第3話 ジプシー

 その日、とある大学病院に一本の電話が入った。早朝受付の若い女性が受ける。  電話の向こうにいる男が、焦ったような声で一気に告げた。  その研究所のなかで協力が得られず、たったひとりで、ある種の細菌の研究をしていた。そして、偶然が重なり、良くも悪くもすごい発見になるところまで成果があがったのだという。  取り扱いが難しいゆえにサンプルは処分したが、膨大な研究データが手もとに残っている。データ通りに進めれば、同じ成果が得られるだろうが、なんといっても対となる抗生物質が、まだ完成できていないという。  取り扱いを間違えたり悪用されたりすれば、社会的大問題に発展しかねない。その時点で、ひとりで研究していた彼は怖くなったと口にした。自分の研究は、ずっと誰かに狙われている気がするのだ、と。  そして、パニックを起こした彼は、外部の大学病院へ助けを求める電話をしてきたということらしい。  研究所にいること自体に身の危険を感じた彼は、いまから、とあるホテルへ緊急避難すると言った。だが、そのホテルの名前を告げると同時に、電話の向こうで襲われるような気配がして、そのまま電話が途切れた。  単なるいたずらかと思ったが、内容が内容なので、病院側は地元警察に届けた。  偶然、同じ時期に日本の情報局でも、完成間近の細菌研究データを、海外の二機関のエージェントがそれぞれ狙っているとの情報を入手した。  日本の情報局としては、その細菌研究データが存在するのであれば、海外の情報局の手へ渡る前に持ち主を保護し、そのデータを手に入れたいと考えた。  そこで、情報局側が噂の真偽、およびその人物を特定するあいだに先行して、現地に救出のためのタスクフォースを送りたい……。 ◇◇◇  夢乃の父親からの話は、だいたいこんな内容だった。  残念ながら、俺にはまだ医療や薬の深い知識はない。だが、その部分は今回、必要とされていないとみていい。薬そのものはなくデータのみであるため、パンデミックの可能性は低い。目的は、情報を持った男の救出だ。  それに、この成功してもしなくてもいいという情報部の言い方では、あとから情報部が乗りだすときのための、下見の意味合いではなかろうか。  かかってきた電話を受けたのが病院の受付だったため録音テープがなく、実際の声や正確な会話から推測できる情報がない。  その男が、本当に電話口で襲われたとなると、一刻の猶予もないだろう。  だが――たしかにあやふやな情報ではある。  ただの悪戯ではないのか。そのデータが本当に存在するのか。というところから、電話口で名前をだしたホテルへ、この男が本当に向かっているのかどうかも問題だ。  たとえ向かっていたとしても、狙われていたのだとしたら、ホテルにたどりつく前に死亡している可能性もある。  第一、すぐに男を助けに向かおうにも、こちら側は、絶対的に時間と情報が少ない。  俺は、夢乃の父親に細かい質問をする京一郎の言葉を聞きながら、ソファの背にもたれて腕を組んだ。  どうしたものかと思案する。  基本的な話は簡単だ。  病院に助けを求める電話をかけてきた男だ。その男に、こちらが情報を奪う立場の人間ではなく、助ける側の人間だとわからせればよい。  俺が自分を助けてくれる人間だとわかり、男が動ける状態であるなら、現場へいきさえすれば、必ず向こうからなんらかのアプローチをしてくるだろう。  そうなると、問題は二機関の工作員のほうかもしれない。  二機関の工作員の情報が少ない上に、逆にこちらの情報がこの場へ届くまでに、すでにどこからか漏れている可能性もある。そして、おそらく俺がいままで敵対してきた相手よりレベルがあがるだろう。  俺は、積み重ねてきた自分の力を信用しているが、過信はしていないつもりだ。 「京一郎」  俺は、話が一区切りついたころを見計らって、京一郎へ声をかける。 「いつもの友人から、機材一式を調達してくれ。移動中、集められるだけの情報を集めたい」  京一郎の族仲間に、クラッカーではなく純粋なハッカーといえる高度の技術を持ったコンピュータの熱狂的マニアがいる。専門の機材は、いつも嬉々として手配してくれる、信頼のおける頼もしい知り合いだ。  俺の言葉を聞いて、すぐにスマホで連絡を取りはじめた京一郎を横目で見ながら、用意すべき道具とやるべきこと、計画を頭のなかで確認していった。 「今回の件では、うちの桜井(さくらい)を最後までつけよう」  夢乃の父親の言葉を聞いて、俺は桜井刑事の顔を脳裏に描く。いつもの警察と俺とのパイプ役の男だ。  思いついた俺は、うなずきながら夢乃に告げる。 「夢乃。今回、俺とは別行動だ。桜井刑事と行動をともにしろ」  不満げな夢乃が言葉を発する前に、ほっとしたような父親の声がした。 「そうだ。行くなと言ってもついていくだろうからな。夢乃、今回は桜井と一緒なら行ってもいいぞ」  夢乃はそれでもなにか言いたそうな顔をしたが、すぐに諦めたのか、小さな声で「わかりました」とつぶやいた。  続けて、俺は夢乃の父親に申しでた。 「お父さん。今回の件が終わったらお返ししますから、ぼく名義の警察手帳を用意してもらえますか。保護する相手の行動を考えると、場合によっては警察の人間だと告げたほうがいいかもしれませんので」 「――わかった。早急に手配しよう」  過去にも利用したことがあったから、すぐに用意ができるだろう。アンフェアな頼みごとではあるが、そのあたりは上層部の裏を仕切っているだけある。  夢乃の父親が、すぐに連絡をいれる様子を見ながら、俺は夢乃へ振り向いた。 「夢乃、警察手帳を受け取ってから、桜井刑事と現地へくること。今回は俺たちとは別行動だから、俺たちが行動を起こすまで、夢乃が俺の警察手帳を預かっていてくれ」  渋々とうなずいた夢乃を見ながら、俺は考えた。  京一郎と友人の話がつきしだい、俺たちは急いで現地へ飛ぶことになる。

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