まっ暗な黒川病院の屋上で首から下げたスマホをこちらに向けて見ると時刻は2:04でした。
私は少しだけかっこつけて自嘲気味に「丑三つ時ってことか、ぴったりじゃないか…」と胸の中で悪ぶってみました。6月の蒸し蒸し蒸しした空気が体中にまとわりついてくるここは、私が一年近く入院している町外れにある8階建ての黒川病院です。
横柄な病院長を始め、患者につらくあたるという噂があって町ではかなり評判の悪い病院です。私も何回も悔しく、惨めな思いをさせられました。だからここでいいのです。治療はしてもらいましたが、良い思い出や感謝の気持ちはわずかもありません。昨年脳内出血を起こした50歳の私は
後遺症で手足が動かなくなり、今では身体障害者手帳1級を交付されています。もう二度と元通りにはなりません。仕事も収入も無くしました。家族にも見放されました。仕事にはずっと行けていないので仕方ありません。そもそも関係が冷め切っていた妻に見放されたのは健康問題もありますが、その前からの多額の借金と、冬子との不倫関係が露見したことが大きく影響しています。楫野冬子は10年前に私の恋人になった美しくて優しい女性です。これまではもちろん、私が重度の身体障害者になってからも変わらず優しく愛情を注いでくれています。私はこの美しい人を妻にしたいとずっと考えていました。冬子も同じ愛情を私に向けていました。どちらも本気だったことは間違いはないのですが、私たちが出逢ったとき、冬子にはすでに夫があり、私には妻子がありました。これは今でも変わっておりません。また、経済的にも一緒になれる余裕はありませんでした。つまり、問題だらけだったということです。そこへ私の健康問題まで加わったのです。私の収入、健康、社会的地位、全て変わりました。悪くなりました。病前と変わることがないものは冬子だけです。しかし、最も尊い宝ものだと思っています。収入無し貯金無し、体が不自由で、抱いてやることもできない。そんな私を冬子は無償の愛で包んでくれています。これまで冬子は私との幸福な将来を望む一方で、なぜか愛情が特に深まったと私が感じているときや、何かが進展しそうなチャンスがあると、しばしばそういう良い関係を突然ちぎって投げ捨てるような行動をとりました。何回も何回も。私はそのたびに冬子にすがりついて引き止めてきたのです。二人で旅行して、思い出話と愛情の確認を電話で話した30分後に電話を何日も着信拒否にしてみたり、素晴らしい夜を過ごした朝の車の中で今すぐ別れると言い出したり、私はしょっちゅう翻弄されてきました。それでも冬子の美しさと魂の清らかさは決して私を離しませんでした。今はそれで良かったと思っています。むしろ現在の冬子の態度が、一番愛情が深かった時期と変わらないのを見ていると、私には冬子が人ではない、女神のようにすら思えてくるのです。いつしか私は対等な恋人ではなく、冬子の僕となって誠実に、いえ、忠実に愛を尽くさなければならない。そして、それを行動で示さなければならないのだ。と考えるようになりました。その次にそのためには冬子のために自分の命を捧げなければならない。それくらいしなくてはあの方への愛は伝えられないと考えるようになりました。
できるだけ早く、できるだけ軽く冬子のために命を捨てたい、そうしなければならないと毎日悩み続けました。私はすぐに自殺することを考えましたが、それでは少し違うのです。私は死にたいのではないのです。ただ冬子のために命を捨てたいのです。冬子のための行動であることをはっきり示したかったのです。しかし、自殺のための遺言や遺書を残しても、正しく
理解してもらえるかどうか。もし誤解されると、冬子に迷惑をかけるかもしれません。それに、私の心が「違う」と訴えました。それでは、「冬子のために命を捨てたいと思っている私の満足のために」自殺するに過ぎない。つまり結局自分のための死であると感じたのです。また、遺書などを残すような大げさなことをするのも望みではなかったのです。
そうは言いましても、私の体は自分で命を絶つことさえ難しくなっていたのです。足首を固定する補装具と杖を使ってもヨチヨチと歩く程度では、病院を抜け出して電車や車に飛び込むこともできません。処置室や調理場を物色しましたが病院の中に手頃な刃物は見当たりませんでした。。各種薬品はさすがに施錠された場所で厳重に保管されています。首をつろうにも台やイスに上がることもできないのです。最初は放火がいい方法だと思いました。ベッドの中に入って布団に火をつければ今の私の体では逃げることはできないからです。しかし、火は私ひとりを殺すとは限りません。他の人間が死ぬのはいけない。これは巻き込まれる他の患者を哀れに思ってではありません。冬子のために命を捨てていいのは、私ひとりだけだという思いのせいです。誰か一人でも余分についてくると、私との冬子の世界が汚されると思ったのです。冬子が汚されるような気にさえなりました。そして最後に思い出したのが病院屋上の物干しでした。屋上のさらに一段高いところに物干しがあり、少しずつ段差を登ればリハビリのため、私のような体の者でも何とか手が届くところに物干し竿がありました。物干しの端まで歩いて、足を踏み外すと本来の屋上の床に落ちてしまう少し危ない場所でした。ここならヨチヨチ歩いて最後の一歩を踏み出したときにバランスを崩せばうまくいくはずです。
