放恣クトゥルフ神話短編集

読了目安時間:9分

エピソード:24 / 99

円盤

 はじめから嫌な予感はしていた。とある富豪から受けた依頼で乗船した豪華客船で行われるオークションへの参加。一般の乗客は乗っておらず、特定の顧客だけを対象としたツアーだった。  私は当の富豪相手の商売でちょっとした失敗をして、依頼を受けるか腎臓を売るかというところまできていては受けないという選択肢はなかった。  ――何もわざわざ嵌めたわけでもあるまいし。  そこまで怒り狂うか、と言ってもはじまらない。骨董品を扱っていた私だったが、売ったものが本物ではなかったとは後から知った。見る目がなかったのはお互い様だろうに。結局、私はこの船の乗客となった。  一応はニュージーランドへのツアーという形になってはいる。が、主な目的は公海上にあるらしい。要はカジノとオークションだった。それだけで違法性を疑うに足る。が、私に拒否の選択肢はすでにない。  客船は、ただ乗っているだけならば素晴らしいものだった。調度品といい料理といい、スタッフの立ち居振る舞いもたいしたもの。パブリック部分などいくら見ても飽きない。船内には大ホールあり、映画館あり。プールにバーまで揃っている。  私は散策しつつ、だがあまり人とは馴染まないように心がけていた。  どこか明るい場所を歩むとは言いがたい人々は私が怒らせた富豪に似ている。仕立てのいいスーツで穏やかに談笑しつつも目が違う。一昔前ならば頬に傷、と言ったところか。  ――無事に終わるように。  それだけを祈っていた。あの連中と争うのか、と思えば気が重い。私がここにいる理由はオークションであるからして、間違いなく競り合うことになるはずだ。そのオークションの下見会は公海上に出てから執り行われた。  船内の小さめのホールに展示された数々の骨董品。李朝の陶器であったり古備前であったり。あるいはピラミッド時代の遺物を謳ったものまである。統一感のなさがそれだけ金の臭いをさせていた。  依頼主の狙いはただひとつ。円盤だった。小さなそれは、掌に包み込めてしまうほど。だがしかし、あまりに精緻なレリーフが刻まれている。なんだこれは。それが私の率直な感想だった。精緻すぎて気味が悪い。これは、彫ることができるものなのだろうか。石材で作ったメダルといってもいい大きさで、ここまではっきりと浮かび上がる文様、絵柄。  またその絵柄が異様だった。凝視しても何とはわからない。ぬるりとした頭部は蛸に似て、だが口許からは烏賊にも似た触肢が蠢く。そして背中には蝙蝠のような皮膜があり、四肢には鉤爪。こんな生き物はいないだろう。想像の産物にしてはだが実在感がありすぎた。  ガラスケースの中に展示されたそれを前に私は震える。これを、競り落とすのかと思えば。一度でも手にする、とは考えたくない。  ――仕事だ。仕方ない、仕事だ。  失敗すればあとはない。入手できずに帰れば私は腎臓を失うだろう。それで済めばいいくらいだが。  長い溜息を押し殺し、周囲を窺う。できることならば競り合う人間はいないでほしいものだった。三々五々と下見をする人々は幸いにもさほどこの円盤に興味がない様子。ほっとする反面、怖気は走ったままだった。  とはいえ、何があるわけでもない航海でもあった。順調に船は進み、赤道を越えるときには恒例らしい通過祭なるイベントもあった。船長をはじめ、スタッフたちが仮装をし寸劇を演じるのは中々に楽しい。  デッキのプール側で行われた寸劇に客たちがわっと沸く。船長扮する海神ネプチューンとスタッフ扮する海賊たち。どうやら通行を止めている海神に海賊が嘆願する、という内容のようだった。無茶を言う海神と嫌々言いなりになる海賊の馬鹿騒ぎが客の笑いを誘う。 「最後にはね、海の神様が通してくれるって儀式でもあるのよ」  こんな船に乗っているからには真っ当な人間ではないだろうに、どう見ても上品な婦人が微笑んでそう教えてくれた。  聞かなければ違和感を抱かなかったかもしれない。私たちの目の前で海神の要求はエスカレートし、劇とは思えないほど船長の表情が荒い。息遣いまで届きそうだった。  異様さに気づいた客もいたようだったけれど、スタッフの尽力の結果、寸劇はなんとか破綻せずに終わった。なんだか妙だね、と語り合う客たちもそれ以上の感想はない様子。ただ、私は何かの悪寒を覚えてはいた。あの円盤を前にしたときのように。  そして夜。大ホールを利用してのオークションがはじまる。熱狂は凄まじいものだった。デッキで微笑みあっていた人々はいない。誰も彼もが目を見開き汗を滲ませ、必死になって競り落とそうとする。見ているだけならば面白い見せ物だった。  依頼主の目当ての円盤は、執拗に争う相手も登場せず無事に競り落とせた。安堵してもいいはずが、けれど私の手の中に円盤があると思えば落ち着かない。石であるという以上にひんやりとした触感だった。  ――さて、どうしたものか。  私がただの骨董屋だということは乗客たちには知れているだろう。つまるところ私から奪えばただで円盤を入手できると考える輩がいても不思議ではない。  こうなると部屋に置いておくのも不安だった。私が持ち歩いていても大差はないだろうが、盗まれるよりはいい。ケースに収めたそれをスーツの内ポケットに入れて、私はぞわりと背筋を走ったものに眉を顰めた。  明らかに危険な人間ばかりであるというのに、こんな船に乗っているということはそれなりの地位なのだろう、立場を慮るのか積極的に私に暴力を振るおうとの気配はいまのところない。