2023年2月24日 16時48分
ドイツ連邦共和国(西ドイツ) ヘッセン州カッセル
ベッテンハウゼン陸軍基地東 東西ドイツ国境近隣にて
味方地上部隊からの援護要請を受けて後方へと戻ったブルクハルト・ビラーベック中尉のJTK-218ヒルデブランドは、敵の標準型とおぼしきEPT(クーガー機)の攻撃に舌を巻いていた。決して致命傷にはならないし連射してくるわけでもなかったが、そのアサルトライフルでの攻撃は正確なうえ、撃ちもしないミサイルロックを何秒か置きに何度も繰り返してくるといういやらしさがあった。その警報の煩さに閉口したブルクハルトは副パイロットのナタナエル・エッサー曹長に命じてミサイルロックの警告音をオフにするよう命じようとしたが、それこそが敵機の狙いであり、そのうち本当にミサイルを発射してくるかも知れないとも考える。
(地上部隊が手を焼いているのも頷ける。自機に攻撃が集中するかも知れん行動を取りながら我々を引っ掻き回す事に執心するとは、なかなか手強いパイロットの様だ)
ブルクハルトは圧縮モニターに映るクーガー機を見つめて旋回を続けながら、そろそろ西側の航空戦力が投入されてもおかしくない頃合いだと考え、上部パイロットシートのエッサーに状況を尋ねた。
「エッサー、防空レーダーの反応はどうだ?」
既にエッサーも同じ事を考えて警戒を続けていたのか、彼はその質問にすぐに返答した。
「高度11000メートルに民間機の識別を出す運行予定の無いジャンボ旅客機の反応が2。高度16000から更に上空に“2センチメートル四方の金属片らしき物体”を複数確認。この反応の弱さからして、おそらくプラスチックとファイバー製の高高度偵察機でしょう、これらは最低でも8つ確認。電波の発信源はそれ以上に多数」
「見られているか。やはり全能力を出すわけにはいかんな」
ブルクハルトは防空を任とした敵の航空支援部隊が動く気配が無いのが解せなかったが、それ以上に解せなかった事をついつい愚痴の様に漏らした。
「しかし、ここまでやってミサイルを放ってきたのが1機だけ……。援軍が来るまで温存し、一気に我々を追い払おうとでもいう策か?」
ブルクハルトは上空を飛ぶヒルデブランドに対し度々ミサイルロックを仕掛けてくる敵機(※クーガー機)に舌打ちをしながらも、一向に発射される気配の無いミサイルに対して無駄になると知りつつ一応の回避運動を続けていた。
エッサーはブルクハルトの言葉にキーボードを操作し、地表にいるモルガン機の何機かの光学映像を圧縮モニターに小ウインドウで表示させた。それを1機ずつ拡大表示しながら意見する。
「中尉、こちらは残弾が半分を切りました。もしや敵EPTも装弾数が少ないのでは?」
「空戦を考慮して極端に重量を絞ったこの機体よりもか? それに、それではあの背中のミサイルを撃ってこない理由にはならん。前方奥からの榴弾砲が無くなったのはともかく、狙撃すら無くなったのも解せん」
「我々の機体が破壊出来ない事を知って撃破を諦めたのでは?」
ブルクハルトはエッサーの言葉を聞き逃しながら思案を続ける。やがて戦闘前のエッサーとの会話から、西側は軍事演習直前の時期だったという事を思い出した。
(いやまさか……、敵部隊は演習装備のままか? ではあの背中のミサイルは模擬弾?)
圧縮モニターに映るクーガー機の背部パックにあるミサイルケースを見ながら鼻を鳴らし、いささか自嘲気味に笑ったブルクハルトだったが、その後に続く言葉に自重は無かった。
「このままでは詰まらん結果になりそうだ。それなら手を加えてもっと面白くしよう」
「どうされるので?」
「敵機を1機鹵獲する」
その宣言にエッサーのキーボードを叩く手が止まる。
「中尉、本気ですか?」
「ヒルデブランドを始めとするJTKシリーズに使われているテクノロジーは遺産をベースにしたものであり圧倒的に奴らよりも上だ。それ故に量産出来ないという欠点を抱えている。あの敵機はこちらに比べて技術的には劣るだろうが、鹵獲して解析を行えばIS-106以上の性能を持つEPTを安価に大量生産するための礎にする事が出来るだろう」
「了解です、どの敵機にしますか?」
「孤立している奴だ。私の推測が正しければあの背中のミサイルは模擬弾だろうが、万が一の事を考えれば撃ち尽くしている奴が望ましい」
ブルクハルトの意見は尤もだった。接近さえすればミサイル攻撃は無くなるだろうが、鹵獲後に大量のミサイルを抱えながら自爆でもされれば目も当てられないからだ。
エッサーはサブモニターで敵機の配置状況を確認する。
巨大な両腕を持つ後方の1機(モンテヴェルデ機)は補給を受けたのか、一時絶たれていた榴弾攻撃が再開し始めた。
以前より前線に居た四本腕(※クーパー機)は応射が無くなり防戦一方だったものの、もう1機(※ギャリー機)と合流。この2機も補給を受けたのか、アサルトライフルによる射撃が再開し地上のJTK部隊と交戦中だった。
