実は女だと言い出せない

読了目安時間:5分

幕間

情動

 炎の灯らない暖炉の前、クッションの上で丸くなった妖精猫(シェリー)は、うとうとと微睡む。  外の気温が下がってきたのか、肌寒さを感じたシェリーは薄く目を開けた。  セオバルドとシモンが小さな村へと出かけて、今日で三日目。  霧が降りて曇った灰色の空が、夕暮れ時を飛び越したように灰色から煤けたような黒になる。夜の闇がもうじき空を覆う。  ぴくん、とシェリーは耳をそばだてる。  玄関の扉のドアノブが動く音にゆっくりと瞼を上げ、扉が開閉された音に首を持ち上げた。  入口の扉をくぐり廊下にコツコツと響く、この歩幅間隔の靴音はセオバルドのものだ。足音はいつもよりもほんの少しゆっくりで、踏みしめるように。だが、規則正しく一定のリズムを刻んで、迷うことなく建物の中を進んでいる。 (帰って来た)  きっとシモンがセオバルドにお茶を淹れるだろうから、暖炉に火を入れさせて、一緒にブランデー入りのホットミルクも用意させよう。そんなことを考えながら、シェリーはふぁっと欠伸をする。  軽くひと伸びして、首に結わえられた銀色の鈴を「ちりん」と鳴らし、クッションの上に座り直し……。  耳に届く音に違和感を覚え、額に皺を寄せたシェリーは、怪訝に小首を傾げる。  建物の中に入って来た足音が、一人分しかない。  後から続くと思われた、シモンの足音が聞こえないのだ。  先に建物に入ったセオバルドの足音からは、後ろを気にして留まる様子が聞き取れなかった。  シモンは、どうしたのだろう。セオバルドがシモンを置いて一人で帰ってくることなど、あるのだろうか。  ――それだけは、ありえない。  シェリーは確信を持って自身の中に湧いた疑心を否定した。  違和感の正体を確かめるために、シェリーは少女の姿を模り、キッチンの扉を開けて廊下へと出る。  扉を開けた拍子に部屋へと流れ込んできた風が、シェリーの元へ匂いを運んだ。  セオバルドのもの。シモンのものと、それに混ざるかすかな血の匂い。  そして、あの村で嗅いだ、胸の悪くなるような濃い腐臭が廊下に漂う。  ぎくりとして、シェリーはぎこちなく動きを止める。  脳裏に嫌な考えがよぎった。  腐臭は、村に滞在して染みついたもの。シェリーは胸の内でそう自分に言い聞かせる。  ドアノブを掴んだ手を放さずに足を止め、キッチンの扉の前を通り過ぎたセオバルドの背中を見据えた。  ……何か大きなものを抱えている。 「セオ? ……シモンは?」  一緒ではなかったのかと暗に示し、シェリーは答えを待つ。  仄暗い廊下、セオバルドの足元を飛び、照らしていた小さなカンテラがふわりと浮き上がる。  振り返るセオバルドの両腕の中にしっかりと抱きかかえられ、ぐったりとしたシモンが見えた。  明かりに照らされたシモンの顔色は青白く見え、瞼は閉じられたまま。コートから見える指先はセオバルドの腕からだらんと零れ落ち、ぴくりとも動かない。  背筋をひやりとさせたシェリーが色を失う。 「何、か……、あった、の?」  貴方が一緒に居たのに。喉までせり上がったそんな言葉を寸前で呑み込んだ。  セオバルドはシェリーの方を見ずに、黙ったまま答えない。  しん、とした廊下の静寂に呑み込まれ、溺れるような錯覚を起こした。    魔力を探れば、セオバルドに聞かずとも生死の確認ぐらいは出来る。  だが、シェリーはそれをすることを躊躇(ちゅうちょ)した。  セオバルドが側にいて、最悪の事態なんて『ありえない』という思いが全身を浸す一方で、世の中に『絶対』なんていうものがない事を知っている。だから、『もしかしたら』という拭いきれない不安が渦を巻き、逡巡(しゅんじゅん)する。  シモンの頭を自身の方で支えるセオバルドは、首をわずかに傾げ沈鬱な眼差しをその横顔に向けた。  寡黙さを纏い、濃い疲労の表情を浮かべる彼は、重たげにゆっくりと口を開く。 (やめてよ……)  シェリーの口の中が瞬時に干上がり、乾く。  聞きたくない。だが、制止しようにも、声が出ない。  視界が軋むようにして歪み、床がふわっと遠のく感覚に、ドアノブを持つ手に力が入る。  ――覚えのある、感覚だった。   「いや……。気を張って二晩寝られずじまいだったから、疲れが出て深く眠っているだけだ。目を覚ますまで起こさないでおいて欲しい。ゆっくり休ませたい」 「……」  シェリーが零れ落ちそうな程、大きく目を見開いた。  一瞬思考が真っ白になり、呼吸の仕方を忘れそうになった。  彼が何を言ったのか、よく、聞こえなかった。  セオバルドの声は物静かで小さなものだから。  人の耳は、頭に張り付き、更に髪が掛かかるから、集音機能に乏しいらしい。  人の姿を模ると、耳が遠くなっていけない。  一度、顔を俯けたシェリーは大きく息を吐きだした。 「……何ですって?」   目を見開いたまま大きく息を吸いこんで、顔を上げたシェリーは勢いよく耳に掛かる銀糸の髪を片手で後ろへ払う。  つかつかと力強い足取りでセオバルドの側へ近寄った。  長身のセオバルドに抱きかかえられ、自分よりもほんのわずか、高い所にあるシモンの顔を凝視する。視界に入ったシモンの髪に、乾いて変色した血の跡が見て取れた。  血の匂いの原因は、これだ。 (紛らわしい)  厚手のコートの上からは胸の上下はわからないが、シモンは静かに小さな寝息を立てている。  ――寝ている。    すぅ……、とシェリーの目が据わる。  何の反動か。猛然と怒りにも似た、苛立ちの感情が湧きだしていた。 「……本当に、寝ているのかしら」  わからないわぁ、と小さな声でシェリーが呟いた。  手を伸ばしてシモンの頬の肉を摘まみ、くいっと引っ張る。  ふにぃ、とリスの頬袋のように頬が柔らかに伸びた。  思いのほかよく伸びる頬を軽く睨みつけながら、食べ過ぎて肉が余っているのだとシェリーは心の中で毒づく。    疲れているのか、セオバルドの反応が一拍遅れた。  伸びたシモンの頬を見て、驚いたように目を大きく見開く。 「止せ……!」 「あら、寝ているのかどうか、確かめただけじゃない」  軽く頬を引っ張っただけ。  爪を立てて、怪我をさせたわけじゃない。  涼やかな顔、澄ました声音でシェリーは言い切った。  だから、『セオバルドが側に置く者に危害を加えない』という彼と交わした約束を違えたことにはならない。  顔が変形しても、目を覚ます様子のないシモンに張り合いの無さを感じたシェリーが、シモンの頬を放す。 (驚かすんじゃないわよ……!)  心の中で呟いた文句がそのまま顔に表れ、苦虫を潰したような表情を浮かべたシェリーは、くるりと踵を返しキッチンへ向かって歩き出した。  そして。  階段を上がっていくセオバルドの靴音を背中越しに聞きながら、密やかに安堵の吐息を漏らした。

