放恣クトゥルフ神話短編集

読了目安時間:9分

エピソード:91 / 108

知った顔

 臨時のアルバイトで入った病院は、奇妙な病院だった。妙に、というよりは異様に死亡率が高い。入ってから気づいたのだけれど、嫌なものだった。  そのせいかどうか。看護師もよそよそしい。死亡率の高さを考えれば多忙であるに違いなく、だからこそバイトで入ったばかりの医者に愛想よくなどしていられないのはわかる。ただ、同僚医師たちもどこか上っ面な笑い顔であるのは気持ちが悪かった。  それなりに大きな病院で、医師も看護師も足らない。入ったばかりで当直に入ったのはそれもあったのか。まだ患者の病状を把握しきれていない不安感はあるものの致し方ない。 「先生」  呼ばれてのんびりと向かう途中、そんな場合ではないと知らされる。それにしては看護師の平静にすぎる表情。患者の容態が変わり、いまにも。  数時間だろうか。まだ朝までは時間がある。だが患者にもう朝は来ない。無力感に苛まれていた。もし俺にもう少しできることがあったならば、患者は死ななかったと思えばこそ。 「……つらいな」  胸苦しかった。ほとんど希望は持てない患者ではあったけれど、それでも。助けたいと思うのは医師ならば当然のことだ。だが。 「先生は、よい方ですね……」 「なに?」 「早くバイト、辞めた方がいいです」  ぽつんと言ってその若い看護師は背中を返した。どういう意味だと怪訝に思う暇もない。そうしているうちに別の看護師が入ってきては最期の準備に取り掛かりはじめた。患者から外されるチューブや機器や。患者の生命がそれで消えていくような錯覚。すでに死亡確認は俺がしていても。  ――何度見ても嫌なもんだな。  医者ならば患者が死んで嬉しいわけがない、すべての患者が元気よく退院してくれることをこそ望む。そうできれば夢のようなのに。現実は甘くはなく、ましてこの病院の死亡率を思えば暗澹とするばかり。  当直明けの出勤でもまだぐだぐだと考えてもいた。ベテランになると気持ちの切り替えができるようになる、とは先輩医師の助言だが俺には無理かもしれない。臨床より研究の方が向いているかも。そんな風にいつも悩む。 「はい?」  ナースセンターに顔を出して立ちすくみそうになった。どういうことだと。辞めた方がいい、そう言った看護師こそ辞めていた。はじめから退職予定だったのか、それとなく質問すれば「急なことで。若い子はだからだめなんですよ」と淡々とした回答。決められた文章を読み上げているようだった。  ――あれは、忠告だったのか?  いますぐにでも辞めるべきだと。だから彼女はいないのか。それにしても唐突すぎる。どこか背筋が騒ぐような気味の悪さだった。  その件があってから辞めたい思いは強くなってはいるのだが、患者のすがるような目を見ては中々そうもできかねる。 「先生は違います」 「どうされました?」 「ここ、入ったら出られないって……」 「よくある噂ですよね。病気でちょっと弱気になっちゃったりね。大丈夫、もうすぐ退院じゃないですか」 「そんな風に言ってくれるの先生だけですよ……。ここ、なんて呼ばれてるか知ってます? 棺桶病院ですよ」  虚ろに笑う患者だった。出られるのは死んだときだと笑う患者だった。それにはぞっとさせられる。噂ではあっても気分のいいものではない。  ――退院間近でなぁ。  それほど気に病むか。首をかしげるばかりだった。顔色もよく体調もずいぶんと戻っている。これならばあと一度検査をして、それをクリアできれば退院だろう。ほとんど検査結果が見えているような、念のため以上のものではない検査だ。  それなのに恐ろしげに震えてまでいた患者の表情が焼きついていた。この病院から出られない、信じ込んででもいるようで。 「患者さんのとこまわってきます」  数日後だった。少しは馴染んだはずなのに、相変わらず医師も看護師も他人行儀のまま。俺は部外者である、そう示されているよう。 「あぁ先生」  だからそうして声をかけられると少し嬉しい。その気持ちが泡のように萎んだ。あの患者が死亡したと。そんな馬鹿な、と看護師に言っても無駄だとは、理解してはいる。だが。  ――あり得ない。  どう考えても死ぬ理由がない。俺の怪訝を通り越したような目に看護師は「急変しました」とだけ無表情に言った。絶対にないとは言い切れない。確率的に不可解なほど低いが。 「それより院長がお呼びです」  患者の死亡より、見回りより。それよりとはどういう了簡だ。看護師に八つ当たりしたい気分でいっぱいだった。多忙な彼女たちのことだ、たかがバイト医師への言葉遣いなど気にかけていられるか、ということだろうが。  ――また、亡くなった、のか。  棺桶病院と怯えていた患者の顔が浮かんで仕方なかった。退院まであと少しであったのに。それを気にしてもいない看護師たち。病院の日常と割り切ることはできそうにない。 「呼び立てて申し訳なかったね」  訪れた院長室では穏やかな顔の院長が待っていた。採用のときに会ったきりだけれどいまはその悠然と優しげな目すら疑わしく見えてくる。この院長の下で異様な死亡率と思えば。 「とんでもない」  座ってくれ、言われておとなしく座す。コーヒーと菓子と。用意されても手をつける気にもなれない。はじめて院長の笑顔が張りついたようと感じる。 「うちの病院はどうだろうか?」 「素晴らしい病院だと思います。