最前線でJTK部隊と交戦している1機(※クーガー機)は隙を見せれば時折りこちらへも対空射撃をしてくる厄介な手練であり、嫌がらせの様にミサイルロックはしてくるものの実際にはミサイルを1発も撃ってこない。エッサーはそのクーガー機の行動を誘いと解釈し、安易に接近するのはまだ危険だと考えていた。
「それではあれはどうでしょう?」
エッサーがマーカーを付けてブルクハルトの圧縮モニターへ送ったのはFT-03グラシュティン――ニジーナ・マックアルフィン中尉の機体だった。その機体は味方地上部隊に応射しながら後退を続け、増援として後方より現れた“新たな四本腕”に接触しようと試みていた。その姿を確認したブルクハルトが軽く頷く。
「あれは先ほどこちらにミサイルを放ってきた機体だな。いいだろう、補給機と接触する前に叩くぞ」
ブルクハルトは答えながら鹿革のグローブをはめた手で操縦桿を握り直す。
「よし、奴が合流前に陸戦を仕掛ける。エッサー、お前は地上部隊を取りまとめて鹵獲の援護をさせろ。奴を孤立させるのだ、他の敵機を近付けさせるな」
「了解、地上部隊の隊形を組み直します」
「こちらもそろそろ空戦用のジェット燃料が底をつく。一気に決めるぞ」
ヒルデブランドは旋回しながら高度を落として加速し、鹵獲目標機の側面を目掛けて急速に接近していった。
◇ ◇ ◇
後方から接近してくるFT-03Aブルベガーを光学で捉えたニジーナ・マックアルフィン中尉――ジーンは、モニターに映るその姿を見て張り詰めていた緊張が一瞬解けた。その間隙を縫ってヒルデブランドが一気に高度を落として肉薄する。
このとき、急降下してくるヒルデブランドへ向けて中距離からミサイルを一斉発射したのはジーン機に接近中の03Aブルベガーだった。それらミサイルは全て模擬弾だったが、現時点において実弾か模擬弾か確定出来ていなかったブルクハルトがヒルデブランドに回避運動をとらせたのは無理もない事だった。
ジーンは突然自機に迫ってきた異形の敵機が一時的にでも飛び去ってゆくを確認してほっと息をつく。そして彼女はモニター上に後方から接近してくる03Aブルベガーの姿を捉えた。
西ドイツに演習のために持ち込んだFT-03Aブルベガー型は全部で3機。技研で先行試作されたジーンの1号機に、モルガン・アーモダイン社で量産を前提に製造されたクアランタの2号機とクーパーの3号機だ。
技研によって製造された03Aブルベガー1号機は特別だった。2号機や3号機と違い、全身の可動部に遺物技術を応用した磁気流体関節システムの試験型を搭載している。ただし磁束密度が高すぎて地球の技術による現実的な対応策では漏れ出る磁場を完全に封じ込める事が出来ず、両方の二の腕と両太腿の外側へ磁力を誘導してそこへ逃す突貫品でもあった。
ジーンの目の前に迫った03Aブルベガーは対空防御に使ったライフルへ新たな弾倉を装填しつつ、排出された空の弾倉を二の腕へ吸着させた。
その光景を目の当たりにして一瞬固まった彼女は、慌てて03Aブルベガーのフェイスマスク部分をモニターに拡大表示させる。その目尻の下辺りに手のひらほどのサイズの赤いキスマークのペイントがある事を確認し、改めて驚愕した。それは紛れもなく自分の乗機、演習直前に起動不能に陥っていた1号機だった。
「そ、それはアタシのブルベガー!! な、なんで動いて……? 誰だ、誰が乗ってるッ!?」
無言のままアサルトライフルの弾倉パックを差し出すブルベガーに対し、ジーンは更に質問を投げ掛ける。
「クアランタ曹長か? 誰だ? 誰がどうやって動かしてる? 通信チャンネルを開けろ!」
ジーン機が差し出された弾倉を受け取ると、そのブルベガーはジーンの無線に応えないままクーガー機のいる最前線へ向けてフルブーストしていった。そのブルベガーに代わり何故かクーガーからの通信が入る。
『マックアルフィン中尉、クーパー伍長やギャリー曹長との合流を! 彼らの居る地点に補給物資のコンテナがあります』
「何を言ってるんだお前は! それよりお前も一旦下がれ、味方と合流するんだ!」
『いえ、自分は前方の地上の敵機を押さえますから、その隙に中尉は他の味方機と一緒に飛んでる奴を!』
ジーンはクーガーが示した地点、クーパー機とギャリー機が居るポイントを俯瞰マップから確認する。自分が護衛や援護無し、1機だけでそこを目指す事に恐怖は無かったし問題も無かったが、部下であるクーガーを囮にして後退するというのは上官としての自分の立場上許せなかったし、彼をこれ以上孤立させて危険に晒すわけにはいかなかった。
「しかしお前1機だけでは何も……」
『俺には増援で加わったブルベガーがいます。大丈夫、やってみせます』
その後、一方的に切られた無線に悪態をついたジーンの頭に別の疑問がもたげた。
(そもそもあのブルベガーには誰が乗ってるんだ? クアランタ曹長か? しかし奴には自分のブルベガーがあるはずだろう……。それになぜクーガーとだけ連絡を? あいつらはホモっていたのか?)
