魔大陸の奥。 そびえる岸壁の頂に鎮座する巨大な城。 見ようによっては神殿のようなその巨大な建造物こそ、魔王ヴォルカスが身を置く魔王城。 その周囲には許されざる者を拒む失明の霧。 霧に包まれた者はその報告感覚を失い、いくら進もうが城の足元、その崖の淵を拝むことすら出来ない。 魔王の城。さらにその最上階に位置するひと際巨大な部屋。 魔王ヴォルカスはいつもその部屋から魔大陸を眺めながら、 物事を思案していた。 巨大な龍も軽々と通り抜けることが出来るほど巨大な窓の前に立つ理由は、 その目で世の成り行きを知覚し、魔大陸で起こる出来事そのすべてを把握するため。 黒く長い長髪は微動だにせず、ただ腕を組みたたずんでいるだけ。 しかしその存在感はこの巨大な城も小さく見えてしまうほど。 「ふむ…。」 海の遥か先にのぞむ人族の暮らす大陸を睥睨した後、魔王ヴォルカスは一人で小さく頷く。 魔大陸は人が住む大陸のそれと全く異なる構造で出来ている。 人大陸は元素と呼ばれる物質により構成された草木や岩でできている。 しかし、この魔大陸は魔素と呼ばれる力の根源により構成される。 人大陸の草木は、大地に流れる水を吸い、その水の中に溶ける養分を糧とする。 魔大陸の草木は、大気に漂う魔素を吸い、それそのものを糧として生きる。 人大陸の動物は、血肉を腹におさめるために狩りを行い、他の生き物を食する。 魔大陸の動物は、より多くの魔素を取り込むために、他の生き物を殺し、魔素を奪う。 似たような構造だが、媒介とするものが違う。 物質をつかさどる元素はそれそのものが形を成し、 魔素は生き物のようにさまざまな形を成す。 異なる元素が反応しあうとき、そこに火柱が立つ。 多量の魔素が集まったとき、同じく火柱が立つ。 そのような違いだ。 魔王ヴォルカスはこの大陸にある魔素と繋がり、 この窓から、目だけでは知覚できないさまざまな情事を感じている。 と…その沢山ある情事の一つ。 海岸沿いの小さな街で、懐かしい理の気配を感じとる。 「魔法陣か」 ヴォルカスが呟くとほぼ同時。巨大なドアがゴゴゴと音を立てて開く。 数名の死人兵がドアを開け、奥から死人を従えた魔族近衛がコツコツと足音を立てて部屋に入ってくる。 パリッとしたジャケット、黒い長髪。少しジト目気味の、悪く言えば根暗そうな雰囲気の女性魔族。 「失礼します」 「サラか」 予測して通りの来訪者に対して、向き直り何事か、と視線を向ける。 サラと呼ばれた魔族はクイッと眼鏡を上げた後、事務的な口調で部屋に訪れた目的を話す。 「ヴォルカス様、何やら海岸沿いの街で人族の娘が暴れていると報告があったのですが…」 「人族の娘?ふむ…。」 何か見知らぬ気配を感じたのは確かだが、まさか人族の娘がこの魔大陸に何の用だろうか。 とヴォルカスは思案する。 「船などを見かけた者はおらず、港があるような場所でもなく。私たちが知らぬ術を用いるそうです。」 魔法陣。古の時代に使われた術。 地に眠り、気中に漂う魔素に働きかけ意図した作用を起こさせる原初の魔法。 魔の生き物にとっては当たり前のことを、異なる理でもって使役する術。 決して便利でもないその力を、今更掘り返して使う物好きとは。 ヴォルカスにしては珍しくその人間を一目見てみたいと思った。 しかし…サラという魔族は有能だ。 相当なことでなければ、お手を煩わせるわけには、とかなんとか言い、 ほぼ全ての物事を持ち前の有能さで納めてしまう。 ここは言い訳が必要か。 「ふむ。オレンドはどうしている」 「今は人族の生産拠点を抑えるため侵攻へ向かっております」 想定問答。 「そうか。他の魔族もだったか。」 「えぇ。海獣が海、怪鳥が空より。そして傀儡師が船となり、亜人達も魔海溝を進んでいます。」 知っている。 「ですので、オレンドは上陸のため敵船の防衛網の突破口となるため出陣しています」 「そうだったな」 「はい。」 さて… 「そうか。では、私が様子を見てくることとしよう」 「ご安心ください。私が近隣の魔族に伝令を飛ばして、その者を鎮めます」 これも想定問答 「しかし、知らぬ術を用いるのだろう。」 