名波とかなた

 都心のビルが遠くに見える。  3月も半ばで、夏は去ったものではなく、来るものとして待っていてもいい季節になった。  レモネードやアイスクリームにはまだ早いけれど。  かなたには、3か月ほど会っていない。いつも書いてくれる魔法の呪文を、前回は何故か書いてはくれなかった。気まぐれなのか、ただ薄く笑うだけだった。  魔法が切れてしまったような気がして、それでもかなたに無性に会いたくなると水族館やプラネタリウム、喫茶店へ行ったが、かなたは居なかった。  彼女の笑顔が脳裏に現れる度、白昼夢を見ていたような気がした。  ――今までが“当たり前”じゃなかったんだ。  ただ、日常に戻っただけなのだと自分に言い聞かせている。  仕事帰り、帰宅途中の夜の公園。  昼間あったはずの喧騒は帰ってしまった。  猫が横切る。  電灯に照らされた寂しいベンチに座っていたのはかなただった。白いパジャマを着ている。  青だった髪が黒髪に押し出されて、深い海の底のようなグラデーションになっていた。  やっと会えた、そう言って笑みを浮かべるには、かなたの顔は今まで会った時とは少し違って見えた。いつも上を向いた夢心地な表情から、俯いて遠くを見るようにぼんやりとしていた。 「そんな恰好で、風邪ひくよ」  急いで名波は自分のコートを渡した。  名波に気づいたかなたはばつがわるそうにはにかんだ。まるでいたずらがバレた子供のように。    どうしてこんなところに?  その恰好は?  何かあったの?  その質問は彼女を遠ざけてしまう。彼女を知れば知ろうとするほど、彼女はきっと逃げてしまう。この非現実さが二人を留めているのだ。  今名波が買ってきたばかりの、熱いミルクティーの缶を受け取ると疲れているのか、いつものように上気した頬ではなかったが、微笑んでかなたはお礼を言った。  なんとなく、お互いについて深く知りすぎないことが、二人の暗黙の諒解だった。恒星のように近づきも、遠ざかりもしない距離が、二人の世界を保っていることを名波は感じていた。 「東京は、あんまり星が見れないね」そう言った名波に 「あるじゃない、星は何処にでも」 「君の言うのはプラネタリウムだろう? あれじゃ本物の星とは言えないよ」 「……名波は、本物かどうかに、価値があると思う?」  当たり前だ。偽札は使えないし、まがい物の宝石はその値段が価値を示している。――音楽だって、二人目の誰かはいらない。  名波は当り障りなくかなたにそう言った。  かなたは少し悲しそうな顔をした。 「偽物には、偽物の役割があるのよ。ガラスが指輪に填められてたって、その人にとってガラスが宝石より美しいなら、それが本物になることだってあると思う。そもそも本物と偽物と区切ってしまうことが変よ」  かなたは、少し必死に見えた。まるで名波を正したいように。 「ごめん。僕は、……引きずってるんだ、昔のこと。もう終わったことを」  音楽をすることで自分の存在価値を見出していた。  それがなくなって、何をするべきか分からなくなった。  答えを明確にしてきたわけじゃない。それだけの事なのに、頭が、心が時間についていけない。 「あのとき音楽が嫌いだっていったけど、そんなことない、救われているんだ、だけど苦しめられてもいる」笑って濁すつもりだった。 「……聞いてもいい?」 「――ある人に言われた言葉が、どうしても受け入れられなかったんだ。僕の先生の……」 『――お前は人に届けたいと思ったことはあるか』。 「そのとき、僕はただ今までうまくなりたい、歌いたいって気持ちだけで、音楽をやって来たって分かった。誰かに届かないと、意味ないんだ。存在していないのと同じ。僕はただ僕のための音楽しか必要じゃなかった。人のために何かをできるほど、僕は器用じゃない」  それで満足なはずなのに、幸せを感じるべきなのに。  残ったのは抜け殻のような自分。 「評価されたい、認められたいなんて、思っちゃったんだ。それから、僕にとって音楽は音楽じゃなくなった」  かなたは考え込むように、足元をみながら、ぽつぽつと彼女の言葉を紡ごうとした。 「……このさき何を選んでも、それはついてくるよ。『戦う』『一緒に生きる』『受け止める』『あきらめる』。色んな言い方があるけれど、みんなそれぞれのやり方で、正解を信じて、あるいは探して、生きている。  教えてくれるものがあるとしたらそれは、――‘時間’ね。  ――考える時間一人の時間、最期の時間。これで良かったって思っても、後悔しても終わるときは終わる。あとは塵に還るだけ。シンプルなのよ」 「かっこいいなあ、君は」 「こう見えても、色々考えているの。知らないことは、タイムワープの方法だけ」  いたずらっぽく笑う。 「……君について聞きたいこと、たくさんあるんだ。僕は君のこと何も知らないから」 「私はね、実は……宇宙人なの!」。 「僕今、けっこう勇気出したんだけど」 「あはは。ごめんごめん……」 「いいよ。君は君だ。それに君が宇宙人なら僕だって宇宙人だ」  その時、かなたが座ったまま名波を見上げた顔は、水彩絵の具が溶け合うように一つの言葉では表せなかった。  ――戸惑いにひきつったような表情と、幸福が染み入ることへの抵抗、潤んだ眼差し。 「今日は魔法の呪文、書かないの?」 「……もう魔法が残っていないのよ」  スケッチブックを名波から受け取ったまま、魔法の呪文は紡がれない。 「……じゃあ、今度は僕が魔法をかける。僕は毎日、此処に来る。一つの儀式みたいなもんさ。だから、今度は君が魔法を叶えるんだ」