考えてもまともな答えが出なかったジーンは指揮車への無線回線を開いた。
◇ ◇ ◇
同時に発射された8発の防空対地ミサイルを回避しきったブルクハルトは、得られた確信を独り言のように口にしていた。
「鹵獲目標である敵機は取り逃がしたが、後から上がってきた増援の四本腕、あれのミサイルは起爆しなかったな。それが確認出来ただけでも……。やはり奴らのミサイルは模擬弾、演習装備だな」
確かに危ういミサイルはいくつかあった。しかしCIWSの攻撃を掻い潜り、通常ならば近接信管が作動するはずの距離にまで接近したミサイルは、ヒルデブランドに並んで飛び続けながらしばらく後に推進剤を失って無碍に墜落していったのだ。
「増援として現れた機体が実弾のミサイルを搭載していないなんて……」
信じられないといった様子のエッサーの発言にブルクハルトが答える。
「イングランドからはるばる来たものの、満足な数のミサイルを持ち込んでいないのだろう。何せただの演習予定だったのだろうからな」
ブルクハルトは眼下の敵味方の位置をサブモニターで再確認しながら続けて口を開いた。
「それにしても前線で奮闘しているあの標準型とおぼしき敵機の動き、パイロットは私の知っている奴か? 誰だ? 先日アラスカで遭遇した古強者はアメリカ合州国の兵のはずだが……」
「たった1機で我が方の後方部隊の動きを抑えています。少ないだろう弾薬で良くもまぁ……」
エッサーの言葉を聞いたブルクハルトはここで嫌な予感を口にした。
「まさか、JTKシリーズの秘密が西側に漏れているのではあるまいな?」
その質問にエッサーは大慌てで答える。
「そんな事! あり得るはずがありません! JTKは多くの味方にさえ、政府の一部にさえ機密の機体です。今日この日まで軍が秘匿し続けた正に秘密兵器です! 今後の国運まで左右しかねない機密を誰が外に漏らすでしょうか?」
エッサーの精一杯の否定にブルクハルトは再び考え込む。
「ならあの敵機は何だ? 量産のためにヒルデブランドから幾分性能を落としたとは言え、アースムンド3機を相手に対等以上の戦いをしているのだぞ?」
返す言葉が浮かばなかったエッサーにブルクハルトが言葉を続ける。
「まあ良い。戦っていればいずれわかる事だ」
ブルクハルトはそう言うとヒルデブランドの進路をクーガー機へ向けた。
◇ ◇ ◇
ルイスは困惑していた。クリフが突然『クーガーを下げて欲しい』と言い出したからである。確かにクーガーはジーンの命令を無視して前線へ突出し危険な状況ではあったが、無敵かとも思える正体不明の敵新型EPT部隊に対して唯一対等に渡り合っているのはそのクーガー1機だけだった。
ルイスは普段からクーガーがEPTシミュレーターでの訓練に熱心なのを見て知っているし、実戦での実力もヘルシンキ沖で証明されている。彼の戦い方は確かに危うく見えるものの、この戦況下で一旦指揮権を譲ったジーンに対して上官としての強権を発動し『クーガーを下げる』とは言い出せるわけもなかった。
「何でだボス、この状況でクーガーを下げたら他の兵がどうなるか。敵機の撃墜出来ないマジックのタネだってまだわかっちゃいないんだぞ。ジーンの言うとおり本当に部下から犠牲者が出かねない」
クリフはその質問に目を逸らさず、ルイスの目をじっと見つめながら答えた。
「私の私見を言わせてもらうなら、この戦場であの敵機は堕とせない。その敵機と間近で接したのはクーガーだけであり格闘戦を実行したのも彼だけ。今後敵機の分析を進めるにあたっては彼の機体が採取したデータと彼のナマの証言が必要になる」
「今後って言ったって“この後すぐ”ってわけじゃねぇんだろ? ダメだ、認められない。それでなくても手が足りてない状況なんだ。前線からは1機も減らすわけにはいかない」
素直に応じようとしないルイスに、クリフはため息交じりに続ける。
「彼の機体の弾薬ももう枯渇する」
「そりゃ他の機体だって同じだ」
「優先度が違う。それに背部ブースターを多用する彼の戦い方では推進燃料がもう保たない」
「ヘルシンキ沖で奴が乗ったYT-133だって空戦なんか考えてなかった機体だったろ! それに燃料が無くなりそうなら無くなるなりに手控える。クーガーはそこまでアホじゃない。……まぁアホな奴だが、戦闘に関しては別だ。俺が育てたんだぞ!」
「だからそのクーガーを育てた少佐に“お願い”しているのだ。マックアルフィン中尉の命令には従わないかも知れないが、少佐の命令なら聞くだろう?」
何を言っても言い返してくるクリフの態度に、ルイスは管制モニターの前でスタンドマイクを握るとクリフを横目で睨みながら無線のスイッチを入れた。
「クーガー、俺だ。そっちは大丈夫か?」
『苦戦中、侵攻を抑えるので手一杯』
「どうだ、やられそうか?」
『いえ、なんとか』
その応答に、ルイスはクリフに身体を向けながら片手を腰の辺りで広げ、「ほらな?」とアピールした。
クーガーの報告が続く。
『しかしやれそうにもありません。実はしばらく前から迷っていたんですが、部隊の撤退を進言します』
管制モニターへ目を向けたルイスが敵味方の配置状況をざっと再確認する。
「それは却下するが、理由は何だ?」
『敵機の撃破についてはあと試せる事を1つか2つ残してますが、それが失敗すればこっちはもう死に体です。他のパイロットにも倒せるとは思えませんし、今回の戦闘はおそらくこっちの負けです。敵機のデータが少し採れただけでも良しとするしか……』
「西ドイツ陸軍の援軍が来るまでの時間稼ぎは可能か?」
『いまそれをやっています。しかし状況が変わったら……、敵が本気でこちらを倒す気になったらわかりません』