先生方も積極的にサジェスチョンしてくださいますし看護師も優秀です」  それはよかった、微笑む院長を前にそれ以外どう言えたか。なんでこんなに死ぬんですか、と言えるわけがない。俺の表面的な回答でも満足だったのか院長は言う、正式に雇用したいと。 「残念ですが。次が決まっていまして、本当にすみません」  嘘だった。それでは仕方ないね、笑ってくれた院長だったけれど、その顔にこそ俺は嘘をついてよかったと思う。それくらい薄ら寒い笑みだった。  その翌日からだった、病院で騒ぎが起きはじめたのは。偶然だろうけれど腰の落ち着かない不安感がある、何かの符合のようで気味悪かった。  もっともそんなことを言っていられる場合でもない。あちこちから時折聞こえる患者の悲鳴。 「どうなってるんだ!?」  ネズミが出没していた。病院に、だ。あり得ないだろう。俺もこんなことははじめてだ。病室にまで出ては患者に悲鳴をあげさせているなど。 「たいしたことではないですよ」  さらりと流す看護師は更にあり得ない。ここは病院だ。何より清潔であり衛生こそを至上とせねばならない病院だ。ネズミが出るなどあっていいことではない。 「どうなってるんだ……」  繰り返す無力さ。そんな俺をすげなくあしらい看護師は「駆除は業者に頼んでありますから」とだけ言う。 「これ、原因。なんなの」 「さぁ?」 「発生源とか」 「さぁ?」  無表情なのは多忙だからだけなのか。人間味というものを感じられない看護師に反感を覚えるより先に寒気がする。彼女ひとりではない、看護師のすべてが同じ態度だった。同僚医師も似たようなもの。これは俺がバイトだからなのか。  ――もし、院長の提案を受けていたら。  俺がこの病院の正式な医師になっていたら、違うのか。それはそれでぞっとさせられる想像だった。見ていると、そう思わざるを得ないだけに。医師たち看護師たちが歓談しているさま、まるで仲のいい友達同士のようだった。決してその輪に入れないやっかみではない、むしろ俺は入りたくない。  ――やっぱり断って正解だったか。  ただ、患者のことを考えると忸怩たるものがあった。退院間近で亡くなった患者のことはどうしても。ふと忠告をくれた看護師の顔を思い出した。こんな環境では辞めたくもなるだろう、俺だって辞めたいと。  また回ってきた当直だった。ネズミが出ているのに嫌なものだ。あれから一向に駆除が進んだ形跡はなく、患者が悲鳴をあげる回数も増えている。  ――まったく。  どうなっているのだ、苛立ちと反感と。期限が来たら綺麗さっぱり辞めてやる、思いつつもやはり患者が気にかかる。夜の病院は医者でも気味が悪いと思うこともままあるものだ。体調の優れない患者がうなされていたり、機械類の駆動音がしたり。  その患者たちの声が。普段よりいっそううなされているような気が。死亡率の高い病院。思い浮かんでは背中が寒い。暗い廊下にいるせいだろう、消灯時間をとっくに過ぎている院内は常夜灯だけが薄くついているばかり。そんなところで考えれば医師でも寒気くらいは。 「……なっ!」  一気に吹き飛んだ。廊下を行く小さな影、素早く消えていく。間違いない、ネズミだ。走って消える姿に看護師に告げておかなくては、と。すぐにも業者に連絡を。思っているうちにまた一匹。 「なんだ……?」  怪訝だった。消えたネズミを追うように走っていったネズミ。相次いで現れた不快感。どこに行ったのだろうか。同じ方向ではあった。追いかけてみるべきかどうか。  ――行くか。  どうせ看護師には言っても無駄だろう。ならば辞める前の義理として、これくらいは。追いきれるとは思わないまでもネズミの消えた方へと。  なのに、見失うとネズミが出てくる。ちらりと見えるだけで同じそれかは定かではない。全部別だと考えるとぞっとするが。  ちらりちらりと見え隠れするネズミだった、まるで誘導されているようで薄気味悪い。ほどなく俺は地下へとたどりついていた。こんなところにドアなどあっただろうか、首をかしげるものの、ネズミが消えたのはそちら。開きかけのドアをくぐれば階段があった。更に下がある様子。  ここまで来たのならばいっそ、と下りていった。発生源がわかるかもしれないとの期待もある。静かに下りつつ、不意に違和感。明かりがついていた、常夜灯ではなく。次第に明るくなっていって気づかなかったそれに立ち止まる、途端に再び現れたネズミが駆けていく。舌打ちをして追った。  階段を下りきった場所にはもう一枚のドアが。ここも少し開いていて、俺は躊躇なく開けた。苛立ちが募っていた。踏み出せば、突如として跳ね飛ばされる。まるでドアの向こうが壁であったのに気づかず突進したように。 「なんだ!?」  混乱していた。反対の壁にぶち当たった背中の痛み。ついで層倍する痛み。ばちん、と音が聞こえた錯覚。否、現実なのか。痛みを見やって愕然とした。俺の手に喰らいつくネズミが、指がなくなって。  一匹ではなかった。異様な群れが俺の体中にたかっていた。小さく、けれど獰猛な獣が。悲鳴をあげて叩き落とす、その声の反響が耳に痛い。到底小動物とは思えない攻撃衝動に駆られたネズミだった。俺を喰らわんと群れてくる。踏みつけ、潰し、飛び散る体液に足を滑らせ転倒した。眼前にネズミが。  ぽかんとした。ネズミに人間の顔がついていた。小さな手で俺を掴む。それも人の手だった。何より、その顔はあの消えた看護師の顔だった。

