Just your love gave "me" plenty of happiness -科学と禁忌と至上の愛-

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過去への入口

助手

 新世暦(しんせいれき)230年。北陸州の西部に函ノ矢(はこのや) (まなぶ)という、未だ駆け出しながら将来有望と目された医者の卵がいる。普通だったらまだ養老施設でアルバイト同然の仕事を請け負わされるはずなのだが、彼は医大時代に書いた論文をきっかけにその類まれに見る有能さを認められ、異例の早さで本格的な医療現場に駆り出されることになる。  彼には『同居人』がいる。名はEpioneという。彼女は学とその友人たちの手で生み出された、学のアシスタント志望の少女である。彼女は、耳の辺りからのびる装置を除いた体の質感も、先進AIを使って作られた人格も、見た感じはヒトのものと変わらないから、3世紀前の人間(われわれ)が彼女を今どきのヒューマノイドか何かのつもりで見たら驚くであろう。  ある夜。学の書斎にEpioneが入ってくる。 「学さま。本日の学習作業を終えて参りました。」 「おつかれさまEpione。君は本当に勉強熱心だ。」  Epioneは主人に頭を撫でられてはにかんでいる。 「ありがとうございます。でも私には、学さまのお手伝いを優秀にこなすためにまだまだ知るべきことがあります。ところで、本日はヒトがどのように生命を授かり、産まれるのかを知りました。私は、この体を学さまにつくっていただいたことを知っています。あなたは私の父親とでも言うべき存在です。『お父さん』って読んでもよろしいですか?」 「『お父さん』はちょっと……やめてくれ。ついでに言わせてもらうと、『学さま』っていわれるのも何だか、君を奴隷や家来として生かしているようで好きではない。」 「ではどうしましょう……そうだ、『マスター』でどうでしょう。学習の合間に読んだ素敵な小説で見た呼称です。あなたのこと、『マスター』って呼んでみたいです。」  学は苦笑いした。 「それじゃ様付けと大して変わらないじゃないか……。俺には女性にそういう類の言葉で呼ばせる趣味はない。せいぜい、『ドクター・ハコノヤ』とか、もうちょっと――」 「あなたは一体、何のために私をつくったんですか?私はあなたの手助けのために生まれたのではないのですか?あなたには私を家来のように扱う大義名分があるはずです。」 「君は少し誤解しているな。俺は君を、他でもない君のためにつくった。もっとも、体や人格を俺の手だけで()()からつくったというわけでもないのだが。少なくとも、俺は君に、君自身のために、君の思うように『生きて』ほしい。学習作業はそのための準備でしかない。俺のアシスタントになるのだって、君が最初に言い出したんだ。」  Epioneは少しだけにやついて答える。 「私は、人は単に自分の手助け役としてロボットやヒューマノイドを造るものだと思っておりました。あなたは変わり者なんですね。……でも、マスター呼びは認めてもらいます。あなたの呼び方ひとつ私の思うように決めさせてもらえなくて、何が『私の思うように生きる』ですか。」 「はぁ。俺たちは少しだけ、君を賢くつくりすぎたようだ。しれっと俺を変人呼ばわりするし。……ナカミまで、こんなに似てくるとは。」 「……?何かおっしゃいましたか?」 「――いや、何でもない。忘れてくれ。」  ◇◇◇  ヒトの記憶は、五感を司る神経系への刺激をきっかけに脳内に蓄えられていく。しかし、その刺激から長い時間が経てば経つほど、まるで放電時のキャパシタ内のエネルギーの如く、やがて薄れてなくなっていく。もっとも、「薄れてなくなる」というのはあくまで直感的表現であり、実際にはしっかり脳内に保たれている記憶に何らかの要因でアクセスできなくなるだけであるとみられる事例も多いが、脳というブラックボックスの記憶のメカニズムは何世紀にもわたる研究をもってしてもよくわかっていないのが実情である。  ところで、嗅覚と結びついた記憶は特別長く残りやすい。嗅いだにおいをきっかけに、失われていた記憶を呼び覚ますこともある。におい物質の中にこそ記憶の本体が含まれているのではないか、なんて荒唐無稽で疑似科学めいた(今のところは)ことを本気で考える人間も、もしかしたらいるかもしれない。  学がEpioneを呼びつける。 「病院が忙しくて、もしかしたら3日くらい家を空けるかもしれない。Epioneに留守番を頼みたいんだ。」 「わかりました。お任せください。」 「寂しい思いをさせてしまうだろう。申し訳ない。」 「この家にはマスターの匂いが染み付いているはずです。心配しないでください。」 「そうか、ありがとう。できるだけ帰れる時には帰ってくるようにするが。君も立派な匂いフェチなんだな。」  Epioneは少し恥ずかしい事をいわれた気がして照れてしまう。  学が家を出た翌朝、Epioneは彼との挨拶で一日が始まるのが当たり前だったのが、今日からしばらくそうではないと思い出し少しだけ寂しい気がして、書斎の椅子に雑にかけられた部屋着に手を伸ばして何の気無しに自分の鼻にあてがい始める。  普段、学は君に変な病原菌を移したらいけないからといって彼女と密着することはなく、彼の匂いをここまでしっかり感じるのは初めてのはずなのだが、やけに懐かしい匂いであるような気がする。一瞬、脳裏に少年の姿がフッと浮かんぶ。彼と一緒に崖で夕日を眺めている。なんでだろう、彼女の目からほろりと涙がこぼれる。 「あなたは……マスターなの?」  彼が少年時代の学であるとするならば、なぜ自分が昔の彼の顔をあんなにはっきりと思い出すのかEpioneには皆目検討がつかない。 「私……あの人のこと、気になる。もっと知りたい。」

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