この竿にリハビリ用の輪になっているゴムバンドをかけておけば物干しから落ちた拍子に首をくくることができるはずです。
私は密かに、屋上までと、物干しの上までと、行くのにかかる時間を計りはじめました。
8階まではエレベーターを使い、そこから屋上に行くところだけ階段を上がることになります。そして、屋上に出て、小さな階段を4,5段登れば周りより1メートルほど高い、物干しの上に行けるのです。何度か練習しているうちに30分近くかかっていたものが10分から15分の間で可能になりました。急いでそこにたどり着くのは私にとってかなりの重労働でした。それに練習は明るいうちに実行しましたが、本番は邪魔されるわけにはいかないので、やはり夜がいいでしょう。もちろんたとえ失敗してもやり直すことはできますが、それも私は嫌です。冬子のために、なるべく軽く、ゴミ箱に紙くずを投げ捨てるように命を捨てたいのです。一生懸命自殺するのではダメなのです。
誰にも気づかれず、一人だけで、しかし冬子のために馬鹿馬鹿しいほど軽く私を終わらせたい。当日の夕食まできちんと食べて、誰にも気取られず、いきなり実行することで、少しは私の気持ちに近くなると思いましたが、何かが足りない、とも思っていました。冬子への愛はもっと衝撃的でドラマチックでなければならないと感じておりました。
その日の夕食もまだ明るいうちに、病院の食堂ですませました。食堂のテレビにはニュースが映っていました。ニュースのあとには天気予報です。その画面を見たとたん、私は衝撃を受けました。閃きました。冬子は自転車で10分ほどの職場に通勤しています。
私は常からその行き帰りとを心配していました。冬子が事故に遭わないか、他の男に声をかけられはしないか、雨に濡れることはないか、と。
私はすぐに決めました。明日雨が降って冬子が雨に濡れるのは嫌だ。小雨だろうが、短い時間だろうが、私の冬子に雨粒がかかるのは許せない。それなら
雨や天候を司る神を呪ってやる。対決してやる。人間が神に挑んでも勝ち目がないというなら、私が人間でなくなればいいのです。神に対抗しうる存在になって、冬子を雨から守ることに決めました。私は明日冬子が出勤する時間帯の降水確率に自分の命を委ねました。野菜ばかりの味の薄い食事をしながら、、降水確率が50%以上なら計画を実行することに決めました。病室を出たのは1:45です。今のスマホの画面の時刻は2:07。ゴムバンドはすでに私の首にかかっています。物干しの端で物干し竿にかけて一歩踏み出せばいいのです。そこまでわずか7,8歩です。
一歩目が出ないまま、時刻は2:10になりました。焦りが襲ってきます。
死ぬのが嫌なのか?冬子に命を捧げるチャンスを逃していいのか?
すでにぐずぐずした時間のせいで冬子の完璧さと冬子への愛の完璧さを損なった気になっていました。
手術のために丸坊主にした私の頭が汗ばむほど、湿気は増してきました。空を見上げると星より手前にある黒い雲が空の3分の1を占めています。湿気とくもが私を安心させてくれました。
ゴムバンドがよじれて首から外れそうになるので、干してあった白いシーツを首に引っかけるようにして、その上からゴムバンドをかけ直しました。2:15。
これで決めようとスマホを見ました。70%でした。
杖をつきながらまっ暗な物干しの端まで歩きました。杖の先に何も当たらない場所まで来ました。あと一歩です。
私が死んだ日は快晴でした。黒川病院の屋上には白いシーツをマントのように纏った身長170㎝ほどのてるてる坊主が満足げな勝ち誇ったような顔でぶら下がっていました。
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マサユキ・K
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マサユキ・K
2021年6月21日 7時29分
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