コメント

もっと見る

コメント投稿

スタンプ投稿


  • 女魔法使い

    ヨミエリ

    ビビッと ♡1,000pt 〇100pt 2020年11月22日 2時42分

    《「偽物には、偽物の役割があるのよ。ガラスが指輪に填められてたって、その人にとってガラスが宝石より美しいなら、それが本物になることだってあると思う。そもそも本物と偽物と区切ってしまうことが変よ」》にビビッとしました!

    ※ 注意!このコメントには
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    ヨミエリ

    2020年11月22日 2時42分

    女魔法使い
  • 男戦士

    瑞浪イオ

    2020年11月22日 19時33分

    ヨミエリ様 ビビっと、ポイントまで!! ありがとうございます!m(__)m

    ※ 注意!この返信には
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    瑞浪イオ

    2020年11月22日 19時33分

    男戦士
  • 女魔法使い

    香菜

    ♡200pt 2020年11月26日 21時56分

    ※ 注意!このコメントには
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    この世界観…好きですっ!

    香菜

    2020年11月26日 21時56分

    女魔法使い
  • 男戦士

    瑞浪イオ

    2020年12月13日 13時01分

    香菜さま いつもありがとうございます(^▽^)

    ※ 注意!この返信には
    ネタバレが含まれています

    タップして表示

    ▼▼

    瑞浪イオ

    2020年12月13日 13時01分

    男戦士

読者のおすすめ作品

もっと見る

同じジャンルの新着・更新作品

もっと見る

  • なろうで10kPV/d超えたサーガです。

    ♡20,300

    〇0

    現代/青春ドラマ・連載中・73話・188,368字 林海

    2021年1月16日更新

    犬並みの嗅覚を持つ俺は、高校で同級生になった彼女に一嗅ぎ惚れした。 それは、普通の高校生が決して踏み込んではならない世界への入り口だった。 歴史、世代、国境を超えて話は進みます。 こちらでも連載させていただきます。 なお、この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。

  • 実話ソープにタダで通える裏技を紹介します

    ♡0

    〇0

    現代/青春ドラマ・連載中・74話・28,380字 匿名希望

    2021年1月16日更新

    詳しくは第1章をお読み下さい。 2020年1月、私は警察から現行犯逮捕され、11日間、監禁されていました。 そして、遠回しな言い方ではありますが、精神異常者として、精神病院に長期間、監禁されたくなければ、警察の不正を「もうこれ以上告発するな!」という脅迫を受けました。 告発するなという脅迫の中核となった真実は、警察とオウム真理教の間には癒着があったという事実です。 じつは、オウム真理教が行っていたテレフォンクラブでは、警察官も電話番をやっていました。そしてここで得られた利益の一部が、サリン事件の資金となっているのです。 ちなみにサリン事件の死者は21人。負傷者は約7000人です。 この真実を告発するために、本書を書きました。 また、上の内容とは無関係なようにも、みえますが、第4章では「男にモテるキャバクラ嬢の極意」を書きました。とりわけ、これからキャバクラで働こうと思っている女性や、新人のキャバクラ嬢は、是非ともお読み下さい。 なお、この作品は「アルファポリス」に「実話/ソープにタダで通う裏技/男にモテるキャバクラ嬢の極意」という同じタイトルで、 また「小説家になろう」にも、「実話・ソープランドにタダで通う裏技・男にモテるキャバクラ嬢の極意」というタイトルで 「novelist.jp」には、「実話・ソープにタダで通う裏技・男にモテるキャバクラ嬢の極意」というタイトルで 掲載させて頂いています。