送ってから、マリーは小さくつぶやく。 「……ありえない」  先ほど扉の中へと入っていったスタッフも明らかに普通の服で、特に何の結界を張っているようにも見えなかった。毒の処理は、本当にあっという間に終わったのだろう。  今までであれば、何の違和感も覚えなかったに違いない。戦ったのが、マリーの作り出した結界を瞬時にすり抜け、祥太郎の力をも簡単にかわしてしまうような相手でなければ。 「ありえないわ」  そして、マリーは結界師(けっかいし)だった。  未熟なところもあるとは自覚している。しかし名家と呼ばれるフォンドラドルード家の一員として生まれ、幼い頃から修行を積んできた。あれほど強力な結界の近くにずっと住みながら、その存在に気づかないなど、ありえない。シミュレーターで過去へと行ってしまった時のように、力を封じられていたというわけでもないのに。  扉に目を向けたまま数歩下がり、それから(きびす)を返して歩き出す。その足取りは、次第に速くなっていった。

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