放恣クトゥルフ神話短編集

読了目安時間:9分

エピソード:36 / 99

臓器移植

 端的に言えば細胞が脆くなる、という奇病だった。どこと決まっているわけではない、ある患者は胃が崩れ、別の患者は指が落ちた。  原因は何か。世界中の医師、研究者が奮闘していたけれどいまもって解決の目処は立っていない。ただ、対症療法的手法は確立されつつあった。  人工多能性幹細胞による臓器移植。機能不全を起こした部分を人工多能性幹細胞で作り出した新たな臓器に置き換えることにより、寛解することが認められていた。 「なんてすごい」  医学生であった私は、この奇病への対応を知ったとき正直に言って興奮が抑えられなかった。人工多能性幹細胞の万能性はつとに知られていたし、分裂を経てなお自己複製機能を保持できる素晴らしさも理解されていた。それが実験だけではなく、こうして実際に医学として有用になるとは。  この人工多能性幹細胞のおかげでいったいどれだけの患者が救われたことか。医学というものの明るさを見た気持ちで私はいっそう学問に励んだものだった。  が、そんな私を奇病は襲った。あまりに唐突なことで混乱したのを覚えている。私の場合、症状は血管に出た。もろもろと自分の血管が壊れ崩れていくのを実感してしまうのは、医学の心得があるせいか。一般人より恐怖は強い。知っているがゆえに想像してしまう、己の身が今後どうなるのかを。  それでも人工多能性幹細胞がある。その希望は捨てなかった。血管まで置き換えることが可能かどうか。医師チームにとっても挑戦だったらしい。私はこの身を医学の未来に捧げるつもりですべてを委ねた。仮に私が失敗したとしても、次の患者が助かるのならばそれでいいと腹をくくった。  私の主治医となったのは人工多能性幹細胞の第一人者とも呼ばれる高名な医師であり研究者だった。一種の治験の側面もあり、そういうことになったのだが否やはない。 「一緒に頑張りましょう」  穏やかな青年医師で私は驚いたのを覚えている。まだ四十に手が届いていないのではなかっただろうか。才能のある人というものはいるのだ、と感嘆する。  そして医師はその才を充分に発揮し、期待に応えてくれた。長い手術を終えた私の体には、新しい血管が入っていた。  もちろん部分的にだ。この医師が発案した方法は興味深い。人工多能性幹細胞自体も新しい方法らしい。これによって作られた臓器は体内に移植されると病変部分を自ら探し、新しい細胞と置き換えていく。次第に病変細胞は駆逐され、健康体に戻ることになる。原因が不明である以上、完治とは言い切れないが日常生活を送るに充分な程度には寛解するのだからなんの不自由があろうか。  そしてもちろん私も病気を克服した。学問は少し遅れたものの、大学にも復学し同級生から遅れること一年、医師免許も取得した。一時は研究職を志そうかとも考えていたのだけれど、私には憧れができた。  ――あの先生のようになりたい。  私を治してくれたあの医師のように。彼の元で経験を積めたならばどれほど幸福だろうか。そう願った私は更に研鑚を積んだ。  そして数年後、私は彼の元へと迎えられていた。彼に師事し、その素晴らしい研究成果を目の当たりにする日々。偉大な業績とは裏腹に謙虚な人物であったのが更に尊敬の念を強める。 「先生、見ていただきたいものがあるのですが」 「どうぞ。いまなら手は空いていますからね」 「ありがとうございます」  穏やかに微笑む彼だった。私はそれを眩しいような思いで見ている。あれから時間が経っているというのに彼は変わらない。過酷な業務と研究に明け暮れているというのに年齢を置き忘れてきてしまったかのよう若々しい先生が羨ましくもある。 「そうそう、体調はどうですか」 「万事問題ありません」 「それはよかった。あなたの手術は難しいものでしたから。本当に成功してよかった……こうしてあなたがここにいる、それを私はとても嬉しく思うのですよ」  生きていてくれてありがとう。こんなことは誰に言われたこともない、親にですら。尊敬する先達に微笑まれ私は感激に震えていた。  それでも多少の不満はあった。私も一端の医師であり研究者でもある。なのに先生は私を研究室には入れてくれない。ご自分だけの空間は気恥ずかしいから、と言うのだけれど、あの人工多能性幹細胞が生まれた研究室を私は是非見たかった。  ――なんとか。  また頼んでみよう、毎度思うのだけれどしつこく頼んで嫌な顔をされたくもない。だが見たい。自分の思いに板挟みになっている私と先生はご存知なのかどうか。 「先生、できれば……」 「うーん。前にも言いましたが、散らかっているのですよ。私がわかればよい、と思っているので」 「かまいません、私はそんなことでは」 「でも、あなたを落胆させてしまうのは残念ですから」  悪戯っぽく笑う先生だった。今度片づけておきます、毎度のように言ってくれるけれど、多忙な先生だ。片づけなどする時間もないに違いない。 「では、あとを頼みますね」 「いってらっしゃいませ。あ、先生」 「なんですか」 「電車のチケット、お待ちになりましたか」 「おや?」  ぽんぽんとポケットを探り照れ笑いをする先生だった。いまだに紙のチケットを愛用するレトロなところもあるのが面白い。人工多能性幹細胞の実用化という先端を行く人だというのに。  