鋭い眼差しを感じる程度のものだった。  依頼主はニュージーランドで待っている。上陸して渡せば私の仕事は終了だ。そればかりを考えて眠りは浅い。  緊張の只中にあったせいだろうか、それに気づいたのは。はじめはかすかな物音。次いで激しい衝突音がした。咄嗟に飛び起きて周囲を窺う。タイタニックではあるまいし氷山などこの海域にはないはずだ。が、それを想起するような大きな衝突音だった。  部屋の外でも音がしはじめた。客たちが気づいて騒いでいるのだろう。私も念のために着替えて円盤をポケットに忍ばせ、廊下に出る。案の定ひどい騒ぎになっていた。 「なんだ、外だぞ!?」  誰が言ったのか。その言葉通り物音は外から聞こえる。つまりは海から。それにぞっとしたのは私だけだったのか。船員が止める隙もなくみながデッキへと走っていた。私もつられるようにして船外へと。  そして、そこで見た。月光の煌めく夜の海は黒々としながら美しい。漆黒に銀の光を反射する波がさわさわと。  だが、それだけではなかった。波間に、何かがある。否、いる。はじめは乗客が落ちたのかと。身を乗り出してから、見るのではなかったと己を殴りたい。 「なんだあれは!?」  それは私が聞きたかった。ぽかんと浮かぶ丸い頭。月明かりに腕が見えた、鰭が見えた。手に持つ槍が見えた。けれどしかし、それは人間ではなかった。異様な魚のような、それでいて人間にも似た化け物が船を囲んでいる。ひとつふたつではない、見回せば海にびっしりと。あそこにもここにも。今また増えて、更に増えて。  ぱん。と場違いに軽い音がした。見れば誰かが何かを構えている。遅れて発砲したのだ、と気づく。銃声とはあんな音がするのか。  それがはじまりだった。恐怖に駆られた発砲が再び。それを皮切りに悲鳴と怒号が船内に満ちる。銃を持っていたのは一人だけではないらしい。乱射の勢いで音がしていた。  私はデッキの柵から海を覗き込んだまま硬直していた。横目で乱射する男たちを見ていた。狂乱し、海へと飛び込んでいくのを見ていた。船員があるいは止め、あるいは応戦するこの景色は、現実なのか。  悲鳴がひどくなった。私の目は撃たれていく化け物を見ていたけれど、少しも痛手を与えたようには見えない。しかも背後から、船内からも悲痛な声が。あの化け物は、水から上がることができるのだ、ぼんやりと私は恐怖する。振り返れば槍で突かれ吹き出す血に塗れて倒れる人が。  見てもいられず視線を外せば海へと。化け物は一向に減りもしない。柵を握った手が痛い。ふと波が押し寄せた。唐突なそれに、私は波の先を目で追う。化け物がまた一体、そう思った。だがしかし、おかしい。  遠い。それなのに化け物と同じように見える。大きいのだ。遥かに巨大なのだ。遅れて気づく。その魚のような丸い目がじっとこちらを見ていた。  気づいたのは当然にして私一人ではない。船内の混乱は極まり、一人、また一人と槍に突かれていく。自ら海へと身を投げる。気づけば流れ弾か、ふくらはぎから血が流れていた。 「どけ!」  銃を持った男に突き飛ばされた。硬直した私はさぞ邪魔であったことだろう。強張っていた私はよろめき、足がもつれる。その拍子に、ポケットから転がり落ちたもの。 「あ……っ!」  ころころとあの円盤がケースから飛び出して転がっていく。手を伸ばしても遅かった。私の指をすり抜けて円盤は海中へと。  その音はなぜか聞こえた。ざぶりと、ただそれだけ。どうしてだろうか。私はあの化け物が円盤を取りに行ったのだと目で見るより確かに悟っていた。正しかったのかもしれない。化け物が減っていく。  尻餅をついたまま、それを見ていた。私の目は吸い寄せられるよう、見たくなどないのにあの巨躯の化け物を見ていた。じっとこちらを眺めている異様な存在を。悠然と佇む巨躯はあたかも神のよう。思った途端に私の脳に閃いたものが。  あれは神に似て神ではない。いまだ神ならざる存在。そして、あの円盤に描かれていたものこそ彼らの神なのだと。彼らは彼らの神の絵姿を取り戻しにきたのだと。知りたくなどなかった。そんなものなど気づきたくなかった。一心不乱に視線を外した私の目の前、背中で聞こえた悲鳴。  飛び出してきた槍先に私は化け物を目の当たりにした。槍の先には人間であったものをぶら下げて、そして私を睥睨する異様な生物。船の明かりにまざまざとその姿が見えてしまった。照り光る鱗も、青白い腹も、残忍そうに輝く丸い目も鋭い牙もが。  腰を抜かした私は振り向く。この化け物と同じで巨大な存在がまだ、海に。あの向こうに。考えるだけで歯の根が合わない。がちがちと歯を鳴らして震える私に化け物は槍を振るう。刺された方がずっとよかった。槍先の人体を私に投げつけ、化け物は嘲笑うように海へと還る。生暖かい死体に押し潰され、私はようやく悲鳴をあげた。  異常を感知した軍によって救助されたのは数日を経たのちのこと。多くの死者と行方不明者に説明はつかない。  私は依頼に失敗し、金も品物も失った。だが生きている。これ以上の幸運などあるものか。腎臓を売ろうがかまわない。すべてをなくしてもかまわない。  私は二度と再び船には乗らない。決して、何があろうとも。プールにも湯船にも近づかない。断じて。水という水にはあれがいる。いまも水溜りにあれが、あの姿が。

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