第2章 文化祭編 『最終舞台(ラストステージ)は華やかに』

第1話 プロローグ ジプシー

 街灯だけが、人の気配のない通りを、ほのかに照らしている。  夜の十時を少し過ぎた、静かな住宅街。  その一角の、ある一戸建ての二階の部屋に明かりがついている。  部屋の中には、ふたり。  そのうちのひとりとなる俺は、自他ともに認める童顔で細身の体躯をしており、背もそれほど高くない。そのために中学生に見られがちだが、れっきとした高校一年だ。  生まれつきの黒髪で黒い瞳の俺は、高校では優等生を装っている。普段から真面目さをアピールするように、度の入っていない黒ぶち眼鏡を愛用していた。  俺の目の前にある大きな座卓の上には、もうすぐ中間試験が行われるために、英語の教科書が開かれている。  そんな俺の横で、こちらは茶髪で、顔立ちも体型もすらりとした男が、崩れた胡坐をかいていた。数学の教科書をぱらぱらとめくっている。  その手が、ふと止まった。 「なあ、ジプシー。この問題、どうしてもわかんねぇんだけどさぁ」  京一郎(きょういちろう)が、色素が薄くて茶色い瞳を向けてきた。  様子をうかがうように、俺の通り名を口にしながら、数学の教科書のとある部分を指し示す。 「どれ?」  俺は京一郎の差しだした教科書へ視線を落とし、丁寧に問題文を読みながら、心のなかで考えた。  こいつは、いつも自分で解けるくせに、試すように発展問題ばかり聞いてくる。  実際、この問題は、試験にはとてもでそうにない問題だ。  それでも聞かれたからにはと、真剣にノートへ向かって左手で数式を書きはじめた俺の顔を横から京一郎は遠慮なく眺めてきた。  その視線に気がついた俺は、顔をあげずに口を開く。 「――なに? 人に問題を解かせといて」  無愛想に訊く俺の眼鏡を、いきなり京一郎はとりあげた。ムッとした表情を隠さずに顔をあげた俺と、京一郎の視線が、息がかかるほどの至近距離でぶつかり絡みあう。 「――おまえ、もしかしたら、すっげぇ美人?」  はじめて気がついたかのような京一郎の言葉に、俺は薄く笑ってみせた。 「なんだ。いまごろ気づいたのかよ」  ふたりして見つめあっていると。  俺たちの背後から、夢乃(ゆめの)のどなり声が響いた。 「あなたたち、いい加減にしなさい!」  部屋の入り口で仁王立ちをしている夢乃の後ろから、ほーりゅうがひょっこりと顔をのぞかせた。 「まったくもう! あなたたちの冗談は、まだ彼女には通じないんだから!」  ほーりゅうは大きな盆を持ったまま、ワクワクとした様子で部屋のなかへ入ってくる。 「なに? なに? なにしていたの?」 「ほーりゅう、冗談よ。困ったふたりなんだから」  まだ文句を続けながら、夢乃も俺たちのほうへと近づいてくる。そして、机の真ん中に盆を置いたほーりゅうの隣へと座ると、急須を引き寄せ人数分の日本茶を淹れはじめた。 「おっ、夜食がきたきた」  嬉しそうに盆をのぞきこんだ京一郎は、だが、そのまま動きをとめる。 「どうした?」  眉をひそめて、俺は固まった京一郎へ声をかける。  ようやく京一郎は、ほーりゅうのほうへ顔を向けながら、盆の上を指さした。 「夢乃のおにぎりはわかる。いつも見慣れているからな。――これは、なんだ?」  ほーりゅうは、ぷくっと頬をふくらませた。 「夢乃とおんなじ、おにぎりですっ! 中身も一緒、鮭とおかかの二種類よ」  盆の上に乗っているのは、きれいな三角形に握られたおにぎりと、大きなまんまるとしたご飯のかたまりだった。  女の子ふたりが、試験前の勉強会の夜食にと作ってくれたおにぎりなのだが。 「どうぞ遠慮なく召しあがってくださいなぁ」  そう口にしながら、夢乃の作ったおにぎりを取ろうと伸ばしたほーりゅうの手を、京一郎がばしっと叩き落とした。 「なにすんのよ!」 「おまえ、明日の試験の教科、範囲の半分も進んでないだろ? 夜食はあと! 胃に血液が回る前に勉強!」  京一郎の言葉に、ほーりゅうがムッとした表情をみせる。 「やだぁ。お腹すいた!」 「おまえ、夢乃の家で夕食をご馳走してもらって、さっき、たらふく遠慮なく食っていたじゃねぇか! この俺が貴重な試験前日の時間を割いて教えてやろうってのに、なに文句たれてんだ? ほら、ここに座る!」  京一郎に頭を押さえつけられ、ほろほろと泣きながら勉強を教えてもらいはじめたほーりゅうを横目に、俺はおにぎりへ手を伸ばした。当然、夢乃が作ったほうだ。  口に入れると、ご飯粒がほろりとほどける。塩加減も絶妙。申しぶんない。  夢乃のおにぎりを食べながら、俺はなんとも言えない感想を持って、皿の上に置かれたまんまるのかたまりに目を向けた。  それから俺は、この中間試験が終ったら、次は文化祭の準備で忙しくなるんだなと、もう先のことをぼんやりと考えていた。

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