「…?そうですね。しかし、所詮は人族が暴れている程度だと聞きます。街に屯する魔族はいざ知らず、軍に属する魔族で遅れとることはないかと。」 サラも引く様子はない。 自分の仕事にプライドを持ち、魔王の手を煩わせる気は甚だない。 「ふむ。その者の正体がはっきりしない状況であれば、私が直接出向き、その実体を明らかとしてこよう。誰を向かわせるかは、その後でもよかろう。」 「!?」 魔王が戦争や政以外のことで直接何かすること。 何か失態を犯したのでは、とサラに思わせるのに十分な理由である。 それほどにサラは己の責務に対して忠実であり、魔王に忠義を立てている。 「…差し出がましいですが、敵の正体は不明であり、万が一でもあれば…」 苦し紛れの制止。 だが、興味で行動しようとしているヴォルカスにとっては、 身を案じる言葉というのは実に分が悪い。 「私に万が一があるというのだな?」 「いえ、失礼しました」 口からついて出た言葉に気づき、ヴォルカスは己の未熟さに歯がゆさを感じる。 魔王といっても、結局は生き物であり。 力があって、同じように心がある。 「ふむ…。今のは、すまなかった。忘れてくれ。ふむ。どうにも、そなたには甘えてしまう」 まっすぐに見つめるサラの黒の瞳。ヴォルカスはその少し左下へ目を逸らす。 「…どうされました」 「サラよ。そなたの心配りには感謝する。が、私も時には外に出て、知らぬ何かを見てみたいのだ。魔王であっても堅苦しい思いをし続けるのはなんとも肩がこるのでな」 勝負あり。一時でも感情的になってしまった自分を反省しながら、 魔王ヴォルカスはふっと笑い、正直な心を語る。 応じるようにサラも息を吐くように笑う。 「ふふふ。そうですか」 ふとヴォルカスは視線を外に移す。 自分から外に出て、何かに興味を持つなんていつぶりだろうか、と思う。 その昔は良く外の世界に憧れたような、うっすらと、そんな気がする。 「サラよ。そなたも外に出たくなったら言うと良い。すぐにでも聞き届けよう」 「ありがとうございます」 ヴォルカスが部屋の奥の、一層深い影が落ちる一角に手をかざすと、 床から黒い煙が立ち込め、闇の回廊が魔大陸のどこかとつながる。 「では、様子を見てこよう。何事もなく、帰ってくる。安心すると良い」 「わかりました。お気をつけて」 サラは背を向けるヴォルカスに一礼をし、 そのままヴォルカスが回廊の中へ消えるまで、頭を下げ続ける。 回廊が閉じたことを気配で察知すると、さっと頭をあげ、 空いていたカーテンを指さし、魔力を使ってバサッと閉じる。 足早に扉から出て、裏に控えていた死人に締めるように無言で念じた後、 ジャケットのポケットから小さな傀儡を取り出して一人の魔族に交信する。 「どうしよう、オレンド。ヴォルカス様がお一人で出ていきました。止めたのですが…なぜか今日は我儘を仰られて…」 手に収まるほど小さな傀儡が大声で「はっはっはー!」と笑った。 時は少しさかのぼり魔大陸の海際の街マモン。 見慣れぬ1隻の小舟が街近くの海岸線に漕ぎつく。 「よいしょっと!」 乗るのは金長髪の女性。歳は二十歳を過ぎたくらいか。 年季の入った冒険服に身を包み、同じ色のリュックを背負って船を降りる。 ジャリジャリ 足に伝わる感触は、故郷の大陸とそれほど変わらない。 まさに海岸。 「着いてみれば大したことないわね」 とぼやきながら、うーんっ、と船の奥に手を伸ばす。 ゴトッ 荷物の最後に船から取り出したのは、相棒の巨大ツルハシ。 彼女の身長ほどもある。 彼女はトレジャーハンターのロクシー。 冒険を求めに求めて、ついに一人で戦争中の魔大陸に来るほどの冒険ジャンキーである。 「さてと、ここはどこかな、えーっと…。」 魔大陸に眠る遺物に夢をはせ、 どこぞの遺跡で見つけた、古めかしい地図をガバッと広げる。 少し離れたところから、ワラワラと魔族が集まってきていることを気にも留めずに。
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