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  • ありちゅ

    巽☆

    ♡3,000pt 2022年7月29日 20時56分

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    きゃーーーっ!

    巽☆

    2022年7月29日 20時56分

    ありちゅ
  • クトゥルフ

    浅葱亮

    2022年7月29日 21時50分

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    いえーい!

    浅葱亮

    2022年7月29日 21時50分

    クトゥルフ
  • 女神官

    プチ猫

    ♡1,100pt 2022年8月3日 21時29分

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    頑張ってくださいね

    プチ猫

    2022年8月3日 21時29分

    女神官
  • クトゥルフ

    浅葱亮

    2022年8月3日 21時44分

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    ありがとうございます

    浅葱亮

    2022年8月3日 21時44分

    クトゥルフ
  • 兵馬俑

    飛鳥 瑛滋

    ♡500pt 2022年8月1日 3時23分

    異様に広い霊安室とそこに蠢くネズミの大群。 人の顔をしたものが、人の手で掴んで人を食べているのが怖いと思う。 入ったら出られない病院に入れられる患者と、そう解っていて入院させる親族はどんな気分なんだろう。(親族が了解済みだとなお怖い)

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    飛鳥 瑛滋

    2022年8月1日 3時23分

    兵馬俑
  • クトゥルフ

    浅葱亮

    2022年8月1日 15時11分

    わぁ!? 了承済みは怖いですねっ。――となると、病院は邪教の儀式場でもあるのでしょう。患者の家族も狂信者で生贄に差し出されるのは怖いですねぇ。知らぬは本人だけ、なんて。

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    浅葱亮

    2022年8月1日 15時11分

    クトゥルフ
  • 兵馬俑

    ジップ・zip7894

    ♡300pt 2022年10月7日 21時17分

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    ▼▼

    これは興味深い

    ジップ・zip7894

    2022年10月7日 21時17分

    兵馬俑
  • クトゥルフ

    浅葱亮

    2022年10月7日 21時52分

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    ありがたき幸せ

    浅葱亮

    2022年10月7日 21時52分

    クトゥルフ
  • 女魔法使い

    佳穂実利

    ♡300pt 2022年8月13日 0時12分

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    ▼▼

    面白かったです。

    佳穂実利

    2022年8月13日 0時12分

    女魔法使い
  • クトゥルフ

    浅葱亮

    2022年8月13日 14時06分

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    うれしい!

    浅葱亮

    2022年8月13日 14時06分

    クトゥルフ

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