クーガーの話を黙って聞いていたルイスが後ろからの気配に振り返ると、クリフが身振り手振りで無線を切れとしきりにジェスチャーを続けていた。
応じたルイスがマイクを置くとクリフが口を開く。
「少佐、クーガー機に後退指示を。マービン一等兵と交代させろ」
「何言ってんだボス、マービンは演習装備しか持ってないんだぞ!」
「クーガー機のライフルと交換させればいい。推進剤の補給を受けたクーガー機なら前線からここまで後退するのに5分と掛かるまい。他の機体がその間だけ敵機の侵攻を抑える事が出来れば問題は少ない」
「マービンを演習に連れてきたのは『実力も経験も不足している新人パイロットが実戦に参加した場合にどうなるかをシミュレーションするため』だったろう! ホントに実戦に出してどうする!?」
「少佐! 言ったろう? 今はクーガーのほうが“貴重”なのだ、ここで彼を失う危険を冒すわけにはいかない!」
それに答えないルイスに代わり、スピーカーからクーガーの声が響いた。
『ボス、自分なら大丈夫です。マービン一等兵を前に出すのは危険です。危険だと言えば俺も含めて全機が危険だけど、あの敵を相手にマービン一等兵を前に出しては彼が死にます』
スタンドマイクは置かれただけで発信はオンのままになっていた事に気付き、ルイスへ鬼の形相を向けるクリフ。しかし努めて冷静を装いながら話を続けた。
「ショーゴ、敵機の強度の秘密がわからない。君の機体からデータリンクにリアルタイムで上がってくる情報を分析しているが、何が撃破への糸口となる情報か選別するにも、対抗策の立案をするにも、その準備をするにも時間が要る。いまこの場で即応するのは不可能だ。あの機体へ対抗するにはこの戦いのあと君自身から得られる情報とデータリンクに乗らない機体側のローレベルデータが必要なのだ。決してマービン一等兵を軽んじているわけではないが、重要度では彼よりもあれと実際に戦った君のほうが優先される事をどうか理解してほしい」
ややあって返答がある。
『……いま俺をショーゴと呼んだな? 友人としての話なら命令ではなくお願いとして聞くが、それは却下だクリフ』
それを聞いて車椅子から身を乗り出すクリフ。
「何故だ? 君の代わりは居ないんだ。君だけが危険を冒すことはないだろう?」
『敵機の攻略に関していくつか策はあるが、それを味方機へ意思伝達するには内容が込み入り過ぎていて無線による口頭では伝え辛い。それに現時点で俺が考えてる対抗策だって荒唐無稽な、ただの憶測レベルなんだ。他のパイロットに任すどころか試行への協力だって頼める段階じゃない。俺だけでやらなきゃダメなんだ』
「しかし……」
『さっき俺の代わりは居ないとも言ってたな? そのとおりだ。いまこの戦場で俺の代わりを務められるパイロットは控えの中には居ない。それを理解したら友人同士のおしゃべりは後にしてくれ。思考が乱れて戦闘に集中出来ない』
確かに交戦データを見ればその会話中はクーガー機の回避が乱れ、敵の砲弾をシールドで受ける回数が増えていた。それに気付いて押し黙ったクリフへルイスが声を掛ける。
「ボス、いつも言ってるだろ。スポンサーはカネだけ出して……」
「あとは黙っていろ、だろう? わかってる……」
そう答えて顔を伏せたクリフの頭にルイスの大きな手が添えられる。髪の毛を散々揉みくちゃにされたあと、クリフはようやくルイスの手を払った。ルイスは車椅子の前でしゃがみ、伏せられたクリフの顔を覗き込む。
「奴はジーンの指揮下のままにしておく。ジーンの命令にも不服従で勝手に動いてる罰として、後でジーンにケツを叩かせる。それでいいな?」
クリフはルイスのその言葉に小さく頷いた。
直後、タイミングを図ったかの様にジーン機からの通信が入る。それは前線に現れた03Aブルベガー1号機に誰が乗っているのかを問い合わせる内容だった。管制モニターの前に戻り、のらりくらりと回答を拒むルイスにジーンの気色ばんだ声が浴びせられる。
『は? 少佐、このクソ大事な時に何で基本的な情報の開示が出来ないんです?』
“クソ大事な時”。
自分がボスにしたのと同じ悪態を部下から向けられたルイスは、クリフへ苦虫を噛んだような顔を向けた。
「ああもうッ! ほら見ろボス! あのパイロット不明のブルベガーのお陰でとっ散らかってるだろ!」
ルイスにとっては散々な状況だった。
期待の新人はバントのサインを無視して全力でフルスイングを続けている。
突如味方のユニフォームを着て現れた奴は名前も素性もわからないマスクマンだ。
現場をよく知らないオーナーは上から好き勝手な事を言いながら肝心な所を隠したまま。
オーナーのそんな勝手を知らないリーダー格の選手は監督に悪態をつき始めた。
これがベースボールの草試合ならとうに抜け出してバーで飲み始めているところである。しかしここはルイスにとって部下の命が関わる戦場である。安易に投げ出すわけにはいかなかった。
◇ ◇ ◇
「エッサー、お前には負担を掛けるがさすがにもう耳障りだ。ミサイルロックの警報音を切れ!」
「了解。レーダー情報は自分が注視します」
ブルクハルトのヒルデブランドはクーガーのFT-03との戦闘を繰り広げていた。斉射した何発かの対地ロケットがFT-03のCIWSで撃墜され、回避されては地表に激突して燃え広がり、森林の広範囲から黒煙が上空に立ち昇っていた。地上を走査すると圧縮モニターの画面の隅に、燃える木々から上がる煙を盾に地上をヨタヨタと走って逃げるFT-03の後ろ姿が映る。
「地虫め、見つけたぞ! これならどうだ!?」