学会に向かう先生を見送り、私は受け持ちの患者さんたちを見まわっていく。先生不在の間はこうして数人で分担して患者を診ていた。それがまずすごい、と思う。普段は先生ひとりで診察しているのだから。  自分の受け持ちを見終わったときにはぐったりとするほど。この奇病はいまだ終息の気配もなく原因もわからないまま。人類の終焉、なんて声まで聞こえるほど。症状も様々すぎて医者としては苦労させられる。 「疲れた……」  その上、今夜は当直だった。まだ体力には自信があるから問題はないが、学会と重なったのは痛い。いまごろ先生はどうしているだろう、宴会でベテランたちに捕まっているかもしれない。想像してつい笑みがこぼれた。  そして笑みが硬直したのを感じる。私は何を考えたのか。自分の妄想を振り払いたい。が、できない。いまならば、先生の研究室に入ることができるのだと。 「鍵かかってるって」  当然だろう。だから私は見にいくことにした。ドアノブを回して鍵がかかっているのを確かめる。それで気も済むだろうと。  なのになぜ。どうして。ドアの前で私は呆然としていた。なぜ、ノブが回るのだ。まるで私に入れと言っているようではないか。 「す、少しだけ。万が一誰かが入ってたりしたらまずいし、確認だけ」  呟いて忍び込む。申し訳ないことをしている自覚はあった。散らかっている、恥ずかしげだった先生の笑顔が浮かんで顔をあげられない。だが、好奇心は抑えがたかった。  さして広くもない部屋だった。ドアを閉め、私は明かりをつける。侵入者がいたらいけないから、再度言い訳をしつつ。  ぱっと照らされた室内は先生が言うよう、確かに散らかっていた。デスクの上にはシャーレが置いたままであったり、スチールラックには器具が放り出してあったり。 「……は?」  しかし私の目を奪ったのは、それではなかった。壁際に備えつけられた大きく頑丈なラックには、巨大なビーカーや盥ほどもあるシャーレが。そして、それらは内容物に満たされていた。  あり得ないものを見ている、そう思った。入っているのは、赤黒い、あるいは桃色の、別のものは紫めいた、肉塊。否、臓器が玉虫色に照る。 「なんで、どうして。こんな」  なんの装置にも繋がらず、ただビーカーやシャーレにぽん、と入れられた臓器。だがしかし、生きていた。活動していた。まじまじと見た私は悲鳴をあげる。侵入している後ろめたさなど飛んでいった。  臓器は、臓器ではなかった。生々しい肉塊など見慣れている、見紛うわけもない。腸管からは指が生えていた。大臀筋からは肝臓が生えていた。皮膚を形成した肉塊からは手足が乱雑に飛び出て、別のものには眼球が瞬く。私を見て蠢く。  絶句し、視線が泳ぐ。これはなんだと。なんの冗談だと。私はこれが先生の人工多能性幹細胞による臓器と疑えない。なのに、あたかも怪物めいた有様は。ぞっとして自分の体を抱いた。私の肉体には、先生の作った血管が入って。 「素晴らしいでしょう?」  唐突な声音に飛び上がる。私の背後には先生が微笑んで立っていた。まるで私を背中から抱きしめるよう立ち、肉塊を見つめる先生が。 「せ、先生――」 「学会が早めに終わったので戻ったのですよ。散らかっていて恥ずかしいと言ったのに、あなたときたら仕方のない人です」 「すみません……いえ、これは!?」 「多くの患者さんを救ったものですよ」  先生の笑みは変わらなかった。問い詰める私の口調に気づいていないはずはないのに。この幹細胞は素晴らしい、そう微笑むだけ。 「こんな、倫理的に……」 「だがあなたは生きている。なんの不満がありますか?」  答えられなかった。私だけではない、大勢がこれに救われている。だが。私にはこれはあってはならない異物としか。これが、この化け物が私の体内に。思うだけで我が身が穢れるほどの恐怖。錯乱したに違いない私は、ビーカーもシャーレも薙ぎ払おうと。叩き壊し目の前からなくそうと。 「残念ですね、本当に」  小さく笑った先生だった。そして溜息まじりにシャツのボタンを外す。呆気に取られた私の眼前で先生が弾けた。 「な、え……なんだ、これ……っ!?」  真っ白いシャツの下から現れた先生の肉体は緑めいた黒だった。虹色に玉虫色に照り映える黒だった。粘塊の上に笑顔の先生の頭が乗っている異様。  ずり下がる私の視界に影になっていたシャーレが。その中には、先生の体と同じ色をした粘塊が。なのに、それには指があり、歯があった。小さく蠢く舌が見えた。 「これはね、私と私の同族なのですよ」  血の気が音を立てて引いていく。ならば、私の血管は。私の体には、これが。感じた途端に体中が締めつけられる、否、血管が、私を締めつける。先生の笑みに触発されたように。先生という仲間を守るように。 「あなたもね、もう我々の一部ですよ。感じるでしょう?」  その通りだと思ってしまった。私の細胞は、どこまで入れ替わっているのか。いったい何人の人間がこれに侵されているのか。 「さぁ、一緒に我々を増やしましょう。ね?」  優しく微笑む先生だった。私の目は泳ぐ。シャーレに、ビーカーに。その中の肉塊に、先生の肉塊に。こんなものに侵されて、なのに俺は。生きたい、死にたくない。悍しい願いを理解したとばかり先生が微笑んでいた。

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