第42話 エピローグ ほーりゅう

 夢乃の声が、乗客のほとんど乗っていない列車の車内に響いた。  片想い相手のノロケ話を、トラとジプシー相手に意気揚々と話していたわたしだけれど。  夢乃の、島本さんの名前を呼ぶ声は、はっきりと聞こえた。  トラとジプシーにも聞こえていたのだろう。  思わず、夢乃と京一郎のふたりが座っている席のほうへ、わたしたちは視線を向ける。  車窓越しに駅のホーム、そこにはまぎれもなく、遠目で見たことのある、あの島本さんが立っていた。  状況を察した京一郎が立ちあがり、急いで列車の窓を最大に開ける。  開けた窓から、はにかんだような微笑みを浮かべた島本さんが、夢乃に声をかけてきた。 「あなたに怪我がなくて良かった」  急いで席を立ち、列車の乗り口に向かおうとした夢乃に、島本さんは制止をかける。 「乗り遅れたら困るから、そのまま、その場で話を聞いて欲しい」  そして、言葉なく島本さんを見つめる夢乃に、彼は続けて言った。 「今回の任務、昨日のあいだに本国には失敗の報告をしました。もっとも、今回の任務を最後に、私は引退することが決まっていたのです。私には向いていない仕事でしたから。これからは、本当に休学届を出していた大学に戻るつもりです」  そう告げると、悪戯っぽい笑いを湛えた瞳で、島本さんは夢乃を見た。 「佐伯さん――夢乃さん、私はあなたのことも、そして、ジプシーやほかの方々のことも、最初から知っていました。ひとりを除いて皆、同じ高校に通われるご学友ですね」 「なぜ? どうして知っているの?」  夢乃が驚いたように訊いた。 「直接言葉を交わしたのは今回が初めてでしたが、私が休学している大学は、あなたの住んでいるところから近くて、以前にも何度か皆さんとお会いしたことがあるのです」 「それじゃあ、わたしの身元も全部知っていたのに、いままで知らないふりをして話を?」  夢乃は赤くなって視線をそらせながら、よそを向いて続けた。 「嫌な人ね」  その様子をしばらく微笑んだまま見つめていた彼は、黙ったまま、事の成り行きを見守っていたわたしたちのほうへ視線を向け、そしてジプシーに対して声をかけた。 「私は、もうこの世界から引退した身ですが、どこからか追手がかかるかもしれない、気の抜けない生活が続くでしょう。でも、夢乃さんが良ければ、また会って欲しいと思っています」  島本さんは、家族としてジプシーが夢乃と一緒に暮らしていることまで、知っているんだ。  今回の事件の前から本当に夢乃のこと、知っている上に気にもなっていたんだなぁと、わたしは黙ったまま考える。  どうやら保護者的な決定権を与えられたジプシーは、しばらく島本さんの顔を見つめたあとに言った。 「夢乃を護り抜く自信、あるのか」  島本さんは、はっきりこたえる。 「もちろんです。それに、私の身の危険レベルは、あなたと同じ程度のものだと」  そう言われると、返す言葉がジプシーにはない。  そこで、ようやく京一郎が口をはさんできた。 「でも、どうやってあんた、助かったんだ? 俺らが知っている限り、けっこうな出血量で海に落ちたんだろう? 正直な話、俺は、発見できても助かるはずがないと思っていた」  京一郎のもっともな言葉に、わたしも気になって、島本さんの言葉を待つ。  彼は、一瞬考えるそぶりを見せてから、静かに告げた。 「夢乃さん。あなたには私の家族の話をしたときに、いまマンションで、あなたと同じくらいの年齢の弟と一緒に住んでいると言いましたね。本当に一緒に住んでいるのは、弟ではない、血のつながりのない年下の友人です」  夢乃は、神妙な表情で彼の言葉を聞いている。 「けっこうな崖の高さと出血の多さで、私は海に落ちたあと意識を失いました。でも、その友人が海に飛びこんで助けてくれたのです。彼は、ちょっと意地悪な性格なもので、私が一度海に沈んでからでないと助ける気がなかったようですが。それでも彼は手をださずに、私の最後の仕事を見守ってくれていました。一緒に落ちたB.M.D.のほうはどうなったのか、残念ながら私には確認できていません」  そう言って、島本さんは楽しそうに笑った。  そして、夢乃とジプシーの顔を見ながら、反応をうかがうように続けた。 「私は島本夏樹と言います。友人の我龍もいま、この駅のホームまできています」  車内にいた全員に緊張が走った。  島本さんが我龍の知り合い?  そして、我龍がいま、このホームにいる。  慌てて、わたしたち五人ともが、目で辺りのホーム一帯を捜す。  でも、それらしき人物は見当たらない。  そのわたしたちの様子を、微笑んだまま穏やかに眺めている島本さん。  そのとき、列車の発車時刻になり、放送が流れた。 「我龍が私のバイクでこちらにきていたので、私も、もう少しこちらで休んでから彼と戻ります。実はいま、本当は立っているだけでもかなりきついもので」  時計を見て発車時刻の確認をしながら、そう告げた島本さんは、夢乃に向かって言った。 「戻ってから改めて、夢乃さん、連絡しますね」  そして、動きだした列車へ向かって、島本さんは怪我をしていない右手をあげ、手を振った。  夢乃もひとり、窓から少し顔をだして、手を振り返す。  それどころではない気持ちの、わたしとジプシーは。  次第にスピードをあげていく列車の、ほかの座席に移って窓に寄る。  そして、わたしもジプシーも、たぶんトラや京一郎も、無言で我龍らしき人物の姿を目で捜す。  トラやジプシーは、会っていても十年前に一度だけだし、わたしや京一郎は、一度も会ったことがない我龍。  でも、見たらわかるような気がする。  そのとき。  ホームが切れる直前の柱の陰で、わたしたちは見つけた。  視線がぶつかったわたしに向かって、とても嬉しそうな――本当に嬉しそうな笑顔で、右手の人差し指と中指をそろえ、額にあてた格好で敬礼をする、我龍の姿。  そして。  背中の中ほどまで伸ばして三つ編みにされた彼の髪が、スピードをあげた列車の風に煽られ揺れるのを……。  彼の姿が見えなくなるまで、わたしは、不思議な気持ちで見つめていた。

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