ブルクハルトは機体に最後に残されていたツェルベルスをクーガー機へ向けて投下した。そのロケットモーターが点火される直前に、後方下方に迫っていた増援の四本腕の攻撃、アサルトライフルとCIWSによる斉射がツェルベルスを貫く。空中で爆散したツェルベルスは大量の破片と衝撃波をヒルデブランドに叩きつけた。激しく機体を揺さぶられる中、ブルクハルトは地面へ向いていた機首を必死で上に向けていた。
◇ ◇ ◇
クーガーはロケット弾迎撃の余波に翻弄されるヒルデブランドを見上げながら、このあと実行する攻撃への覚悟を決めようとしていた。
(空戦タイプがさっきからミサイルロックに対する回避運動を取らなくなってる。こっちが積んでるミサイルが実弾じゃない事がバレたな)
悟られるわけにはいかなかったので今までデッドウェイトと知りつつ発射も投棄もしなかったミサイルをチラ見したあと、背部パックに目を向ける。そのブースター燃料は地表を滑走するにも上空へ飛び上がるにも不充分な量で残り僅かな状態だった。
「推進燃料がもうすぐ底をつく。これで仕留められなきゃ……」
クーガーは膝を曲げて機体を沈み込ませたあと、背部パックに積んだ8発の模擬防空対地ミサイルをケース内に固定したまま全弾同時に点火させた。ミサイルケースの外装が一瞬で膨らみ、直後赤熱化した底が抜けて白い猛煙と赤い猛炎が吹き出す。一気に空中へ舞い上がった機体の“後部に偏重して前のめりになろうとする推力”を、クーガーは全身の機動モーターの噴射によって暴れ馬をあやす様に制御した。まっすぐ上昇を始めた機体はまるで悪路を猛スピードで走るスポーツカーの様にガタガタと大きく振動し始める。
「ミサイルは固体燃料だから推力の変更が出来ないし、途中で止めたり再点火も出来ない! 機動モーターの燃料が残っているうちに、なんとかして奴を仕留めないと!」
クーガーが乗っていたFT-03は轟音を上げながら一直線にヒルデブランドへ向かって飛び上がっていった。
◇ ◇ ◇
「チィィィッ! 先ほどの“逃げ”は誘いだったか!?」
前方の黒煙を縫い、メイスを振りかざしながら急速に接近するクーガー機。それに対し機体同軸のバルカン砲では射角が取れず、下方CIWSによる自動迎撃に任せながら回避運動を行うブルクハルト。その回避先を後方の四本腕のアサルトライフルの偏差射撃が塞ぐ。
「此奴ら、連携が上手過ぎる!」
空戦形態のままでは対処出来ない事を悟ったブルクハルトは空中で三脚形態への変形を敢行した。垂直尾翼の形態からフリーの状態になった腕部、その内蔵火器120mmカノーネがクーガー機を狙う。
CIWSによる射撃はシールドで防御していたもののキャノンで狙われた事を察知したクーガー機。全身の機動モーターが順次吹き上がり、複雑なモーメントを制御して空中で側転をするような巧みさで射線を逃れつつ、降下を続けるヒルデブランドの側方から迫ってゆく。
ブルクハルトはそんな敵機の様子を圧縮モニター上で訝しげに見つめていた。
(この空中での側転、どこかで……)
何かに気付きそうなブルクハルトだったが、今はそれどころでは無かった。
「どうあっても私をメイスで殴らねば気が済まんか」
自嘲気味に笑ったブルクハルトが直後に野獣の咆哮を上げる。
ヒルデブランドの前足、膝部にあったカバーが吹き飛び、中からプラズマの輝きが吹き出る。迫るクーガー機を下から振り上げた前足のプラズマトーチが襲った。それを機動モーターによるスピンで躱したクーガー機はその勢いのままメイスを振り下ろす。メイスがヒルデブランドの上面装甲に接触すると、打ち据えた部分から不可視の波紋が幾重にも連なり広がっていった。しかし大質量同士がぶつかって生じた衝撃波が周囲へ拡散すると同時に、ヒルデブランドに加えられた運動エネルギーの大半は何処か知らない所へ霧散していった。
「量産機でさえ無事な攻撃に、このヒルデブランドがダメージを負うわけなど無かろう!」
そう吠えたブルクハルトに、後方席からエッサーの悲鳴が被る。
「中尉、後方下方!」
「見えてるッ!」
周囲360°全天を楕円形の一枚板に圧縮表示したモニターには、目の前のクーガー機と共に下方よりブースターで迫り来る四本腕の姿をも捉えていた。クーガー機と対峙中のブルクハルトではあったが、本来は認識外の方向から迫る四本腕の姿は視界の隅で認識済みだった。
ブルクハルトは機体を下方へ向けて旋回させると、そのままの勢いでまるでパンチでもするかのように左腕を四本腕へ突き出す。しかしその攻撃は打撃ではなく腕部内蔵火器による砲撃が狙いだった。
格闘攻撃を回避するつもりだった四本腕は腕部先端から至近距離で発射された砲弾の対応に遅れた。瞬間的に回避を試みた四本腕だったが躱しきれず、直撃を受けた左腕装甲が一撃で砕かれる。下から振り上げた四本腕のメイスは砲弾直撃により機体へ加わった衝撃で軌道がズレて空を切った。四本腕は砲弾を受けた衝撃とメイスの空振りによって機体を左にひねりながら落下してゆく。
◇ ◇ ◇
「やはり挟んで同時に殴るのは無理だ! リアルじゃ絶対タイミング合わない!」
思わず叫んだクーガーの表情が歪む。
クーガーはこの攻撃の前に、中学生時代に遊んだとあるゲームを思い出していた。ファンタジー世界で戦うTPS視点の勇者物語だったが、比較的早い段階のステージで通常攻撃には無敵のボスが出現していた。その攻略方法が広がるまでネット界隈ではクソボスだのクソゲーだのと騒がれていたが、AIが操る相棒と前後に挟んで同時に攻撃すればダメージが入る事が知られるや否や、そのボスはクソボスからザコへと格下げになった。
いったん攻略が知られればその対処は簡単で、わかりやすい相棒キャラの攻撃モーションの予兆に合わせてボスに接近して攻撃ボタンを押す、それの繰り返しだけであっさりと倒すことが出来たのだ。
(同時に複数箇所への衝撃なら効くかも思ったけど、さすがにゲームの様にはいかない……)