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  • 男戦士

    にゃまこう

    ♡1,000pt 2021年5月18日 20時41分

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    ファンタスティック!!!

    にゃまこう

    2021年5月18日 20時41分

    男戦士
  • 女魔法使い

    香菜

    2021年5月19日 20時21分

    にゃまこう様、わぁ! メッセージとても嬉しいですm(__)m 貴重なお時間を割いて読んでくださり、沢山の応援ポイントも恐縮です……! スタンプに励まされました! 有難うございます。

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    香菜

    2021年5月19日 20時21分

    女魔法使い
  • 文豪猫

    松本佳純

    ♡1,000pt 2021年2月18日 18時39分

    シェリーちゃんの心配とその反動の怒りがとてもかわいいです~!! 読んでいて私も「⁉」となりましたが寝ているだけで本当によかった……! シェリーちゃんひさびさの出番なのでとても嬉しかったです!

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    松本佳純

    2021年2月18日 18時39分

    文豪猫
  • 女魔法使い

    香菜

    2021年2月18日 20時59分

    松本佳純様、いつもコメントを寄せていただき有難うございます! シェリーと一緒に「!?」となってくださって嬉しいです。シェリーも、思わず心配しちゃった自分に吃驚しているかもしれないです~。

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    香菜

    2021年2月18日 20時59分

    女魔法使い
  • 女魔法使い

    seokunchi

    ♡1,000pt 2021年2月10日 19時22分

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    グッジョブ!

    seokunchi

    2021年2月10日 19時22分

    女魔法使い
  • 女魔法使い

    香菜

    2021年2月10日 21時16分

    seokunchi様、わぁ! グッジョブの応援スタンプm(__)m! 読みに来て下さり、そんなふうに言っていただけてとても幸せです。沢山の応援ポイントも有難うございました。

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    香菜

    2021年2月10日 21時16分

    女魔法使い
  • ひよこ剣士

    成瀬みつる

    ♡900pt 2021年2月10日 20時10分

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    待ってました!

    成瀬みつる

    2021年2月10日 20時10分

    ひよこ剣士
  • 女魔法使い

    香菜

    2021年2月10日 21時12分

    成瀬みつる様、いつも読んでくださり、沢山の貴重なポイントを有難うございます! 応援スタンプの嬉しいメッセージに心から感謝です……! シェリーの心の揺れにビビッともいただけて、とても嬉しいです。

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    香菜

    2021年2月10日 21時12分

    女魔法使い
  • 女魔法使い

    宇宙埜桂子

    ビビッと ♡700pt 2021年2月12日 2時22分

    《階段を上がっていくセオバルドの足音を背中越しに聞きながら、セオバルドに気付かれないように、シェリーがそっと安堵の吐息を漏らした。》にビビッとしました!

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    宇宙埜桂子

    2021年2月12日 2時22分

    女魔法使い
  • 女魔法使い

    香菜

    2021年2月12日 17時43分

    宇宙埜T桂様、お立ち寄り頂けてとても嬉しいです! 素直に良かったと言えないシェリーに、ビビッと応援ポイントを有難うございます。次話からシェリーも一緒に行動しますので、お時間のある時に読みに来ていただけたら幸いです。

    ※ 注意!この返信には
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    香菜

    2021年2月12日 17時43分

    女魔法使い

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