英国探偵と伯爵令嬢の華麗なる戯曲

読了目安時間:5分

エピソード:2 / 27

【第一幕】 第一楽章

5月2日 AM7:00 イギリスには「4月の雨が美しい5月を作る」ということわざがある。 それをまるでなぞるかのような、春の長雨から解放された素晴らしい朝だった。 久しぶりに見る青空はこの街特有で少し()()()()おり、そんな空を少し低めの雲がぽかぽかと流れていく。 それがあまりにもマイペースなものだから、同じ世界に居ながら、そこだけ時間の進み方が違うように錯覚してしまう。 ――いや、錯覚ではない。 今朝のスコットランドヤードの忙しさは、間違いなく時間の進む速さが異常である。 ユーガル巡査長はそんなことを思いながら書類を整理していた手を1度止め、署内を見渡した。 指示が飛び交い、伝令は走り、新聞屋は騒ぎ、まさに目が回る勢いで人々がごった返している。 それもこれも、あのフランスの大泥棒「怪盗紳士」が我が国の誇る大女優の元に予告状を出したからであった。 ✱ 「すみません、スコットランドヤードの方ですか?」 早朝、一番に署へ出勤した若い巡査が、 入口で見知らぬ()()にそう声をかけられた。 その男性はローブのようなものを被り全身を隠していて顔は見えなかったが、ローブの裾の隙間からぴかぴかに磨かれた高そうな男物の靴が見えたことから、どうやら相当な身分であることと、その声が中性的であったから若い()()()()らしいということが巡査にはわかった。 ――そんな人間が馬車にも乗らず、供も付けず、こんな朝早くに1人で警察にいったいなんの用なのだろうか......。 巡査は少し不審に思いながらも「そうですが、何用でしょうか?」と、尋ねたそうだ。 すると男性は上着の内ポケットから1通の封筒を取り出し、 「家にこんなものが届きました。ご覧になっていただけませんか?」と言って手紙を差し出してきたという。 巡査は警戒しながらもその手紙を受け取り、中に入っていた1枚の紙を取り出す。 そこにはこう書いてあった。 【第一幕】  第一楽章の挿絵1 「これは......!」 下っ端である巡査ですらわかることが2つ。 1つは、この宛名にあるアイリーン・アドラーという女性。彼女はイギリス国民ならば知らぬ人はいないと言うほど有名で、女神のように美しいと謳われている大女優であるということ。 そしてもう1つは、この手紙に記されている「A」というマーク。 【第一幕】  第一楽章の挿絵2 ――これは、怪盗紳士のマーク! 本物かどうかと聞かれると巡査にはわからなかったが、少なくともこのマークに関しては「なりすましの犯罪」を防ぐために市民には公表をしていない。 当事者か警察関係者しか知り得るはずのない情報なのだ。 ――だとすれば、これは本物なのだろうか......しかし、1つ疑問が残る。 巡査は大泥棒の産物かもしれぬものを前に興奮する心を無理矢理落ち着かせ、男性の方へ向き直り 「ごほん......拝見させていただきました。 こちらはお預かりさせていただきます。 しかし、なぜアイリーン・アドラーさん宛のお手紙をあなたがお持ちに?」 ――もしかしたらこの男が怪盗紳士本人かもしれない! しかし、そんな巡査の期待は外れた。 男性は怪盗紳士ではなかった――が。 巡査は、男性がローブをとった瞬間もっと驚くべき真実を目の当たりにした。 男性だと思っていたその人は女性であった。 いや、()()()()()()()()()()()()()と言った方が正確だろう。 しかも―― 【第一幕】  第一楽章の挿絵3 「驚かせて申し訳ありません。 私がその手紙をいただいたアイリーン・アドラーでございます」 なんと、彼女は自分が当人であると言うではないか。 ――あの大女優がここに?! 巡査は信じられないと思いながらもしかし、彼女の言い分は疑う余地がなかった。 ローブのフードの下から顕になったその(すべ)らかな白い頬、ルビーのように輝く瞳、そして禁断の果実のように熟れた唇に、艶かしさを体現したような輪郭(表情)......それはまさに―― ――この世の女神だ! その衝撃的な事実と彼女の美しさを目の当たりにし、巡査はしばらく声も出せずに立ち尽くしていたという。 ✱ 「何だこの報告書は」 スコットランドヤードのレストレード警部は、アイリーン・アドラーから予告状を受け取った巡査の報告書を読んで頭をかかえていた。 ――ただの感想文じゃないか! 警部はその感想文をデスクに放り投げ、それを持ってきたユーガル巡査長の方に目を向けた。 「警察官ともあろう者が。 はあ、情けない。 しかもあろうことか彼女をそのまま帰してしまったと?」 「......そのようです」 「全く、頭が痛いな。 リダン警部補のところにこの巡査を回しておけ。彼ならこってり絞ってくれるだろう」 「は!」 「それとユーガル君、頼んでおいた怪盗紳士の資料の整理は済んだか?」 「はい!警部殿!こちらになります。予告状が出された年月日順に並べてみました。」 「助かる」 警部はユーガル巡査長から資料を受け取り、その中から何枚か過去の予告状を取り出して、先程若い巡査が受け取ったものと並べてみる。 今回のものと過去のもので、確かに「A」のマークは同じであった。 だが、心做しか文面のアルファベットの形が少し違うように見える。違うタイプライターを使ったのだろうか。別人がうったのか。どちらにせよ怪盗紳士複数犯説も可能性の1つとして考えられているため、マークが同じである以上、今回のものも本物と思って捜査をした方がよいだろうというのが予告状を見た警部の答えであった。 しかし―― 「なあ、ユーガル君。アイリーン・アドラーの犯罪経歴は見つかったか?」 「それが、今のところ何も。」 「そうか......」 そう、怪盗紳士は「悪人」からしか盗みを働かない。それなのになぜ、悪行の噂を聞いたことがない彼女を狙ったのか......それがわからなかったのだ。 それとも自分たちが知らないだけで、彼女はなにか裏で犯罪を犯している人物なのだろうか......? 「いずれにしても」と、レストレード警部は引き出しから紙を1枚取り出し、何かを書き出しながら言葉を続ける。 「今夜の公演を中止してもらう他あるまい。ユーガル君、全員第1会議室へ集めてくれ」 「はっ!」 「それと、電報を1本頼めるかな?」 「もちろんであります!」 警部はその書き終えた紙をユーガル巡査長に渡した。 「これをベイカー街221Bまで」

ユーガル 「しかし、何故ミスアドラーは男装していたのでしょうか?」 レストレード 「そうだな......今は何かと物騒だし、1人で出歩いていたというのであれば、自衛のためかもしれんな」 ユーガル 「なるほど......」

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