DEITY ディエティ1古代の動脈

読了目安時間:7分

エピソード:3 / 4

海へ行く約束

「光輝、良かったわね!お母さん、とっても嬉しく思うわよ!」 そう言って一番に内定を褒めてくれたのは、他でもない母だった。 うだるような炎天下であるこの季節で就職先が決まったことは、光輝にとっては半ば奇跡に近い事実だった。早い人だと五月、六月頃からもらうこともあると耳には挟むものの、現在の自分では到底内定など叶わない絵空事に違いないと信じて疑わなかったからだ。 その概念が覆された今、つい最近まで蓄積されてきた履歴書作成やインターンシップ、企業分析云々といった疲労の溜まる就職活動に終止符をつけるだけでなく、日頃から募る自身の気持ちをついに優先させてあげられることが何よりのご褒美だった。普通ならいくつか内定を決めてから本命を決めることも多々あるはずなのだが、光輝にとってはさらに苦労を重ねてまで真剣に選別する気など毛頭なかった。なにせ、自分には大きな夢があるのだ。それが叶うまでの間に必要最低限の収入が得られるならそれに越したことはない。もちろん、そんな前提を親に話せば将来に対する人生設計をどこまでも疑ってくることは間違いなかった。だからこそ表面上は真面目に活動しているように見せかけて、一つだけ受かった時点でまさにそれだけのために日々邁進してきたかのように振る舞う必要があった。そんな建前を維持するのも、この日をもって最後となったのだ。日常を独占してきた鬱積から解放されることがどれほど大きな喜びとして新たな堪能をもたらすか。それを今のこの瞬間をもって体験した。 「これでようやく実家を離れられるわね」 光輝の回想に気づくことなく母が陽気に話しかける。「そうだね」と作り笑顔で返しつつ、今後の展開に一人妄想にふけるその顔は、確かにありのままの笑顔を表していた。その表情に、 「そんなに仕事先のことを考えていたのね」 と、感心する母。 本心は違うとは口が裂けても言えない状況のかつての煩わしさに、まさに就職活動がさらなる重量をかけていたのだが、そんなことはお構い無しに、「そりゃあね」と軽い返事で返す。顔がにやけているせいか、本気でそう考えていたと思われているに違いない。今更疎ましく思う感情などとはすでに無縁だった。 「じゃあ、ご褒美としてお昼ご飯は光輝の大好きな冷やし担々麺を作っちゃおうかな。いい、光輝?」 「ああ、それでいい」 この年頃は誰だって親の好意などまともに受け入れることなどしない。親はそう思っているに決まっている。だからこそ、淡白な返事も嫌がることなく受容するとたかをくくる光輝は、母親に関心を示すことなく、「ちょっと庭に出てもいい?」と許可を取って、一人ぶらりと縁側へ出た。 片手に持っていたスマートフォンに指を走らせて連絡先の保存されたアプリを立ち上げる。目的の相手の電話番号をタップしてさりげなく耳に端末を当てる。 「もしもし、光輝?」 数秒も立たないうちに応答した相手の声を聞いて安心する光輝。 「俺だよ。報告なんだけど、なんだかんだで内定もらってさ。すべてのやるべきことはとりあえず終えることができたよ」 「ほんと~?それは良かった!あたしも嬉しい!」 澄みきった声音でありつつもどこか純粋さを感じさせるその声が聞けることを毎度のように満足しながら、光輝の頭の中はすでにデートのことだけで満たされていた。 早速誘おうと口を開きかけたが、先に相手が会話を仕切る。 「あたしの場合は、もう夏休み後半なのにまだまだ課題が山積みなんだ。高校の時と違って大学はなんだか科目が多いような気がする。まあ、まだ一年生だしそこまで早く慣れることはないよね」 自重気味に笑うと、「あのね、光輝」と話題を変えた。少しだけ声に躊躇と緊張が含まれているのがわかる。 ………もしかして、俺が以前話したあの件だろうか? その後の展開を勝手に妄想してにやけ顔がますますにやけていく光輝の予想とはあいにく外れた内容だった。 「本当に申し訳ないんだけどね、その、光輝にあたしの課題を手伝ってもらうことって、できる?そんなこと反則かもしれないんだけど、あたし一人の手じゃどうにもこうにも進まないんだ」 期待外れしたことに多少の落胆を覚えたとはいえ、それでも光輝のテンションは半ば上がった。 ありがたい! 美春と同じ時間を過ごせるのなら、もちろんどんな要件でも引き受けるつもりだ。 「もちろん!どんな課題?」 「『人間性の真価を問えるとき』っていう、学内で購入したテキストがあるんだけど、その文章表現とか言い回しがけっこう難しくて。述べている意味を理解するのにかなり長い時間かかっちゃうんだ。今後近いうちに各個人に与えられたパートの内容をまとめてレポートで作成して、それぞれの内容ごとにディベートをしなきゃならないの。あたし、どちらかというと人見知りなところがあるから、人前で話すことに対する緊張も今の時点で考えちゃったりして、切羽詰まってるの。お願いできそう?」 心底申し訳なく感じている可愛げな口調に光輝のテンションは滞ることなく、むしろ高まりを感じさせながら彼は一人頷いた。 ここぞとばかりに、自身の立てた計画を打ち明ける。 「オーケー!わかったよ!そこでさ、俺からの提案なんだけどね。美春と会うその日に海までドライブに行かない?もちろん時間帯は美春が決めて構わないよ。先に勉強して午後から行くか、一通り楽しんでから勉強に取っつくか。あ、行く前提みたいに言っちゃってごめんね」 返ってきた彼女の反応はむしろ嬉しそうだった。 「ええ、ほんと?いいの?勉強を教えてもらって、ドライブまで連れていってくれるの?すごく嬉しい!じゃあ、午前中勉強してからドライブにお供させてもらおうかな。その方が解放感も大きいしね。どこまで行くの?」 「江ノ島にしようかと思ってるよ。この季節はまだまだ海一色のイメージしか俺にはないからさ」 「うん、オーケー!いいよいいよ!ありがとう!あまり混んでいないといいね。かなり混雑していそうだけどね」 再び自重気味に透明な笑い声を響かせる美春のその声は、聞いていて心地良いものがあった。できることなら、もし叶うのであれば、自身の夢の実現と共に彼女との同居も叶えたい。それが光輝の真底の願い事だった。 約束が成立したことを受けて話を進める。 「それで、いつ頃がいい?」 「うーん、そうだね………三日後の土曜日でもいい?朝の八時からいつもの最寄り駅で待ち合わせしようよ」 「わかった。車で向かいたいんだけど、停められそうな場所はある?」 「あたしの家の近所にコインパーキングがあるよ。お金がかかっちゃうんだけど、停められそうなところはそこしかなさそうなんだ。ごめんね、せっかく来てくれるのに」 「ノープロブレム!全くもって全然問題なし。謝ることないよ。そうしたら駅まで車で迎えに行くから、そこから一緒に乗って美春の自宅まで向かおうか。まだ美春の自宅訪ねたことないもんな」 「そうだったね。なんかお世話ばっかりかけちゃって本当に謝ることしかできないんだ。ありがとう、光輝」 彼女の気転の良さに感心し、美春への愛情がさらに倍増したような気持ちになった。内心メロメロになりながら、光輝は今この瞬間において、せめて彼女の顔だけでも見ることができたら、と切に願った。 半ば放心状態の彼が会話の続きを模索しようと思考を巡らせたが、美春が先に会話の区切りをつけてしまう。 「あたし、これからちょっと美容院に行く予定があるから、一旦これで失礼するね。今日みたいにまた連絡ちょうだい。いつでも待ってるから」 「おお、了解した!髪切りに行くんだね!素敵な髪型が見れることを祈ってるよ」 「ありがとう!じゃあ、当日はよろしくね!」 「よろしく~!」 彼女が電話を切るのを待ってから、耳から離した端末上の別のアプリを開く。カレンダーにある今月の土曜日の欄にメモを入力する。 朝八時、いつもの最寄り駅に車で美春を迎えに行く 交際半年記念として彼女へのプレゼントを忘れないこと 電話で明かさなかった思惑も加えた文章を眺めて、光輝の胸は膨らんだ。 交際してからちょうど半年が経過した日にちはすでに過ぎているが、彼女はそのことを覚えてくれているだろうか。恐らく女の子だから覚えてくれてはいるだろう。だが、たとえそうであろうとなかろうと、自分はどこまでも彼女に尽くすつもりだった。あの日出逢ってからずっと美春への想いは変わらなかった。それだけ一世一代の恋をさせてくれた彼女に愛情表現をしないことが、むしろ光輝にとっては理解できなかった。愛し尽くすと決めた人だからこそその想いを形にする責務がある。 彼女と合流する当日に終始ときめきながら、光輝はデートのメインイベントであるドライブのルートを確認しようとベランダの窓へ戻った。 ここから江ノ島までの距離はそこまで長くはない。だが、念のため行き先の確認はしておく必要がある。 海岸の景色を二人で一望する光景を想像しながら、光輝は二階の自室へと向かった。 当日の景色に、今まで見たことのない漂流物が加わることになるとは、夢にも思わずに。

