第13話 B.M.D.

「さようなら、坊や。もう二度と会うこともないだろうね」  そう告げた私は、手ごたえのない気分のまま、目の前で意識を失った少年ともいえるような男に、シルバーボディのS&W・M659の銃口を向ける。  わざわざ担当ではない任務を引き受けて、来日する必要もない相手だったか。  興醒めした私は、さっさとこの男を始末し任務を終わらせて、本国へ帰る気になっていた。  五メートルほど離れた地面の上で伏している彼の頭にポイントし、数発撃ちこむつもりで、私は躊躇なく引き金に指をかける。  そして、あっさりと力をこめた。  だが。  引き金がびくとも反応しなかった。  再度力をこめるが、引き金も撃鉄も私の意思に反して、固まったまま動く気配がしない。  どういうことだ?  作動不良(ジャム)を起こしやすい銃ではあるが、一発目で引き金がひけないなんてことはない。  命を預ける得物の整備は怠らない。  経験したことのない初めてのトラブルに、急に不安が生じた。  その不安を後押しするかのように、突如爆音が響き渡り、私の身体を大きく震わせた。 ◇◇◇  小高い森の中腹の周りを走る道路から一台のバイクが姿を現し、飛び降りてくるような勢いで坂をくだってきた。  そして、地面に伏している彼と私のあいだを割るように砂埃をあげて、車体を滑りこませる。そのまま倒れている彼を背にかばい、私のほうへ(はす)にバイクの頭を向けて停めた。  エンジンを切ってゆっくりとヘルメットを取った少年は、私の手にしている銃に怯える素振りもなく、笑いを含んだダークブラウンの瞳で、呆気にとられている私をまっすぐに見る。  だが、私の目が釘付けになったのは、少年の瞳ではなく、その首にかけられた鎖のトップだった。  私の視線の先を確認しながら、少年は微笑んで口を開く。 「その銃、動かないの? ダメじゃない。自分の得物は、ちゃんと手入れしておかないと」  彼の呼吸に合わせて揺れ、太陽の光を反射するロザリオ。  どういうことだ?  私は人違いをしていたのか?  いま目の前に現れたこの少年が、私のターゲットである『東洋のジプシー』だったのか?  倒れている男より、やや背も年齢も高そうには思えるが、この彼も、情報にあった年恰好に当てはまる範囲だ。  ジプシーの目印とされるロザリオも、この彼の胸もとで揺れて光っている。  しかし、そこに倒れている男のこれまでの行動を考えると、彼がジプシーだと確信していたのだが……。  少しのあいだ私の動揺を面白そうに眺めていた少年が、ふたたび口を開いた。 「Est-ce que vous êtes B.M.D.?」  突然流暢なフランス語で名指しされ、私は驚愕する。  私の出身や所属情報は、他国には出回っていないはずだ。  狼狽した私へ向かって、彼は笑顔を浮かべたまま、さらに続けて言った。 「俺を殺りたきゃ、まったく無防備のときを狙いなよ。だが、もう貴様には二度と虚を見せることもないだろうが」  そして、その笑みを変えずに突然、少年はいままで抑えていたらしい恐ろしいほどの気を放った。  私は息をのむ。  その殺気を受け、生まれて初めて、全身総毛立つのがわかった。  少年を包む空間が変わる。  それは、比喩などではなかった。  見渡す一面の地面から、むき出しに頭をのぞかせていた岩が音もなく地面から抜けだし、気がつけば、一斉に宙へ浮き上がっていたのだ。  そして、彼の号令を待つかのように、私をぐるりと取り囲んでいた。  ――この世界に存在するすべてから、いま、敵意を向けられる感覚。  初めて味わう恐怖に、小高い森の木々の葉のざわめきが耳につき、戦慄する私の心臓の鼓動がやけに大きく響いた。  やはり、ロザリオを身につけ特殊能力を持つ、この少年がジプシーなのか?  破顔したまま少年は、バイクのハンドルに寄りかかり、友人に挨拶をするような軽い口調で私に問うてきた。 「貴様の頭の奥の血管を一本、破裂させてもいいね。それとも、意識を失うまで心臓の鼓動を止めてみる? せっかく用意ができているから、これらの岩で生き埋めにしてやってもいいな。でも、いまここで逃げて、今後は俺の邪魔をしないと誓うなら、見逃してやってもいい。選ばせてあげるよ」  その言葉の内容で、ようやく私は理解する。  先ほどの私の銃の不具合。  故障ではなく、この少年の力が引き金を止めていたのか。  命は、惜しい。  自分の命を懸けてまで、負けることがわかっている闘いをする気はない。  表情から、私の考えが伝わったのだろう。  急に彼は笑いを引っ込め、真顔でつぶやいた。 「Je le néglige une fois.Allez-vous en!」  失せろという言葉に従って、私は、彼の瞳を凝視しながら、ゆっくりと後ろにさがる。  周囲にいくつもの岩が浮いているという異様な空間から抜けでたところで、私は身を翻して一気に駆けだした。  一度だけ見逃してやると告げた通り、少年が追いかけてくる気配はない。  全速力で走りながら考えた。  やはり、この少年がジプシーか!  ならば、先ほどまでわたしがターゲットにしていた男は、いったい何者なんだ?

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