男装少女は言い出せない

読了目安時間:6分

小さな村

1

 しん……、と冷え込んだ、冬の日の朝。  教会のキッチンで、そわそわとしながらオーブンの扉の前に立つシモンは、気を紛らわすように窓の外を眺めた。  夜のうちに降ったのだろう、外には粉砂糖のような細かな雪がうっすらと積もっている。  空を覆う厚い雲の間から昇ったばかりの柔らかな朝日が零れ、幾本もの光芒が真っ直ぐに地上に伸び、大地の雪をきらきらと玻璃のように輝かせていた。 (天使の梯子だ……)  窓の外の、幻想的にも見える景色に見惚れてぼんやりとしたシモンに、声が掛けられた。 「ねぇ、シモン。まだなの?」  まろやかな響きを持つ澄んだ少女の声に、シモンは首を巡らせる。  ダイニングテーブルに着き、癖のない真っ直ぐな銀糸の髪を耳に掛け、横目で自分を見つめているのは少女の姿を模った妖精猫(シェリー)だ。  同じテーブルでは、起き切らない様子のセオバルドが、シモンの淹れた温かな紅茶を静かに飲んでいる。 「うん。そろそろかな……?」  シェリーに答えて、オーブンに向き直ったシモンはその扉を開く。  扉の内側から吹き出すような熱気が流れ出し、オーブンの前が春の陽だまりのようにぽかぽかと温まる。  キッチンの中が、ふわぁっと小麦とバターの香りに包まれた。  オーブンの中からシモンが取り出したのは、ほんのり焼き色の付いた湯気の立つ、スコーン。  焼き立てのスコーンをトングで皿に盛りつけて、木苺のジャムと泡立てた生クリームを用意する。  それらをテーブルに運んで、セオバルドのカップに紅茶のお代わりを注ぎ、シモンも椅子に腰掛けた。  オーブンから出されたばかりのスコーンを見つめたシェリーが、心配そうに眉を寄せる。 「……熱そう」  呟くシェリーの隣で、シモンはほかほかと温かい焼き立てのスコーンを上下に割った。  その途端、スコーンから蓋を取った鍋のように白い蒸気がふわりと立ち上る。  シモンは期待に満ちた眼差しで、スコーンに生クリームをたっぷりと塗ると、木苺のジャムをその上にとろりと落とす。  目一杯口を開けて、スコーンを頬張る。  口一杯にスコーンを頬張るシモンに、露骨に嫌そうな顔を向けたシェリーは、棘のある口調で不満を口にした。 「ジャムとクリームを塗る順番が逆よ……、クリームが溶けちゃうじゃない。大体塗り過ぎ、沢山口に入れすぎだわ」 「んーっ!」  手に持ったスコーンを驚いたように見つめて、顔を輝かせたシモンは思わず唸る。  外側がちょうど良くカリカリに焼けたスコーンは、口に入れた途端ほろりとほどけるようにして崩れた。  ほかほかの蒸気と共にバターと小麦の香りが口いっぱいに広がり、ほのかに甘酸っぱいジャムとまろやかなクリームにとても合う。  紅茶を口に含んで、こくんと、口の中のものを呑み下す。  木苺のジャムと紅茶の香りが合わないはずがなかった。  シモンは幸せに綻んだ顔をシェリーに向ける。 「それも美味しいけど、生クリームだったら、僕は先に塗るのがいいの」  ほかほかのスコーンに緩い生クリームがほんのり溶けて、しっとり染み込むのが好きなのだ。  クリームが口の横に付いているのに気付いたシモンは、それを空いている指で拭って、ぱくっと口に運ぶ。  スコーンの荒熱の冷めるのを待ちながら、シェリーは透き通る紫水晶のような目を鋭く細める。 「ちょっと、やめてよ」 「シェリーだって手を舐めるじゃないか」  美味しいものを食べて気分が高揚し、珍しく反論するシモンに、シェリーは目を吊り上げた。 「猫の姿の時でしょ!? 人間の姿の時はちゃんと人間のマナーを守ってるわ! あなたって本当にがさつね!」 「すごいね。そういうの、どこで覚えるの?」  人間の自分よりもよほどマナーに詳しいシェリーに、感心したシモンは素直に賛辞を口にする。  だが、言い終わるや否や、シモンの関心は既に皿の上のスコーンに移っている。 「あ、シェリー。隅っこの方、もう冷めてるよ」 「余計なお世話よ!」  マナーの話か、スコーンの話か、あるいは両方か。  シモンに向かって不機嫌に言い放ち、シェリーは荒熱の取れたスコーンに手を伸ばす。  目前でやり取りされる声の応酬を避けるように顔を伏せていたセオバルドは、溜め息をついてカップを口に運ぶ。  まだ目が覚め切っていないのか。動作がゆっくりで気怠そうな彼は、スコーンに手を付けようとはしない。  そんなセオバルドに声を掛けたくてシモンは目を向けるのだが、口一杯にスコーンを詰め込んでしまって話せない。  せわしなく紅茶を口に含んでスコーンを喉に流し込み、ほっと至福の一息をついたシモンは、セオバルドの顔を覗き込むように小首を傾げた。 「先生はスープの方がいいですよね。野菜のスープが温まっているので」  彼にとってスコーンは、もそもそと口の中の水分を持っていかれるようなものだろう。  朝から脂肪分のあるクリームも、少し重いのかもしれない。  シモンは席を立ち手を洗うと、皿に柔らかくなった野菜を少量取りスープを注ぐ。朝に弱いセオバルドの為に、根菜は小さめに切り、葉野菜を多めに軟らかく煮たものだ。  香りを乗せた湯気を立ち上らせるスープを持ち、テーブルへと戻る。 「……朝、スコーンは珍しいな」  一口スープに手を付けたセオバルドが、スコーンを眺めてぼんやりと呟く。  淡い翠の瞳をきらきらとさせ、シモンは残っているスコーンに手を伸ばし、まだ温かなそれを割るとたっぷりとクリームを塗る。  声を弾ませて、セオバルドに特別嬉しかったことを報告する。 「パン屋の奥さんにハーブティーを差し上げたら、木苺のジャムと紅茶と小麦を分けてくれて、レシピを教えてくれたんです」  春先に咲く、たんぽぽのような笑顔を浮かべたシモンに、セオバルドは小さく相槌を打って、かすかに微笑む。 「折角教わったから、食べてみたくて」  スコーンのレシピは、家庭ごとに少しずつ違う。  教わったレシピで焼いたスコーンは、シモンが祖母から教わり焼く物とはまた別物のような仕上がりになったのだ。 「ハーブティーの対価みたいなものね」  冬の景色のごとく飾り気なく、吹き抜ける冷たい北風のように淡々とした口調で、即座にシェリーが横から口を挟む。 「シェリー、世知辛い」  口を尖らせるシモンに、ふん、とシェリーはそっぽを向いた。 「シモン」 「はい」  名を呼ばれ、セオバルドに視線を向けるシモンの手元で、スコーンに乗せられたクリームがとろけてぽたりと皿に落ちる。  落ちたクリームを名残惜しそうに目で追うシモンに、シェリーが刺々しい視線を浴びせた。   「……この後、出かけるから支度をしておくように」 「どこへ行くんです?」  皿の上で液体状になったクリームを諦めたシモンが、セオバルドと視線を合わせる。 「馬車で半日程かかる、小さな村だ」  セオバルドの言葉に反応のないシェリーを不審に思い、シモンは彼女に顔を向けるときょとんとして目を瞬かせる。 「シェリーは?」    声を掛けられたシェリーは、優美な仕草でスコーンの欠片を口に運び、カップを持ち上げホットミルクを口に含む。  きちんと嚥下してからナプキンで口を拭い、シモンをちらりと一瞥する。 「行かないわ」  素っ気なく、簡潔に言い放った。