コメント

コメント投稿

スタンプ投稿


このエピソードには、
まだコメントがありません。

同じジャンルの新着・更新作品

もっと見る

読者のおすすめ作品

もっと見る

  • 心療内科の友美さん ~私、動物専門なんです~

    読んで頂けたら幸いです

    103,900

    776


    2022年9月3日更新

    動物と話が出来るあくまで自称心療内科医(動物専門)でスキル発動の特技を持つ、中学2年生、加納友美さん。 コミュ障気味で面倒くさがり屋だが、断れない友美の前に相談に現れる様々な動物たち。 猫・うさぎ・犬・鳥・爬虫類などなど。 そしてその動物たちに振り回される毎日・・・・・。 ガチのチャリ立ち漕ぎさせられたり・・・ボードゲームやらされたり・・・セクハラされたり・・・いじめられたり・・・説教されたり・・・。 そんな中、恋の悩みや人間からしたらどうでもいい悩みを友美さんが悪戦苦闘もするが、一つ一つ解決していき成長していく日常。 ラブコメもあります。

    読了目安時間:6時間56分

    この作品を読む

  • 病印 忘却の花嫁

    怪異と戦う一人の少年の物語

    267,100

    79,530


    2022年12月9日更新

    第零部 ある日、霧崎=悠は夢を見た長い黒髪の幼き少女が悠に「遊ぼ」と声をかける。すると手の甲に時が刻まれ、それが零になると悠は「死」ぬと少女が言う。 その遊びの内容は怪異と戦うことだった… 霧崎悠は異能力「黒レコード」を使って怪異の謎を探り推理して怪異となった犯人の正体をみつけて戦う。 第一部

    • 残酷描写あり
    • 暴力描写あり
    • 性的表現あり

    読了目安時間:11時間53分

    この作品を読む