第13話 ほーりゅう

「え~? 夢乃、いまからお出かけなの?」 「ごめん! いまさっき電話があって、その、どうしても、ね!」  見慣れてきた、手を合わせて謝ってくる夢乃の姿。  今日は一月三日。  冬休みはすぐに終わっちゃうから、今日も夢乃や明子ちゃんたちと遊びに行こうと思ったのに。 「本当に、ごめん」  夢乃は謝りつつも、嬉しそうな表情を隠しきれない。  わたしは居間のソファに座ったまま背をもたれると、胸の前で腕を組んで黙りこんだ。  結局明子ちゃんとも連絡がつかなかった現在のわたしの問題は、暇だということだ。  夢乃が申しわけなさそうな目を向ける。  すると。  わたしの向かいのソファで、しばらく関心なさげに本を読んでいたジプシーが、視線を落としたまま口を開いた。 「――一昨日会ったときに藤本が、美味しそうなケーキをだす喫茶店が駅の向こうにできたとか言っていたな。もう営業しているらしいが、ほーりゅう、食べに行く気ある?」 「え? 本当? あるある!」  わたしは、ジプシーのほうへクルリと顔を向ける。  すると、目の端でほっとした様子の夢乃の顔が見えた。  あ、そうだよ、夢乃を困らせたら可哀想だもの。  ここはひとつ、ジプシーの提案に乗っておこうかな。  本当にケーキも気になるし。  行く気になったわたしの様子に、ジプシーは本を閉じると、顔をあげた。 「かなり距離があるから、ほーりゅうを自転車の後ろに乗せてやる。夢乃、おまえの自転車を借りていいか?」  ジプシーの言葉を聞いて、夢乃は慌てて二階の自室へ自転車の鍵を取りに飛んでいく。  その後ろ姿を目で追いながら、わたしはジプシーに訊いた。 「なんで? ジプシーって自転車を持っていないの?」 「俺の自転車はマウンテンタイプで、後ろには人を乗せられないんだ」  まうんてんたいぷって?  わたしはここへ引越ししてくる前から、自転車を持っていなかった。  自転車の種類って知らないけれど、きっといろいろあるんだ。  いまの言い方なら自転車全部に、荷台とかカゴが付いているわけじゃないんだな。  ジプシーが、夢乃から自転車の鍵を受け取る。  そしてわたしとジプシーは、いそいそと出かける夢乃を外に送りだした。  夢乃が出かけたあと、わたしたちも外に出て、家の横にある駐車場のほうへ向かう。  夢乃のお父さんが自家用車を使って出勤しているので、いまは空いている広い駐車場の奥に、自転車が三台並んでいるのが見えた。  最初に視界に入ったのが、左端にある黒くて変わったハンドルの付いている自転車だ。  きっと、この自転車がジプシーのものなんだな。  そして隣に、わたしが頭に描いていたそのままの、カゴと荷台付きの自転車が二台停めてある。  オレンジ色と青色の自転車のうち、青のほうに預かった鍵を差しこむと、ジプシーは家の前まで引っ張りだしてきた。  門の前まで自転車を押してきたジプシーは、自転車を停めると、ふとわたしを見て、急に踵を返した。  ――いや、違う。  正確に言うと、わたしの後ろの向こう側を見て、引き返した気がする。  不思議に思って、わたしはジプシーに声をかけた。 「あれ? どうしたの?」 「自転車のタイヤに空気を入れる。最近乗っていなかったから抜けているみたいだ」  駐車場の奥にある倉庫へ向かいながら、ジプシーが返事をした。  なんだ、空気入れを取りに行ったのか。  空気が抜けているんだったら仕方がないよねと思って、その場でぼんやりと待っていると、ふいに後ろで人の気配がした。  振り向くと、見知らぬ女の人がひとりで立っている。  わたしが覚えていないだけで、会ったことがあるのだろうか?  その女の人は、わたしの顔を無遠慮に眺めてきた。  わたしのお母さんと同じくらいの年代に見える、丸顔で、ちょっと小綺麗な女の人だ。 「あけましておめでとうございます」  わたしが目を見開いて見つめ返していると、空気入れを手にしたジプシーが戻ってきて、にこやかにその女の人へ挨拶をした。  物腰柔らかいジプシーに唖然としながらも、ああ、まだお正月だもんねと考える。  そして、手持ち無沙汰に見えたのか、ジプシーはわたしに向かって言った。 「ほーりゅう、悪いけれど、僕のマフラーと手袋、部屋にあるから取ってきてもらえるかな」  これもまた、まったく黒さを感じさせない微笑を浮かべながら口にするので、わたしは急いで家の中へ取りに戻った。  階段を駆けあがりながら、ジプシーの態度を不審に思う。  なんだろう?  どこか、なんか変。  ジプシーの許可が出ているので、わたしはためらいなく彼の部屋に入った。  ぐるっと部屋の中を見渡してから、見当をつけてクローゼットの扉を開ける。  思った通り、普段上着をかけているハンガーのそばの台に、薄茶色のマフラーと手袋が置いてあった。  マフラーなんかしている姿って見たことがないなあと思いながら、手に取る。    これ、カシミヤだなぁ。  いい物を数少なく持つタイプなんだと、改めて物の少ないジプシーの部屋を見まわした。  マフラーと手袋を持って玄関前まで戻ると、タイヤの空気を入れ終わったらしいジプシーと女の人が談笑しているという、不思議な光景がまだ続いていた。  学校で見せている、他人に無関心な態度とはまた違った普通の対応に、わたしは意外な一面を見た気がする。  そう考えながら眺めていたわたしに女の人が気づき、嬉しそうに声をかけてきた。 「いまから出かけるんですって? 気をつけて行ってらっしゃいねぇ」  そう言って、手を振りながら見送ってくれる。  なので、自転車を押しながら歩きはじめたジプシーと並んで、わたしもマフラーと手袋を持ったまま歩きだした。  目の前で聞けなかったけれど。  いまの女の人、誰だったんだろう?

コメント

もっと見る

コメント投稿

スタンプ投稿