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  • ひよこ剣士

    成瀬みつる

    ♡1,300pt 2021年1月9日 8時36分

    あ、危なかった……夜中に読んでたら飯テロをくらうところでした……(じゅるり) こういうエピソードもいいですねー!楽しませていただきました!今後も執筆、頑張ってください!

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    成瀬みつる

    2021年1月9日 8時36分

    ひよこ剣士
  • 女魔法使い

    和奏

    2021年1月9日 17時26分

    成瀬みつる様、沢山のポイントと応援のコメントを有難うございます! わぁ、楽しいと言っていただけて、凄く嬉しいです! いつも読んで下さり本当に感謝です……!

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    和奏

    2021年1月9日 17時26分

    女魔法使い
  • 化学部部長

    羽之 晶

    ♡1,000pt 2021年1月7日 23時05分

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    見事なお点前で

    羽之 晶

    2021年1月7日 23時05分

    化学部部長
  • 女魔法使い

    和奏

    2021年1月8日 23時04分

    羽之 晶様、沢山の応援ポイントとスタンプを頂けてとても嬉しいです! いつも読んでくださって有難うございます……!

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    和奏

    2021年1月8日 23時04分

    女魔法使い
  • 女魔法使い

    seokunchi

    ♡500pt 2021年1月7日 17時31分

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    応援してるよ!

    seokunchi

    2021年1月7日 17時31分

    女魔法使い
  • 女魔法使い

    和奏

    2021年1月7日 19時49分

    seokunchi様、読んでくださって有難うございます! 可愛いひよこスタンプで応援して頂いて、とても嬉しいです! 頑張ります……!

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    和奏

    2021年1月7日 19時49分

    女魔法使い
  • ひよこ剣士

    アカポッポ

    ♡500pt 2021年1月6日 23時38分

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    続きを楽しみにしてるよ

    アカポッポ

    2021年1月6日 23時38分

    ひよこ剣士
  • 女魔法使い

    和奏

    2021年1月7日 17時42分

    アカポッポ様、読んでいただき有難うございます! 今回、ホラー回なのですが、この先もお付き合いいただけたら幸いです。

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    和奏

    2021年1月7日 17時42分

    女魔法使い
  • マリア&ネロ

    美夕乃由美

    ♡200pt 2021年1月7日 8時01分

    シモンの作るご飯も美味しそうですよねぇ。レシピを聞いたら、なんでもちゃちゃって作ってそうですよね!

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    美夕乃由美

    2021年1月7日 8時01分

    マリア&ネロ
  • 女魔法使い

    和奏

    2021年1月7日 19時47分

    美夕乃由美様、コメントを有難うございます! シモンは食べるの好きだから、積極的にレシピ聞いていそうですね。町の人も、色々教えてくれそうです(^-^)

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    和奏

    2021年1月7日 19時47分

    女魔法使い

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