現実にはタイミングを合わせること自体が困難だし、AIの相棒の動きに合わせてゲーム的に“やられてもいい状態”に移行してくれない敵だ。同時に別角度から同じ部位を殴るのは解かも知れなかったが、クーガーにはもはや試せる自信は無くなっていた。
(あと試せるのは一つだけ。対策していそうだけど、これが効かなきゃもうほんとに手が無い……)
ミサイルの固体燃料を使い果たし推力を失ったクーガー機は、模擬ミサイル全弾を上半分が残ったケースごと空中へ投棄した。
クーガー機と四本腕、それにヒルデブランドの3機は戦火に燃え広がる森林へと降下してゆく。
◇ ◇ ◇
先に地上に到達したのは撃墜気味だった四本腕――03Aブルベガー1号機だった。03Aブルベガーは着地と同時に火災が広がる森の中へと遁走して黒煙の中に雲隠れした。
ヒルデブランドとクーガー機はほぼ同時の着地となった。2機は80メートルほどの距離を取って対峙する。
ブルクハルトはこれまでの攻撃性を失くした冷静な面持ちでモニターに映るクーガー機を眺めていた。
「あれは強いな、エッサー曹長」
エッサーは味方機からの無線を受けつつ、周囲の警戒を続けながらブルクハルトに答える。
「中尉、列車の荷の回収は成功。任せた偵察機JTK-205は荷を持って既に後退中、間もなく越境して東ドイツへ到達します」
その報告を聞いたブルクハルトは大きく息をつく。
「もはや敵機の鹵獲は諦めたが、せめて奴を倒し切らねば私の気が済まん」
ヒルデブランドはクーガー機に向けて両腕先端部の内蔵火器による砲撃を開始した。回避を試みたクーガー機だったが、噴射燃料不足で背部ブースターどころか機動モーターも満足に使えないこの状況下である。近距離砲撃を脚部パワーのみで回避するには無理があると即断したクーガー機は、その場で片膝立ちになってシールドを構えた。
最初の2発までは構えたシールドで弾いたがその後は直撃が続く。そのうち着弾の衝撃を左腕だけでは支えきれなくなり、右手をシールド裏に添えるクーガー機。それを見たブルクハルトが吠える。
「じっとしていれば嵐は過ぎ去ると思うか? もはや手はあるまい! こちらの残弾が尽きる前にお前を撃破する!」
動けなくなったクーガー機のシールドへ更に対EPT120mm砲弾の直撃が続く。10数発の直撃を数えたあたりでシールドの構造が砕け、クーガー機は大きく仰け反り跳ね飛ばされた。
「これで終わりだッ!」
ヒルデブランドが両腕の先端を揃え、仰向けに転がったクーガー機を狙う。
その火砲が火を噴く直前、ヒルデブランドのコクピット内に接近警報が響いた。警報が示したのは先ほど四本腕が消えた方角である。
「小賢しい! いずれ出て来るのは理解っていたのだ」
片腕の砲口を接近中の四本腕に向けるヒルデブランド。しかしその直後に更に反対側から急速接近する物体が警報を鳴らした。エッサーが叫ぶ。
「中尉、先ほど鹵獲に失敗した奴です!」
ジーン機がアサルトライフルを連射しながらヒルデブランドに迫る。
「ええい、鬱陶しい!」
ヒルデブランドは直撃が続くアサルトライフルによる攻撃を物ともせず、わずかに残されていた小型ロケット砲を接近するジーン機に向けて斉射する。敵3機による包囲を嫌ったブルクハルトはヒルデブランドの後部ジェットエンジンの出力を最大にし、機体をいまだ地面に横たわるクーガー機へ向けた。
ジーンが「クーガー!」と叫ぶ。03Aブルベガー1号機の位置と速度ではクーガーの援護には間に合わない。ジーンは今のロケット弾の連射を受けて歪んだ盾と役に立たないミサイルを全弾投棄して背部ブースターを最大噴射した。その目標はクーガー機に迫るヒルデブランドである。
クーガーはこの状況に比較的冷静だった。ヒルデブランドに追いすがるジーン機をレーダー上で確認して声を上げる。
『中尉! ストップ! そのままでいいんです、退避して!』
「何を言ってるんだバカ! お前を見捨てられるわけないだろ!」
ジーンは弾丸を撃ち切ったライフルを投棄し、肩からメイスを引き抜く。
「そいつから離れろこのチ◯ポ野郎!」
ジーンはヒルデブランドに突撃を敢行しながら最大音量に設定した外部スピーカーを使って罵声を浴びせた。コクピットのブルクハルトが後方から響くその声に眉をピクリと動かす。
「女の声? あっちのパイロットは女か、しかし何と下品な女だ!」
ヒルデブランドの前足膝部から再びプラズマが吹き出す。それは後ろから迫るジーン機からは見えない角度だった。メイスを振り下ろしながら飛び掛かるジーン機の攻撃を上半身を旋回させて腕で受け止めたヒルデブランドは、脚部から伸長させたプラズマトーチをジーン機目掛けて横薙ぎに払った。
回避も防御も間に合わないタイミングで攻撃を受けかけたジーンは、一瞬で全身の毛穴が開いて体毛を逆立てる。死を覚悟した刹那、彼女の脳裏に浮かんだのは、ある日の――ルイス・ストリックランド少佐が炎の中を落下する自分に腕を伸ばす光景だった。
思ったよりも長い一瞬だった。ジーンは記憶の中でルイスとの思い出を反芻していたが、そのさなかジーンを襲った強い衝撃が彼女を我に返した。
『中尉、下がって!』
コクピットに響いたのはクーガーの声だった。慌てて球状モニターを確認するジーン。
クーガー機がタックルでもするかのようにジーン機へ体当たりをし、その結果ヒルデブランドのプラズマトーチは空を切っていた。プラズマトーチが返す刀で上から振り下ろされる。振り上げた右足の裏でそれを受けるクーガー機だったが、トーチを受けた脚部が一気に膝上辺りまで融解する。残された大腿部でヒルデブランドの膝を支えていたクーガー機だったが機体重量で上から押し込まれ、輝くトーチの先端は今やコクピットカバーの手前まで迫っていった。
