第15話 ジプシー

 文化祭で賑やかな校内のはずだが、使用されていない建物の四階までは声が届かず、静かさを保っていた。俺は神経を集中させながら、廊下をゆっくりと進む。  着替える時間がなかったため、いまだに俺はジュリエットの衣装の格好のままだ。動きにくいこと、このうえない。  ここの階には俺と、各教室を順番に調べている京一郎、階段をあがりきった見えないところで夢乃とほーりゅうがいる。そのほかの気配は、いまのところ感じられない。  ということは、息をひそめて隠れるのがよほどうまいのか、あるいは、先の廊下に衣服をわざと残して警戒させ、足止めさせているあいだに逃げたのか。  俺は、廊下の真ん中で、一度立ち止まった。  視界に入る廊下はもちろんだが、その先の見えないところまで神経を尖らせる。  ――が、やはり気配がしない。  教室のなかを調べている京一郎へ、視線を走らせる。  彼も、無言で首を横に振った。  この先のまだ調べていない教室のなかか、とっくに逃げたか。  ――この職員棟の大きさなら、俺の結界で充分包みこめないこともない。少々手間だが、男の位置確認は、そのほうが確実だろうか。  それとも、結界の準備をしているあいだに、別の場所へ移動されてしまうだろうか。  そう考えたとき、ふいに、ほーりゅうが動いていた。  つつつっと、廊下の窓際伝いに俺のあとからついてきていた。  あまりにも普通の動作だったので、夢乃が止めそこねたようだ。彼女が動いたことで、神経を尖らせていた俺の集中が、乱れて途切れる。  俺は平静を保とうと心がけつつ、ゆっくりと振り返りながら、彼女へ低く声をかけた。 「――おまえ、動くなと言っただろ?」 「ここまで強盗犯がいないんでしょ? だったら、あんたのあとをついてっても、大丈夫なんじゃ……」  呑気そうな声のほーりゅうが、そこまで口にしたとたんに、外に向かって開いている窓から手が伸びてきていた。その手が、すばやい動作で彼女を羽交い絞めにすると、同時に彼女の首筋で、鋭利なナイフが光を放った。  やられた。  奴がいたのは、四階でも窓の外だったのだ。  俺の位置から彼女のところまで跳ぶにしては、やや離れ過ぎている。  目で距離をはかりながらも、ついため息をついてしまった俺の前へ、ほーりゅうの首にナイフをあてたまま、男は、ゆっくりと窓を乗り越えて姿を現した。 「高校生のガキどもか」  人質をとったことで余裕があるのか、男は笑いながら口を開く。  そして、ほーりゅうが手にしているFAX用紙に気がついたようだ。 「だが、警察からのFAX持参か。ただのガキってわけでもなさそうだ。どうやらさっき、俺の仲間をやってくれたようだしな」  すばやく男は、周囲の状況を把握する。  そのまま俺へ視点を定めると、じっと見据えて続けた。 「このなかでは、レトロな格好のお嬢さまがリーダーだな? 目つきでわかる。――階段のところにいる女、それと教室のなかにいる茶髪。おまえらも動くなよ」  この時点では、向こうのほうが有利な立場だ。全員が言われた通り、動きを止まる。  だが。  ――俺は、この状況において、ある違和感を覚えた。  状況の違和感。  ――それは、ほーりゅうの超能力が、発動する気配がないということだ。  制御不能とはいっても、この危険が迫った状況なら、ほーりゅうの超能力がでるのではなかろうか? 彼女自身も、内なる感情が高まると、勝手に力がでてしまうようなことを言っていたはずだ。  男を見据えたまま、俺は、まだ一度しか見たことがない彼女の能力を思いだす。さらに、京一郎のときの話も思いだしてみた。  そして、この緊迫した状況のなかで、過去に知識として聞かされていた俺にしかわからないであろう、ひとつの重大な要素に気がつく。  ほーりゅうの持っている、ロザリオの中心に埋めこまれている石だ。  彼女の超能力と呼べる力の、媒体か増幅の役割を担っている石。  あの、意思を持つカディアと呼ばれる石が、この状況を超能力不要と判断しているのではないだろうか? 「ゆっくりと手をあげろ。よけいなことをするなよ」  目の前にいる男が、ほーりゅうの首筋にナイフをあてたまま、俺から視線をそらさず命令する。  黙ったまま、俺は言われた通りに、手のひらを男に向けて両手をあげた。  ――いや。もうひとつ、似たような状況でも前回とは条件が異なっているものがある。  それは、殺意の方向だ。  ほーりゅうにとって、自分に向けられる殺意が能力の発動条件なら、このままでは力はでないだろう。いま、彼女にナイフが突きつけられていても、ナイフには殺意がこめられていない。男の殺気は、すべて俺へ向いているからだ。  過去の件を思い返してみたら、俺や京一郎のとき、どちらもその瞬間は、ほーりゅうに殺気が向いていた。ロザリオの中の石が殺意を感知せず、発動しないということも考えられる。  あるいは――俺が彼女を助けるという可能性が、彼女の超能力発動の妨げになっているのだろうか?  俺は頭のなかで、この場を切り抜けられるような様々なパターンをシミュレーションする。そして、彼女の能力が発動するかどうかを確かめつつ、こちらを有利な状況へと持っていくための、ひとつの方法を選ぶことにした。  俺は、いま、全員が立っている位置を確認する。  廊下に俺と、向かい合って男とほーりゅう。男をはさんで俺と対角線上、向こう側の階段をあがったところに夢乃がいる。教室の中に京一郎。  ――少しだけ、校舎の外へ向いた窓際のほうへ俺が動けば、俺と夢乃と京一郎を頂点とする三角形のなかに、男はぎりぎり、入る。 「――ほーりゅう」  低く発した俺の声に、びくっとしたほーりゅうが怯えた表情となって顔をあげた。  俺は、男の気をひかないように、本当にゆっくりと移動しながら両手をさげる。そして、さげた左手の袖口から手のひらのなかへ、一本の独鈷を滑り落としながら静かに告げた。 「ほーりゅう、おまえは俺の仲間になると言ったときに、自分の身は自分で守ると言ったよな」  俺の言葉にほーりゅうは、大きな眼をさらに大きくして凝視してきた。

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