ぼくは、何か言ってやらなくてはならないような気がして、 「昼間は母親がいて、出て来れないんだろう?」 と、ビルに訊いた。 すると、ビルも、涙ながらに面を上げ、 「そうなんだ。おれもそう思って、あの薄汚い売春宿に行ってみたんだ。 『せめて、夜にはおいで』 って言ってやるつもりで。それが……それが、もうあの子は、その売春宿にいなかったんだ」 ビルは、ウイスキーを煽るとこはせず、その代わりに、爪が食い込むほどに、きつくこぶしを握りしめた。 「いない? 引っ越したのかい?」 あるいは、そんなことなど訊かない方が良かったのかも、知れない。 だが、ぼくは訊いていた。次に待っているビルの言葉など、知りもしなかったのだから。 「いや……。死んだんだ」 そう言って、ビルはウイスキーを一気に、飲み干した。 「死……んだ?」 「ああ……。信じられないだろう? 昨日の夜、母親のヒモとケンカになった客に刺されて死んだんだ……。客が、ケンカを止めに入った母親を刺そうとするのを見て、あの子は母親をかばって……あんな母親をかばって死んだんだ……。わずか五つの幼子が……。こんなことがあっていいのか……? ハロウィンの妖精は、あんな子供まで連れて行ってしまうのか……?」 「……」 涙を零すビルの問いに、ぼくは何も応えることが出来なかった。 「おれは……あの子のことが好きだったんだ……。可愛くて、可愛くて、たまらなかった……。あの子が死んだなんて、どうすれば信じられるというんだ? どうすれば酒を飲まずにいられるというんだ? あの子は……昨年の万聖節に帰り損ねた妖精だったのだと……だから、自分の世界に帰って行ったんだと……そう思えと言うのか? おれには……あの子がもういないなんて思えない……。あの子の赤毛が金髪に変わるのを、おれは楽しみにしていたんだ。きっと、大きくなったら金髪になると……。それを見たいと思っていたんだ。それなのに……」 ビルの涙は涸れなかった。 ぼくもまた、胸に熱いものが込み上げて来るのを感じていた。 ビルの失恋を笑う気分には、なれなかった。 彼は確かに嫌な人間だけど、悪い人間ではなかったのだから。 ビルの泣き声は、いつまでも、いつまでも、続いていた。 それでも、ビルは、きっと信じている。来年のハロウィンの日――死者がこの世に戻って来ると言われているその日に、あの子が必ず、ビルの元へ、お菓子をねだりに戻って来ると……。 了
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HKR
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HKR
2021年11月3日 23時50分
竹比古
2021年11月4日 20時28分
HKRさん、こちらにも足を運んでいただき、ありがとうございます! しかも、名作スタンプ! 神々しい(涙)! ほぼ改行無く延々と語られるビルの失恋話にお付き合いいただき、感謝です。(なにげにスゴイポイント…)茫然。来年のハロウィンにでもまた思い出していただければ…
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竹比古
2021年11月4日 20時28分
橙と猩々
先生の時の語り口と全く違うので驚きましたが、最後まで楽しませて頂きました。大人の寂しさとそれでも若いビルの心に触れた気がします。最後まで読んだ後に最初のぼくのあらすじを読むとまたぐっときますね。毎日の更新を楽しみに生きていたので明日からどうしましょう!良い作品を有難うございました
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橙と猩々
2021年11月3日 21時47分
竹比古
2021年11月4日 20時23分
橙と猩々さん、あちらもこちらも足を運んでいただき、ありがとうございます! >>最後まで読んだ後に最初のあらすじを――。目からウロコです! そんな味わい方があったなんて! そして読後にまたあらすじを見ていただけるなんて! この数日の生きる楽しみ(コメ等)をありがとうございました!
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竹比古
2021年11月4日 20時23分
和奏
お母さんを庇って亡くなってしまったんですね。それは本当にビルさん沢山色々な事を想ったでしょうね。死んでしまった子供ちゃんが来年のハロウィンにビルさんの所へお菓子をねだりに来るの一文で涙腺が…。ビルさん待っているだろうから来てあげて欲しい。切ない失恋のお話を有難うございます。
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和奏
2021年11月7日 16時04分
竹比古
2021年11月7日 20時12分
和奏さん、ラストまでビルの失恋話にお付き合いくださり、ありがとうございます! 子供の貧困や戦争孤児、虐待…ニュースで耳にすることはあってもその子供たちと対面することはないので素通りしてしまっていますが、もしビルのようにそんな子供と出会ってしまったら…。続く。
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竹比古
2021年11月7日 20時12分
和奏
ビビッと
200pt
2021年11月7日 15時59分
《それでも、ビルは、きっと信じている。来年のハロウィンの日――死者がこの世に戻って来ると言われているその日に、あの子が必ず、ビルの元へ、お菓子をねだりに戻って来ると……。》にビビッとしました!
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和奏
2021年11月7日 15時59分
竹比古
2021年11月7日 20時20分
続き>>自分に何が出来るのだろう、と思ってしまいます。見なかったことにして通り過ぎたり、児童相談所に通報して対応を待つだけだったり――。ビルのように関わることさえしないかもしれない。失恋は恋をするから出来るものなのだと改めて思いました。まず相手を思うこと! ですよね!
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竹比古
2021年11月7日 20時20分
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