「クーガー、いま助ける!」
ジーンが叫びながら横薙ぎに振り払ったメイスは、その軌道上にあったクーガー機の頭部を破砕しながらヒルデブランドのプラズマトーチのある前足を打ち据えた。ズムッというくぐもった打撃音が響き、ヒルデブランドはびくともしていない。
「何だ、この象でも蹴った様な感触は!?」
ジーンはこの貴重な一瞬にまるで無駄な一手を打ってしまった事に冷や汗をかく。死の恐怖が彼女を襲う中、クーガーからの通信が入った。
『マックアルフィン中尉! 敵機はこのあと最悪爆散します! 早く退避して!』
ジーン機のコクピットにクーガーの切羽詰まった叫び声が響く。
「何を! だって、お前はどうするんだ!?」
『俺はそこにはいません!』
それを聞いて一瞬呆けたジーン機を再度クーガー機が突き飛ばす。体勢を崩して地面に転がったクーガー機が仰向けになった瞬間、そのボディ――コクピットの辺りを上からプラズマトーチが貫いた。
「クーガー!!」
我に返ったジーンが悲痛な叫びを上げる。
しかし続く状況に彼女は困惑した。コクピットを貫かれて機体各所から薄い煙が立ち昇るクーガー機だったが、それでも動きを止めずに両腕でヒルデブランドの脚部にしがみ付いたのだ。
そこへ斜め上方から03Aブルベガー1号機が襲い掛かった。ドウッともズゴンとも聞こえる異様な音がして03Aブルベガーが空中で静止する。
受け止められた03Aブルベガーは空中戦で半壊していた左腕をヒルデブランドに振り下ろす。殴打によって遂に砕け散った左腕は、ヒルデブランドの上面装甲へ黒い粘液の様な触媒――MR流体を大量に撒き散らした。03Aブルベガーは砕けた肘をヒルデブランドに接触させると、失った腕を曲げるでも伸ばすでもなく、単に関節の駆動出力を最大まで上げた。するとヒルデブランドの上面装甲にこぼれて広がったMR流体が肘の接触部分を中心に同心円を形作って踊り始める。それは幾重にも重なった王冠のような形状を作り上げながらさざ波のように蠢いた。
その攻撃によってヒルデブランドのコクピット内では各所からの放電とそれに伴う火花が散る。その激しさに呻くエッサーをよそに、飛び跳ねる火花に瞬きもしないブルクハルトが叫ぶ。
「エッサー曹長、損害状況!」
「遺産部分は無傷! 損害は既存技術部分に限定!」
MR流体のダンスは攻撃そのものではない。それは地球の技術では抑えきれないほどの強烈な磁場がヒルデブランドの内部へ流し込まれた証左だった。機体各所が強電磁場に晒され電気回路がショートし各部が誤作動を起こす。しかしそれでもヒルデブランドは止まらなかった。上半身となる円盤部が旋回し、03Aブルベガーへ両腕の火砲を向ける。
その状況に鳥肌を立たせたクーガーが叫ぶ。
「クッソ! これでもダメか! ならこれでどうだ!?」
03Aブルベガーは振りかざした右手をヒルデブランドの円盤部、正面下辺りにあるスリット――飛行用ジェットエンジンの給気口へ突き入れた。何かが破裂する音が響き、そこから白い蒸気のようなものが猛烈な勢いで吹き上がる。
03Aブルベガーが右手に隠し持っていたもの、ヒルデブランドの内部で破裂させたのは自身の背部パックから抜き出した推進燃料タンクだった。
破裂したタンクから吹き出し溢れた液体状の生ガスが常温で激しく沸騰しながらヒルデブランドの吸気口へ吸われてゆく。そのガスは火が入ったままのヒルデブランドのエンジン内部で爆着を起こした。ヒルデブランドの機体内で激しい炸裂音が幾度か響き、後部のメインジェットノズルからは瞬間的に火炎放射器とも思えるような異常な長さの赤黒い炎が吹き出した。その炎が止むと、ぐらりと揺れたヒルデブランドは脚部パワーのみで後方へ跳ね跳んでモルガンの3機から距離を取った。その着地はどこかぎこちなく、いささかバランスを欠いたものだった。
この時、ヒルデブランドのコクピット内はあらゆる機器が発する警報音で満たされていた。
「チィィィッ! やってくれるッ!」
ブルクハルトは悪態をつきながらコントロールパネルの操作に刻苦していた。
「エッサー、フロギストンドライブは?」
「状況悪し! 機関は無事ですが、周辺一帯の森林火災に吸われて本機が取り込める熱素濃度が極端に低下しています。エネルギー変換率は許容値以下、このままではあと数分で機関が停止します」
「エーテル振動計は?」
「乱高下中! 全身の駆動部の動作が安定しません!」
「熱エネルギー保有量!」
「低下中! ジェットエンジンが停止したいま、機体外部の森林火災、自然燃焼では温度が低すぎて供給に難あり!」
報告しながらパネル操作を続けていたエッサーの手が止まる。
「中尉、残念ですがここまでです……」
「……仕方あるまい。エッサー、欺瞞スモークを炊け。中破した振りをしてここから後退する。部隊各機へ撤退命令を出せ」
中破した振りも何も、ヒルデブランドの機体状況はまさに中破そのものだった。エッサーはブルクハルトのプライドの高さや強がり、自機の能力を過信し敵を侮っていた事に後悔している事に気付き、「了解」と告げたあと無言を貫いた。
本体下部から灰色のスモークを吹き出しながら後方上空へ跳ね跳んだヒルデブランドは、空中で錐揉みをしながら空戦形態に変形。その際に緩い炎を上げたままの2つのジェットエンジンを空中に投棄し自爆させた。そして両太腿の裏にあるスリット型のサブスラスターを全開にし、東の空へ向けて高度を取ってゆく。
ブルクハルトは圧縮モニターに映る下方のモルガン機を苦々しい表情で睨みつけながら奥歯を噛んだ。
(まさかヒルデブランドを内部から破壊しようとするとは……。あのパイロットの動き、機転……。まさか奴はタリン沖海戦のEPTパイロットか?)
ブルクハルトは頭の中で、先ほど戦闘時に見せられた敵機の――FT-03(※クーガー機)の空中での側転回避と、タリン沖(ヘルシンキ沖)海戦で撮られた動画に映っていたYT-133が遺産との戦闘中に見せた同様の側転、この2つを重ねて思い浮かべていた。
(たとえ別人だとしてもアラスカの奴の事もある。しかし西側のEPTパイロットがこれほどの粒揃いだと思いたくはないな)
ヒルデブランドが東の国境を目指して飛び去ってゆく。
いまだ炎が消えない森林地帯にはモルガン機だけが残されていた。
◇ ◇ ◇
『マックアルフィン中尉、俺は自分の機体をここに残していけません。中尉は一度後方へ戻ってギャリー曹長らと合流を』
ジーン機のコクピット内にクーガーからの近距離無線が響く。しかしジーンはクーガー機による二度目の体当たりのショックと戦闘疲れから眠るように気絶して目を覚まさなかった。
(これは帰還後に中尉にケツを蹴り上げられる流れだな……)
眉間に皺を寄せながらため息をついたクーガーは、機体を立ち上がらせるとコンパネを操作して救難信号を発信した。続けて指揮車へ無線連絡を試みた彼だったが、パネルへ手を伸ばしかけて躊躇し、代わりにチョーカーを叩いた。チョーカーの無線電波は機体によってオートで増幅され、乗機からではなくクーガー個人からの通信として指揮車との間を繋いだ。
「コントロール、こちらクーガー。戦闘は終了、敵機は撤退しました。念のためそちらでも敵残存部隊がいないかの確認を」
『森林火災による煙が邪魔で光学やサーモでの索敵が困難だ。敵機が例のステルスマントを使っていればレーダーにも反応しないだろう。この後そこらへ味方機を送り出す。一帯の安全を武力でもって確保するので、周囲の警戒を続けながらそのまま待て』
ルイスからの返答に「了解」と答えたクーガーは、ようやくここで一息ついた。
◇ ◇ ◇
指揮車ではクーガーへ待機指示を出したルイスもまた一息ついていた。
「ジーンの奴が気絶してるらしい。命に別状は無さそうだがケガをしているかも知れないそうだ。俺は部下達からの報告をまとめてクレッケルの野郎に戦闘後の報告をしなきゃならんし、イングランドへの帰還に向けた事務手続き、機体の損害確認とやる事が山積みだ。ケガ人の事を含めて、あとの事はボスに任せていいか?」
クリフは「もちろんだ」と答えた後、独り言の様に呟いた。
「演習用装備だったのを差し引いても、ほぼ同数の敵を相手に1機も仕留められんとは。モルガン製EPTの技術水準は他勢力を完全に凌駕していると思っていたが……」
それを耳にしたルイスはクリフへ振り返る。
「EPT戦力の拡充は急務だな。ナメた対応をしてりゃ足元を掬われる。俺も今回の件では反省しなきゃならねぇ」
「FT-03は技研の粋を集めて“素直”に開発した高性能機の素体だ。例えいま多少粗が目立っても、今後いくらでも拡張する余地はある」
その言葉を聞き流して再び指揮車から出ようとしたルイスにクリフが声を掛ける。
「少佐、イングランドへ帰還したら早速反省会をやるぞ」
ため息をついて振り向いたルイスはクリフを指差した。
「一番反省しなきゃならないのはボス、あんただからな」
その言葉にクリフは静かに目を閉じて答えた。
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羽山一明
一矢報いましたね。結果論とはいえ、クーガーの吶喊、そしてジーンの暴挙が奏功した痛み分け。鹵獲されていれば、演習場がふたたび戦場になる可能性もあり、クリフとルイスも吐息をこぼしたことでしょう。さて、さぞや激情の飛び交う反省会。さながら第二ラウンド開幕。
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羽山一明
2022年2月17日 8時45分
うさみしん
2022年2月17日 12時45分
この話、オチを付けるのに苦労したです。小規模戦で幸いでした。戦争のシーンでは毎回本当に苦心してるです。いつか慣れる日が来るんでしょうか。
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うさみしん
2022年2月17日 12時45分
ノイ
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ノイ
2020年12月24日 19時35分
うさみしん
2020年12月24日 20時38分
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うさみしん
2020年12月24日 20時38分
羽山一明
ビビッと
500pt
2022年2月17日 8時36分
《「そいつから離れろこのチ◯ポ野郎!」》にビビッとしました!
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羽山一明
2022年2月17日 8時36分
うさみしん
2022年2月17日 12時51分
ペニペニにしとくべきだったと思って多少後悔してるです押忍。
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うさみしん
2022年2月17日 12時51分
羽山一明
ビビッと
500pt
2022年2月17日 8時33分
《「此奴(こやつ)ら、連携が上手過(うます)ぎる!」》にビビッとしました!
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羽山一明
2022年2月17日 8時33分
うさみしん
2022年2月17日 12時53分
漢字を仮名に開いておくべきかと考えましたがブルクハルトだからまあいいかと放置しました押忍。
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うさみしん
2022年2月17日 12時53分
狗島いつき (くしま いつき)
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狗島いつき (くしま いつき)
2020年6月17日 6時42分
うさみしん
2020年6月17日 7時58分
※ 注意!この返信には
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うさみしん
2020年6月17日 7時58分
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